『ワイン体験レポート2年目』8月


始発のバス

2018年8月4日(土)に、ワイン葡萄の栽培作業をしてきました。
今回は娘が5泊6日のサマーキャンプに参加中だったので一人で行ってきました。
天気予報によると午後から雨で、朝の9時から作業を始めて午前中には完了させたいということになり、私は朝5時に起きて始発のバスに乗りました。
始発ならバスでも時間がそんなにズレることなく来るだろうとバス停で待っていたのですが、お目当てのバスがなかなか来ず、予定の時刻を5分、10分と過ぎていく中「もしかしたら、始発は道路が空いているから逆にだいぶ早くバスが行ってしまったのかもしれない・・・どうしよう・・・」と不安になり次のバスの時刻を確認すると、遠くまで行くバスの為1時間後まで便がありませんでした。

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一人旅気分

肩を落として途方に暮れているところへようやく待ち焦がれていたバスが到着し「あー、良かった!まったく・・・朝からハラハラさせるアイウォンチューだぜ★と、安堵のあまりちょっぴりおかしなテンションでバスに乗り込み、焦りと緊張でカラカラに乾いた喉をレモン水で潤しました。
久しぶりの単独行動で、ちょっとした一人旅気分に浸りワクワクしていたので、車窓からの見慣れた景色もとても新鮮に感じられました。
「そういえば独身の頃はオーストラリアやヨーロッパを一人で旅して、なかなかの冒険をしたなぁ・・・」と、いろんな国を訪れたことを思い出しながら懐かしい気持ちでバスに揺られ「今度は娘と二人旅でどこの国を訪れようかなぁ・・・」と考えていました。


彩とりどりの風景

ワイン葡萄畑がある施設に着き敷地内を見渡すと、何だか全体的にグレードアップしているように思えました。
の他に馬が2頭仲間入りし、ニワトリたちも変わらず元気そうでした。
馬たちのエリアは羊とは分かれていて、除草用に迎えた馬で調教などはされてなく人に慣れていない為、撫でたり乗馬したりは出来ないとのことしたが、馬を近くで見る機会もなかなかないので、観察するだけでも私には楽しく思えました。
屋根付きのテラスデッキが、自然の中でゆったりと寛げる優雅な空間を演出し、敷地内の花や農作物はボリューム満点に育ち、彩とりどりの風景でした。
春に植えたワイン葡萄の苗木もいくつかは順調に育っており、いずれワイン葡萄棚に移植するのが楽しみになりました。

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夏のワイン葡萄

ワイン葡萄棚のエリアに行ってみると、ツルが棚の一番上のワイヤーよりも高い位置まで伸び、葉がフサフサと繁っていました。
棚の一番下のワイヤー辺りには可愛らしいミニチュア版の、緑色の葡萄がいくつもぶら下がっていました。
昨年、私は夏のワイン葡萄栽培作業に参加出来なかったので、この時期のワイン葡萄の成長状況を目にするのは初めてで、小さいながらも張りのあるしっかりした葡萄の実を見て、大地の恩恵と逞しい生命力に感動しました。
施設のスタッフにワイン葡萄の状況を聞くと、今年の6月は雨が多かった為、ワイン葡萄たちは果実としてよりも植物としてどんどん成長してしまい、ツルや葉だけがやたらと育っていて、葡萄の実の数は予想していたより少ないとのことでした。


長雨の影響

ワイン葡萄栽培を指導してくれている近所のワイナリーのオーナーは、本当なら今年は昨年の2倍の葡萄の実の数が期待できたところ、長雨でどんどんワイン葡萄のツルが伸びてきたときに、ツルの成長にそれ以上養分を取られるのを止め果実の成長に栄養分を与える為に、伸び続けるツルの先を切る『摘芯』という作業をしないでしまったせいだと後悔していたそうです。
今年は、その地域全体のワイン葡萄畑が同じ様な状態で、雨の中まめに『摘芯』を行ったいくつかのワイン葡萄畑だけは多くの実がついているとのことでした。
私としては昨年と同じくらいの量の収穫が見込めるのなら、あとはワイン葡萄の品質ワインの醸造方法昨年を上回る味のワインが出来上がればオッケーかなと思いました。


『除葉』と『摘芯』

夏のワイン葡萄の栽培作業『除葉』『摘芯』で、今回の『除葉』は葡萄の実の為に風通しの良い環境を作ってあげ、カビや病気の発生を防ぐというものでした。
葡萄の房のすぐ上にある葉は、土から養分を運ぶ為に必要なので残さなくてはならないのですが、葡萄のツルが交差していたり密着していたりで取り除くべき葉と残すべき葉の見極めが難しい作業でした。
『除葉』はワイン葡萄棚の両側から念入りにチェックしないと、繁った葉に葡萄の房が隠れていて見えないので、集中力と時間を要しました。
『摘芯』は長く伸びているツルをワイン葡萄棚の一番上のワイヤーの位置で切り揃え、どんどん伸び続けるツルに栄養分をとらせずに、果実の成長に栄養分を与える為の作業で、特にコツなどはなくとにかく切り落とすという感じでした。

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危険がいっぱいの夏

ツルも葉も主役の果実に負けず日々成長し続けるので『除葉』『摘芯』は今後、定期的に繰り返される作業のようでした。
また、雑草にワイン葡萄の成長に必要な土の栄養分をとられないように、ワイン葡萄棚の周りの『除草』も同様に繰り返し必要となる大事な作業で、鎌や草刈り機を使いまめに行われていました。
ワイン葡萄の葉に小さなコガネムシがついていて、作業をしているとボロボロと落ちてきたり、葉の裏に毛虫がついていたり、ハチやアブが飛んできたりと、夏のワイン葡萄栽培作業には危険がいっぱいでした。
ワイン葡萄棚のすぐ隣のエリアには2頭の馬がいて、岩塩を舐めて塩分補給をしていました。
馬の背中にはたくさんのアブがくっついていて、馬が体を揺さぶって追い払ってもなかなか離れず、気の毒なくらいでした。

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サクランボ狩り

10時半になると屋根付きのテラスデッキ手作り感溢れるお洒落な木のテーブルには、冷たい麦茶、地元特産の林檎ジュースお菓子の他に、一緒にワイン葡萄の栽培作業をしていた人の差し入れのキュウリの浅漬けや昨年この施設で収穫して冷凍していたサクランボが用意され、小休憩は素敵なお茶会になりました。
その後、またワイン葡萄棚に戻り、それぞれ黙々と作業を続け、午後1時前には作業が完了しました。
施設のスタッフに誘われ、午後から果樹園にサクランボ狩りに行くと、大きな木にルビーのように赤く輝くサクランボが散りばめられていました。
もうシーズン終了間際だったので木の高い所にしか実がない状態で、けっこうな高さの脚立に上って摘まなくてはならず、私の初のサクランボ狩りかなりハードなものとなりました。

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美しい果樹園

完熟した大きなサクランボをさっそく摘んで食べてみると驚くぐらい甘くて、腰に下げたカゴにせっせとサクランボを摘み入れる合間にいくつも食べました。
敷地内にはプラムやブルーベリー、ラズベリー、カシス、カラントなども植えられていて、休憩後はブルーベリー狩りをしました。
ラズベリーはそんなにないから、味見程度に摘んで食べてみて」と勧められたので摘んでみると、実が崩れやすく摘むのがとても難しく「洋菓子用のラズベリーや冷凍のきちんと整った形状のラズベリーは、一体どんな風に収穫されてるんだろう?!かなり高度な職人技だよなぁ・・・」と思いました。
食用葡萄の棚もあり緑の立派な葡萄の房がぶら下がっていて、その果樹園は美しい絵画のような景色も楽しめる場所でした。


