『過去のブログ』を振り返る Vol.3

ブログを始めた頃の記事を、現在の書式スタイルに編集して掲載し、皆様にぜひご覧頂きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いいたします(^^)/

Vol.5『おばあちゃんの知恵袋』

今年で100歳になった大正生まれの私のおばあちゃんは、有り難いことに今も元気に暮らしています。
おばあちゃん子の私は、おばあちゃんにたくさんの愛情をもらいながら育ちました。
ここでは、おばあちゃんが私にしてくれた愛情溢れる行動ほんの一部を紹介しようと思います。

タンコブと梅の漬け汁

幼稚園に入ったばかりの頃、私は壁に頭をぶつけてタンコブができてしまいました。
痛がって泣き続ける私のタンコブを早く治してあげようと、おばあちゃんは自慢の知恵袋から一番良い方法を選び、自家製の梅とシソが漬け込んである壺をもってきて、たっぷりと漬け汁を含ませた赤いシソの葉を、私のタンコブの上にふんだんに乗せました。
私は「おばあちゃん、なぜ食べ物を私の頭の上に?!」と戸惑いながら、「これをつければもう大丈夫だからね」と微笑むおばあちゃんの隣で、顔に垂れてくる梅の漬け汁を拭くのに必死で、コブの痛みは続いていましたが、もはやそれどころではなくなり、早々に泣き止んだ記憶があります。
梅の漬け汁がコブの痛みに効果的だったかは未だに不明ですが、痛みで泣いている子供を泣き止ませるのには効果的だったと言えるのかもしれません。

しもやけとミョウバン

日本海のすぐ側で生まれ育った私は、冬の冷たい海風で手がかじかみ、毎年しもやけになって大変な思いをしていました。
両手が野球のグローブのように腫れ上がり、指が曲げられず箸を持つのも難しく、冷えれば痛くなり、温めれば痒くなるという、どうにもならない酷い状態のしもやけを見て、幼い孫の両手を何とかあげたいと思ったおばあちゃんは、私の為に自慢の知恵袋から治療法を探り出しました。
茄子のお漬物を作る際に、鮮やかな青紫色にする為に使うミョウバンを持ってきて、洗面器に入れたお湯に溶かして私の前に置き、「これに手を浸すと、血行が良くなってしもやけが治るからね。」とおばあちゃんは微笑みました。
促されるままミョウバンを溶かしたお湯に両手を浸す私の横で、おばあちゃんは「これで大丈夫」と一安心していました。 
そして数日が過ぎましたが、私のしもやけは一向に良くならず、むしろ段々と手が青紫色に変化していきました。
ミョウバンは確かに血行を良くする作用があるらしいのですが、肌質によっては色素沈着を起こすらしく、私の手はそれからしばらく、立派な青紫色のグローブと化してしまいました。

風邪とネギ

小学4年生の時に風邪をこじらせてしまい、学校を何日も休んだ私を気遣ったおばあちゃんは、久しぶりに登校する日の前夜「可愛い孫に、もう二度と風邪など引かせまい!」と、自慢の知恵袋からとっておきの予防法を取り出しました。
長ネギは風邪の予防に効くからと、私の首に軽く炙った1本の長ネギをぐるりと巻いたのです。
「おばあちゃん、なぜ野菜を私の首に?!」と、私はタンコブに梅の漬け汁をつけられたとき以来の衝撃を受けましたが、まだ子供だったので「きっとおばあちゃんが言うのだから間違いないのだろう」と思い、おとなしく首に長ネギを巻いて寝ました。 
次の朝、おばあちゃんは「学校にも巻いて行けるようにカッコよくしたからね」と、タオルで包んだネギを私の首に巻きつけました。 
タオルで包んでもネギを首に巻いて出掛けるのは恥ずかしかったのですが、自分の為に一生懸命にしてくれるおばあちゃんの優しい笑顔を曇らせたくなくて、私はネギを巻いたまま登校しました。


純朴なクラスメイト

学校に着き教室に入ると、クラスメイトはすぐに長ネギのニオイと私が首に巻いているタオルに気付き、私を囲んで物珍しそうに眺めていました。(そりゃそうだ!) 
久し振りの登校な上に、首に長ネギなんか巻いてきて、クラスメイトに何を言われるのかと、私はドキドキしていたのですが、そこは昭和時代の田舎の小学生、馬鹿にするのではなく「なんだかスゴイものを巻いていて特別な感じだぞ」「仮面ライダーのスカーフみたいでカッコイイ」「できれば自分も試したい」という予想外の反応で、私はその日の話題の中心となり、一躍してヒーロー的な扱いを受けました。
その日、家に帰ってから早速、風邪予防の為に首に長ネギを巻いてもらったというクラスメイトが何人もいて、おばあちゃんの知恵はちょっとしたブームになりました。
おばあちゃんの知恵と、首に長ネギを巻いた私の姿が学校で笑われるんじゃないかと心配していた私は「純朴で素直なクラスメイトに恵まれていて良かった・・・」とホッとしました。

ハンドルカバー

中学生になった私は、雨の日も風が強い日も自転車で通学しなくてはいけませんした。
幼い頃、おばあちゃんお薦めのミョウバンによって青紫色のグローブと化した手が、風雨にさらされてますます痛そうな様を見て、可哀想な孫の為に何とかしてあげたいと思ったおばあちゃんは、今度は自慢の知恵袋からではなく自分の自転車からシニア感漂うハンドルカバーを外して私の自転車につけてくれました。
私はもう中学生お年頃だったので「さすがにこれは恥ずかしいなぁ・・・」と言うと、おばあちゃんは「任せて!」と近所の自転車屋さんに向かい、赤い縁取りが素敵な白い本革のハンドルカバーを買ってきて「これなら大丈夫!」と微笑みました。
せっかくのおばあちゃんの厚意を断るのも気が引けたので、とりあえず素直に使ってみたところ、実際に暖かくて便利だったのですが、いくら田舎の純朴な子供とはいえ、さすがに思春期で恥ずかしかったので、少しの間だけハンドルカバーを使い、その後は「おばあちゃんに貰った手袋を使うことにしたから」と言って、そっとハンドルカバーを外しました。

更なる強者

高校に通うようになると、いろんな地域に住む友人ができました。
たまたま話の流れで、小学生のときに首に長ネギを巻かれた話をしたところ、新しい友人から「私は中学生の頃、熱で寝込む度、おばあちゃんに4センチぐらいに切った生の長ネギを鼻に詰められてたよ。」と、私の経験を遥かに上回る、パンチの効いた強烈なエピソードが飛び出しました。
「鼻に生の長ネギを・・・しかも中学生で・・・それはニオイも状況もあまりにキツイ・・・」衝撃を受けた私は「あぁ、ウチのおばあちゃんがその知恵を持ち合わせていなくて本当に良かった~!」と胸を撫で下ろしました。
そのとき私は、おばあちゃんがいつも私に言っていた「どんな事柄においても、必ず上には上がいるものだ。自分の目に見えているだけの小さな世界で『自分が一番だ』なんて過信してはいけないよ。」という言葉を思い出し、心から実感しました。


長い冬が終わったら、そんな様々な思い出を胸に、私の為にいつも一生懸命に手を尽くしてくれた大好きなおばあちゃんに会いに行こうと思います。


この記事を書いたのは2016年11月です。
おばあちゃんは現在101歳、お陰様で病気もせず元気に長生きをしてくれています。
2018年のゴールデンウィークも、お土産をたくさん持って会いに行く予定です★

