『ワイン体験レポート2年目』6月

f:id:n-a-creation:20180617212222j:plain

楽しみの共有

2018年6月16日(土)、娘と一緒にワイン葡萄の栽培作業に行ってきました。
今年のワイン葡萄の栽培作業は昨年とは違い、ランチと保険付きの4回の講座としてスケジュールが組んであり、会費制一般の人単発で参加が可能になっています。
4月の『ワイン葡萄の棚上げ作業』をした帰りに、地元のワインが飲めるワインバーに立ち寄った際に、転勤でその地域に引っ越してきて、ワイン葡萄の栽培を体験してみたいという女性がいたので、私が関わっている施設や『ワイン葡萄の栽培講座』の情報を教えたところ、今回その女性も参加していました。
私が提供した情報を基に、地元のワイン葡萄農家のお手伝いなどに参加して、いろいろと楽しんでいるとのことで、自分の情報が必要としている人のお役に立てて良かったなぁと思いました。

『芽欠き』と『除葉』

いつものように、近所のワイナリーのオーナーワイン葡萄の状況説明作業の指導をしてくれました。
雪の下で一冬眠っていたワイン葡萄の木をワイヤーを貼った棚に括りつける『棚上げ』という作業を終え、しばらくするとツルが伸びて葉がしげり、ツルの所々に芽が出ます。
その葉と芽の量が一本のツルにあまり多くありすぎると、養分が分散されて一つ一つの芽の育ちが悪くなるので、ある程度の量に統一する為に余分な芽や葉を取り除く『芽欠き』『除葉』という作業が必要となります。
私たちに指導してくれるワイナリーのオーナーの方針は、一本のツルに芽は2つぐらい残し、下側にある芽のすぐ下の葉は残してそれより下の葉っぱは全て取り除き、木やツルから新たに芽を出そうと生えている小さな葉っぱなども全て取り除くというものでした。


スパルタ指導

今年は、その地域のワイン葡萄全般の育ちがとても良い状態なのですが、害虫大量発生していて、その施設のワイン葡萄の葉はかなり虫に食べられているようで、酷く虫に食べられている葉は取り除き、虫を見つけたら踏みつぶしておく必要がありました。
葉が重なりすぎの状態になると風通しが悪くなり、ワイン葡萄の木の病気が発生しやすくなります。
また、虫に食べられているからと言って芽の下に葉が一枚も残らない状態になると、芽に必要な養分が運ばれなくなるので、そういった点も考えなくてはならず、慣れとセンスが必要となる作業でした。
私は昨年の作業の際にコツを教わっていたので、今年は本格的に作業への参加を始めた娘への指導に力を入れました。
子供の覚えの早さと私のスパルタ指導の効果もあり、私たち親子はスムーズに作業を進めることができました。

意識高い系ランチ

お昼になり、シェフをしていた経験のある近くの農家の方が用意してくれた有機ランチを頂きました。
地元の野菜を中心とした数々の料理がプレートの上に小分けに盛り付けられ、特別なご飯スープもついて、見た目もお洒落な『意識高い系ランチ』でした。
味付けは自然のものや自家製の調味料を使っているので、野菜そのものの味がよくわかりました。
スープには、近くの山で採ってきた若竹酒粕をふんだんに使われており、私のおばあちゃんがよく作ってくれた『孟宗だけと厚揚げの酒粕煮』を思い出しながら、旬の食材懐かしい味を堪能しました。
娘も初めて食べる味付けに興味津々の様子でした。
他の人たちが料理を口に運ぶ度に味の感想や作り方についてあれこれ話しているのに対し、私たちは会話に頷く程度で、一品一品を集中して味わいながら頂きました。


動物的な私たち

私たち親子は、他人とお食事をするときはコミュニケーションのマナーとして楽しくお話をして場を盛り上げたりはするものの、自分たちだけで本当に味わいたいものを食べるときはお互い食べることに没頭し、食べ終わるまでほとんど会話はせず、食べ終わってからあれこれと感想を述べ合うスタイルだと思い出し、きっと私たちの食べているときの集中力勢いは、動物が一心不乱に食べているときの姿に似ているだろうと思いました。
感性第一の動物的な直感で生きているから食べるときも動物の様に集中するのか、動物としての本能に忠実に食べることに集中する性質だから動物的な勘が働き感性が独特で豊かなのか、まるで『卵が先か、ニワトリが先か?!』みたいな話にもなってきますが「まぁ、いずれにしても野性的で何気に面白いよなぁ・・・」と自分で思って可笑しくなりました。

順調な午後

午後も引き続き『芽欠き』『除葉』の作業をしました。
ワイン葡萄の木が育ち始めると、雑草も勢いよく生えてくるので、を手に草刈り体験をする人もいました。
午前中は、迷い悩みながら『除葉』をしていた人たちも、段々と感覚を掴んで作業ペースが上がり、予定よりも早く作業が完了しました。
今年もそこの施設に仲間入りした羊たちがいたので、写真を撮ったりしました。
白い羊と茶色の羊が一頭ずつで、茶色の羊は人懐っこくて呼ぶと走ってきてくれました。
夏らしく毛が刈られていて、背中を撫でるとカフカの毛布のような出触りでした。
ティータイムには、摘みたてのミントティーポットに入れ、お湯で蒸らし『生ミントティーを作り、その施設の果物を使ってパティシエが作ったというゼリーのような洋菓子『パート・デュ・フリュイ』を頂きました。


ミントの魅力

『生ミントティーは、冷めてくると草の青っぽい香りが弱まり、贅沢なお菓子と一緒に美味しく頂けました。
ミントは生命力が強く、茎と葉だけを摘んだものを水に入れておくと根が出て、それを土に植えるとどんどん育ち、庭に植えると庭中がミントに占拠され、挙句の果てには近隣の庭にも広がってしまうので、植えるならプランターにした方が良いとのことでした。
小学校の理科の授業で育てる植物朝顔』『ひまわり』『トマト』『へちま』などを、なぜかきちんと栽培することができなかった私たち親子にも、ミントなら育てられるのではないかと思いました。
また、強く逞しく育つ力を持ち、お茶、スイーツ、お料理のアクセントにも使える多彩で魅力的な特性を持つハーブだと考えると『ミント』という子供の名前は、可愛らしい響きだけでなく意味があって素敵かもと思いました。

楽しい予感

お茶を飲みながら畑を眺めると、遠くに見える茶色の羊クマのように見えて一瞬ドキリとしました。
今年は生え放題の草を食べるという『除草』をミッションに、レンタルの馬が一頭その施設に仲間入りするらしく、次に訪れるのが楽しみです。
ワイン葡萄は7月になると、ミニチュアの葡萄のような形の芽から黄色の小さい花が咲くそうで、私はまだその花を見たことがありません。
次回、ワイン葡萄の栽培作業が講座として予定されているのは8月なのですが、来週からその施設には、イギリスの大学生たちが農業などの学習の為に1か月間滞在する予定とのことなので、外国人との交流ワイン葡萄の木の観察を兼ねて7月に娘と一緒にまたその施設を訪れられたらいいなぁと思いながら、新設された屋外のテントでバーベキューなどのイベントが開催されるのを期待しています。

f:id:n-a-creation:20180617211912j:plain

更なるお仕事

予定より早いバスに乗り、いつものように車窓から大好きな日本海を眺め、少し眠りながら帰りました。
朝早くから出掛けたワイン葡萄の栽培作業の後で、体力的には既にしんどかったのですが、娘の強い希望があったので、バスを降り電車に乗り換えて街のお祭りに行きました。
週末だったことと、お祭りの注目フードをテレビ放送した後ということもあり物凄い人混雑していて、長い行列ができているお店もいくつかあり、流れに沿って歩くのも一苦労でしたが、何とかお目当ての食べ物を買い、やっとの思いでゴール地点としていたホテルの広場に辿り着きました。
夕方で気温が下がり寒かったので、ホテルの広場でビールを飲みながら、人混みの中を歩いて出店で買ったチーズダッカルビ鶏皮餃子、ホテルで販売していたピラフなどを食べ、けっこうしっかりめの夕食となりました。