本日の収穫

果樹園で摘んだサクランボブルーベリーを1パックずつと、ワイン葡萄棚のある施設でもらった特大のズッキーニシソの葉を手に、私は帰りのバスに乗りました。
盛り沢山な1日だったので、帰りはいつものように車窓から大好きな日本海の景色を眺め終えると心地良い眠りにつきました。
家に着いてすぐに、数日後に帰ってくる娘の為にサクランボブルーベリー冷凍保存しました。
ズッキーニは他の野菜や豚肉と一緒にガーリック炒めにし、シソの葉は焼いた鶏肉を巻いて南蛮味噌をつけ、レッドアイ(ビールとトマトジュースのカクテル)と共に頂きました。
暑い夏はやっぱり、肉と野菜、トマトのリコピンパワーで決まりです!
愛しい老猫ちゃんとソファに並んで静かに寛ぎながら、早朝から健康的大自然の中で過ごした私の長い一日は幕を閉じました。

大地の恵みに感謝です★

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お疲れ気味な心たち


忘れがちなこと

人への対応の仕方には『ちょっとした違い』が多く潜んでいて、それにより笑顔良い関係が生まれたり、不要な憎み合い争いが生まれたりします。
人に挨拶をされた際にきちんと挨拶を返すのか、失礼な態度で無視するのか、お互いにぶつかってしまった際に「すみません」と謝るのか、「お前が悪いからぶつかった」と文句を言うのか、そんな些細な事からでもお互いに受ける印象や抱く感情は大きく違い、大人でも小さな子供のように感情のコントロールができなくなり争いに発展します。
大人が子供と同じレベルの行動をしてしまうなんて情けないようにも思いますが、きっと忙しい日々の中で直面する様々な問題が多すぎると、誰もが当たり前に守れていたマナーだとか思いやりだとか、そんな大切なことをつい忘れてしまうのかもしれません。

手の掛かるお年頃

先日、4~5歳ぐらいのやんちゃな男の子を連れたお母さんが、スーパーのレジで多くの小銭をバラバラと落としていました。
小銭を拾い集めるお母さんに、近くを通りかかった年配の女性が「ここにも落ちてますよ」と小銭を指さしながら教えてあげると、そのお母さんは「わかってます!」迷惑そうに冷たく答え、年配の女性は「だったら早く拾えばいいじゃないの」と気分を害して立ち去りました。
親切で声を掛けている人に対してそんな態度をとらなくても、ただ「はい」と答えれば済む話だと思いましたが、きっとあのお母さんは言うことをきかずにいろんなことをしでかすお年頃の子供を育てる日々に疲れてるのかもな・・・と、可哀想に感じました。
私も娘があのくらいの頃は育児がしんどかったと思い出し「あと少ししたら段々と手が掛からなくなるから、それまで頑張って!」と思いました。


通勤電車にて

ある朝、通勤の際に駅で眼の不自由な若い女性に会いました。
混雑する電車なので、その女性が無事に乗れるのか心配で、どこまで行くのかと声を掛けると私と同じ駅だったので、私はその女性と一緒に電車に乗ることにしました。
電車が到着し、いつも通りもみくちゃになりながらその女性と電車に乗り込み、安全そうなポジションを確保すると、「もう少し下がってもらえませんか?」「あぁ?嫌だよ、うるせぇな!」というやりとりが聞こえてきました。
どんどん人が乗ってくるのに、自分が立っている場所から一歩も動かない若い男性がいて、スーツ姿の男性が「乗る人がたくさんいるんで、ちょっと場所を空けて下さい。」と促していたのでした。
それに対して若い男性は再び「だったらお前が下がればいいだろ!」と乱暴に言い、スーツ姿の男性は呆れて言葉を失っていました。

苛立つ若者

電車が発車するとスーツ姿の男性が「皆が乗りやすいように少し動いて欲しいと言っただけなんですよ」と再び言うと「うるせぇよ!お前が動けばいいだろ!」と若い男性が攻撃的に返し、次の駅まで電車の中は不穏な空気でした。
私はそんな態度をとる人間の顔とナリが気になったのですが、一緒に電車に乗った女性を揉め事から遠ざけ、きちんとサポートするという(勝手に自分で決めた)重要なミッションがあったので、わざわざ振り返ってその若い男性の顔を見ませんでした。
社会で生活する以上、人に対して乱暴な話し方をするのは明らかにマナー違反ですが、きっとその若い男性はそんな最低限のマナーを守る余裕もないほど、何らかの大きな不満不幸を抱えていたのでしょう。
私はその若い男性の幼稚な行動を残念に思いつつも、その若者が早く苛立ちから解放され、優しくなれたらいいのになと思いました。


投げやりな講師

他人に話しかけられたり質問されるだけで、攻撃をされたと思い込み、ムキになって過剰に反応している人をたまに見かけます。
私は娘がまだ小さい頃、母親として我が子の身の安全を守る為にいろんな知識を身につけようと、救命講習を受けに行きました。
質疑応答の時間に年配の男性講師に「何か質問はありませんか?」と言われたので手を挙げると、あからさまに「何だお前は!俺様の説明に何か不満があるのか!」というような表情をされ、私は「えっ?」と戸惑いながらも、いろんな状況が重なった場合の優先順位について質問をしました。
すると「まぁ、臨機応変に対応するしかないでしょう。」投げやりな回答をされたので、この人に質問をしても意味がないと判断し「わかりました」と言って、後日、他の方法でその答えを得ることにしました。

弱さの表れ

私は、自分が欲しい知識を得る為に合理的に行動し、知識を手に入れる方法何パターンも考えるので、その年配の講師の面倒くさそうな返答や態度に別に困りはしませんでしたが、私が講師だったら興味を持って真剣に聞いて質問までしてくれることに感謝し、きちんと丁寧な説明をするし、意見があがれば「おぉー、なるほど!」と素直に受け止めて参考にするけどなぁ・・・と不思議に思いました。
『質問=自分に対する攻撃』と捉えてしまう人というのは、自分の考えや発言に自信を持てない弱さや、常に人に攻撃的な態度をとられ続けた結果、反射的に防御の姿勢をとる習慣があると思われるので、もしもその男性講師が自分を高圧的に見下す人に囲まれて、ずっと委縮しながら生きてきたなら苦しかっただろうなぁ・・・と思いました。


二人の女性

つい最近、職場のお手洗いで「臨時職員なんかに情報は見られないようにすればいいのに!」強い語気で話している二人の女性を見かけました。
その女性たちが臨時職員で、仕事が広がり過ぎて大変だから「自分たちになんか情報を見せないでくれたら仕事の負担が減るのに!」という意味合いなのか、自分たちは正職員で「臨時職員なんか信用できないから情報なんて見せたくない!」という意味合いなのか、あまり知らない人たちなので判断がつきませんでした。
前者だとしたらよほど仕事が大変なんだなぁ・・・と不憫に思いますが、後者だとしたら同じ職場で働いている人に対する差別的発言にかなり引きます。
そんなに重要な情報ならば企業が責任を持ってきちんと管理すべきであって、臨時職員がそんな言われ方をするのはずいぶんと酷い話だと思いながら、私は年上であろう緩い服装の二人の女性を眺めていました。

スキルと知識

社会問題となっている雇用の格差について私は、正社員と非正規社員の間にある違いは優遇されるかされないかという運の良し悪しと御縁の問題で、実力の優劣によるものとは限らないと思っています。
新卒で正社員として雇用されたとしても、何らかの理由で退職して他の会社に就職すれば、ヘッドハンティングでもない限り中途採用という理由で自動的に非正規社員として迎えられるのが現代の一般的な流れだと思います。
ある企業ではチームを率いて優秀な仕事をしていた人が、違う企業に就職すれば立場も待遇も変わり、そこでの勤続年数は0からのスタートになりますが、その人の『スキルと知識』までもがリセットされる訳ではないので、場合によっては前からその企業で働いている人よりも実績をあげることだって当然あり得る話なのです。