『ワイン体験レポート2年目』4月


今年の作業スタート

2018年4月14日(土)に、娘とワイン葡萄の栽培作業に行ってきました。
今年の秋に収穫するワイン葡萄の為の作業としては、前年のワイン葡萄の収穫を終えた11月頃にする、ワイン葡萄の木の『剪定』からがスタートとなるのですが、雪を伴う悪天候で剪定作業への参加が難しかった為、今年のワイン葡萄の栽培作業は今回の『棚上げ』からのスタートとなりました。
4月といっても風はまだ冷たく、街に出掛けて歩き回るのと、畑に立ちっぱなしで農作業をするのとでは体感温度がかなり違うので、油断せずにダウンのロングコートを着て長靴を履き、マフラーをしてニット帽をかぶり、完全防備で挑みました。

大自然の癒し

ワイン葡萄の畑がある施設は宿泊もでき、以前は泊りがけでワイン葡萄の栽培作業に参加していましたが、週末の予定が段々と増えてきたので、最近は日帰りで参加しています。
朝早いバスに乗るのは大変ですが、海岸沿いの道路から大好きな日本海を眺めるのが一つの楽しみとなっています。
畑に着くと、広大な景色と溢れる春の大地の香りに、心身ともに癒されていくのがわかりました。
私は、職場でいろんな経験を重ね、日々学べるのが楽しくて、絶対に病気などで仕事を休みたくないので、普段はマスクを着けて生活しているのですが、今回はマスクなしで大自然の中、マイナスイオン満喫しました。


新たなスタイル

施設の近所のワイナリーのオーナーが、いつものように作業のレクチャーをしてくれました。
この施設のワイン葡萄棚は、一番下のワイヤーが一般的な葡萄棚よりも低い位置に張られていて、本来ならワイン葡萄が成長していくにつれ立って出来るはずの作業が、腰を曲げないとできない状態だったので、今年はワイヤーが高い位置に張られていました。
また、昨年は質の良いワイン葡萄を実らせる為に、余計な枝は潔く切り落とす剪定をしたのですが、雪の重みで枝が折れたり虫や病気の被害で枝がダメになり、ワイン葡萄の実りが少なくなってしまうリスクを考え、今回は枝を多めに残していたので、今年の棚上げ作業は昨年とは勝手が違いました。

f:id:n-a-creation:20180422153322j:plain

予想外の被害

雪深い冬の間、ワイン葡萄の木たちは雪の下で眠るのですが、今年はネズミが雪の下に潜ってワイン葡萄の木の皮を食べてしまうという被害がその地域で発生したとのことで、見てみると木の皮が部分的にない木が幾つかありました。
木が成長する為に土から栄養分を摂り入れる管は、木の中心ではなく外側の皮にあるので、木をぐるりと一周する形で皮を食べられてしまうとその管が途中で途切れた状態になり栄養を枝に運ぶことができず成長できなくなってしまうのだそうです。
残念ながらそんな木が何本か出てしまっていたので、今回の枝を多く残して多くの実りを確保する方針の剪定正解だったと思いました。

娘との共同作業

『棚上げ』は、雪に潰されて地面の上に横たわっているワイン葡萄の木を、葡萄棚の一番下のワイヤーの高さまで持ち上げ、枝をワイヤーに巻き付けて括る作業なのですが、ワイヤーの位置がだいぶ高くなっていたので、ワイン葡萄の木を起こすのに苦労しながら、娘と二人掛かりで作業を進めました。
私が起こした木や巻き付けた枝を娘が押さえ、私が麻紐でワイヤーに括りつけ、娘が紐の端を切るという共同作業はなかなか楽しかったです。
枝が多く残っているので、本来なら一定の方向に統一して枝を括るところを左右に伸ばしたり、何本も重なった状態でワイヤーに括りつける必要があり、枝の方向やバランスに悩みました。


ラクルな出逢い

冷たい風が吹く中、腰を曲げた状態で作業を続け、ふと体を起こして一息つくと、黄金色のフサフサしたものが視界に入りました。
この地域は大自然の中にあり、飼い犬たちも自由なので、たまに脱走して遠くまで冒険に出ることがあるようで「あぁ、どこかの家の柴犬が脱走して遊びに来たのかな・・・」と見てみると、なんとキタキツネでした。
私が過去に見たことがあるキタキツネは小さくてとても細い印象でしたが、そこに登場したキタキツネは、しっぽは勿論、身体の毛もまだ冬仕様なのかフサフサで、身体も大きめでした。
「うわぁー、可愛い!キツネちゃんが見れるなんて感激!!」と、私はドキドキしながら近づいて行きました。


キタキツネと私

そんな私に警戒して逃げる様子もなく、キタキツネは「いつも通り散歩してるだけなんですけど、何か用ですか?!」という感じで、しばらく私を見ていました。
私がじわじわと距離をつめていくと、さすがにキタキツネは少し移動して一定の距離を保ち始めました。
キタキツネが進むと私も進み、キタキツネが止まると私も止まるという『ダルマさんが転んだ状態』を続けている内に、私とキタキツネは葡萄棚からだいぶ離れ、道路を越えて向かい側の草原まで進んでいました。
キタキツネは草原に座り込み、石をかじったりゴロゴロ転がったりして遊び始め、私はその姿に感動しながらキタキツネがいなくなるまでずっと見ていました。

大自然の恵み

「あのキツネちゃんは、ワイン葡萄の木の皮を食べて栄養補給したネズミたちを捕まえて食べたりして、食に困らない恵まれた自然環境で生きているから身体が大きめでふこふこしていたのかもしれないね!」と、大自然食物連鎖について娘と話しながらお昼ご飯を食べました。
施設のスタッフが、畑で採ったふきのとうで作った『ふき味噌』を、白米と一緒に試食させてくれました。
『ふき味噌』は、一度ゆがえてからすぐに調理すると苦味がイイ感じに消えるそうで、程よい苦味の甘辛いお味噌を、圧力鍋で炊いたツヤツヤの白米で美味しく頂きました。
春の恵みを味わえて、得した気分になりました。


コーヒーマイスター

午後も少し作業をし、キリの良いところで止めると畑の方に歩いてくる人がいました。
この施設の会員さんで、コーヒーの差し入れに来てくれたとのことだったので、みんなで少し早めのおやつ休憩をとりました。
その方は趣味でコーヒーマイスターの資格を取得したとのことで、持参した季節限定の豆を挽いて丁寧にコーヒーを入れながら、コーヒーの入れ方のコツなどを教えてくれました。
その方のコツは、はかりを使って豆とお湯の量をきちんと一定にすることと、挽いたコーヒをコーヒーメーカーに入れお湯をかけて蒸らすときに、お湯が均等にいき渡る様に、バターナイフを使って湿った粉に切り込みを入れることでした。

贅沢なコーヒータイム

コーヒーは、ぬるくなってからの方が甘みが増すとのことだったので、少しおいて、ドーナツと一緒に頂きました。
私は常々、酸味のあるものやビターなもの、種類やブレンドによって味が違うことなどから、ワインとコーヒーには通ずるものがあると思っており、そんな話をしながら贅沢なコーヒータイムを楽しみました。
帰りは、その地域の駅前のお店で地元の食材を購入し、キャリーケースいっぱいに詰め込みました。
海が近い地域なので、野菜や果物の他にも新鮮な海の幸や加工品が揃っていて、私たちはいつも帰りにここで買い物をします。
今回は、ゴールデンウィークに帰省する際のお土産も購入しました。