複雑な親心

家に帰ると愛しい老猫ちゃんが、お約束のお怒りのご様子で私たちを迎えてくれ、私たちは謝りながらしばらくの間ひたすら撫で続けました。
早々にベッドで横になり「年々、人混みの中を歩くのがしんどくなるなぁ・・・」とグッタリしながらも、来年から中学生になる娘があと何年ぐらいこうして私と一緒にお祭りに行きたがってくれるのかと考え、いずれ親離れしてくであろう娘の成長を想像して少し淋しくも感じました。
ワイン好きな私の影響で、娘は神の雫というワインをテーマにした漫画を読み「ママが美味しそうに飲んでいるシャンパンやワインを私も早く味わってみたい」興味を持っているので、私は娘が子供時代を卒業した後の新しい関わり方に想いをめぐらせ、心地よい眠りにつきました。
久しぶりにアクティブに楽しく過ごせた、充実感溢れる休日でした。

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

www.n-a-creation.com

最近の娘氏


無償の愛

ウチの娘氏は恐ろしいくらいに野比のび太のような資質を持ち、いつもパンチの効いたボケっぷりやダメっぷりで私を振り回してくれます。
平日のフル勤務で、日々、クタクタになるくらい精一杯働きながら育児をしている40代の私にとって、そんな娘氏の行動はかなりの打撃となり、たまに衝撃が大き過ぎて気絶しそうになりますが、それでも私は娘氏を心から愛しています
がっかりして途方に暮れても気を取り直し「愛しい我が子がきちんと社会で生きていける人間になれるように、責任を持ってしっかりと教え、見守り、育てよう!」と強く心に誓う度に、自分の中にある『母親の無償の愛』を感じ、母親として確実に成長していることを実感します。

娘氏の才能

6年生になった娘氏は、学校で1年生のお世話をする機会が増えたことで、責任感と頼りにされる充実感を知り、毎日張り切って登校しています。
1年生の子供たちにとても慕われているようで、いつも「みんな可愛いんだよ」「いっぱい面倒をみてあげたい」と楽しそうに話しています。
認められ必要とされる喜びが後押しをして、委員会やクラブ活動にも一段と積極的になり、仲の良いお友達も増え、いろんなことに活発に取り組んでいます。
娘氏には、子供や動物に好かれる空気感があるようで、それは生まれ持った才能なのだと思います。
人間には皆それぞれ、生まれ持った何らかの秀でた才能がありますが、私は娘氏が『平和的で好かれる才能』を持って生まれてくれたことを嬉しく思います。


万端な準備

すっかりお姉さんになった娘氏の姿を見て逞しさを感じ、安心していた矢先にいつもの残念なハプニングはやってきました。
5月末は大きな学校行事の第一弾として『運動会』があり、子供たちはほぼ毎日ジャージ姿で運動会の為の練習や準備に忙しそうでした。
子供の身体的な成長は早く、靴やお洋服のサイズがあっという間に変わってしまい「買い替えたばかりだと思ってたら、また買い替えなきゃいけないの?!」という感じです。
特に子供たちの学校生活に必需品ジャージやスニーカーは需要が多く、早く買わないと欲しいデザインやサイズが売り切れてしまうので、今年は早めに娘氏のジャージとスニーカーを何種類か購入し「これでこの一年間は大丈夫!」と安心していました。

テヘペロ』とため息

5月2週目のある日、私が帰宅すると娘が「今日、学校の帰り道で転んでジャージに穴があいちゃった!テヘペロー(≧▽≦)」と報告してきました。
『たいしたことないよ感』いっぱいだったので、さほど気にもせずにジャージを受け取って見てみると、膝の部分が大きく裂けていました。
「うわーっ!何なの、この状態は?!これじゃあ怪我も酷いんじゃないの?!」と娘氏の膝を見ると、大きな絆創膏が貼ってありました。
「ちゃんと水で傷を洗って絆創膏を貼ったよ。そんなに痛くないから走れるし。」と自信満々に『ちゃんとしてますから大丈夫です感』を漂わせる娘に「まぁ、痛くないなら何よりだけど、これは『テヘペロ』程度の穴じゃないよね・・・」と、ため息をつきました。


帰れない私

5月3週目のある日、私が帰宅し玄関のチャイムを鳴らすと、いつもはすぐにドアを開ける娘氏が出てきませんでした。
「お友達の家にまだいるのかな?」と思いながら鍵を出してドアを開けると、アチェーンが掛かっていました。
「???」と思い、何度も玄関のチャイムを鳴らしましたが、家の中からは何の反応もなく、ドアの隙間から娘氏を呼んだり、娘氏の携帯電話家の電話に何度もかけたり、しばらくの間あれこれ試みてみましたが、やはり無反応でした。
「具合が悪くて倒れているんじゃ・・・」「不審者が押し入って監禁されていたらどうしよう!」心配になり、これはもうアチェーンを切って家に入るしかないと思い、マンションのすぐ隣にある管理会社へ助けを求めに行きました。

大きな不安

管理会社の人がすぐに鍵屋さんに手配をしてくれ、マンションに到着するのに30分かかると言われ「家の中の人は無事なんですか?」と確認されました。
私は「中に入れなくて連絡もとれないので様子が全くわかりません」と答えながらますます不安になり、「110番に通報した方がいいんだろうか・・・それとも119番だろうか・・・」と考え、その場でもう一度、家の電話にかけて留守番電話に「ちょっと!寝てるの?!起きなさい!!いるなら電話に出なさい!!早く!!」と、管理会社の人が驚いて引くぐらいの大声で話しました。
それでも反応はなく、自宅前で鍵屋さんを待つように言われたのでマンションに戻り、再度、ドアチェーンが掛かったままのドアを限界まで開けて玄関のチャイムを鳴らしまくりました。


寝起きの娘氏

すると、リビングに通じるドアが開き、頬にくっきりと布団の痕をつけた娘氏が『今起きました』という表情全開でのっそりと現れました。
娘氏の姿を確認し「あぁ、無事で良かった・・・」と私は胸を撫で下ろし、ドア越しに「具合悪いの?どこか痛いの?大丈夫なの?」と確認しました。
「大丈夫。どこも痛くないよ。」という娘氏の答えを聞きホッすること二秒、次の瞬間、私の頭にはツノが生え「とりあえず、チェーン外してくれる?」と静かに言いました。
家に入り「えっ?何、寝てたの?!」と問う私に「いやぁ、あの、寝てたっていうか・・・その・・・」とモソモソと答える娘氏。
「私が帰ってくる時間にチェーンをかけたまま爆睡してたの?!(怒)
と更に問う私に娘氏は何とかとぼけようと必死の様子でした。

無情のゴング

「管理会社に行って、鍵屋さんをキャンセルしてもらってくる。」と言って、私は再び管理会社へと向かい、無事に家に入れたことを伝えて何度も頭を下げ、一歩一歩を踏みしめながらマンションに戻りました。
とても心配した分、何も考えずにぐっすりと気持ち良く眠っていた娘氏の自由過ぎる所業への怒りは大きく、家に近づくにつれ私の頭のツノは伸びていきました。
私のただならぬ殺気が伝わったようで、娘氏は私が玄関のチャイムを鳴らす前に「さぁママ、どうぞお入り下さい!」とばかりにサッとドアを開けて、素早く私を迎え入れました。
疲れ果てた身体40分近く締め出された私の怒りがそんな気遣い程度でおさまるはずもなく、ドアを閉めると同時にゴングが無情に鳴り響きました。