正当な評価

待遇に差がある人間同士が一緒に働く以上、優遇されている人間低待遇の人間よりも仕事をしなかったり、同じくらいの仕事しかこなさなかったりすると、様々な問題に発展してしまいます。
また、低待遇の人間が優遇されている人間と同じ責任や働き方を求められるのもおかしな話で、やはり労働に見合う対価が支払われるべきだと思います。
『勤続年数』『立場』を武器に自分を優位に見せようと必死な人も稀にいますが、私は『仕事の勝負は仕事でするもの。仕事ができない人間に発言権なんてない。』というのが暗黙のルール下剋上的な環境で働いてきているので、職場においては誰のことだろうと仕事に対する姿勢や実力でしか評価しませんし、媚びへつらったりもしません。
勤続年数が短くても、向上心が強く応用力に長けている人間には敬意を払い、立場や年齢に関わらず学ばせてもらいたいと思います。
社会が肩書き重視のスタイルを卒業し、誰もが実力に見合った正当な評価を受けられるようになれば、働く人間のレベルが上がり事業の質がより良くなると私は考えます。

疲れた心に響く言葉

吐き捨てるような口調『臨時職員』の話をしていたあの二人の女性の発言の意図愚痴なのか差別なのか今も気になるところですがヘイトスピーチだった場合は企業の社会的信用に関わるので)、彼女たちの歪んだ表情を思い出すと「ストレスだらけで幸福感を持てない人生を送っているのかなぁ・・・」気の毒に思います。
そして最近の私もまた、蓄積された不満や怒りに支配されてあの二人の女性のように歪んだ表情になっていたであろうと自分を振り返り、反省し、原点に返るべくブルーハーツ『青空』『人に優しく』を聴き、その歌詞を噛みしめました。
子供の頃に当たり前にできていた真っすぐなものの見方シンプルな考え方人に対する優しさは生きていく上でとても重要なのに、失くしてしまうのは怖いことです。
お疲れ気味な心に響く言葉が詰まったその2曲を、よろしければ皆様もぜひ聴いて歌詞に注目してみて下さい。

♪ 聞こえて欲しい、あなたにも・・・『頑張れー!』

『オーストラリアの動物たちと』Vol.3


様々なビザ

人生初の海外旅行オーストラリアを選び、2か月半程の滞在を終えて帰国した私は、オーストラリアの大自然と動物たちにすっかり魅せられ、再びオーストラリアに行く計画を練り始めました。
海外に滞在する為にはビザが必要となり、国によって規定が異なります。
オーストラリアの場合は3か月までの滞在であれば『ETAS』というビザが必要で、取得はそう難しくありません。
それ以上の滞在の場合は、就労ビザ学生ビザなど、目的に応じて様々な条件をクリアしている人にだけ与えられるビザが必要になります。
オーストラリアと日本の間で協定を結んでいる、1年間の滞在と働いて収入を得ることが可能な『ワーキングホリデイビザ』というものもあり、これは年齢制限があるのですが取得は比較的簡単です。

新たな思いつき

日本とのワーキングホリデイ協定国にはニュージーランド、カナダ、イギリス、ドイツなどもあり、全部で18~19か国程です。
(協定の打切りや新規の登録で変動があります)

当時、私は『ワーキングホリデイビザ』の取得制限にまだ間に合う年齢だったので、そのビザを取得して活用することにしました。
1年間の滞在が条件ではなく、3か月以下や6か月程の滞在に利用してもそれは個人の自由で、働かずに観光だけをして過ごしても問題ないという、使い勝手の良い便利なビザでした。
せっかく1年間の滞在ができるのだから、その期間を有効に使い意義のあるものにしたいと思い、やりたいことをあれこれと考えた末、動物好きな私は「そうだ!オーストラリアの動物園でボランティアとして飼育員のお手伝いをしてみよう!!」と思いつきました。


目標と実行

目標が決まれば、あとは実現に向かって実行あるのみで、私はオーストラリアの動物園で飼育員のお手伝いをするチャンスを掴むべく思考をフル回転させ行動を開始しました。
まずは英会話教室で、実際に生活の中で使う言葉や表現方法を更に身につけ、自分の言葉で自分の想いを正確に伝える為の取組みをしました。
世間には、料金を支払えば動物園で職業体験ができるという観光者向けプログラムもあり、それを利用すれば簡単に叶うことでしたが、そういったサービスでお客さんとして動物と関わるのではなく、自分の力でチャンスを掴みたかったので、私はオーストラリアの動物園などの施設をインターネットで調べ、30か所程の施設に「どうぞボランティアとして飼育員のお手伝いをさせて下さい!」というお手紙を書き国際郵便で送りました。

私の伝え方

Eメールを利用すれば費用も手間も掛かりませんでしたが、私は敢えて自分の動物に対する気持ちや、どうして飼育員のお手伝いをするチャンスが欲しいのか、自分はどんな考えを持った人間なのかなどを1枚1枚に手書きでしたため、自分の想いと情熱を相手に伝えました。
一般的には、動物に関わる職業を目指している学生などが、必須研修として、 動物園で飼育員のお手伝いをするようで、私は動物に関して学ぶ学生でもなく、動物に関する特別な知識がある訳でもなかったので、お断りのお返事が次々と返ってきました。
日本からの突然のお手紙に対し、ほとんどの動物園がきちんとお返事をくれ、幾つかの動物園はわざわざ国際郵便でお返事をくれたことに感動し、「やっぱり動物に対する思いやりがある人たちは優しいなぁ・・・」と思いました。


念願のチャンス

そんな中、一か所だけ私を受け入れてくれるお返事をくれた動物園がありました。
南オーストラリアにある動物保護施設で、担当者からのEメールには「あなたの動物に対する気持ちと、動物の為に働きたいという熱意が伝わりました。滞在場所や費用の援助はできませんが、それでも良ければボランティアとして受け入れます。」とあり、私はすぐに「受け入れのお返事に感謝します!ぜひよろしくお願いします!!」という内容の返信をしました。
受け入れて貰える日程が決まり、それをメインに考えてオーストラリア滞在の具体的な計画を立て始めました。
オーストラリアに渡ってすぐにその動物園に向かうのではなく、しばらく滞在して英語の環境に慣れてから飼育員のお手伝いを始めたいと思い、準備期間を設けました。

絶景の動物園

オーストラリアに渡り、初めにシドニーでホームステイをしました。
ホストファミリー宅にはスタンダードプードルトイプードルがいて、どちらもフワフワした白い毛が可愛らしく、私の良き遊び相手になってくれ、トイプードルは毎晩一緒に寝てくれました。
シドニーはオーストラリアで一番大きな都市で、ホストマザーによるとその都市の動物園は『世界一景色が綺麗な動物園』だそうで、私は早速フェリーに乗って行ってみました。
高台にある動物園にはビューポイントがあり、海の向こうにオペラハウスハーバーブリッジが見える絶景で、ホストマザーの言葉に納得しました。
動物越しに緑の木々青い海白い高層ビルが見え、自然と近代都市の不思議な融合が楽しめる、ダイナミックなパノラマが印象的でした。


イルカのご挨拶

オーストラリアで一番大きな都市の動物園だけあって、全てのエリアの造りがそれぞれ凝っていてとても豪華でした。
シドニーでは州の法律コアラを抱っこすることができないので、飼育員が抱っこしているコアラと並んで記念撮影をしました。
帰りにフェリーのデッキから深い青色の海を眺めていると、イルカがプカリと姿を現してフェリーを追いかけてきてくれました。
「さすがオーストラリア、湾にもイルカが普通にいるんだぁ!」と感激し、帰宅して夕食の際にホストマザーにその話をすると「それはとても珍しいことよ。あなたは運がいいわね。」と言われ、再び嬉しくなりました。
シドニー水族館は、ガラスのトンネルを通りながら魚たちを眺められる造りで、トンネルの上で寝ているサメたちのお腹を、下からガラス越しに見られるのが面白かったです。