不思議なワインバー

時間に余裕があったので、以前から気になっていた、地元産のワインが味わえる週末だけオープンワインバーへ行ってみました。
想像していたお店の雰囲気とは若干違いましたが、ボトルに残ったワインの保管はきちんと真空がなされ、リーデル社製のグラスを使用していてセンスが良く、シックでシンプルなお店の造りは居心地が良かったです。
午後3時から営業していてカフェメニューもあったので、私はワインを、娘は地元産のアップルティーを注文しました。
このところ、ずっと舌が痛くて赤ワインから遠ざかっていたのですが、やっぱりせっかく飲むならと、地元で有名なワイナリーの赤ワインを2種類頂きました。

絶妙な味わい

薄いグラスから舌の上に流れるワインを味わうと、どちらのワインも適度な重みと濃厚な果実味が感じられる絶妙なバランスで、グラスで1000円程のお値段に値していると思いました。
ワインと一緒に注文した『3種のおつまみ盛り合わせ』は、地元産の無農薬の枝付きレーズン地元の野菜のお浸しと和え物で、枝付きレーズン以外は私がイメージしたものとは違い「チーズや生ハムじゃなくて、地元産の野菜推しなんだな・・・」と思いました。
美味しい赤ワインをグラスで2杯頂きエンジンがかかり、もっと飲みたくなったのですが、大荷物を持ってバスで帰らなくてはならないので、おとなしく帰りました。


大人への道

ワイン葡萄の栽培指導をしてくれているワイナリーのワインが発売されていたので2本購入し、キャリーバックいっぱいに持ち帰った海の幸やその地域産の野菜、お惣菜と一緒に家で頂きました。
コクがありつつもスッキリと飲めるロゼワインで、一晩で一本飲みきってしまいました。
年齢と共に肝機能や腎機能が低下してきているので、最近はフルボトルのワインを一本空けると次の朝まで酔いが残ってしまい「あぁ、半分にしておけば良かった・・・」後悔を繰り返しつつ、気に入ったワインと大好きなシャンパはつい一本飲みきってしまうので、そろそろ『ちゃんと我慢ができる大人』にならなくてはと思っています。

次回のワイン葡萄の栽培作業は5月半ば、今からとても楽しみです★

どうぞよろしければ、娘氏のブログもご覧ください。

n-a-creation.hatenablog.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com

アートの影響力


クラッシックコンサート

先日、娘とクラッシックコンサートに行きました。
この地域には、斬新なデザイン音響効果にも優れた、素晴らしいコンサートホールがあり、私は移住してきたころから、世界でも有数のその贅沢なホールに、よく娘を連れて音楽鑑賞に通っていました。
私が仕事を始めて毎日が慌ただしくなってからは、足を運ぶ機会がずいぶんと減ってしまい、今回は半年振りのコンサートでした。
この地域にゆかりのある有名な作曲家の作品を、地元の交響楽団が演奏するコンサートで、私は何年か前にも同じ作曲家をテーマにしたコンサートを娘と鑑賞したことがあったので、何だかとても懐かしく思いました。

ノリノリな演奏

今回のコンサートのテーマになっている作曲家と繋がりの深い指揮者が迎えられ、いろんなエピソードトークを交えながらプログラムは進んでいきました。
とてもアクティブで大胆な指揮をする方で、両手を高く挙げてそのままジャンプするんじゃないかと、私は指揮者に目が釘付けでした。
演奏が終わる度に見せるとても活き活きとした笑顔から、音楽という表現に情熱を注ぎ、心から楽しんでいる様子が伝わりました。
交響楽団の何人かの演奏者も、指揮者の勢いに影響を受けたのか、上半身や頭を音楽の流れに預けて大きく左右に動かし、定期演奏会で見せる表情とは違い、ノリノリに見えました。

f:id:n-a-creation:20180407203209j:plain

生演奏の魅力

指揮者はもともと打楽器奏者として活躍をしていた方のようで、今回のコンサートでは全体的に打楽器の魅力を引き出すようなプロデュースがされていました。
最後列には多くの種類の打楽器がずらりと並び、いつもあまり目立たない打楽器奏者がフルに活躍し、ステージ上で忙しく移動しては、様々な打楽器を力強く演奏して輝いているのが新鮮で印象的でした。
演奏は、指揮者によって曲のイメージ音の広がり方だけではなく演奏者のテンションまで変わり、コンサート会場ではそれがわかりやすいくらい伝わるので、興味深くて面白いなぁといつも感じます。

感性の活躍

指揮者の方は、アカデミックな知識がほぼない状態音楽大学に入学し、アカデミックな学習を重ねつつも、感性を第一に音楽を楽しんで学ぶという姿勢を持ち続けて現在に至っているとのことでした。
「知識よりも感性を大事にして音楽と向き合っているから『音で表現できることの喜び』が溢れ出て、聞く側の心まで明るくするような演奏を導くことができるのかな・・・」と思いながら、まるで青空のように気持ち良く広がる音楽を聴いていました。
私は感性第一で生きることに大賛成で、自分自身もそうして生きているので、感性を生かして活躍している人の凄さを、実際に間近で見ることができて感激しました。

素敵な刺激

仕事が忙しかったり、疲れていたりで、なかなかタイミングが合わず疎遠になっていましたが、やっぱりコンサートホールで生演奏を鑑賞するというのは良い刺激になり、厳かな雰囲気の中に身を置くことで心が研ぎ澄まされ凛とするので、これからはこういったコンサートになるべく足を運ぶように心掛けようと思いました。
この地域は、芸術的なことに取り組んでイベントを開催する人や、そういった催しに興味を持ち、鑑賞する人がとても多いと私は感じています。
今年は画期的な新劇場もオープン予定で、芸術面では更に恵まれた環境になるので、音楽に限らず演劇やアートの鑑賞にも、以前の様に積極的に行くようにしようと思いました。

f:id:n-a-creation:20180407203249j:plain

お散歩と美術展

次の日は祝日だったので、美術展に行きました。
気持ち良く晴れた暖かい日で、美術館まで娘とお散歩がてら歩いて行きました。
館内はかなりの人で溢れており、私たちは前売券を持っていたので、チケット売り場の行列には並ばずに入場できましたが、展示会場に入ってすぐの作家の経歴パネルの前で多くの人が読み入っている為、そこで行き詰っている状態でした。
私は、展示されている作品を眺め、気に入った作品をしっかりと目に焼き付け、その印象大事に持ち帰ることに重きをおいているので、解説パネルなどは読むのを諦めて、作品を展示しているコーナーに進むことにしました。

お気に入りの作品

流れが止まって人混みになっているのは会場の入り口付近だけで、そこをすり抜けて奥の方に進むと、割とゆったり観ることができました。
版画の大作が多かったのですが、タイミング良く、混雑していない状態で全体をしっかりと眺めることができました。
その作家は、ゴッホの作品『ひまわり』と同じ構図で油絵も描いており、今回の展示ではその作品が話題となっているようでしたが、私にはその作家の特徴ともいえる、ふっくらと丸みのある人物画の方が印象的でした。
ねぶた祭り』を描いた長い巻物になっている作品と『弁財天』を描いた作品が私は特に気に入り、それらは長い行列に並んでじっくりと鑑賞しました。

