『心の学び』について


エスコート

私は朝の通勤の際、たまに駅で目が不自由な女性に会うことがあります。
朝の通勤電車はいつも満員で、私が利用する駅は乗り降りする人が多くて大変なので、私はその女性に「一緒に乗りましょう」とお声掛けをして、その女性をエスコートしながら電車に乗っています。
最初の頃はその女性がなるべくもみくちゃにならないよう上手く支えるのに必死でしたが、最近はだんだんと慣れてスムーズなエスコートができるようになりました。
今までは、電車を降りて一緒にエスカレーターで上の階に上がり、エスカレーターを降りて少し進んだ所で「いってらっしゃい、気をつけて!」と声を掛けてお別れしていたのですが、黄色の視覚障害者誘導用ブロックの上でお別れした方が親切なんじゃないかと最近になって気がつき、先日の朝からさっそく実行してみました。

日々の学び

エスカレーターを降りて視覚障害者用ブロックまで進み「今日はこの黄色い線の上でお別れしますね。いってらっしゃい、気をつけて!」と声を掛け、それぞれ別の方向へと歩き出しました。
そして、私はふと「目が不自由な人に対して『黄色の線』と視覚で説明するなんて、私はなんて無神経だったんだろう・・・」と思いました。
善意の行動であっても、認識の甘さから自分の想いとは裏腹な結果になってしまうことがあります。
私の言葉でその女性が嫌な気持ちになったのではないかと考えると、私は気配りが未熟な自分が恥ずかしくなりました。
今回のことで学び、今後は「誘導用ブロックの上でお別れしますね」
とその女性に伝えることにした私は、「日常には学ぶべき事柄が溢れていて、それに気づくか気づかないかで人間としての成長の幅や心の深さが変わってくるものなんだろうなぁ・・・」と感じました。


隠れた本意

人間には学ぶべきことがたくさんあって、人生はいくつになっても勉強だと思います。
人と関わる際のマナーや気遣いは特に難しく、言葉や行動に隠された本意を汲み取ることができずに失敗することもあります。
意見が対立したときに相手が引き下がるのを「自分が正しくて相手が間違っているのだから当然」とか「自分の方が強くて相手は弱いから引き下がるのだろう」と、自分を立ててくれる相手の配慮や、自分に譲ってくれる相手の懐の大きさを感じ取ることができない人や、「何も言ってこないのだから問題ないだろう」と、相手に対する思いやりのない行動を知らず知らずに繰り返す人は、本物の信頼関係を築くことはできませんし、精神的に成長できないまま年齢を重ねていくので後々「その年齢でそんな道徳的なこともわからないのか」という評価を受けることになります。

受け止め方

何より怖いのは「このままではダメだ」と自分で気づき修復や改善を試みても、そんな風に無自覚に年月を重ねてきた為に道徳的な感覚が乏しくなり、的を射た的確な気遣いをすることや相手の真意を汲み取ることができない人間になってしまうことです。
また『遠回しな指摘』
に気づかずにいると、後に大打撃に繋がる怖い結果を招くこともあります。
「末っ子だとすぐにわかる」という言葉には『愛されお姫様・王子様キャラ』という賞賛ではなく『他人に気が遣えないワガママさが溢れ出ている』という意味が含まれているので、私はその発言をする人を『悪気のないフリをして失礼なことを言う人』と認識しつつも、その言葉が自分に向けられたときは日頃の行いを振り返る機会として受け止めるようにしています。


マナー次第

お酒が強い弱いは人それぞれの体質なので良い悪いはありませんが、会社のお酒の席で自分の許容量も考えず「お酒が弱いと舐められるから」とか「飲みたい気分だから」と、記憶が残らなくなるほど飲むような幼稚な行動社会人として慎むべきですし、飲ませる側も面白がってけしかけたり無理強いするような下品な行動をすべきではありません。
お酒を飲み過ぎて迷惑行為をしたり暴言を吐いたりしたことを本人が覚えていようがいまいが、不快な気持ちにさせられた被害者には怒りしか残らないのです。
いくら自分が楽しいからといって、体調が良くない人をお酒の席に平気で5~6時間も拘束するような思いやりのない行動も然りで、会社のお酒の席はマナー次第で人の士気を下げ、相手との信頼関係を一瞬で失ってしまう場にもなり得るのです。