異なるペット事情

一か月間のシドニー滞在を終え、次はメルボルンに滞在しました。
メルボルンはオーストラリアで二番目に大きい都市で、シドニーよりもコンパクトな中心街が行動するのにちょうど良い大きさで便利でした。
ホストファミリー宅は植物園に近い閑静な住宅街にあり、毛がフサフサした猫がいました。
州によって法律が違い、かれこれ15年前の話なので現在はどんなペット事情になっているのかわかりませんが、夜行性狩りをする習性があるは、国の大事な保護野生動物を殺してしまうので、ケアンズでもメルボルンでも夜になるとケージに入れられ、困った存在として扱われていたような気がします。
ちなみに、日本ではペットとして人気のウサギも、オーストラリアでは庭の草木や花、野菜など何でも食べてしまうので、害虫扱いされているようでした。


野外レッスン

私がボランティアとして飼育員のお手伝いをさせてもらえることになった動物園は、メルボルンから車で二時間ほどの地域にあり、メルボルンでの滞在を終えたらいよいよその動物園で私のスペシャルな体験が始まる予定でした。
それに備えて私は、私の英語のプライベートティーチャーでもあるホストマザーと一緒にメルボルンの動物園に何度か出掛け、動物についての表現や会話をメインに英会話の野外レッスンをしました。
タスマニアンデビルが人懐っこい様子で私の方へ寄ってきてくれるので、動物園に行く度にしばらく見ていました。
飼育員のことが大好きで集団でついて歩く小さなペンギンたちがいて、その内の2羽が飼育員の靴の上にちょこんと乗ったまま降りず、飼育員が動けずに困っている姿を、私は今でもはっきりと覚えています。

ラッキーな展開

メルボルンを後にし、電車とバスを乗り継いで、ついに飼育員のお手伝いをさせてもらえる動物園に到着しました。
受付で担当者を呼んでもらうと、飼育員の責任者がやってきました。
私の受け入れを許可してくれた担当者は、急な事情で少し前にその動物園を退職し、誰も私の受け入れの件を引き継いでいなかったのですが、私は念の為に担当者からのEメールをプリントアウトして持参していたので、それを見せ無事に予定通り受け入れて貰えることになりました。
私に素敵なチャンスをくれた担当者に会えないのは残念でしたが、新しい担当者がまだいない状態の為、それぞれのセクションの飼育員たちが順番に私の世話をしてくれることになり、通常ではどれか一つのセクションでしか飼育員のお手伝いができないところ、私はいろんなセクションでお手伝いができることになりました。
一歩間違えれば受け入れて貰えないということにもなりかねない状況だったのに、結果ラッキーな展開となりました。

本格的な飼育員のお手伝い体験のお話は、また『オーストラリアの動物たちと』 Vol.4にて★

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心のグラスを満たすアート


早起きの休日

先週の土曜日に、娘と美術館に行きました。
4月からスタートし、先週末で終了する美術展があり、開催期間の最後の週末は私たちの様に滑り込みで来館する人で混雑すると思い、なるべく人の少ない早めの時間に美術館に行けるように早起きをして出掛けました。
晴れたり曇ったりの空模様でしたが気温的には穏やかな日で、お散歩がてら歩いて美術館に行くと、既に来場者でいっぱいでした。
以前、私がよく行っていた東京のプライベート・アートミュージアム(個人所有の美術館)の美術展で、現在その美術館は建て替えの為に長期休館中ということもあってか展示作品数が多く、第2会場も設けられていました。

懐かしい絵画たち

会場に入り、いつもの様に人混みから少し離れた場所で、絵画全体が見えるポイントタイミングを上手く見つけて展示作品を眺めました。
ほとんどの作品は東京で何度も見ていたものだったので「お久し振りですね」と心の中で絵画たちに挨拶をしながら、その当時を思い出し懐かしい気持ちで鑑賞しました。
第1会場は主に洋画の展示となっており、その中の私のお気に入りはモネルノワールの作品でした。
娘はルノワールが描いた少女の肖像画の、優しい瞳の輝き肌の美しさに目を奪われ、肌の色の描写に水色を使用していることに衝撃を受けていました。


ユニークなアート

小川が流れる音を聞きながら、初夏の緑が綺麗な庭園を通って第2会場になっている隣の美術館へ移動しました。
そこには日本人画家の作品が展示されていて、海外の印象派の有名画家たちの影響を受けて描かれたと思われる作品も幾つかあり、シャガールピカソカンディンスキーの融合のように見えたり、ピカソとダリの融合のように見えたりして面白いなぁと思いました。
第2会場では、私も娘も藤田嗣治を描いた作品が気に入りました。
こじんまりとした美術館は、階段のシルバーの手摺りがクネクネと曲線状になっていたり、二階の踊り場はバルコニーになっていて階下の展示スペースを眺めらるようになっているユニークな設計でした。

私のトライ

美術に興味があり、素敵な空間アートに囲まれて仕事ができたら最高だと思った私は、以前その美術館の受付・監視員の募集に応募したことがありました。
娘が小学生の内は、土日は娘と一緒に過ごしたいと私は考えており、面接に出向いて仕事の内容などを詳しく聞いたところ、土日も含めてスタッフ全員でローテーションを組むとのことで、私の希望条件と先方の希望条件が一致せず、残念ながら採用には至りませんでしたが「まぁ、こういう類の仕事で土日に休めるなんて都合の良い話はそうそうないし、仕事の仕組みや応募の要領がわかっただけでも、勉強になって良かったなぁ・・・」と思いました。

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グッジョブな娘

第1会場に戻り、ミュージアムショップでグッズを見ました。
ミュージアムショップには、面白いアートグッズがいっぱいあるので、美術館に行った際に私は必ず立ち寄ります。
家には、私が過去に訪れた国内外の数々の美術館ミュージアムショップで購入したグッズがけっこうあり、飾る場所がなくて段ボール箱で何箱かしまってあるので、これ以上購入しないよう私は娘に「ママがアートグッズや絵画を買いそうになったら絶対に止めてね!」と頼んであります。
いつもそのミッションを忠実にこなし、今まで何度も私の浪費を阻んでくれている娘には『グッジョブ、サンキュー★』という気持ちでいっぱいです。

もう一つの美術展

ミュージアムショップの隣に、藤田嗣治リトグラフが展示されているスペースがあったので行ってみました。
その美術館では、日本に魅かれ12年にわたり日本に滞在して画家たちと交流を持ったアメリカ人の所蔵品の美術展も開催されており、その展示作品の中から一部のリトグラフを展示販売しているとのことでした。
藤田嗣治珍しい作品が展示してあると聞き、私と娘はせっかくなので鑑賞することにしました。
絵画の他に、画家たちから友人として受け取ったカードや手紙なども展示されており、センスの良いイラスト入りでどれも可愛らしかったです。

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魅かれる画家

私も娘も、猫好きという共通点がある藤田嗣治が大好きで『きのこカットに丸メガネの猫好きなおじさん』と表現し、深い愛着を持っています。
猫好きが知る、ありがちな猫の仕草を描いた作品に、気持ちがほっこりします。
私は、絵画ではゴッホ、モネ、シャガールなどの作品が大好きなのですが、作品と画家本人の両方を合わせて考えると、自身の容姿を独特なファッションセンスでプロデュースしていた藤田嗣治サルバトーレ・ダリに魅かれます。
その美術展の展示作品を所蔵しているアメリカ人と日本の画家たちの交流を撮影した楽しげな写真を見て、私はミッドナイト・イン・パリという映画を思い出しました。

魅力的な映画

手掛けている仕事や、挑戦していることが上手く進まずにいた主人公の男性が、パリを訪れた際、画家たちが活躍していた華やかな時代タイムスリップし、才能溢れる画家たちとひと時を共に過ごして多大な影響を受け、消沈しかけていた情熱を取り戻し、新しい一歩を踏み出すという内容の映画で「私もあんな風に画家たちと時間を共有し、シャンパングラスを片手に語り合ってインスピレーションを受けることができたら素晴らしいだろうなぁ・・・」と、うっとりと憧れていました。
タイムスリップした時代の再現や画家たちの描写にとても凝ったその映画を、今度は娘と一緒に観たいと思いました。