親子の不思議

私は、女性の優しさや優雅さを引き出し、最も艶やかに美しく描いた画家はルノワールだと思っているのですが、この作家の描いた『弁財天』の柔らかで穏やかな美しさに、ルノワールの作品と共通するものを感じました。
どの作品が印象的だったかを娘と話すと、二人とも同じ作品で、私がルノワールの作品と共通する雰囲気があったと感じたことに、娘も「あ、わかる!」と言っていて「やっぱり親子だねぇー!」と一緒に笑いました。
私は、美術鑑賞後はいつもワインが飲みたくなり、作品の印象によって赤ワイン、白ワイン、シャンパと飲みたいものが違ってくるのですが、今回は『和』テイストの美術展だったからか、お蕎麦が食べたくなりました。

f:id:n-a-creation:20180407203342j:plain

版画の授業

作家の地元の小学校での版画の授業の様子などが紹介されている映像を見て、私は小学校で版画を作成していた頃のことを思い出しました。
『版画コンクール』への出展を意識していたからか、先生たちもが入っており、白黒の刷り上がりを考えた、のびのびと見える下絵作りから、くっきりと輪郭線でメリハリをつけるのではなく、彫り方をいろいろと工夫して、顔の表情や風景の表現を豊かにすることまで指導され、けっこうな完成度を要求されていました。
彫刻刀を使っての作業は、小学生にとってはなかなか簡単には進まない難しさがあり、冬休みに家でも作業しないと間に合わないくらい大変だったことを覚えています。

娘のセンス

娘も小学校で板版画を作ったようで、完成したものを持って帰ってきましたが、私が子供だった頃の様式とは違い、白黒ではなくカラフルなインクを使って色がついた紙に刷るので、新しい感覚の明るいアートで楽しそうでした。
私は、娘が小さい頃から彼女の色彩センスがとても好きで、今回の版画も「とても綺麗な色の組み合わせで洒落てるなぁ。」感心しました。
娘は学校の成績でも、芸術や技術の面で良い評価を受ける傾向にあり、私と同じで感性第一で生きているのかなぁと感じました。
もう少し体力と時間に余裕ができたら、お料理の他にも娘と一緒に何か創作活動
ができたら面白いだろうなと思っています。

アートの影響力

音楽鑑賞と美術鑑賞思考と気分の転換になったことに加えて、暖かい陽ざし春の匂いが私たちをワクワクした気持ちにさせ、「お出掛けをして、いろんなことに挑戦しよう!」活力が溢れてきました。
近いので「いつでも行けるし・・・」と思ってばかりで、なかなか行けていない観光地にも今年こそは行って、以前から気になっていたガラス工房オリジナルのグラス作り挑戦しようと思います。
ワイン葡萄栽培も、今年は娘と二人で作業に参加して、大自然の中での創作活動に取り組むつもりです。
芸術的な要素インプットが、こんなにもやる気満々のポジティブアウトプットに繋がるなんて、アートの影響力って凄いなぁと思いました。

よろしければ、娘氏のブログもどうぞご覧下さい(^-^)

n-a-creation.hatenablog.com

楽しい春の始まり


ささやかで穏やかな幸せ

老猫ちゃんと娘に続き、私も先日お誕生日を迎えました。
『お誕生祝いに欲しいものは何だろう?』と考えてみたときに、私も娘も思い浮かぶ物がありませんでした。
以前はいろんな物に興味があり、ショッピング好きな物の収集が趣味でしたが、今は欲しかった物もだいたい手に入っており、特に不自由を感じることもなく、食べたいときに食べたい物も美味しく食べれているし、たまにお洒落なお菓子お高級なグルメを頂くという嬉しいサプライズにも恵まれ、愛しい老猫ちゃんは今も元気で私たちをいつも癒してくれ、そういったささやかな幸せが溢れているので「お誕生日だからといって、プレゼントに欲しいコレといった物なんて別にないんだよねぇ・・・」「うん、私もそう。」と二人で話しながら、平和で穏やかな日々を送れているのはとてもありがたいことだなぁと思いました。

肩透かしな選択

金曜日の夜は2週連続で、映画のテレビ放送を見ました。
ちはやふるという、漫画が原作の『競技かるた』をする高校生たちの青春ストーリーで、興味津々で張り切って見ている娘とは対照的に、私はただ何となく一緒に見ていただけなのですが「娘もあと何年かしたら、お友達とこんな風に高校生活を送るようになって、いろんな青春を経験していくのかな・・・」
母親目線でしみじみ考えていたら、どんなストーリー展開になるのかとすっかり夢中で見入っていました。
そして土曜日は久しぶりに劇場で映画鑑賞をしようと娘と盛り上がり、娘が選んだのはちはやふる~結び~』ではなく、まさかの『グレイテストショーマン』
「あ、そこは『ちはやふる』の~上の句~と~下の句~からの流れで~結び~を観るワケではないんだ・・・」肩透かし気味に感じながら、映画館へと向かいました。

映画館での誤算

『グレイテストショーマン』ミュージカル仕立ての作品で、一人の裕福ではない男が、持ち前の創造力、発想力、行動力を発揮して個性あふれる特別な劇場をつくり、富や名声を手にして生活が変わり、それと引き換えに失うものも出てくる中で、本当に大事なものに気づくといったストーリーでした。
「見た目や肌の色の違いで差別されてきた私たちも、やっと居場所を見つけた!幸せになる権利は誰にでもある!私たちはもう視線を恐れない!」という力強い歌詞とダンスに感動し、「そうだ!頑張れ、負けるな!」と熱く応援しながら涙を拭き拭き観ていました。
家で老猫ちゃんと一緒にのんびりと過ごしながらDVD鑑賞をする方が快適だからと、しばらく映画館に行っていなかったので、つい家にいる調子で飲み物を飲み過ぎた私は、あろうことか映画の途中でお手洗いに行きたくなってしまいました。


天の助け

あぁ、大人なのにうっかりした行動をしてしまった!これじゃあ、せっかくの映画鑑賞が台無しだ!オーマイガッツ石松降臨、ヨイショーッ!!(←言ってみたかっただけ)と焦りながら、お手洗に立っても目立たないシーンになるのを待つ間、一人でソワソワしていました。
列の真ん中あたりの座席だったので「映画の途中に席を立って移動すると、目の前を通られる人たちが迷惑するよなぁ・・・」と思いながら自分の隣から通路までの席をそっと見ると、なんと奇跡的に全部空席「おぉっ、天が私に味方してくれている!」と大袈裟に感謝しながら、そそくさとお手洗へ向かいました。
「映画館は迫力がある音と画像が楽しめていいんだけど、自由が利かないのがちょっとなぁ・・・」と思いながら、お手洗を後にし上映シアターに向かっていると前方のシアターの扉が開きました。

忙しい映画鑑賞

そこではちはやふる~結び~』を上映していたようで、出てきた大勢の学生たちに私は一瞬で飲み込まれてしまいました。
「面白かったよね!」「泣いた?」「えー、泣いたのぉ?!」と話しながらキャッキャとはしゃぐ学生たちの波に流されながら「いったい、なんてタイミングなんだ・・・早く映画の続きが観たいのに・・・」トホホな気持ちで少しずつ前進し、ようやくシアターに戻りこっそりと席に着きました。
歌とダンスのシーンが始まったところで、お腹まで響く深い歌声カッコいいフォーメーションのダンスにすぐに引き込まれました。
「少し見逃してしまったけど、大事なシーンは観られて良かった。」と思いながら、再び感動しては泣き、懲りもせずまた飲み物を飲み、歌に聞き惚れてダンスに見とれ、そしてまた泣くのを繰り返し、何だかとても忙しい映画鑑賞となりました。