ハートの強さ

「一体どういうことなのか説明してもらおうか・・・」と問う私に「違うのママ、これは違うの・・・」とアワアワする娘氏。
「何も違わない!!」という言葉を皮切りに、娘氏の頭上にが落ちたのは言うまでもありません。
眠っていただけでこっぴどく叱られた娘氏を可哀相に思う方もいるでしょう。
ですが、娘氏はしょんぼりと反省している姿を見せていたと思いきや、夕食の準備が整う頃には「今日は何の動画見るー?!イエーイ★」iPadを手に、まるで何事もなかったかのようにウキウキとはしゃいでおり、私は娘氏のハートの強さ感心したり呆れたり脱力したりで、もはや何も言う気力もないまま白目で放心状態でした。
きっと、ハートが強い人間に勝る者などこの世にいないのだと、私はしみじみ感じました。

行方不明のジャージ

5月4週目のある日、仕事の帰りに娘氏を空手教室まで迎えに行きました。
娘氏はこの春から護身の為空手を学ぶと自ら決め、楽しそうに通っています。
練習が終わり着替えて帰る支度をする頃に、娘氏が「ジャージがない」と言い出しました。
「着替えたジャージって、普通なくなる?!まさかその辺に脱ぎっぱなしにしたの?!」と娘氏に言いながら、着替えた場所を探してみたのですが見つかりませんでした。
受付でジャージのことを尋ねるよう娘を促すと、受付の若い女性に「ここにはありません」即答
され、涙目で私にすがってきました。
娘氏も来年からは中学に通うので、そろそろ自分の意思や主張を相手にしっかりと伝えられるよう訓練しなくてはと考え、私は助言だけして見守ることにしました。


残念なタイミング

「自分の管理ミスで失くしたんだから、見つかるように自分でベストを尽くしなさい。ないと即答されてすぐに諦めるのではなく、どんなジャージをいつどこで失くしたのかを詳しく伝えて、見つかったら連絡をもらうようにするとか、自分なりに頭を使いなさい。」と私は娘氏に教えました。
その週の土曜日には運動会があり、それに合わせて予備の分も考え二着のジャージを準備したのに、運動会前に一着は転んでズボンを台無しにし、もう一着は空手教室で紛失するなんて一体どういうことなんだと、私は悲しい気持ちになりました。
結局、娘氏は運動会に古いジャージで参加し、空手教室で失くしたジャージは運動会後に見つかり娘氏のもとへ戻ってきました。

必要なストレスと体力

結果オーライと言えばその通りで、娘氏は「あぁ、良かった!私ってラッキー★」と相変わらずのスーパーポジティブな反応でしたが、そんなラクルなタイミングの悪さを持つ娘氏を見ていると、母親としては「もうちょっと何とかならないものかなぁ・・・」と思ってしまいます。
人間には適度なストレスが必要なので、幸せな日々を送っている中、娘氏の残念な行動により与えられるストレスは、私にとって必要なのかもしれません。
とすれば、現在40代で体力的に年々衰えを感じている私に反比例し、どんどんパワフルになって、ますます破壊力を増していくであろう娘氏の行動の影響に、しっかりと耐えられる体力だけは何としてもキープしていかねばと思う今日この頃です。
娘氏よ、お手柔らかに頼みますぞ( ;∀;)

www.n-a-creation.com

『過去のブログ』を振り返る Vol.4

ブログを始めた頃の記事を、現在の書式スタイルに編集して掲載し、皆様にぜひご覧頂きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いいたします(^^)/

Vol.6『集団心理』というもの


カースト制度

随分と前に『ママカーストというものが話題になりました。
カーストとはインドの身分制度のことで、現在、インドでは法律上で全面禁止となっているのですが、実際のところ人権差別は今も残っていて『家の名誉を守る為に、しきたりに背いた身内を親族が公衆の面前で焼き殺した。』などという恐ろしいニュースが記憶にあります。
以前、ドラマの題材になった『タワマンカーストも本当に存在し、都心のタワーマンションの住人たちの間で、上層階に住む人が格上とされ、低層階に住む人は格下とされていると聞いたことがあります。
私はそのドラマを見ていませんでしたが、何かと話題になっていたので、かなり殺伐とした内容なのだろうと思っていました。

身近にある『格付け』

『タワマンカーストは、マンションの購入価格から考えられる経済力の比較なのでしょうが、せっかく素敵な生活を楽しもうとそれぞれの想いや期待のもとお洒落なマンションを購入したのに、勝手にそんな格付けをされたのでは、上層階以外の住人にとっては非常にガッカリで迷惑な話だろうなぁと思いました。
『ママカーストもそれと同様で、御主人の社会的地位が高く経済的に潤っている家庭の母親は格上とされ、そうではない家庭の母親は格下とされるもので、それぞれの人生の選択を勝手に型に当てはめて格付けをするという、大きなお世話としか言いようのないものでした。
都会に限らず『ママカースト母親が集まる社会に存在し、子供が社会生活をスタートさせる『幼稚園』などの社会にありがちなのかなと思います。


残念な悪影響

せっかく授かった子供をそれぞれの家庭で大事に育て、何も知らない無垢な状態の子供に教育や躾をしていく中で、家庭そのものを勝手に格上だの格下だのと格付けされるなど、全く持って迷惑な話であり、そんな関係性を作ることは、子供たちの情操教育社会環境悪影響だと思いました。
私は、幼い子供が一番に信じて頼るのは母親なのだから、母親には子供のお手本になるという役目もあると考えていましたが、残念ながら、母親の中にも他人と比較して優越感に浸ることでしか、自分の存在価値認識できない人はいました。
私は、娘が幼稚園に入園し『園ママ』としてデビューをしたとき既に『ママカースト前衛的な流れに巻き込まれていたような気がします。

幼稚園バスの停留所

娘が通っていた幼稚園は、全ての行事の準備は幼稚園が行い、親は見学に招待されるのみというシステムで、母親同士の摩擦が起きないような対策徹底されていました。
私の『プチ・ママカースト体験』の舞台となったのは幼稚園ではなく、幼稚園バスの停留所でした。
当時、私が住んでいたエリア周辺は、社会的地位が高いとされる職業の人々が多く住む、その地方のステイタス的な居住地で、子供を通わせる幼稚園もだいたい決まっており、娘と同じ幼稚園には20世帯の子供たちが、スクールバスで片道40分かけて通園していました。
娘の通園が始まったばかりの頃、子供たちをバスに乗せて見送った後、そのバス停を利用する母親20人自己紹介をすることになりました。


不思議な自己紹介

私は、母親としての自己紹介なのだから、自分の名前と子供の名前や年齢「一人っ子で甘えん坊です」とか「ピアノを習ってます」とか、子供のことを紹介しあうものと思い、何を言おうかとあれこれ考えていました。
少しクセのある母親が「じゃあ、私から言わせて頂くわね。」と一番目に自己紹介を始め「○○です。子供は特別英語クラスです。主人は医師です。××マンションの1階に住んでいますの。猫の額ほどの庭しかございませんが、いつでも遊びにいらして下さいな。」と、子供の情報はほぼないまま自己紹介が終わりました。
すると、他の母親たちも子供のクラスと御主人の職業、自分の住居を発表する形で続き、結局、子供の情報はあまりないまま、わかったのは20世帯の内17世帯は御主人が医師だということでした。

戸建ての強さ

『御主人が医師でそのエリアに住んでいる』というのが、その母親たちの中ではステイタスとなっているようで、更に戸建てに住んでいると一目おかれるという感じでした。
意外にも、ご主人が医師で戸建てに住んでいるのは2世帯しかなく、そこの地域には珍しい若いギャル系の母親が、御主人は普通の会社員で戸建てに住んでいると自己紹介をして、他の母親たちをザワつかせている様子が何気におもしろかったです。
また、医師の間でも開業医勤務医、代々続く個人病院の跡取り格差があり、医師の妻同士探り合いと比較が日々の会話の中で行われていて、面倒で大変だなぁと思いました。
中には物凄く裕福な人もいて、他人と比べることもせずいつも礼儀正しく『金持ち喧嘩せず』っていうもんなぁと思いました。