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洗練された空間

日本のプライベート・アートミュージアムでは、倉敷の大原美術館、箱根のポーラ美術館、東京のブリジストン美術館、福島の諸橋美術館などが有名だと思います。
私はまだ大原美術館には行ったことがなく、いつかはあの神殿の様な建物と、大原美術館展で展示されていない有名な所蔵品をぜひ見たいと思っています。
ポーラ美術館は、白い壁や天井、大きなガラスから射す自然の光が、明るく開放感のある空間を演出し、足を踏み入れたとたん自分が特別な存在になったような気持ちになりました。
テラス席もある上品なレストランは高級感と遊び心があり、その美術館は大人が森の中で羽を伸ばす為の洗練された場所でした。

ダイナミック&ワイルド

現在、ポーラ美術館には森の中を散策できる遊歩道があるそうなので、緑が綺麗な時期に訪れ、今度は美術鑑賞やお食事の他に森林浴もしながら、のんびりと過ごしたいと思います。
同じエリアにある彫刻の森美術館も、壮大な自然の中に幾つものダイナミックな美術品が点在し、ワクワク度が高かったです。
私が訪れた際に、カフェでシャンパンのキャンペーンをしていて、ヴーヴ・クリコのベビーボトル(一番小さいサイズのボトル)の口にオリジナルのシャンパン・ポアラーを差し込んでボトルのままワイルドに飲むという斬新なスタイルシャンパンを楽しんでいるのがカッコよかったです。


緩く長い目標

私は、自分が感銘を受けたものや風景をできる限り娘にも見せたいと思っており、中でもそれらの美術館は外せない場所なので、いつか必ず箱根で温泉と美術鑑賞の旅をしようと思っています。
そのときは、大自然の中のアートを楽しみながら、カフェでシャンパを娘と一緒に味わいたいので、その旅行はあと9年以上先の話になります。
私のしたいことの多くは、娘が大人になってからのことなので、それまではとにかく健康でしっかり動ける状態でいるのだと自分に言い聞かせ、自己の健康管理緩く長く励むつもりです。

お気に入りの美術館

福島県諸橋美術館は、大きな池の水面に建物が映るメルヘンな景色が印象的で、サルバトーレ・ダリの作品が多く展示されているゴージャスな美術館です。
スペースを贅沢に使った展示方法も好きで、私は猪苗代湖へドライブがてら何度も訪れました。
そこには他の有名な画家の作品もあるのですが、私にはメインで展示されたダリの作品のインパクトが強すぎて、それ以外はあまり記憶にありません。
また、松尾芭蕉の俳句にも詠まれた山形県山寺にある後藤美術館には、ガレドームの作品が所蔵されており、ガラス好きな私はよく訪れ、アールヌーボーの優雅なガラスの芸術品を眺めていました。

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心のグラス

自分が好きな美しい芸術作品を鑑賞すると、まるで心のグラス『アート』という名のワインを注がれたように、潤いで満たされた気持ちになります。
仕事で忙しい毎日を送っていると、アートと関わることをつい後回しにして機会を失いがちですが、心に余裕がなく殺伐としているときこそ、感動で心を潤し感性を磨く必要があるということを、懐かしさと共に思い出しました。
今回の美術鑑賞で得たインスピレーションを活かし、今後も個性的な感性第一の生き方を楽しんでいこうと思います。

『ワイン体験レポート2年目』6月

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楽しみの共有

2018年6月16日(土)、娘と一緒にワイン葡萄の栽培作業に行ってきました。
今年のワイン葡萄の栽培作業は昨年とは違い、ランチと保険付きの4回の講座としてスケジュールが組んであり、会費制一般の人単発で参加が可能になっています。
4月の『ワイン葡萄の棚上げ作業』をした帰りに、地元のワインが飲めるワインバーに立ち寄った際に、転勤でその地域に引っ越してきて、ワイン葡萄の栽培を体験してみたいという女性がいたので、私が関わっている施設や『ワイン葡萄の栽培講座』の情報を教えたところ、今回その女性も参加していました。
私が提供した情報を基に、地元のワイン葡萄農家のお手伝いなどに参加して、いろいろと楽しんでいるとのことで、自分の情報が必要としている人のお役に立てて良かったなぁと思いました。

『芽欠き』と『除葉』

いつものように、近所のワイナリーのオーナーワイン葡萄の状況説明作業の指導をしてくれました。
雪の下で一冬眠っていたワイン葡萄の木をワイヤーを貼った棚に括りつける『棚上げ』という作業を終え、しばらくするとツルが伸びて葉がしげり、ツルの所々に芽が出ます。
その葉と芽の量が一本のツルにあまり多くありすぎると、養分が分散されて一つ一つの芽の育ちが悪くなるので、ある程度の量に統一する為に余分な芽や葉を取り除く『芽欠き』『除葉』という作業が必要となります。
私たちに指導してくれるワイナリーのオーナーの方針は、一本のツルに芽は2つぐらい残し、下側にある芽のすぐ下の葉は残してそれより下の葉っぱは全て取り除き、木やツルから新たに芽を出そうと生えている小さな葉っぱなども全て取り除くというものでした。


スパルタ指導

今年は、その地域のワイン葡萄全般の育ちがとても良い状態なのですが、害虫大量発生していて、その施設のワイン葡萄の葉はかなり虫に食べられているようで、酷く虫に食べられている葉は取り除き、虫を見つけたら踏みつぶしておく必要がありました。
葉が重なりすぎの状態になると風通しが悪くなり、ワイン葡萄の木の病気が発生しやすくなります。
また、虫に食べられているからと言って芽の下に葉が一枚も残らない状態になると、芽に必要な養分が運ばれなくなるので、そういった点も考えなくてはならず、慣れとセンスが必要となる作業でした。
私は昨年の作業の際にコツを教わっていたので、今年は本格的に作業への参加を始めた娘への指導に力を入れました。
子供の覚えの早さと私のスパルタ指導の効果もあり、私たち親子はスムーズに作業を進めることができました。

意識高い系ランチ

お昼になり、シェフをしていた経験のある近くの農家の方が用意してくれた有機ランチを頂きました。
地元の野菜を中心とした数々の料理がプレートの上に小分けに盛り付けられ、特別なご飯スープもついて、見た目もお洒落な『意識高い系ランチ』でした。
味付けは自然のものや自家製の調味料を使っているので、野菜そのものの味がよくわかりました。
スープには、近くの山で採ってきた若竹酒粕をふんだんに使われており、私のおばあちゃんがよく作ってくれた『孟宗だけと厚揚げの酒粕煮』を思い出しながら、旬の食材懐かしい味を堪能しました。
娘も初めて食べる味付けに興味津々の様子でした。
他の人たちが料理を口に運ぶ度に味の感想や作り方についてあれこれ話しているのに対し、私たちは会話に頷く程度で、一品一品を集中して味わいながら頂きました。


動物的な私たち

私たち親子は、他人とお食事をするときはコミュニケーションのマナーとして楽しくお話をして場を盛り上げたりはするものの、自分たちだけで本当に味わいたいものを食べるときはお互い食べることに没頭し、食べ終わるまでほとんど会話はせず、食べ終わってからあれこれと感想を述べ合うスタイルだと思い出し、きっと私たちの食べているときの集中力勢いは、動物が一心不乱に食べているときの姿に似ているだろうと思いました。
感性第一の動物的な直感で生きているから食べるときも動物の様に集中するのか、動物としての本能に忠実に食べることに集中する性質だから動物的な勘が働き感性が独特で豊かなのか、まるで『卵が先か、ニワトリが先か?!』みたいな話にもなってきますが「まぁ、いずれにしても野性的で何気に面白いよなぁ・・・」と自分で思って可笑しくなりました。