人間の魅力

以前、職場の若い男性がお酒の席で話したことをほとんど何も覚えていない状態だったので「お酒の席で話したこと、何も覚えてないんですね・・・」と、記憶が残らないような飲み方をするのは社会人のマナー違反だと気づかせようとして言ったところ「今聞いたことはちゃんと覚えておきますよ。関心がない訳じゃないですから安心して下さい。」と、まるで私が「私の言ったこと全然覚えてくれてないなんてショック―!」とでも言っているかのような返答をされ「えーっと・・・そういうことじゃなくて・・・ (~_~;)」と困りました。
その後、その若い男性は社内のお酒の席で飲み過ぎて暴言を吐き、同僚に嫌われ信用を失うことになり、私は「気づけないって本当に怖いことだなぁ・・・」と思いました。
世間には『若さこそが最大の魅力』と信じ、年齢を重ねた人を『終わってる年寄り』と安易にバカにする人がいますが、私は自分の歴史を重ね落ち着き余裕を兼ね備えた大人は男女共に素敵だと思います。
異性の魅力でいえば男性の旬は48歳からで、そのくらいの年齢から知性溢れる大人の色気が漂い始めるものと感じています。

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※ 画質が悪くてスミマセン

実家の柿

先月、実家から段ボール箱いっぱいの柿が届きました。
実家の庭には柿の木があり、毎秋、収穫した柿の実干し柿を送ってくれるのですが、今年は随分と量が多く驚きました。
大きな柿の木なので、年老いた両親には剪定などの手入れが大変になり、今年の収穫が終わったタイミングで木を切り倒したとのことで、実家で採れる最後の柿を十分に味わえるようにと大量に送ってくれたのでした。
せっかくの『ラスト柿』なので、職場で日頃お世話になっている人たちにも味わってもらいたいと思い、見た目の良い柿の実を選んで持っていきました。
柿は傷みやすいので、他人様にあげられるような状態の柿は限られていましたが、何十年も栄養を蓄えてきた木だけあって実が大きく、なかなかの大荷物になりました。

思い出深い秋の味覚

朝の満員電車で柿の実が潰されないように気をつけて運び、職場で配ったところ予想以上に喜ばれ、思い出深い秋の味覚を自分の好きな人たちとシェアできたことを嬉しく思いました。
『生ハムメロン』のように柿を生ハムで巻いた『生ハム柿』シャンパと一緒に頂くのが私は好きだったので、実家の柿が食べられなくなってしまうのは淋しいですが、きっと実家の柿の木も最後の実りでより多くの人に笑顔を作ることができて幸せだったと思います。
このブログを始めた頃に書いた『実家の柿』に関する記事があったので、ちょっと文章のスタイルを変えて載せてみようと思います。
ぜひお読みください。

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『門外不出の柿サラダ』

祖母と母

大正生まれの100歳の祖母は母方の祖母、つまり私の母の母親で、この二人はずっと一緒に暮らしているだけあってとても仲が良く、味の好みや生活習慣もそっくりです。
母は仕事が大好きな人で、子供を産んでからもずっと会社で働いていたので、食事の支度や買い物など、家事全般は全て祖母がしていました。
大正生まれの祖母のセンスで用意されるおやつは常にお饅頭、かりんとう、煎餅と渋目の和菓子で、ポテトチップス、チョコレート、ポッキーなどが出されるなんてことは夢のまた夢でした。

マヨネーズとの出逢い

朝は母が食事の支度とお弁当作りをするのですが、母は『見た目より質重視派』なので、幼稚園に通っていた頃から私のお弁当は内容はそれなりに豪華なのですが、可愛らしさのかけらもない茶色だらけの、まるで職人の親方のお弁当のようでした。
母が小さかった頃はまだマヨネーズが今のように普及しておらず、母と祖母にとってマヨネーズはとても斬新で画期的な調味料で、当時の母と祖母は「これさえあれば何でも洒落た一品に早変わり!」とばかりに、家族全員分のイチゴやメロン にまでマヨネーズをかけて食卓に並べるので困りました。

新メニュー誕生

私にとってイチゴやメロンお気に入りのデザートなのですが、自分たちの趣味の畑作で収穫するイチゴやメロンを昔から飽きるほど食べてきた母と祖母にとっては、旬の果物よりもマヨネーズの方が価値があるようでした。
秋になると庭の柿の木に実がたくさん実り、その量は半分を干し柿にして食べても食べきれないので、母と祖母は相談し平たい種無しの柿の皮を剥いて十字に切って4等分した上に、クルリと一周マヨネーズをかけるだけの必殺料理『柿サラダ』を考案しました。