変わった母親

医師である御主人と一緒に、そのバス停を利用している世帯の住居を外から見て回り、評価をしている母親がいました。
あるとき私は不運にもその母親に捕まってしまい、お茶をしながら所有しているの種類や資産の有無、結婚指輪のブランドまでもあれこれと聞かれて当惑しました。
その母親から携帯に電話がかかってくるようになり、忙しくて出られないでいると、20回ぐらい着信記録を残すという病的ともいえる行動に恐怖を感じ、全力で早急に距離を置き『医師の妻』にも変わった人がいるものだと身をもって知りました。
私が住んでいたのはその『特別エリア』と道路を1本挟んだ隣のエリアで『特別エリア』のバス停の方が近くて便利だったので、そちらを利用していたのですが、少し不安を覚えました。

おかしな質問

ある日、子供の情報が何も伝わらない例の不思議な自己紹介を最初に始めた、少しクセのある母親「お宅は○○エリアに住んでもいない上に、御主人が医師でもないなんて随分珍しいこと。そんな方は今までいらっしゃらなかったわよ。」高圧的に言われました。
日々そのエリアの『医師の妻』たちの探り合いと比較の独特の雰囲気に飲み込まれていたことや、子供が幼稚園という社会にデビューし、初めてのことで何もわからない状態だったこともあり、少数派の自分は普通じゃないのかもと思ってしまうぐらい精神的に疲れていたようで、私は「はぁ、○○エリアに住んでなくてすみません・・・」と答えていました。
そして帰宅すると旦那さんに「ねぇ、どうして貴方は医者じゃないの?」と尋ねていました。


正常な思考

『僕は医者ではないけど、会社を2つ経営してそれなりに頑張っているつもりだよ。それに○○エリアよりもこのエリアの方が地価は高いんだし。しっかり者の君が、他人に流されるとはね。」という、私の唐突で意味不明な質問に対する答えを聞き、私はハッと我に返りました。
医師は確かに人の命を救う尊い仕事ですが、世の中で医師だけが頑張っている訳じゃないし、その『特別エリア』に住んでなくても誰にも迷惑はかかってないという、ごく当たり前のことを思い出して反省し、改めて集団心理というものの恐ろしさを感じました。
それ以来、バス停への娘の送迎は基本的に旦那さんに行ってもらうことにして、私はその集団から離れ、そのバス停を利用する母親たちで定期的に開くお食事会にも参加せず、なるべく関わらないようにしました。

母親の悩みと不安

初めての育児は、子供が大きくなってもその年齢その年齢でわからないことだらけの手探り状態で、子供が10歳、15歳と成長したとしても、それぞれの年齢特有の課題を新たに抱えることになるので、母親の悩みと不安は尽きないと思います。
何が正解なのかわからず自信が持てないでいるとき、人は自分を見失って周りに流されやすくなりがちです。
決して内気でなく、むしろはっきりとした意思を持っている私でも、自覚のないまま簡単集団心理に押し潰されたことを考えると、娘の社会生活が本格的にスタートした『幼稚園デビュー』は、母親の私にとって正に迷いや不安が多く、育児生活において最も危うい時期だったように思います。


集団心理と距離

私はその後、同じ様に惑わされないように、他の母親とはあまり関わらずに育児をすることにしましたが、ママ友を作らなくても、情報の入手や相談幼稚園や学校の先生に連絡をしたので、特に困ったことはありませんでした。
娘の成長に伴い、今後よその子供やその母親とのお付合いも出てきますが、娘が自分で選んだ友人関係母親として寄り添うだけで、ママ友だとか同じ母親グループであるかなどは関係ないと思っています。
私はわりと極端なタイプなので、私と同じ方法をお勧めしようとは思いませんが、もし母親同士の人間関係に悩んでる人がいたら、集団心理に飲み込まれて判断力を失っていないか、一度その集団から離れて確認してみることも大事だと思います。

御縁と選択肢

全ての出逢いには何らかの意味があるのだと思いますが、その御縁をどう受け止め、どうするのかは自分次第だと思います。
苦しみから学ぶこと、また苦しみからしか学べないこともありますが、ずっと苦しみ続けなくても、学ばせてもらったことに感謝「ありがとうございました。さようなら。」決別するという選択肢があっても良いと思うのです。
あの『特別エリア』の母親たちの中にも、本当は競い合いたくなんかないのになす術もなく流され続けていたり、後に自分がどうすべきかを学んで強く成長した人もいるかもしれません。
きっと人間は、大人になっても失敗苦い思いをしながら『正しく見極めて生きる術』を学び続けるのでしょう。
私もまだまだ人として成長の途中ですが、私のこんな体験談が少しでも、以前の私の様に精神的に疲れ集団心理に捉えられてしまっている人のお役に立てばと思います。

年に一度の里帰り ~後編~


感謝のご挨拶

ゴールデンウィークの後半の連休で、101歳のおばあちゃんに会いに里帰りをしました。
乗り換えを繰り返し長い移動を経てようやく実家に着き、元気そうなおばあちゃんの笑顔を見てまずは一安心し、お仏壇に手を合わせ、ご先祖様のお墓参りをし、自分の大切な人たちが元気でいてくれていることに改めて感謝しました。
お墓参りの後は、海岸沿いにある温泉旅館にみんなで泊まりに行きました。
午前中はとても良いお天気で、お寺の池のほとりでのどかな風景を楽しんでいたのですが、午後からは急に雨が降ったり晴れたりと何だかおかしなお天気になりました。

f:id:n-a-creation:20180520190457j:plain

温泉旅館にて

大好きな日本海を眺めながらのドライブを40分程し旅館に到着すると、窓から海が見える広いお部屋に案内されました。
お茶を飲んで一休みしてからすぐに大浴場に行き、ゆっくりとお湯につかりました。
ずっと入っていられるような心地良いぬるめのお湯で、おばあちゃんもご機嫌でした。
一度お部屋に戻り海を眺めていると、青空だったのが急に曇で暗くなり、凄い勢いでヒョウが降ってきました。
「えーっ、せっかくの日本海の景色がぁ・・・」と私も娘も残念に思っていると、空から稲光が走り、少し遅れて雷鳴が轟き「うわぁーっ!」と大声を出して驚きました。


無意識の解説

「海に落ちたのかなぁ?!」「ここにも落ちるかなぁ?!」ビクビクしながら話していると、また稲光が今度はさっきよりも近くに大きく見えて「ヒェェェェェッ!」と悲鳴をあげました。
「この旅館に雷が落ちたらどうしよう?!」と不安そうな顔で焦る娘の問いに、私は無意識のうちに「高い建物には普通、雷が落ちても電気を地面に流して被害を避ける為の避雷針という物が設置してあるから大丈夫なはずよ。」と口早に答えていて、自分の頭の中でその言葉を再認識することで「あ、そういえばそうだった、大丈夫なんだった・・・」とホッとしました。

f:id:n-a-creation:20180520191730j:plain

稲光と檜風呂

気持ちに余裕ができると、さっきまでとは打って変わって「灰色の空にジグザグに走る一本の太い黄色の稲光、これはまさに大自然のアートだよねぇ!贅沢な景色が見られてラッキーだね!」と盛り上がりました。
夕食まで時間があったので、今度は別のお風呂に入りに行ってみました。
中途半端な時間だったからか私たち以外には誰もおらず、貸し切り状態に妙にテンションが上がった私たちは、ヒャッハーな気分で円形や四角形の五種類の檜風呂を満喫しました。
私と娘は、樽型の檜風呂が特に気に入り、お漬物になった気分でしばらくお湯に浸かっていました。


夕陽のグラデーション

世間には『ワイン風呂』というお風呂にワインを入れて楽しむ入浴方法もあるらしいので、私は本物のワイン樽にお湯とワインを入れた『ワイン樽風呂』なんてものがあったら面白いだろうなぁと思いました。
私はワインを最後の一滴まで飲みきり、絶対にお風呂に入れたりはしないので「そんなお風呂があったら贅沢感が倍増しそうだなぁ」などと考えていると夕食の時間になりました。
お天気が落ち着き、やや曇ってはいましたが夕陽を見ることができました。
夕陽は、晴天よりも雲に光が映えた方が色のグラデーションが楽しめるので、より美しさが増していました。