順調な午後

午後も引き続き『芽欠き』『除葉』の作業をしました。
ワイン葡萄の木が育ち始めると、雑草も勢いよく生えてくるので、を手に草刈り体験をする人もいました。
午前中は、迷い悩みながら『除葉』をしていた人たちも、段々と感覚を掴んで作業ペースが上がり、予定よりも早く作業が完了しました。
今年もそこの施設に仲間入りした羊たちがいたので、写真を撮ったりしました。
白い羊と茶色の羊が一頭ずつで、茶色の羊は人懐っこくて呼ぶと走ってきてくれました。
夏らしく毛が刈られていて、背中を撫でるとカフカの毛布のような出触りでした。
ティータイムには、摘みたてのミントティーポットに入れ、お湯で蒸らし『生ミントティーを作り、その施設の果物を使ってパティシエが作ったというゼリーのような洋菓子『パート・デュ・フリュイ』を頂きました。


ミントの魅力

『生ミントティーは、冷めてくると草の青っぽい香りが弱まり、贅沢なお菓子と一緒に美味しく頂けました。
ミントは生命力が強く、茎と葉だけを摘んだものを水に入れておくと根が出て、それを土に植えるとどんどん育ち、庭に植えると庭中がミントに占拠され、挙句の果てには近隣の庭にも広がってしまうので、植えるならプランターにした方が良いとのことでした。
小学校の理科の授業で育てる植物朝顔』『ひまわり』『トマト』『へちま』などを、なぜかきちんと栽培することができなかった私たち親子にも、ミントなら育てられるのではないかと思いました。
また、強く逞しく育つ力を持ち、お茶、スイーツ、お料理のアクセントにも使える多彩で魅力的な特性を持つハーブだと考えると『ミント』という子供の名前は、可愛らしい響きだけでなく意味があって素敵かもと思いました。

楽しい予感

お茶を飲みながら畑を眺めると、遠くに見える茶色の羊クマのように見えて一瞬ドキリとしました。
今年は生え放題の草を食べるという『除草』をミッションに、レンタルの馬が一頭その施設に仲間入りするらしく、次に訪れるのが楽しみです。
ワイン葡萄は7月になると、ミニチュアの葡萄のような形の芽から黄色の小さい花が咲くそうで、私はまだその花を見たことがありません。
次回、ワイン葡萄の栽培作業が講座として予定されているのは8月なのですが、来週からその施設には、イギリスの大学生たちが農業などの学習の為に1か月間滞在する予定とのことなので、外国人との交流ワイン葡萄の木の観察を兼ねて7月に娘と一緒にまたその施設を訪れられたらいいなぁと思いながら、新設された屋外のテントでバーベキューなどのイベントが開催されるのを期待しています。

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更なるお仕事

予定より早いバスに乗り、いつものように車窓から大好きな日本海を眺め、少し眠りながら帰りました。
朝早くから出掛けたワイン葡萄の栽培作業の後で、体力的には既にしんどかったのですが、娘の強い希望があったので、バスを降り電車に乗り換えて街のお祭りに行きました。
週末だったことと、お祭りの注目フードをテレビ放送した後ということもあり物凄い人混雑していて、長い行列ができているお店もいくつかあり、流れに沿って歩くのも一苦労でしたが、何とかお目当ての食べ物を買い、やっとの思いでゴール地点としていたホテルの広場に辿り着きました。
夕方で気温が下がり寒かったので、ホテルの広場でビールを飲みながら、人混みの中を歩いて出店で買ったチーズダッカルビ鶏皮餃子、ホテルで販売していたピラフなどを食べ、けっこうしっかりめの夕食となりました。

複雑な親心

家に帰ると愛しい老猫ちゃんが、お約束のお怒りのご様子で私たちを迎えてくれ、私たちは謝りながらしばらくの間ひたすら撫で続けました。
早々にベッドで横になり「年々、人混みの中を歩くのがしんどくなるなぁ・・・」とグッタリしながらも、来年から中学生になる娘があと何年ぐらいこうして私と一緒にお祭りに行きたがってくれるのかと考え、いずれ親離れしてくであろう娘の成長を想像して少し淋しくも感じました。
ワイン好きな私の影響で、娘は神の雫というワインをテーマにした漫画を読み「ママが美味しそうに飲んでいるシャンパンやワインを私も早く味わってみたい」興味を持っているので、私は娘が子供時代を卒業した後の新しい関わり方に想いをめぐらせ、心地よい眠りにつきました。
久しぶりにアクティブに楽しく過ごせた、充実感溢れる休日でした。

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最近の娘氏


無償の愛

ウチの娘氏は恐ろしいくらいに野比のび太のような資質を持ち、いつもパンチの効いたボケっぷりやダメっぷりで私を振り回してくれます。
平日のフル勤務で、日々、クタクタになるくらい精一杯働きながら育児をしている40代の私にとって、そんな娘氏の行動はかなりの打撃となり、たまに衝撃が大き過ぎて気絶しそうになりますが、それでも私は娘氏を心から愛しています
がっかりして途方に暮れても気を取り直し「愛しい我が子がきちんと社会で生きていける人間になれるように、責任を持ってしっかりと教え、見守り、育てよう!」と強く心に誓う度に、自分の中にある『母親の無償の愛』を感じ、母親として確実に成長していることを実感します。

娘氏の才能

6年生になった娘氏は、学校で1年生のお世話をする機会が増えたことで、責任感と頼りにされる充実感を知り、毎日張り切って登校しています。
1年生の子供たちにとても慕われているようで、いつも「みんな可愛いんだよ」「いっぱい面倒をみてあげたい」と楽しそうに話しています。
認められ必要とされる喜びが後押しをして、委員会やクラブ活動にも一段と積極的になり、仲の良いお友達も増え、いろんなことに活発に取り組んでいます。
娘氏には、子供や動物に好かれる空気感があるようで、それは生まれ持った才能なのだと思います。
人間には皆それぞれ、生まれ持った何らかの秀でた才能がありますが、私は娘氏が『平和的で好かれる才能』を持って生まれてくれたことを嬉しく思います。


万端な準備

すっかりお姉さんになった娘氏の姿を見て逞しさを感じ、安心していた矢先にいつもの残念なハプニングはやってきました。
5月末は大きな学校行事の第一弾として『運動会』があり、子供たちはほぼ毎日ジャージ姿で運動会の為の練習や準備に忙しそうでした。
子供の身体的な成長は早く、靴やお洋服のサイズがあっという間に変わってしまい「買い替えたばかりだと思ってたら、また買い替えなきゃいけないの?!」という感じです。
特に子供たちの学校生活に必需品ジャージやスニーカーは需要が多く、早く買わないと欲しいデザインやサイズが売り切れてしまうので、今年は早めに娘氏のジャージとスニーカーを何種類か購入し「これでこの一年間は大丈夫!」と安心していました。

テヘペロ』とため息

5月2週目のある日、私が帰宅すると娘が「今日、学校の帰り道で転んでジャージに穴があいちゃった!テヘペロー(≧▽≦)」と報告してきました。
『たいしたことないよ感』いっぱいだったので、さほど気にもせずにジャージを受け取って見てみると、膝の部分が大きく裂けていました。
「うわーっ!何なの、この状態は?!これじゃあ怪我も酷いんじゃないの?!」と娘氏の膝を見ると、大きな絆創膏が貼ってありました。
「ちゃんと水で傷を洗って絆創膏を貼ったよ。そんなに痛くないから走れるし。」と自信満々に『ちゃんとしてますから大丈夫です感』を漂わせる娘に「まぁ、痛くないなら何よりだけど、これは『テヘペロ』程度の穴じゃないよね・・・」と、ため息をつきました。