微妙な『柿サラダ』

おかずとして『柿サラダ』を食べた後にはデザートの柿が待っているという、飽き飽きするほど柿三昧の日々でした。
母と祖母は自分たちが考案した『柿サラダ』がとても気に入っていたので、私の友人が遊びに来たときも、お客さんを招いたお食事会のときも必殺料理『柿サラダ』はいつも振舞われました。
『柿サラダ』を出された人たちは、その斬新な一品困惑しながらも、マナーとして失礼のないよう完食していましたが、私は「美味しい」と言って食べている人を見たことがありません。

門外不出の理由

実際に我が家で『柿サラダ』を食べた人々も、私が実家を離れてから『柿サラダ』の話を聞かせた相手も、誰も実際に作りたそうな反応はしませんでした。
よって私の実家で食べられている母と祖母の味『柿サラダ』は未だに門外不出であり、今後も門外にて作られたり広められることはないでしょう。
今年も庭の柿の木に実がたくさんが実る季節になり、じきに実家では『柿サラダ』が食べられるのだと思います。
今後、母と祖母によってどんな斬新な必殺料理が考案されるのか、ちょっぴり楽しみでもあります。

お財布を忘れて

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感動の余韻で

先日、お財布を持たないで会社に行ってしまいました。
数週間前の週末、娘の学芸会を観覧する為に小学校へ行き、娘の演技に感動しながら成長を感じ、帰宅してからもしばらくその余韻に浸っていたところ、お出掛け用のバッグから通勤用のバッグにお財布を入れ替えるのをすっかり忘れてしまったのです。
電車通勤の際は定期券を使うのでお財布は必要なく、お昼ご飯は家から持っていくので途中でお買い物をする必要もない為、私は帰りまで自分がお財布を持ち歩いていないことに全く気がついていませんでした。

『オーマイガッツ石松』な事実

その日は週に一度の空手教室がある日で、私は娘を迎えに行く為にいつものように路面電車に乗り込みました。
乗車料金の小銭を準備しようとお財布を探し、初めて「おや?お財布はどこだろう?」
と思いました。
「きっと何かの陰に隠れてバッグの奥深くに入っているに違いない。」自分を信じ、バッグの中を隈なく探している内に「あーっ、そういえば学芸会の日に使ったバッグからお財布を入れ替えてなかった!」と思い出し、『オーマイガッツ石松事実にアタマの中が真っ白になりました。

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何も持ってない私

目的の駅はまだまだ先だったので、駅に着くまでにどうするかを考えようと、まずは気持ちを落ち着かせ、バッグの中にお金カード等がないかを確認しました。
何かあったときの為に携帯電話ケースのポケットに入れていた五千円札は、新しい携帯電話ケースに変えてからは入れておらず、いつも持ち歩いていた予備の小さな財布は、最近バッグが重いという理由で持ち歩くのをやめており、私はお金は愚かクレジットカードもキャッシュカードも何も持っていないまま路面電車に乗っていたのでした。

トホホな気分

以前、通勤時に定期券の期限切れに気づき、お財布の中にちょうど3か月の定期券代分くらい現金があったので購入しました。
お財布にはもう小銭しか残っていない状態でしたが、ATMはまだ利用できず、仕事の帰りにお買い物をするまではお金は必要ないので、とりあえず大丈夫だろうと会社に行きました。
「この状態で事故なんかにあって身元を調べられた際に、大人なのに所持金が数百円なんて知られたら恥ずかしいから、今日は何としても無事でいなくては!」などと思いましたが、今回は数百円どころかお財布ごと持っておらずトホホな気分でした。

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世知辛さと救い

「油断してるときに限ってこういうことになるよねぇ・・・お金もないのに電車に乗っちゃってるし・・・」と途方に暮れましたが「窮地に陥ったときこそ、状況を立て直す生き力と人間力が試されるものよ!」と、気を取り直し、あれこれ策を練り始めました。
路面電車「1万円札しかなくて両替できないので次に乗ったときに2回分の乗車料金を払います」と乗務員さんに言っている乗客を過去に何人か見かけたことがあるので、乗務員さんは説明すればきっとわかってくれると思い、少し救われた気持ちになりました。

打開策とシュミレーション

『では、どこの駅で降りてどうするのか?』が次の課題になりました。
 空手教室の近くの駅で降りてまずは娘を迎えに行き、娘が持っている小銭で帰りの乗車料金を支払い家に帰る。
 娘が二人分の乗車料金を支払えるだけの小銭を持っていなかったら帰れない。