アワビ三昧

私は、海に沈む夕陽を見て育ったので見慣れていましたが、久し振りに眺めるとやはり懐かしくて感慨深い気持ちになりました。
夕陽が彩る空と海の綺麗なグラデーションを楽しんだ後は、地元の食材をふんだんに使ったお料理に感激しました。
器の蓋を開けると、大きな肉厚のアワビが貝殻ごと入っていて、旅館の人がそこに地酒を注いで酒蒸しにしてくれ、ナイフとフォークで頂きました。
その他にお刺身にもアワビが使われており、どちらもとてもやわらかくて、おばあちゃんと娘がお腹いっぱいで食べきれなかった分も私が頂き、約3個分のアワビを食べてとても幸せでした。

f:id:n-a-creation:20180520190237j:plain

お風呂三昧

夜はまた違う浴場で露天風呂に入ったのですが、海風が冷たすぎて寒く、お湯がぬるめなので身体が震えて歯のガチガチが止まらず、早々に出て屋内の岩風呂でじっくりと温まってから寝ました。
次の日は朝から快晴で、朝食後に檜風呂に浸かり、お風呂上りは海を一望するカフェコーナーで紅茶を頂きました。
毎年、この温泉で宿泊した後に寄っている絶景が楽しめる島があるのですが、風が強くて危なそうだったので行くのをやめてお寺に行きました。
私の故郷には即身仏を祀ってあるお寺があり、私と娘は里帰りの際は必ずそこに行き二体の即身仏にご挨拶をします。


即身仏

この土地や人々を見守り続ける為に自ら決意した僧侶が、即身仏になる為の特別な修行を重ねた後に土の中の空洞に入り、鈴を鳴らしながらお経を唱え続け、鈴の音が止み、息が絶えたとされてから三年後に掘り出され、即身仏として祀られているのだそうです。
エジプトのミイラは、死体になってから腐らないよう手が施されますが、即身仏の場合は死んでも腐らない身体を自ら作る為に木の実などの決まったものだけを食べ、その後は断食をします。
人の為に自分の命を差し出す献身的な精神と、厳しい修業を全うし成し遂げるその覚悟と意志の強さに深く敬意を払い、里帰りの際はご挨拶に行くことにしています。


元気な二人

そのお寺の名前には『海』という字が使われており、またそのお寺の住職を務め即身仏になった二人の僧侶の名前にも『海』と言う字が使われています。
私は海が大好きで娘の名前にも『海』という字を使って名付けたので、そのお寺には何だか親近感を感じています。
お寺から戻ると、おばあちゃんと娘は仲良くお散歩に出掛けました。
おばあちゃんは昔から足腰が強く握力も強いので、手をつないでいると手を握り潰されそうになります。
眼下には、遠くには青い山々を望む眺めの良い道を歩き「お花が綺麗だった!」と二人ではしゃぐ姿を見て、元気で何よりだなぁと思いました。


食べられる幸せ

夜は地元のお寿司屋さんに行き、おばあちゃんも娘もお散歩でお腹が空いたようで、よく食べていました。
人間は、年齢と共にあまり食が進まなくなると、どんどん体力が落ちて弱り動けなくなってしまうと聞いたことがありますが、おばあちゃんが101歳にして元気でいられるのは、好き嫌いせずに出されたものは何でもモリモリと食べるからなんだなぁと納得しました。
海側の地域なので、もともとお肉よりもお魚を食べる率が高く、おばあちゃんの時代の人は特に野菜中心の粗食が多かったこともあって、いまだに内臓が丈夫なんだろうなと思いました。


懐かしの動物園

次の日はおばあちゃんに「また来るからね!」と告げ、昼頃のバスに乗りました。
渋滞やら悪天候でバスの到着が遅れても飛行機に乗れるように、いつも飛行機は遅い便をとっており、順調にバスが到着して時間があったので、娘の希望で動物園に行きました。
娘が小さい頃、よく行っていた動物園なので、懐かしく思いながら園内を見て回りました。
夕方になり涼しくなったからか、動物たちは活発に動き回っていて、特にシロクマたちがプールに飛び込んではザッブンザッブン激しく水しぶきをあげて遊んでいて、とても見応えがありました。


空港でのひととき

空港のレストランで夕食をとり、娘は地元のチーズを使ったピザを、私は牛タンとビールを頂きました。
食後はエアポートミュージアムに行き、娘はパイロット席での写真撮影や、飛行機の操縦体験ゲームをしました。
けっこう本格的な体験ゲームで、40代後半ぐらいの男性がかなり真剣に取り組んでいました。
ゲームの途中でも10分程たったら自動的に終了するシステムだったので、娘はとりあえず挑戦したのですが、目的地に近づいているのかどうかもわからないまま20分近くたっても終了の気配がなかったので、私が強制終了ボタンを押しました。


旅の終わり

「体験ゲームがずっと終わらなくて、どうなることかと焦ったよねー!」と二人で胸を撫で下ろして笑い、その地域の名物『ずんだシェイク』を味わい「里帰りって移動が大変だけど、美味しいものや楽しいことがいっぱいだよね!」と、数日間の旅に満足して帰路につきました。
夜遅くに帰宅すると、お留守番をさせられたウチの老猫ちゃんが、寝起きかつご立腹のご様子「うんにゃー!(怒)」力強く鳴いて出迎えて下さったので、私たちはひたすら謝り撫でさせて頂きました。
今年も無事に里帰りができ、家族の思い出を作れて良かったなぁと思いながらベッドに入ると、疲れと安堵感が押し寄せ一瞬で眠りに落ちました。

来年もいろんな意味で、無事に里帰りができたらいいなぁと思います。

年に一度の里帰り ~前編~


慌ただしい連休

今年のゴールデンウィーク前半の3連休はお部屋のお片付けと衣替えをしました。
ゴールデンウィーク後半の4連休は、101歳のおばあちゃんに会いに里帰りをする予定で、私たちの留守中にウチの老猫ちゃんのお世話をお願いするペットシッターさんとの打ち合わせもあり、前半の3連休はあっという間に過ぎました。
おばあちゃんに負けず、老猫ちゃんも21歳となかなかのご長寿で、特に問題もなく元気に生きてくれているのですが、やはり何かと心配だったので、5日間あるとゆっくりできる里帰りを、今年は4日間に短縮して行くことにしました。


ビッグなゲスト

ペットシッターさんとの打ち合わせには、またトカゲちゃんが一緒に遊びに来てくれました。
前回、トカゲちゃんが来てくれたのは昨年の10月で、恵まれた環境で大事にされながら一冬を越したからか、身体が一回りほど大きくなっていて、お腹が一段とポッコリしているように見えました。
ビッグになった黄色のゴージャスなトカゲちゃんは、春の陽気に気持ち良くお昼寝中で、移動用のバッグから取り出されて娘に抱っこされても警戒したり騒いだりもせず、ずっとスヤスヤと眠り続けたままで、その可愛らしい姿に私も娘もメロメロで夢中になりました。


無理矢理のグリーティング

ウチの老猫ちゃんは、長く生きているだけあり、自分の身を守り生きる為の術を習得しているようで、自分の知らない生き物や、関わらない方が良さそうなことには「は?!私は何も知りませんし、何も見えませんけど、何か?!」という態度で知らんぷりを決め通します。
前回、トカゲちゃんが遊びに来てくれたときも全く見ようとせずに、別の部屋でひたすら寝ていました。
ですが今回は娘に抱っこされて無理矢理トカゲちゃんに挨拶をさせられて「えぇー、ちょっと何すんのぉー・・・」と、とても困った顔をしていました。
トカゲちゃんも少し固まっていました。