久しぶりのお蕎麦

映画が終わり、いつもの流れでお寿司屋さんに行くと残念ながら改装中で、私も娘も完全に『寿司モード』だったので、何を食べるかしばらく悩み、娘のリクエストで珍しくお蕎麦を食べることになりました。
店長お薦めの『鴨そば』を注文し、細くて白い綺麗なお蕎麦を、柚子の皮が入った熱い鴨汁で頂きました。
お出汁がよくきいた具だくさんの鴨汁が細いお蕎麦によく絡みとても美味しく、大盛りをペロリと頂きました。(えっ、麺類って大盛りが基本じゃないんですか?!)
「そういえば、昔はよくあちこちの美味しいお蕎麦屋さんを巡ったなぁ・・・」と、板ワサ天ぷらをおつまみにビールを飲んだり、洒落たバーオーナー自慢の手打ち蕎麦赤ワインを頂いたり、蕎麦打ち体験をして細く切るのが難しく手こずったことを懐かしく思いました。


それぞれのミッション

食事の後は、映画の半券を握りしめクレーンゲームのコーナーに行き、娘とそれぞれ1回ずつプレイをして、私は小さなお菓子を8個ゲットしました。
新年度になるので、娘の新しい靴や文房具を買う為に各フロアを回ると、珍しくお天気の良い週末だったからか物凄い人混みで、レジの長い行列に並んでいる内にグッタリと疲れてしまいましたが、娘が気に入ったペンケースやスニーカーが買えたと喜んでいたので良かったなぁと思いました。
スニーカー3足と文房具でけっこうな荷物の量になり、早く家に帰りたかったのですが、私には重要なミッションが残っていたのでそうもいかず、お休憩に春らしい『苺のフレッシュジュース』を飲みながら気を取り直し、余力を振り絞って目的の場所へと向かいました。
そのミッションとは『iPhone』のバッテリー交換でした。

『勿体ない』と思う気持ち

私は、5年程前に使い始めた『iPhone5』を現在も愛用しています。
バッテリーの調子が悪くなり、この機会に機種変更もチラッと考えたのですが、カバーに入れて壊れないように注意して使ってきたので傷もなく綺麗な状態で、使用上の不都合も特にないのに、使い慣れた古い『iPhone』不要な物にしてしまうのが何だか勿体ないような気がして、バッテリー交換をして使用し続けることにしました。
現代社会では変化や進化が目まぐるしく、それはきっと良いことでもあるのですが、その流れで人はどんどん新しいものを手に入れ、古いものをすぐに手放し、『古いは恥ずかしい』という風潮になっている気がします。
まだ使える物を簡単に捨てるというのが私はどうも苦手で、便利さだけが追求され、日本人が昔から大事にしてきた『勿体ない』と思う気持ちが薄れているのを残念に感じています。

『iPhone』の修理

インターネットで調べ、iCracked(アイクラックト)という、本社がアメリカにあり日本に店舗が多数ある『iPhone』修理のお店に持ち込みました。
予約なしで行ったのですが運良くすぐに対応してもらえました。
とても感じの良い親切な店員さんの説明を聞くと、そこでは比較的安価で修理を受けられるのですが、一度そこで修理をするとアップルストアでの修理補償は使えなくなるという条件がありました。
『iPhone5』アップルストアの修理補償期限がもう既に切れている製品の為、アップルストアでの修理代は安くはならないとのことだったので、私は特に迷うこともなく、そのお店でのバッテリー交換をお願いしました。
通常料金は3800円なのですが、保険に加入すると2800円になるというプランもあり、保険についても詳しく具体的に教えてもらいました。


私の『iPhone5』

その保険は月々700円で、修理の補償を回数の制限なく年間最大10万円まで受けられ、『iPad』やノートパソコンなどの端末も1契約で3台まで保証可能な、お得な保険でした。
加入しようか考えましたが、そのお店の修理料金自体が比較的安価なので、実際に壊れたときに通常料金で修理してもらい、いよいよ大幅に壊れてしまったときは機種変更を考えるのもありかと思い、今回は保険には加入せずに通常料金で修理を依頼しました。
修理が完了し、今まですぐに電池が減ってしまう状態だった私の『iPhone5』正常な状態になり、現在も問題なく使用できています。
最新の製品に比べれば機能は劣るとはいえ『iPhone』自体が簡単に持ち運べる高性能なコンピューターなのだから、私はこの『iPhone5』可能な限り使い続けたいと思っています。

春の始まり

やっと家に辿り着くと、ぐっすりと眠りながらお留守番をしていてくれた老猫ちゃんが起きてきて「今までどこにいってたんニャー!すぐに撫でろニャー!」お怒りのご様子だったので、娘と二人で謝りながら撫でました。
そして、最近『入浴』に凝っている私に上司お誕生日祝いとしてプレゼントしてくれた、芳醇な香りナウい(←お気に入りの昭和の死語)『バスボム』を使ってゆっくりとお風呂に浸かり、早々に寝ました。
厳しい冬もようやく終わり、久しぶりに娘と『街ブラ』をして、映画、食事、お買い物と活発に過ごしたお天気の良い休日は、楽しい春の始まりを告げているような気がしました。

皆様も、映画館での水分の摂りすぎにはどうぞお気を付け下さいませ★

よろしければ、娘氏のブログもご覧ください(*^^*)
n-a-creation.hatenablog.com

『ワイン体験レポート2月』


特別なスパークリングワイン

私は、2016年の11月から『ワイン造り』に携わらせてもらっています。
2016年の秋にワイン葡萄の収穫が終わり、2017年のワイン葡萄栽培の為の準備ともいえる『選定作業』からスタートしたワイン葡萄作りは、その時期その時期のいろんな作業を経て順調に進み、2017年の秋には立派な実りのワイン葡萄の収穫に至りました。
そのワイン葡萄たちは、ワイン葡萄栽培の指導をしてくれている近所のワイナリーのオーナーに託され、今年もスパークリングワインへと華麗な変身を遂げました。
『ワイン造り』に携わることができるというだけでも私にとってはプレミアムな体験ですが、やはり実際に出来上がったワインを味わうことこそが一番の醍醐味だと思います。
今回は、私が携わって完成したスパークリングワインについて、記そうと思います。

ダイバーシティ―なワイン葡萄栽培

私は、本格的なワイナリーではなく、とある地域の大自然の中にある施設の一角にあるワイン葡萄畑で、その栽培作業に参加させてもらっています。
ワイン葡萄の栽培を指導してくれるのはプロのワイン醸造なのですが、実際に栽培作業に関わっているのはほぼ素人で、しかも毎日のように栽培作業をするのはその施設の少数のスタッフだけで、あとは有志のメンバーや何らかのイベントでその施設に訪れた人がカリキュラム内で少しずつ作業をするという具合で、とにかくたくさんの人の手によってなされたワイン葡萄栽培でした。
2016年にワイン葡萄の栽培を再開するまでずっと放置されていた畑だった為、土壌のコンディションが良くない上に『剪定』『棚上げ』などの要所要所の作業も、担当する人のセンス手先の器用さにより仕上がりにバラつきがありました。


不思議な可能性

そんな状態の栽培作業でも立派なワイン葡萄を実らせ、無事に収穫することができたのは、長年の経験と勘で天候によるワイン葡萄への影響を常に先読みし、適切な対応のアドバイス栽培指導をしてくれたワイナリーのオーナーと、素人ならではの好奇心と作業に対する慎重さ上手く絡み合った成果だと私は思います。
除草は楽しい作業ではありませんが、たまの機会に無心になってひたすら草をむしることで、日常のストレスや邪念から解放されたい人にはうってつけの作業となり、薬を使わない害虫駆除はとても手間と時間を要する作業ですが、子供たちの手にかかれば紙コップ片手の『虫集め競争』になり、自然の中で楽しめるゲームに早変わりです。
こんな風に、手掛ける人により様々な作業も大自然の中のアクティビティーの一つになるのが、この施設の魅力なのかもしれません。