② 空手教室の近くの駅を通り過ぎ一度家に帰り、お財布を持ってまた路面電車に乗って娘を空手教室に迎えに行く。
 時間が掛かるので娘のお迎えの時間を大幅に過ぎてしまう。

③ 娘の空手教室がある駅で降りてまずは娘を迎えに行き、タクシーで帰り、財布を家からとってきてタクシー代を支払う。
 無駄な出費だが、家に帰れないのだから仕方がない。

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新たな打開策

「まぁ、③しか方法はないよなぁ・・・」と思ったとき「そうだ!ゆうちょ銀行の通帳ならカードがなくてもATMで現金が引き出せる!」と気がつき、バッグの中にある通帳を確認しました。
そして、どこにゆうちょ銀行のATMがあるのかをiPhoneで検索し、路面電車の駅のすぐ近くにある大きな郵便局を見つけ、その駅で降りて現金を引き出すことにしました。
その駅は、空手教室の近くの駅から3つ目の駅だったので、娘のお迎えの時間にも遅れずにすみそうでした。

現金との再会

「おぉー、神よ!」と大袈裟に喜びながら空手教室の近くの駅を通り過ぎ、郵便局の近くの駅で乗務員さんに「お財布を忘れてしまったので、今からあの郵便局に行き、この通帳でお金を引き出します。その後、また路面電車に乗る際に2回分の乗車料金をお支払いさせて下さい。」と、通帳を握りしめながらお願いしました。
乗務員さんが承諾してくれたので、私はいそいそと降りて郵便局のATMに向かい、帰りにスーパーでお買い物もできるぐらいの現金を引き出しました。

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2回分の乗車料金

ゆうちょ銀行の封筒に入れた現金を手に、私は反対方向の路面電車に乗って空手教室へと向かいました。
降りる際、2回分の乗車料金を支払う説明をどうしたら一番わかりやすいかを考えていた割には「あのぉー、えーっと、実は・・・」とまごついていると「あぁ、もしかして2回分の乗車料金の支払いですか?」と言われ「そうそう、それです。すみませんでした。」と言って支払いました。
察しの良い乗務員さんの様子から「私みたいにお財布を忘れたまま乗車しちゃう人ってけっこういるのかも?!」と思いました。

頑張ったご褒美

娘に会ってその『オーマイガッツ石松な話をすると、「えーっ、ママ何してるの?驚きなんだけど!!」と呆れられ、「ウケるー!」と大笑いされました。
娘は二人分の帰りの乗車料金を支払えるぐらいの小銭は持ち合わせており、私があれこれ考えてお金を引き出さずに迎えに行っても家に帰ることはできたようでしたが、せっかくお買い物をする分の現金も引き出したので、自業自得なりにも状況を立て直して頑張った自分へのご褒美に、お寿司お刺身を買い、家でビールを飲みました。

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素敵な地域性

この地域に移住して以来、私は日常的に路面電車を利用しています。
最新の車両も運行する中、イイ感じに古びた昔ながらの車両も運行しており、車窓から眺める見慣れた街並に何だか心が和みます。
路面電車の車内には『傘の無料貸し出しサービス』として冬季以外はビニール傘が常備されています。
そういった親切なサービスは、マナーを守ってきちんと返却する地域の人々の誠実さ乗務員さんたちの真心があってこそ成り立ち、また、今回の私のようなケースへの対応についても同じことがいえると思います。

貸し切り路面電車

人の温かさを感じることができるこの地域の路面電車を、私はこれからもしっかりお財布を持った状態で利用させて頂こうと思います。
路面電車貸し切りサービスもあり、たまに貸し切り電車で街を周りながらパーティーをしている団体を見かけます。
娘がまだ小さかった頃、貸し切りの路面電車紙芝居人形劇を見せてもらえるイベントに参加させて頂いたことがあります。
貸し切り料金はそこまで高額ではないので、私もいつか路面電車を貸し切りにしてイベントを開催してみたいと思っています。

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愉快ではない現実

日本の国民的アニメサザエさんのオープニング曲には「♪ 買い物しようと街まで出掛けたら 財布を忘れて愉快なサザエさん みんなが笑ってる~ 小犬も笑ってる~ ♪」という歌詞があります。
私は今回、実際に自分が財布を忘れてみて「財布を忘れたら本人は大抵パニック状態に陥って、愉快なことなんて何ひとつないですよ・・・そんな困っている真っ最中の人を、みんなも小犬も笑っちゃうなんて酷すぎやしませんか・・・(涙)」と、ワナワナと身体を震わせながら思いました。