トカゲちゃんと私

お互いに威嚇し合うこともなく、老猫ちゃんとトカゲちゃんのグリーティング静かに終了し、老猫ちゃんはまた別の部屋へと消えました。
初めて見る生き物を見てすっかり目が覚めてしまったのか、トカゲちゃんはさっきまでとは打って変わって活発になり、ジタバタと娘の手から逃げようとしてペットシッターさんに取り押さえられていました。
「じゃあ、今度はママが抱っこしたら?!」と娘に言われ「そうだね!こっちにおいで!」と言いながらトカゲちゃんに手を伸ばすと、思いきりプイッとそっぽを向かれてしまい「ガガーン!」ショックを受けました。


拒絶される理由

私は動物が大好きなのですが、たまに動物に全く相手にしてもらえないことがあります。
ペットシッターさんが気を遣い、私にトカゲちゃんを差し出してくれたのですが「いいんですよ、こういうことにはもう慣れっこなのでお気遣いなく・・・」と私が言うと、トカゲちゃんはまた娘に抱っこされておとなしくしていました。
動物はもともと子供には優しいのか、子供は身体が小さいから怖い存在ではないのか、子供には邪気がないから安心するのかなどと考え、何だかおもしろいなぁと思いつつ、ふと「ならば一体、私にはどれほどの邪気が漂っているというんだろう?!」と少し不安になりました。


長旅のビール休憩

里帰りは、乗り継ぎが何度もあり所要時間も長いので、身軽に動けるようにスーツケースを先に送るのですが、今年は天気予報が日ごとに変わって気温が全く読めず、荷造りするのに苦労しました。
昼の飛行機に乗り、時間通りに中継地点の空港に到着し、電車で街まで移動して、まずはビール休憩をとりました。
バス移動の時間が長すぎるので、ほろ酔いで眠りながら行かないとやってられず、バスに乗る前はお気に入りの牛タン屋で食事をするのが恒例となっています。
娘は牛タン定食を、私は牛タンホヤのお刺身ホタルイカの沖漬けを注文し、その土地の名物を味わいました。


ホヤと牛タン

ホヤのお刺身は、わさび醤油ポン酢で頂くのが一般的で、私はポン酢と紅葉おろしで頂きました。
『ばくらい』というホヤの塩辛も好きなのですが、今回は新鮮なホヤの味を楽しみたくてお刺身にしました。
最初の一口は苦みと渋みが舌に残り、それ以降はホヤの甘みが感じられるようなります。
私は、一口目のホヤの苦みと渋みが強すぎて二口目からは苦みを通り越して甘みだけを感じるようになり、ビールも甘く感じるような気がします。
牛タン分厚いのが好みで、私のお気に入りのお店では分厚くても噛み切れるように上手な調理がされています。
薄くて噛み切れない牛タンを出すお店もあるので、お店の選択はとても重要です。


よしもと新喜劇』の威力

バスに乗るとすぐに、iPadにイヤホンを繋いで、娘と一緒に動画を見ました。
私は最初に見たバラエティー番組の序盤でウトウトと寝入ったのですが、娘がバラエティー番組の次によしもと新喜劇を見て、声を殺しながら体をゆすって大爆笑しているその振動で目が覚めました。
「眠ってる人のことを起こしちゃうくらい、そんなに激しく笑う?!」と思いながら、寝起きのボーっとした頭で一緒に見ていると、お約束のボケに思わず「いやいや、そんなバカな!(笑)」と普通に声に出してツッコんでしまい、ハッとしました。


おばあちゃん孝行

バスの停留箇所が少し変わったことで高速道路をより長く利用でき、道路も空いていたので、3時間程で目的地に到着しました。
バスを降りてさらに車で移動し家に着くと、おばあちゃんは待ちくたびれて居間で眠っていましたが、声を掛けて起こすと、私たちを見て嬉しそうに笑って迎えてくれました。
かつて、おばあちゃんのお気に入りはずっとだったのですが、娘が生まれてからは娘が一番のお気に入りになったようで、二人はいつも隣に並んで仲良く一緒に過ごします。
私はそんな二人の姿を見る度に「あぁ、おばあちゃん孝行ができて本当に良かったなぁ・・・」としみじみ思います。


健康と長寿の秘訣

夕食は地元の野菜や山菜を使った煮物や炒め物『懐かしの味』を期待しながら食べるとどれもやたらと辛く、舌が痛くて濃い味の料理を控えている私と、薄い味付けに慣れている娘にとってはちょっとした地獄でした。
どうしてこんなに辛い味付けなのかと聞くと、健康の為に最近は何にでも唐辛子を使っているとのことで「そういえば昨年は何にでもニンニクを使って料理をしたり、毎日ニンニクの味噌漬けを食べていたなぁ・・・」と思い出しました。
常に健康の為食の情報仕入れて実行しているから病気知らずで長生きできているなら、唐辛子もまた良しと思いました。


特別なラーメン

私は、里帰りすると必ず一度は地元のラーメンを食べに行きます。
自家製麺率が高く、煮干しダシが特徴のスープ薄皮のとろけるようなワンタンがとにかく美味しくて、私はいつもワンタンメンの大盛りを注文します。
評判のお店がたくさんあるので、毎回どのお店に行こうか迷うのですが、今回は久しぶりに物凄く混むお店に行きました。
11時からの開店だったので、朝ご飯抜きで10時45分にお店に着くように行くと、もう既に行列ができていました。
連休だからか3家族12人で来ているグループもいて、このお店のラーメンの魅力を物語っているように思いました。


地元のラーメンへの愛

開店と同時に店内に案内され、ワンタンメンが出されたのは11時25分でした。
最初に麺をすすると「うまい!」という言葉が口から飛び出し、10~15分ぐらい掛けて「うまい!」連発しながらワンタンメンを完食するという至福のひと時を過ごしました。
私は今回、職場でお世話になっている上司たちに地元のラーメンお土産に選びました。
私が今住んでいる地域もラーメンが有名なのですが、それとは違う独特なラーメンを、私のお気に入りの煮干しダシのスープを味わって欲しくて、重いのを承知で決めました。
自分の分のラーメンは、スーツケースがもういっぱいだったので諦めました。


お墓参り

ラーメン店を出て、満腹かつとても幸せな気持ちお墓参りに向かいました。
お天気にも恵まれ、すがすがしい気分ご先祖様のお墓を回り「いつもありがとうございます。お陰様でとても幸せです。ありがとうございます。」と墓石にお水をたっぷりとかけ、手を合わせて何度も感謝の気持ちを伝えました。
青空の下、桜の花びらが浮かぶお寺の池のほとりでは、亀たちが気持ちよさそうに甲羅干しをしていました。
昨年も同じ場所で、ほのぼのと過ごす亀たちと、遅咲きの綺麗な桜を見ました。
来年も変わらず、平凡ながらも穏やか幸福感を感じられるこの光景が見られるといいなと思いながらお寺を後にしました。

後編へ続く。

『過去のブログ』を振り返る Vol.3

ブログを始めた頃の記事を、現在の書式スタイルに編集して掲載し、皆様にぜひご覧頂きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いいたします(^^)/

Vol.5『おばあちゃんの知恵袋』

今年で100歳になった大正生まれの私のおばあちゃんは、有り難いことに今も元気に暮らしています。
おばあちゃん子の私は、おばあちゃんにたくさんの愛情をもらいながら育ちました。
ここでは、おばあちゃんが私にしてくれた愛情溢れる行動ほんの一部を紹介しようと思います。

タンコブと梅の漬け汁

幼稚園に入ったばかりの頃、私は壁に頭をぶつけてタンコブができてしまいました。
痛がって泣き続ける私のタンコブを早く治してあげようと、おばあちゃんは自慢の知恵袋から一番良い方法を選び、自家製の梅とシソが漬け込んである壺をもってきて、たっぷりと漬け汁を含ませた赤いシソの葉を、私のタンコブの上にふんだんに乗せました。
私は「おばあちゃん、なぜ食べ物を私の頭の上に?!」と戸惑いながら、「これをつければもう大丈夫だからね」と微笑むおばあちゃんの隣で、顔に垂れてくる梅の漬け汁を拭くのに必死で、コブの痛みは続いていましたが、もはやそれどころではなくなり、早々に泣き止んだ記憶があります。
梅の漬け汁がコブの痛みに効果的だったかは未だに不明ですが、痛みで泣いている子供を泣き止ませるのには効果的だったと言えるのかもしれません。