帰れない私

5月3週目のある日、私が帰宅し玄関のチャイムを鳴らすと、いつもはすぐにドアを開ける娘氏が出てきませんでした。
「お友達の家にまだいるのかな?」と思いながら鍵を出してドアを開けると、アチェーンが掛かっていました。
「???」と思い、何度も玄関のチャイムを鳴らしましたが、家の中からは何の反応もなく、ドアの隙間から娘氏を呼んだり、娘氏の携帯電話家の電話に何度もかけたり、しばらくの間あれこれ試みてみましたが、やはり無反応でした。
「具合が悪くて倒れているんじゃ・・・」「不審者が押し入って監禁されていたらどうしよう!」心配になり、これはもうアチェーンを切って家に入るしかないと思い、マンションのすぐ隣にある管理会社へ助けを求めに行きました。

大きな不安

管理会社の人がすぐに鍵屋さんに手配をしてくれ、マンションに到着するのに30分かかると言われ「家の中の人は無事なんですか?」と確認されました。
私は「中に入れなくて連絡もとれないので様子が全くわかりません」と答えながらますます不安になり、「110番に通報した方がいいんだろうか・・・それとも119番だろうか・・・」と考え、その場でもう一度、家の電話にかけて留守番電話に「ちょっと!寝てるの?!起きなさい!!いるなら電話に出なさい!!早く!!」と、管理会社の人が驚いて引くぐらいの大声で話しました。
それでも反応はなく、自宅前で鍵屋さんを待つように言われたのでマンションに戻り、再度、ドアチェーンが掛かったままのドアを限界まで開けて玄関のチャイムを鳴らしまくりました。


寝起きの娘氏

すると、リビングに通じるドアが開き、頬にくっきりと布団の痕をつけた娘氏が『今起きました』という表情全開でのっそりと現れました。
娘氏の姿を確認し「あぁ、無事で良かった・・・」と私は胸を撫で下ろし、ドア越しに「具合悪いの?どこか痛いの?大丈夫なの?」と確認しました。
「大丈夫。どこも痛くないよ。」という娘氏の答えを聞きホッすること二秒、次の瞬間、私の頭にはツノが生え「とりあえず、チェーン外してくれる?」と静かに言いました。
家に入り「えっ?何、寝てたの?!」と問う私に「いやぁ、あの、寝てたっていうか・・・その・・・」とモソモソと答える娘氏。
「私が帰ってくる時間にチェーンをかけたまま爆睡してたの?!(怒)
と更に問う私に娘氏は何とかとぼけようと必死の様子でした。

無情のゴング

「管理会社に行って、鍵屋さんをキャンセルしてもらってくる。」と言って、私は再び管理会社へと向かい、無事に家に入れたことを伝えて何度も頭を下げ、一歩一歩を踏みしめながらマンションに戻りました。
とても心配した分、何も考えずにぐっすりと気持ち良く眠っていた娘氏の自由過ぎる所業への怒りは大きく、家に近づくにつれ私の頭のツノは伸びていきました。
私のただならぬ殺気が伝わったようで、娘氏は私が玄関のチャイムを鳴らす前に「さぁママ、どうぞお入り下さい!」とばかりにサッとドアを開けて、素早く私を迎え入れました。
疲れ果てた身体40分近く締め出された私の怒りがそんな気遣い程度でおさまるはずもなく、ドアを閉めると同時にゴングが無情に鳴り響きました。


ハートの強さ

「一体どういうことなのか説明してもらおうか・・・」と問う私に「違うのママ、これは違うの・・・」とアワアワする娘氏。
「何も違わない!!」という言葉を皮切りに、娘氏の頭上にが落ちたのは言うまでもありません。
眠っていただけでこっぴどく叱られた娘氏を可哀相に思う方もいるでしょう。
ですが、娘氏はしょんぼりと反省している姿を見せていたと思いきや、夕食の準備が整う頃には「今日は何の動画見るー?!イエーイ★」iPadを手に、まるで何事もなかったかのようにウキウキとはしゃいでおり、私は娘氏のハートの強さ感心したり呆れたり脱力したりで、もはや何も言う気力もないまま白目で放心状態でした。
きっと、ハートが強い人間に勝る者などこの世にいないのだと、私はしみじみ感じました。

行方不明のジャージ

5月4週目のある日、仕事の帰りに娘氏を空手教室まで迎えに行きました。
娘氏はこの春から護身の為空手を学ぶと自ら決め、楽しそうに通っています。
練習が終わり着替えて帰る支度をする頃に、娘氏が「ジャージがない」と言い出しました。
「着替えたジャージって、普通なくなる?!まさかその辺に脱ぎっぱなしにしたの?!」と娘氏に言いながら、着替えた場所を探してみたのですが見つかりませんでした。
受付でジャージのことを尋ねるよう娘を促すと、受付の若い女性に「ここにはありません」即答
され、涙目で私にすがってきました。
娘氏も来年からは中学に通うので、そろそろ自分の意思や主張を相手にしっかりと伝えられるよう訓練しなくてはと考え、私は助言だけして見守ることにしました。


残念なタイミング

「自分の管理ミスで失くしたんだから、見つかるように自分でベストを尽くしなさい。ないと即答されてすぐに諦めるのではなく、どんなジャージをいつどこで失くしたのかを詳しく伝えて、見つかったら連絡をもらうようにするとか、自分なりに頭を使いなさい。」と私は娘氏に教えました。
その週の土曜日には運動会があり、それに合わせて予備の分も考え二着のジャージを準備したのに、運動会前に一着は転んでズボンを台無しにし、もう一着は空手教室で紛失するなんて一体どういうことなんだと、私は悲しい気持ちになりました。
結局、娘氏は運動会に古いジャージで参加し、空手教室で失くしたジャージは運動会後に見つかり娘氏のもとへ戻ってきました。

必要なストレスと体力

結果オーライと言えばその通りで、娘氏は「あぁ、良かった!私ってラッキー★」と相変わらずのスーパーポジティブな反応でしたが、そんなラクルなタイミングの悪さを持つ娘氏を見ていると、母親としては「もうちょっと何とかならないものかなぁ・・・」と思ってしまいます。
人間には適度なストレスが必要なので、幸せな日々を送っている中、娘氏の残念な行動により与えられるストレスは、私にとって必要なのかもしれません。
とすれば、現在40代で体力的に年々衰えを感じている私に反比例し、どんどんパワフルになって、ますます破壊力を増していくであろう娘氏の行動の影響に、しっかりと耐えられる体力だけは何としてもキープしていかねばと思う今日この頃です。
娘氏よ、お手柔らかに頼みますぞ( ;∀;)

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『過去のブログ』を振り返る Vol.4

ブログを始めた頃の記事を、現在の書式スタイルに編集して掲載し、皆様にぜひご覧頂きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いいたします(^^)/

Vol.6『集団心理』というもの


カースト制度

随分と前に『ママカーストというものが話題になりました。
カーストとはインドの身分制度のことで、現在、インドでは法律上で全面禁止となっているのですが、実際のところ人権差別は今も残っていて『家の名誉を守る為に、しきたりに背いた身内を親族が公衆の面前で焼き殺した。』などという恐ろしいニュースが記憶にあります。
以前、ドラマの題材になった『タワマンカーストも本当に存在し、都心のタワーマンションの住人たちの間で、上層階に住む人が格上とされ、低層階に住む人は格下とされていると聞いたことがあります。
私はそのドラマを見ていませんでしたが、何かと話題になっていたので、かなり殺伐とした内容なのだろうと思っていました。

身近にある『格付け』

『タワマンカーストは、マンションの購入価格から考えられる経済力の比較なのでしょうが、せっかく素敵な生活を楽しもうとそれぞれの想いや期待のもとお洒落なマンションを購入したのに、勝手にそんな格付けをされたのでは、上層階以外の住人にとっては非常にガッカリで迷惑な話だろうなぁと思いました。
『ママカーストもそれと同様で、御主人の社会的地位が高く経済的に潤っている家庭の母親は格上とされ、そうではない家庭の母親は格下とされるもので、それぞれの人生の選択を勝手に型に当てはめて格付けをするという、大きなお世話としか言いようのないものでした。
都会に限らず『ママカースト母親が集まる社会に存在し、子供が社会生活をスタートさせる『幼稚園』などの社会にありがちなのかなと思います。