いろんなイベント

2017年10月に収穫されたワイン葡萄は、2017年12月にスパークリングワインになりました。
2016年に収穫されたワイン葡萄で作られたスパークリングワインがその年の12月にできたときは、初の試みということもあり『試飲会』が行われ、私はできたてのスパークリングワインを飲むことができたのですが、今年は有料のイベントに参加した人だけが飲めるというシステムに変わり、私はそのイベントには参加しなかったので、残念ながらできたてのスパークリングワインを味わうことはできませんでした。
有料のイベントが嫌という訳ではなく、行われるイベントは内容がいろいろで、自分の好みに合わないものもあるので、自給自足を方針としているその施設に会員登録はしていても、参加するかどうかは内容によって決めています。


複雑な気持ち

2017年の夏にその施設に仲間入りした羊たちがおり、3頭は夏が終われば返却する除草目的のレンタル羊でしたが、もう1頭食肉用に購入された子羊でした。
今回、参加を見送ったイベントは『飼育して育った子羊を食肉に加工して皆で頂く会』的なもので、レストランのシェフが料理したその子羊の肉を、2017年産のできたてのスパークリングワインと一緒に味わうといった内容でした。
私と娘は、夏にその施設を訪れたときに羊たちといっぱい遊び、その子羊とも仲良くなっていたので、スパークリングワインを味わうことを優先して、その子羊を食べるイベントに参加する気にどうしてもなれず、参加を見送りました。
イベント後に『皆で美味しいお料理とスパークリングワインに舌鼓を打ちました!』という報告のお知らせを読んだときも、何だか複雑な気持ちでした。

『若き日のカルメン

できたてのスパークリングワインを味わうことはできなくても、会員には1本ずつもらえることと、別に購入することもできるので、スパークリングワインの販売のお知らせを楽しみに待っていました。
2月に入り、ようやくそのお知らせが届いたので、早速3本を購入し、会員としてもらえる分と合わせた4本が手元に届きました。
2017年産のスパークリングワインは前年のものとは違い、ボトルが緑色ではなく透明で、スパークリングワインの色がダイレクトに見えるようになっていました。
前年は淡い桜色『つつましやかなプリンセス』といった印象だったのに対し、2017年産は皮もしっかりと漬け込む製法で、美しい葡萄色に仕上がっており、そのインパクトと艶のある赤色はスパークリングワインの味の濃さと豊潤さを想像させる、まるで『若き日のカルメンといった印象でした。


味わいと余韻

2月中旬頃が飲み頃だと、造り手のワイナリーのオーナーが言っていたので、まずは2月11日18日に飲んでみました。
手作り感溢れる王冠キャップを開けると、強めの泡が勢いよく弾けだしました。
前年よりも状態の良いワイン葡萄皮まで漬け込んで醸造したからなのか、ボトルの中の発酵のパワーが凄いなぁと感じました。
チューリップ型のシャンパングラスで頂きました。
グラスから香りをとると、100%の葡萄ジュースそのままのフレッシュさ酵母が混ざったような香りがしました。
ルビーのように真紅に光るそのスパークリングワインは、その色に負けない程の濃い果実味と葡萄の皮のコクを感じさせ、舌の上で楽しみがいがある深めの味わいで、後味に葡萄のフレッシュな香りが残り、一口一口の余韻を楽しめる興味深いスパークリングワインに感動しました。

ワイン造りの醍醐味

「やっぱり、ワイン葡萄の栽培に携われることの醍醐味は、実際にできあがったワインを味わうことにこそあるよなぁ・・・」としみじみ思いながら、こんな素晴らしい体験ができていることに改めて感謝し、2018年はどんな風にワイン葡萄栽培に携わっていこうかと考えながら、特別なスパークリングワインを味わいました。
2016年産のスパークリングワインは7月になっても味に大きな変化のない状態で頂けましたが、2017年産のものはボトルの中の発酵のパワーが強く、あまり長く置いておくと味が大幅に変わるような気がしたので、残り2本のスパークリングワインも近いうちに頂いておいた方が良いと感じました。
ちょうど、3月3日は老猫ちゃんの21歳のお誕生日で、3月10日は娘の11歳のお誕生日だったので、お祝いのめでたいお酒として頂くことにしました。

f:id:n-a-creation:20180311162045j:plain

ボトルの中の変化

3月3日は2月の中旬に頂いたときと比べて「あれっ、果実味と香りのインパクトが減ったかな・・・?!」という程度だったのですが、3月10日に頂いたときは既に果実味がアルコールの味へと変わり、香りもフレッシュな葡萄の香りではなく発酵が進んだアルコールの香りに変わっていました。
嗜好品ですし味の感じ方は人それぞれですが、私の味覚と好みとしては2月中旬の味がベストに感じられました。
375mlのボトルを4本購入し、わざと間隔をあけて頂いたのは、人為的にいろんなモノを加えずに、自然の恵みを最大限に生かした直球勝負の製法で造られた『生きているワイン』ボトル内で変化していくのを確かめてみたかったからなのですが、「こんなにも早くアルコールが前面に出るのなら、もっと早い時期から味わった方が良かったかも・・・」と思いました。

試行錯誤と貴重な経験

その施設のワイン葡萄栽培とワイン造りはまだ2年目『600年前のワイン造り』をテーマに、余計なものを加えず、人の手と収穫した葡萄だけでワインを造るという目標のもと行われているので、醸造家でありワイン栽培の指導者でもあるワイナリーのオーナーによると、この先数年は試行錯誤が続くだろうとのことでした。
2018年のワイン造りは、葡萄の皮は漬け込まずにスパークリングワイン本来の『白仕立て』にするそうなので、今回のように発酵と味の変化が速く感じられる濃厚なスパークリングワインを味わうのは貴重な経験になると考えられます。
にまたこのスパークリングワインを頂いて、どこまで発酵してどんな風に味が変わるのかを実験的に確認してみるのも一つかなと思っています。
また、次年のスパークリングワインは、12月から購入できるように提案しようとも考えています。

n-a-creation.hatenablog.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

私の方針と解釈


心の芯

私は思考を廻らせることが好きで、いろんな事柄についてじっくりと考えます。
そして、自分が考えに考えて辿り着いた答えや方針は、とことん信じて貫き通します。
人は、重ねる経験生きた年月によって考え方やものの見方が変わるので、10年前や20年前の自分と今の自分とでは当然、物事の捉え方や考えが違っていますが、根本的な信念は変わっていないと感じます。
それはきっと、現在101歳の私のおばあちゃんがくれた教えが大きく影響しているからだと思います。
『礼儀、努力、誠実さ』が人間にとっていかに大切かということと、『心の芯が通っている人間はそう簡単には負けないものだ』ということを、いつも私に説いてくれたおばあちゃんに、私は心から感謝しています。

経験という財産

私は、私を母親に選んで生まれてきてくれた娘に、常により良い環境を与えたくて、娘がなるべくいろんなことに挑戦できる機会を作れるよう心掛けています。
経験こそが人間を成長させる、何よりの財産だと考えるからです。
娘が小さい頃から、いつもインターネットのイベント情報や自治体の広報誌をまめにチェックしては応募し、多くの体験のチャンスをゲットして親子で楽しんできました。
娘も好奇心が旺盛なのでいろんなイベントに張り切って参加し、実際に体験しみて想像以上に楽しく感じたものもあれば、予想に反して自分にはちょっと向いてないかな・・・と感じるものもある中で、『何事も挑戦してみなくてはわからない』ということを自身の経験から学んでくれているような気がします。