しもやけとミョウバン

日本海のすぐ側で生まれ育った私は、冬の冷たい海風で手がかじかみ、毎年しもやけになって大変な思いをしていました。
両手が野球のグローブのように腫れ上がり、指が曲げられず箸を持つのも難しく、冷えれば痛くなり、温めれば痒くなるという、どうにもならない酷い状態のしもやけを見て、幼い孫の両手を何とかあげたいと思ったおばあちゃんは、私の為に自慢の知恵袋から治療法を探り出しました。
茄子のお漬物を作る際に、鮮やかな青紫色にする為に使うミョウバンを持ってきて、洗面器に入れたお湯に溶かして私の前に置き、「これに手を浸すと、血行が良くなってしもやけが治るからね。」とおばあちゃんは微笑みました。
促されるままミョウバンを溶かしたお湯に両手を浸す私の横で、おばあちゃんは「これで大丈夫」と一安心していました。 
そして数日が過ぎましたが、私のしもやけは一向に良くならず、むしろ段々と手が青紫色に変化していきました。
ミョウバンは確かに血行を良くする作用があるらしいのですが、肌質によっては色素沈着を起こすらしく、私の手はそれからしばらく、立派な青紫色のグローブと化してしまいました。

風邪とネギ

小学4年生の時に風邪をこじらせてしまい、学校を何日も休んだ私を気遣ったおばあちゃんは、久しぶりに登校する日の前夜「可愛い孫に、もう二度と風邪など引かせまい!」と、自慢の知恵袋からとっておきの予防法を取り出しました。
長ネギは風邪の予防に効くからと、私の首に軽く炙った1本の長ネギをぐるりと巻いたのです。
「おばあちゃん、なぜ野菜を私の首に?!」と、私はタンコブに梅の漬け汁をつけられたとき以来の衝撃を受けましたが、まだ子供だったので「きっとおばあちゃんが言うのだから間違いないのだろう」と思い、おとなしく首に長ネギを巻いて寝ました。 
次の朝、おばあちゃんは「学校にも巻いて行けるようにカッコよくしたからね」と、タオルで包んだネギを私の首に巻きつけました。 
タオルで包んでもネギを首に巻いて出掛けるのは恥ずかしかったのですが、自分の為に一生懸命にしてくれるおばあちゃんの優しい笑顔を曇らせたくなくて、私はネギを巻いたまま登校しました。


純朴なクラスメイト

学校に着き教室に入ると、クラスメイトはすぐに長ネギのニオイと私が首に巻いているタオルに気付き、私を囲んで物珍しそうに眺めていました。(そりゃそうだ!) 
久し振りの登校な上に、首に長ネギなんか巻いてきて、クラスメイトに何を言われるのかと、私はドキドキしていたのですが、そこは昭和時代の田舎の小学生、馬鹿にするのではなく「なんだかスゴイものを巻いていて特別な感じだぞ」「仮面ライダーのスカーフみたいでカッコイイ」「できれば自分も試したい」という予想外の反応で、私はその日の話題の中心となり、一躍してヒーロー的な扱いを受けました。
その日、家に帰ってから早速、風邪予防の為に首に長ネギを巻いてもらったというクラスメイトが何人もいて、おばあちゃんの知恵はちょっとしたブームになりました。
おばあちゃんの知恵と、首に長ネギを巻いた私の姿が学校で笑われるんじゃないかと心配していた私は「純朴で素直なクラスメイトに恵まれていて良かった・・・」とホッとしました。

ハンドルカバー

中学生になった私は、雨の日も風が強い日も自転車で通学しなくてはいけませんした。
幼い頃、おばあちゃんお薦めのミョウバンによって青紫色のグローブと化した手が、風雨にさらされてますます痛そうな様を見て、可哀想な孫の為に何とかしてあげたいと思ったおばあちゃんは、今度は自慢の知恵袋からではなく自分の自転車からシニア感漂うハンドルカバーを外して私の自転車につけてくれました。
私はもう中学生お年頃だったので「さすがにこれは恥ずかしいなぁ・・・」と言うと、おばあちゃんは「任せて!」と近所の自転車屋さんに向かい、赤い縁取りが素敵な白い本革のハンドルカバーを買ってきて「これなら大丈夫!」と微笑みました。
せっかくのおばあちゃんの厚意を断るのも気が引けたので、とりあえず素直に使ってみたところ、実際に暖かくて便利だったのですが、いくら田舎の純朴な子供とはいえ、さすがに思春期で恥ずかしかったので、少しの間だけハンドルカバーを使い、その後は「おばあちゃんに貰った手袋を使うことにしたから」と言って、そっとハンドルカバーを外しました。

更なる強者

高校に通うようになると、いろんな地域に住む友人ができました。
たまたま話の流れで、小学生のときに首に長ネギを巻かれた話をしたところ、新しい友人から「私は中学生の頃、熱で寝込む度、おばあちゃんに4センチぐらいに切った生の長ネギを鼻に詰められてたよ。」と、私の経験を遥かに上回る、パンチの効いた強烈なエピソードが飛び出しました。
「鼻に生の長ネギを・・・しかも中学生で・・・それはニオイも状況もあまりにキツイ・・・」衝撃を受けた私は「あぁ、ウチのおばあちゃんがその知恵を持ち合わせていなくて本当に良かった~!」と胸を撫で下ろしました。
そのとき私は、おばあちゃんがいつも私に言っていた「どんな事柄においても、必ず上には上がいるものだ。自分の目に見えているだけの小さな世界で『自分が一番だ』なんて過信してはいけないよ。」という言葉を思い出し、心から実感しました。


長い冬が終わったら、そんな様々な思い出を胸に、私の為にいつも一生懸命に手を尽くしてくれた大好きなおばあちゃんに会いに行こうと思います。


この記事を書いたのは2016年11月です。
おばあちゃんは現在101歳、お陰様で病気もせず元気に長生きをしてくれています。
2018年のゴールデンウィークも、お土産をたくさん持って会いに行く予定です★

『ワイン体験レポート2年目』4月


今年の作業スタート

2018年4月14日(土)に、娘とワイン葡萄の栽培作業に行ってきました。
今年の秋に収穫するワイン葡萄の為の作業としては、前年のワイン葡萄の収穫を終えた11月頃にする、ワイン葡萄の木の『剪定』からがスタートとなるのですが、雪を伴う悪天候で剪定作業への参加が難しかった為、今年のワイン葡萄の栽培作業は今回の『棚上げ』からのスタートとなりました。
4月といっても風はまだ冷たく、街に出掛けて歩き回るのと、畑に立ちっぱなしで農作業をするのとでは体感温度がかなり違うので、油断せずにダウンのロングコートを着て長靴を履き、マフラーをしてニット帽をかぶり、完全防備で挑みました。

大自然の癒し

ワイン葡萄の畑がある施設は宿泊もでき、以前は泊りがけでワイン葡萄の栽培作業に参加していましたが、週末の予定が段々と増えてきたので、最近は日帰りで参加しています。
朝早いバスに乗るのは大変ですが、海岸沿いの道路から大好きな日本海を眺めるのが一つの楽しみとなっています。
畑に着くと、広大な景色と溢れる春の大地の香りに、心身ともに癒されていくのがわかりました。
私は、職場でいろんな経験を重ね、日々学べるのが楽しくて、絶対に病気などで仕事を休みたくないので、普段はマスクを着けて生活しているのですが、今回はマスクなしで大自然の中、マイナスイオン満喫しました。