残念な悪影響

せっかく授かった子供をそれぞれの家庭で大事に育て、何も知らない無垢な状態の子供に教育や躾をしていく中で、家庭そのものを勝手に格上だの格下だのと格付けされるなど、全く持って迷惑な話であり、そんな関係性を作ることは、子供たちの情操教育社会環境悪影響だと思いました。
私は、幼い子供が一番に信じて頼るのは母親なのだから、母親には子供のお手本になるという役目もあると考えていましたが、残念ながら、母親の中にも他人と比較して優越感に浸ることでしか、自分の存在価値認識できない人はいました。
私は、娘が幼稚園に入園し『園ママ』としてデビューをしたとき既に『ママカースト前衛的な流れに巻き込まれていたような気がします。

幼稚園バスの停留所

娘が通っていた幼稚園は、全ての行事の準備は幼稚園が行い、親は見学に招待されるのみというシステムで、母親同士の摩擦が起きないような対策徹底されていました。
私の『プチ・ママカースト体験』の舞台となったのは幼稚園ではなく、幼稚園バスの停留所でした。
当時、私が住んでいたエリア周辺は、社会的地位が高いとされる職業の人々が多く住む、その地方のステイタス的な居住地で、子供を通わせる幼稚園もだいたい決まっており、娘と同じ幼稚園には20世帯の子供たちが、スクールバスで片道40分かけて通園していました。
娘の通園が始まったばかりの頃、子供たちをバスに乗せて見送った後、そのバス停を利用する母親20人自己紹介をすることになりました。


不思議な自己紹介

私は、母親としての自己紹介なのだから、自分の名前と子供の名前や年齢「一人っ子で甘えん坊です」とか「ピアノを習ってます」とか、子供のことを紹介しあうものと思い、何を言おうかとあれこれ考えていました。
少しクセのある母親が「じゃあ、私から言わせて頂くわね。」と一番目に自己紹介を始め「○○です。子供は特別英語クラスです。主人は医師です。××マンションの1階に住んでいますの。猫の額ほどの庭しかございませんが、いつでも遊びにいらして下さいな。」と、子供の情報はほぼないまま自己紹介が終わりました。
すると、他の母親たちも子供のクラスと御主人の職業、自分の住居を発表する形で続き、結局、子供の情報はあまりないまま、わかったのは20世帯の内17世帯は御主人が医師だということでした。

戸建ての強さ

『御主人が医師でそのエリアに住んでいる』というのが、その母親たちの中ではステイタスとなっているようで、更に戸建てに住んでいると一目おかれるという感じでした。
意外にも、ご主人が医師で戸建てに住んでいるのは2世帯しかなく、そこの地域には珍しい若いギャル系の母親が、御主人は普通の会社員で戸建てに住んでいると自己紹介をして、他の母親たちをザワつかせている様子が何気におもしろかったです。
また、医師の間でも開業医勤務医、代々続く個人病院の跡取り格差があり、医師の妻同士探り合いと比較が日々の会話の中で行われていて、面倒で大変だなぁと思いました。
中には物凄く裕福な人もいて、他人と比べることもせずいつも礼儀正しく『金持ち喧嘩せず』っていうもんなぁと思いました。


変わった母親

医師である御主人と一緒に、そのバス停を利用している世帯の住居を外から見て回り、評価をしている母親がいました。
あるとき私は不運にもその母親に捕まってしまい、お茶をしながら所有しているの種類や資産の有無、結婚指輪のブランドまでもあれこれと聞かれて当惑しました。
その母親から携帯に電話がかかってくるようになり、忙しくて出られないでいると、20回ぐらい着信記録を残すという病的ともいえる行動に恐怖を感じ、全力で早急に距離を置き『医師の妻』にも変わった人がいるものだと身をもって知りました。
私が住んでいたのはその『特別エリア』と道路を1本挟んだ隣のエリアで『特別エリア』のバス停の方が近くて便利だったので、そちらを利用していたのですが、少し不安を覚えました。

おかしな質問

ある日、子供の情報が何も伝わらない例の不思議な自己紹介を最初に始めた、少しクセのある母親「お宅は○○エリアに住んでもいない上に、御主人が医師でもないなんて随分珍しいこと。そんな方は今までいらっしゃらなかったわよ。」高圧的に言われました。
日々そのエリアの『医師の妻』たちの探り合いと比較の独特の雰囲気に飲み込まれていたことや、子供が幼稚園という社会にデビューし、初めてのことで何もわからない状態だったこともあり、少数派の自分は普通じゃないのかもと思ってしまうぐらい精神的に疲れていたようで、私は「はぁ、○○エリアに住んでなくてすみません・・・」と答えていました。
そして帰宅すると旦那さんに「ねぇ、どうして貴方は医者じゃないの?」と尋ねていました。


正常な思考

『僕は医者ではないけど、会社を2つ経営してそれなりに頑張っているつもりだよ。それに○○エリアよりもこのエリアの方が地価は高いんだし。しっかり者の君が、他人に流されるとはね。」という、私の唐突で意味不明な質問に対する答えを聞き、私はハッと我に返りました。
医師は確かに人の命を救う尊い仕事ですが、世の中で医師だけが頑張っている訳じゃないし、その『特別エリア』に住んでなくても誰にも迷惑はかかってないという、ごく当たり前のことを思い出して反省し、改めて集団心理というものの恐ろしさを感じました。
それ以来、バス停への娘の送迎は基本的に旦那さんに行ってもらうことにして、私はその集団から離れ、そのバス停を利用する母親たちで定期的に開くお食事会にも参加せず、なるべく関わらないようにしました。

母親の悩みと不安

初めての育児は、子供が大きくなってもその年齢その年齢でわからないことだらけの手探り状態で、子供が10歳、15歳と成長したとしても、それぞれの年齢特有の課題を新たに抱えることになるので、母親の悩みと不安は尽きないと思います。
何が正解なのかわからず自信が持てないでいるとき、人は自分を見失って周りに流されやすくなりがちです。
決して内気でなく、むしろはっきりとした意思を持っている私でも、自覚のないまま簡単集団心理に押し潰されたことを考えると、娘の社会生活が本格的にスタートした『幼稚園デビュー』は、母親の私にとって正に迷いや不安が多く、育児生活において最も危うい時期だったように思います。


集団心理と距離

私はその後、同じ様に惑わされないように、他の母親とはあまり関わらずに育児をすることにしましたが、ママ友を作らなくても、情報の入手や相談幼稚園や学校の先生に連絡をしたので、特に困ったことはありませんでした。
娘の成長に伴い、今後よその子供やその母親とのお付合いも出てきますが、娘が自分で選んだ友人関係母親として寄り添うだけで、ママ友だとか同じ母親グループであるかなどは関係ないと思っています。
私はわりと極端なタイプなので、私と同じ方法をお勧めしようとは思いませんが、もし母親同士の人間関係に悩んでる人がいたら、集団心理に飲み込まれて判断力を失っていないか、一度その集団から離れて確認してみることも大事だと思います。

御縁と選択肢

全ての出逢いには何らかの意味があるのだと思いますが、その御縁をどう受け止め、どうするのかは自分次第だと思います。
苦しみから学ぶこと、また苦しみからしか学べないこともありますが、ずっと苦しみ続けなくても、学ばせてもらったことに感謝「ありがとうございました。さようなら。」決別するという選択肢があっても良いと思うのです。
あの『特別エリア』の母親たちの中にも、本当は競い合いたくなんかないのになす術もなく流され続けていたり、後に自分がどうすべきかを学んで強く成長した人もいるかもしれません。
きっと人間は、大人になっても失敗苦い思いをしながら『正しく見極めて生きる術』を学び続けるのでしょう。
私もまだまだ人として成長の途中ですが、私のこんな体験談が少しでも、以前の私の様に精神的に疲れ集団心理に捉えられてしまっている人のお役に立てばと思います。