3つの必要能力

娘の学習面では、何でも出来が良いに越したことはないのですが、私はあまり欲張らず3つのことだけに重きを置いています。
①言語能力 相手の言葉を理解し、自分の考えを的確な言葉で表現して相手に伝える能力。
②計算能力 お金や時間の計算をして、やりくりをする能力。
③コミュニケーション能力 礼儀やマナーを守り、自分の考えをしっかりと持って人とディスカッションができる能力。
この3つがあれば、人間はどんな分野でも何とかやっていけると私は思っています。
また、自分が生きるフィールドを、今住んでいる地域や国に限定するか、国を越えて世界単位で選ぶかは語学力によって違ってくるので、世界共通語とされている英語を話せるようにしておくのは良いことだと思います。


スキルと広がる選択肢

履歴書に書いて評価を上げる為の英語ではなく、単に英語が話せるといろんな国の人と付き合い多くを知ることができるし、いろんな国で様々な経験ができ、自分の選択肢や可能性が広がるので、人生を楽しむ為のスキルとして身につけた方がいいと考え、①と③には英語学習も入っています。
『それしか選択肢がないからその選択をする』のと『多くの選択肢がある中でやっぱりコレだと思ったからその選択をする』のとでは、結果的には同じ選択であっても、その後の生き方のスタンス幸福感が大きく違ってくると思います。
また、せっかくのチャンスが巡ってきたときに「挑戦してみたいけど言葉が通じないから・・・」という残念な理由で諦めて欲しくないと思うのです。

改善策の重要性

娘の行動面においても、あまり欲張らずポイントを絞り『だから』というキーワード『やってしまったことを自分でどう立て直すのか』というテーマに取り組み続けています。
子供なので当たり前なのですが、娘は日々いろいろな失敗を繰り広げ、更に『お年頃』ということもあり、悪知恵を使ってあの手この手でズルをしてきます。
その都度、私が注意したり叱ったりするので、娘は「ごめんなさい」と謝るのですが、本当に大事なのは謝ることよりも、『失敗をした。だから次からはどうするのか。』『悪いことをした。だから今後はどうしていくのか。』ということだと私は思っているので、娘に改善策をしっかりと考えさせ、自分の言葉で宣言し、それを実行するまで見届けます。

大きな差

『だから』というキーワードは実は大人社会にも重要なものだと、私は考えます。
仕事でミスをして謝るのは当たり前のことですが、それで「はい謝ったし落着、落着!」と終わらせる人と「敗因は○○だったので、次回からはこうします!」ミスを生んだ理由と、その具体的な改善策まできちんと考えられる人とでは、その後の成長の度合いが大幅に違ってくるはずです。
管理する立場側にしても、何らかの問題提起をし「もっと、ちゃんとやりなさい!」とか「どうなっているんだ!」と言いっ放しの人と「だから、今後はこういう風にしなくてはいけない。」と取り組み方を示してくれる人とでは、統率力部下との信頼関係部下の成長大きな差が出るはずです。


必要な取組み

「自分で考えて何とかしなさい!」という指導をして、実際に部下が自分では全く見当もつかないことをひたすら考えて時間を浪費しながらミスを連発するよりも、基本をきちんと指導した上で「あとは自分なりに応用して、より迅速にこなせる工夫をしなさい。」と指導する方が効率的かつ合理的で、建設的だと思います。
仕事ができることと、人に指導ができることは別の才能なので、組織の発展を考えるならば、管理者はその見極めをしっかりして適材適所な人事や仕事割りをすることが最も重要だと思います。
指導を怠れば人材は育たず人事や仕事量の采配を誤れば必ず仕事は滞り、ミスが多くなればなるほど組織の看板に傷がつき、自分たちの耳には入らなくても世間の評判は必ず下がるのです。

解釈次第

日常の言葉の解釈にも『だから』というキーワードは大事だと思います。
『人は独りでは生きていけない』という言葉があり『だから助け合うことが大切』という意味なのだと思いますが、肝心なのはその後に更に続く『だからどう行動するのか』という部分だと思います。
『人は独りでは生きていけない、だから・・・』の続きを『助けてもらえるように常に集団の一員でいる。』とか『浅く広く友達付き合いをして、一人ぼっちにならないようにする。』とか『面倒でもランチ会・サークルなどの集まりやSNSで積極的に広く繋がって、多くの人と仲良くしておく。』という風に解釈し、伏線を張るのに忙しく行動している人は、何だか疲れて大変そうだなぁと思います。

必要業務

私は、母親になり『ママ友』『保護者会』などのお付き合いが必然的な状況になってからも、子供同士を比べたがる母親や、教育方針が自分とは明らかにかけ離れている母親の影響を避けるべく、必要最低限のお付き合いしかしていないので気が楽です。
『友達』が多いことが本当に嬉しくて、幅広いお付き合いをしている人にとっては『人は独りでは生きていけないから助け合いが必要。だから皆で繋がりましょう!』というのは普通の良き日常なのでしょうが「知らない人間のことは誰も助けないから、自分の存在を周りに知らせておかないと、イザというときに一人ぼっちになって困ってしまう。」という不安から、伏線を張っている人にとって、そういったお付き合いは面倒ありきの必要業務でしかないのだろうと思います。


困った時はお互い様

私は、個人としても母親としても、いろんな人と必要以上のお付き合いはしませんが、誰かが困っていたら、例えそれが知らない人だったとしてもお声掛けをして助けます
「余計なお世話だ」と断られたときの恥ずかしさや、知り合いでもないのに話しかけてきたと変な目で見られるかもしれないリスクよりも、まずは『困ったときはお互い様、放っておけない!』という考えの方が先に立ち、他人に対して親切に接することに何の戸惑いも感じません
私は『人は独りでは生きていけない、だから・・・』の後には『困っている人がいたら、助けの手を差し伸べる優しさと勇気を持とう。』『お互い思いやりのある態度で接し合おう。』と続くものと解釈しています。

平等な『思いやりの心』

集団に身を置くことで仲間意識支配され過ぎて、同じグループ以外の人を必要以上に警戒し、話しかけることや話しかけられることをまるで悪いことのように捉えてしまっている人が、大きな集団であればあるほど多くいるような気がしています。
『人は独りでは生きていけない、だから助け合う為に、そういった隔たりのある考え方や接し方はやめましょう。困っている人がいたら親切にしましょう。』という解釈の人が増えたら、世の中からギスギスした対立や望んでいない業務的な付き合いのストレスが減るんじゃないかと思います。
言葉は、人の解釈の仕方によって意味合いや、その後に続く行動が違ってくるので、正解・不正解がないだけに判断が難しかったりもしますが、人に対して平等な『思いやりの心』を持つことで、多くの事柄がより良い方向へ進んだらいいなと思います。

よろしければ、娘氏のブログもどうぞご覧ください★n-a-creation.hatenablog.com

『過去のブログ』を振り返る Vol.2

ブログを始めた頃の記事を、現在の書式スタイルに編集して掲載し、皆様にぜひご覧頂きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いいたします(^^)/