新たなスタイル

施設の近所のワイナリーのオーナーが、いつものように作業のレクチャーをしてくれました。
この施設のワイン葡萄棚は、一番下のワイヤーが一般的な葡萄棚よりも低い位置に張られていて、本来ならワイン葡萄が成長していくにつれ立って出来るはずの作業が、腰を曲げないとできない状態だったので、今年はワイヤーが高い位置に張られていました。
また、昨年は質の良いワイン葡萄を実らせる為に、余計な枝は潔く切り落とす剪定をしたのですが、雪の重みで枝が折れたり虫や病気の被害で枝がダメになり、ワイン葡萄の実りが少なくなってしまうリスクを考え、今回は枝を多めに残していたので、今年の棚上げ作業は昨年とは勝手が違いました。

f:id:n-a-creation:20180422153322j:plain

予想外の被害

雪深い冬の間、ワイン葡萄の木たちは雪の下で眠るのですが、今年はネズミが雪の下に潜ってワイン葡萄の木の皮を食べてしまうという被害がその地域で発生したとのことで、見てみると木の皮が部分的にない木が幾つかありました。
木が成長する為に土から栄養分を摂り入れる管は、木の中心ではなく外側の皮にあるので、木をぐるりと一周する形で皮を食べられてしまうとその管が途中で途切れた状態になり栄養を枝に運ぶことができず成長できなくなってしまうのだそうです。
残念ながらそんな木が何本か出てしまっていたので、今回の枝を多く残して多くの実りを確保する方針の剪定正解だったと思いました。

娘との共同作業

『棚上げ』は、雪に潰されて地面の上に横たわっているワイン葡萄の木を、葡萄棚の一番下のワイヤーの高さまで持ち上げ、枝をワイヤーに巻き付けて括る作業なのですが、ワイヤーの位置がだいぶ高くなっていたので、ワイン葡萄の木を起こすのに苦労しながら、娘と二人掛かりで作業を進めました。
私が起こした木や巻き付けた枝を娘が押さえ、私が麻紐でワイヤーに括りつけ、娘が紐の端を切るという共同作業はなかなか楽しかったです。
枝が多く残っているので、本来なら一定の方向に統一して枝を括るところを左右に伸ばしたり、何本も重なった状態でワイヤーに括りつける必要があり、枝の方向やバランスに悩みました。


ラクルな出逢い

冷たい風が吹く中、腰を曲げた状態で作業を続け、ふと体を起こして一息つくと、黄金色のフサフサしたものが視界に入りました。
この地域は大自然の中にあり、飼い犬たちも自由なので、たまに脱走して遠くまで冒険に出ることがあるようで「あぁ、どこかの家の柴犬が脱走して遊びに来たのかな・・・」と見てみると、なんとキタキツネでした。
私が過去に見たことがあるキタキツネは小さくてとても細い印象でしたが、そこに登場したキタキツネは、しっぽは勿論、身体の毛もまだ冬仕様なのかフサフサで、身体も大きめでした。
「うわぁー、可愛い!キツネちゃんが見れるなんて感激!!」と、私はドキドキしながら近づいて行きました。


キタキツネと私

そんな私に警戒して逃げる様子もなく、キタキツネは「いつも通り散歩してるだけなんですけど、何か用ですか?!」という感じで、しばらく私を見ていました。
私がじわじわと距離をつめていくと、さすがにキタキツネは少し移動して一定の距離を保ち始めました。
キタキツネが進むと私も進み、キタキツネが止まると私も止まるという『ダルマさんが転んだ状態』を続けている内に、私とキタキツネは葡萄棚からだいぶ離れ、道路を越えて向かい側の草原まで進んでいました。
キタキツネは草原に座り込み、石をかじったりゴロゴロ転がったりして遊び始め、私はその姿に感動しながらキタキツネがいなくなるまでずっと見ていました。

大自然の恵み

「あのキツネちゃんは、ワイン葡萄の木の皮を食べて栄養補給したネズミたちを捕まえて食べたりして、食に困らない恵まれた自然環境で生きているから身体が大きめでふこふこしていたのかもしれないね!」と、大自然食物連鎖について娘と話しながらお昼ご飯を食べました。
施設のスタッフが、畑で採ったふきのとうで作った『ふき味噌』を、白米と一緒に試食させてくれました。
『ふき味噌』は、一度ゆがえてからすぐに調理すると苦味がイイ感じに消えるそうで、程よい苦味の甘辛いお味噌を、圧力鍋で炊いたツヤツヤの白米で美味しく頂きました。
春の恵みを味わえて、得した気分になりました。


コーヒーマイスター

午後も少し作業をし、キリの良いところで止めると畑の方に歩いてくる人がいました。
この施設の会員さんで、コーヒーの差し入れに来てくれたとのことだったので、みんなで少し早めのおやつ休憩をとりました。
その方は趣味でコーヒーマイスターの資格を取得したとのことで、持参した季節限定の豆を挽いて丁寧にコーヒーを入れながら、コーヒーの入れ方のコツなどを教えてくれました。
その方のコツは、はかりを使って豆とお湯の量をきちんと一定にすることと、挽いたコーヒをコーヒーメーカーに入れお湯をかけて蒸らすときに、お湯が均等にいき渡る様に、バターナイフを使って湿った粉に切り込みを入れることでした。

贅沢なコーヒータイム

コーヒーは、ぬるくなってからの方が甘みが増すとのことだったので、少しおいて、ドーナツと一緒に頂きました。
私は常々、酸味のあるものやビターなもの、種類やブレンドによって味が違うことなどから、ワインとコーヒーには通ずるものがあると思っており、そんな話をしながら贅沢なコーヒータイムを楽しみました。
帰りは、その地域の駅前のお店で地元の食材を購入し、キャリーケースいっぱいに詰め込みました。
海が近い地域なので、野菜や果物の他にも新鮮な海の幸や加工品が揃っていて、私たちはいつも帰りにここで買い物をします。
今回は、ゴールデンウィークに帰省する際のお土産も購入しました。


不思議なワインバー

時間に余裕があったので、以前から気になっていた、地元産のワインが味わえる週末だけオープンワインバーへ行ってみました。
想像していたお店の雰囲気とは若干違いましたが、ボトルに残ったワインの保管はきちんと真空がなされ、リーデル社製のグラスを使用していてセンスが良く、シックでシンプルなお店の造りは居心地が良かったです。
午後3時から営業していてカフェメニューもあったので、私はワインを、娘は地元産のアップルティーを注文しました。
このところ、ずっと舌が痛くて赤ワインから遠ざかっていたのですが、やっぱりせっかく飲むならと、地元で有名なワイナリーの赤ワインを2種類頂きました。

絶妙な味わい

薄いグラスから舌の上に流れるワインを味わうと、どちらのワインも適度な重みと濃厚な果実味が感じられる絶妙なバランスで、グラスで1000円程のお値段に値していると思いました。
ワインと一緒に注文した『3種のおつまみ盛り合わせ』は、地元産の無農薬の枝付きレーズン地元の野菜のお浸しと和え物で、枝付きレーズン以外は私がイメージしたものとは違い「チーズや生ハムじゃなくて、地元産の野菜推しなんだな・・・」と思いました。
美味しい赤ワインをグラスで2杯頂きエンジンがかかり、もっと飲みたくなったのですが、大荷物を持ってバスで帰らなくてはならないので、おとなしく帰りました。


大人への道

ワイン葡萄の栽培指導をしてくれているワイナリーのワインが発売されていたので2本購入し、キャリーバックいっぱいに持ち帰った海の幸やその地域産の野菜、お惣菜と一緒に家で頂きました。
コクがありつつもスッキリと飲めるロゼワインで、一晩で一本飲みきってしまいました。
年齢と共に肝機能や腎機能が低下してきているので、最近はフルボトルのワインを一本空けると次の朝まで酔いが残ってしまい「あぁ、半分にしておけば良かった・・・」後悔を繰り返しつつ、気に入ったワインと大好きなシャンパはつい一本飲みきってしまうので、そろそろ『ちゃんと我慢ができる大人』にならなくてはと思っています。

次回のワイン葡萄の栽培作業は5月半ば、今からとても楽しみです★

どうぞよろしければ、娘氏のブログもご覧ください。

n-a-creation.hatenablog.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com www.n-a-creation.com