Vol.3『私のキャッチコピー』

『感性第一で生きてます!!
 知識はなくても楽しみ上手。
 ワインもアートもファッションも自分なりに満喫してます★』 
 

ユルい楽しみ

私はワインアートファッションに興味があり、それらをユルい感じで楽しみながら生きています。
ワインとの付き合いは、31歳のお誕生会をしてもらった際に友人がシャンパの次に開けてくれたブルゴーニュワインとの出会いから始まりました。
それまではボトルに入ったお酒と言えばシャンパビールしか飲めなかったのですが、程よい酸味のある軽めのピノ・ノワールが気に入り、ワインを楽しむようになりました。

私のワイン生活

ワイン味の違い自分の好みがわかってくると新たなワインと出逢うのが嬉しくなり、すっかりワインに夢中になりました。
ワイン教室グラス教室に通うことでワイン友達ソムリエの知り合いも増え、私のワイン生活はますます盛り上がりました。
ワインセラーお気に入りのワインを常備し、季節や料理によって飲むワインを変えたりしながら、いろんなワインを楽しみました。

私なりの選択

ソムリエやアドバイザーの資格飲食業酒類取扱い業の従事者ではないので取得できませんが、ワインエキスパートの資格一般の人間でも挑戦できるということで、ソムリエの知人たち資格取得を勧められましたが、私はどうしてもその気になれませんでした。
「好き」という感覚だけでワインを味わうことのユルい心地よさ満足していて、難しい試験をクリアする為に論理的な思考や知識を頭に詰め込むことで、ワインとの付き合い左脳的ロジカルなものにしたくないと思ったからです。

多様性

私はただ単純にワインが好きなだけでアカデミックな専門知識はありませんが、ワインのことが話題ならかなりのテンションのままいくらでも話せる、そんな自分が気に入っています。
だからといって自分と逆のタイプの人を否定したりする気はなく、ワインの知識がある人のことは勉強家で凄いと思っており、それぞれ自分の選択に納得しているなら、いろいろな解釈やパターンがあっていいと思っています。
人は皆それぞれなので、意見が一致しないからといって、激しい主張戦う必要はないと思うのです。

アートへの興味

私は近代印象派のアートが好きで、一番好きなのはゴッホの作品です。
スイスの美術館で初めてゴッホの昼の風景画を目にした瞬間、私はその明るい色合い独特な描写に心を奪われました。
美術に関する知識などなく、作者名も確認せずにただ目にしただけのライ麦畑の風景画』凄まじいインパクで、現在も私を魅了し続けています。
私は、大好きなゴッホの作品のポスターを集めてパネルに入れ、自宅の壁に飾りました。
より多くのパネルを飾りたくて、広いマンション引っ越しをしたりもしました。
ゴッホの風景画を眺めながらのんびりとワインを飲むのが、私の至福のひとときです。

私流のファッション

私はコーディネイトを楽しむのが好きで、あまり流行りに影響されないデザインの物を選び物持ちも良いので、10年以上使用し続けているものがたくさんあります。
私の趣味娘の洋服を作ることで、自分でデザインを考えたら型紙を使わずに勘を頼りにハサミを入れ、しつけ縫いをせずにまち針をうった状態でダイレクトに縫うという、非常にザックリとした方法で作っているのですが、いつもデザイン性のあるそこそこちゃんとした洋服に仕上がります。
洋服作りは私にとってアートの一つであり、娘がモデルとして私のアート作品を気に入って着てくれるのもとても嬉しいです。

肩書き

現在、私にはカッコよく自分を修飾できる肩書きはありませんが、それでも日々楽しみながら、いろんなことに幸せを感じて生きています。
学歴やキャリア重視の現代社ではアカデミックな知識だけが重要視されていますが、肩の力を抜いて感性豊かに生きるのもアリでいいと私は思っています。
きっと人間にとって本当に重要なのは幸福感を持てるかどうかで、それぞれが満足できているのなら、がむしゃらに頑張る人がいたり、のんびりマイペースな人がいたり、マニュアルに忠実な人がいたり、応用力にたけている人がいたりと、いろいろな人がいていいし、対立する必要なんてないと思います。
私は自分の弱み強みに変えながら、自分が納得でき、自信をもって肯定できるような笑顔の多い人生を歩みたいです。


Vol.4『新たな一歩』

変化

今年の春から習い事を始めて、一人で外に忙しく出掛けるようになりました。
2011年の東日本大震災で被災し、親戚も知り合いもいない土地に自主避難してからは、今でいうところの『ワンオペレーション育児』な環境になり、娘中心の生活をするだけで体力的にも精神的にもクタクタになってしまい、ワイン会、スポーツクラブ、フラダンス、英会話と精力的に活動していた以前とは打って変わって、お出掛けは娘のイベントや習い事のみになっていきました。

自己防衛対策

安全な場所に避難しても、震災の大きな恐怖と、将来設計までしていた平和で順調な生活が突然ガラリと変わってしまったことによるショックとダメージは想像以上に大きく、長い間、私の心を沈ませました。
一人の時間に出掛けようという気にはなれず、家でお気に入りの海外ドラマを見ながら娘の洋服を作ったり、家庭学習の教材やプリントを作るのに熱中することで、なるべく余計なことを考えないようにしました。
新しい場所で人々と知り合い、その度に震災のことを話すのも、その時のことを思い出すのも精神的に辛かったので、なるべく人との付き合いを避けるようにしていました。

VS『冬』

春や夏は日も長く、それなりに気持ちを明るく保てていましたが、どんどん夜が長くなり寒さが増してくる冬は、どうしても気が滅入りやすくなるので、一人で過ごす時間はお笑いのDVD録画したバラエティー番組途切れることなく見続け、とにかく笑うことで自分の脳に「私は楽しいんだ!」思い込ませながら生活していました。
「きっと鬱というのは些細なきっかけで誰でも簡単になり得るものなのだろう」と思いながら、暗い気持ちに飲み込まれないよう気を張って、なんとか厳しい冬をやり過ごしていました。

嬉しい進歩

避難生活を始めてから5年が過ぎると気持ちも生活のスタイルも安定し、雪道で滑って転ばない歩き方もマスターして、長く寒い冬上手に楽しめるようになりました。
娘が段々と自分のことを自分でできるようになってきたので、そろそろ私も新しい一歩を踏み出してもいい時期かなと思い、外に出て自分の為の勉強を始めることにしました。
私はいろんなことに興味があり、学ぶことが好きなので、外に自分の居場所を見つけ、新しい知識を得られている日々が、嬉しくて仕方ありませんでした。

たくさんの先生

秋からは創業の為のスクールや起業に関連する講習会に頻繁に参加し、様々な人と出会いました。
5年ぶりに、自分の為だけに外の世界に目を向け、個人としての時間を過ごすようになってから、様々な分野の素敵な先生方に出会い、とても大きな影響を受けています。
講師としてではなく、同じ学ぶ立場として出会った人たちも、私が知らない知識を持っていて、それぞれの考え方や行動の仕方から学べることが多いので、私にとっては出会う全ての人たちが先生です。
なので、私には今、本当にたくさんの先生がいることになり、それはとてもラッキーなことだと思います。

ワクワクな展開

きっと人間は自分の考え方や気持ち一つで、何気ない日常からでも多くを得ることができ、また失ってしまったりもするのだと思います。
私は、そういった日々からの学びを大切にし、いろんな分野に興味を持ち、知識を吸収しながら生きていきたいです。
プラスの方向にどんどん進んでいきそうな自分の生活の新たな変化に、今とてもワクワクしています。


よろしければ、娘氏のブログもどうぞご覧ください★

n-a-creation.hatenablog.com