皆様も、お出掛けの際にはお財布を忘れないようお気を付け下さいませ・・・
路面電車の乗務員さん、この度は親切なご対応をありがとうございました( ;∀;)

娘氏の学芸会


主役のオーディション

昨日は娘氏が通う小学校の学芸会でした。
6年生の娘氏には今回が小学校生活最後の学芸会なので、役を決める段階から熱が入っていました。
今回は魔女がテーマのお芝居で3幕に構成されていたので、主役の魔女を演じるのは3人でしたが、娘氏と同じ様に熱が入っていて「主役を演じたい!」と思う生徒が今までより多かったようで、主役の3人枠をかけてのオーディションが行われました。
オーディションは、6年生の児童全員の前でエントリーした生徒たちがそれぞれセリフと演技を披露し、それによって選考されるというもので、けっこう勇気がいることだと私は思いました。
娘氏はオーディションの日まで家で毎日、セリフと演技の練習を一生懸命にしていました。

強引なエール

オーディションの前には空手の段級審査もあり、習って間もない空手の新しい型も練習しなくてはならず忙しそうにしていましたが、好きなことの為にする努力は全く苦にならないらしく、充実している様子でむしろ楽しそうでした。
オーディション当日の朝、少し緊張した様子の娘氏が「あぁ、いよいよ今日だ・・・オーディションに受かるかなぁ・・・」と不安そうに言うので、私は「大丈夫よ!あんなに練習したんだし、あなたは過去にチケットを買って観に来てくれる大勢のお客さんの前で演じた経験もあるんだから!それに何より、あなたはママの一番なんだから何も心配ないの。持っている力を全部出し切って楽しんできなさい!!」と、若干強引なエールで学校に送り出しました。


母親としての葛藤

仕事が終わり家に帰ると、私がドアを開けた瞬間、娘氏が吹っ飛んできて「主役になれたよ!」と、とても嬉しそうに笑顔で報告してくれました。
私もとても嬉しくて「良かったね!ママは、きっとあなたは主役になれるって最初から信じてたよ!」と、娘氏をギュッと抱きしめました。
それから学芸会の日まで、娘は自分が演じる劇をプロが演じた動画を繰り返し観ては研究し、セリフの言い方や演技を練習していました。
演劇のことばかりで勉強が手抜きになりがちだったので「勉強もちゃんとしなさい!」と叱る日もありましたが、「でも、好きこそものの上手なれっていうし、子供のやる気を抑制して才能や心の成長を妨げるようなことはするべきではないよなぁ・・・」と、母親として葛藤しながら娘氏を見守りました。

105%の力

現在の学芸会は平日に生徒たち向けに演じる日が設けられ、土曜日や日曜日は保護者向けに演じます。
生徒たちの前で演じて帰宅した娘氏は、満足そうな笑顔で「今日の私はすごく上手に演じれたよ!105%の力を発揮したよ!」と言っていました。
私は「普通、力を発揮するのって120%とか150%だと思うんだけど、105%って・・・5%増しって何だろう?一昔前の消費税的な数値かな?!」と思いながら「おぉー、スゴイ!さすがだね!じゃあ、明日は120%ぐらいでいってみようか!」と言いました。
小学校の行事や対応のスタイルが少しずつ変わってきており、昨年までは日曜日だった保護者向けの学芸会は土曜日になり、生徒や先生たちは日曜日と月曜日の代休が連休になりました。


学校の変化

日曜日だと会社がお休みの確率が高いので、保護者は学芸会を観にきやすいということはありますが、学芸会はなかなかの大イベントで生徒も先生も大変なので、連休でゆっくり休養をとるのは大事なことだと思いました。
昨年までの私の印象では、娘が通う小学校はイベントの為の取り組み方にが入っており、準備に掛ける時間が多く、劇中のダンスなども高度な振り付けで、どの生徒もリズム感や表現力が磨かれる反面、学習の時間は減ってしまうので学力的な面では「このままで大丈夫なのかなぁ・・・」と少し不安でした。
そういった点を改善する為かどうかはわかりませんが、今年の学芸会は各学年の公演時間が短縮され、発表の為の準備に掛ける時間も少なくなっていました。

必要な環境整備

観覧のルールやシステムも変わっており、今までは公演中でも観覧席への出入りは自由だったのですが、今年からは公演が終わり各学年の生徒が入退場するタイミングでしか会場に入れない入場制限があり、通路の整備もしっかりとされていました。
毎年、我が子の姿を撮影するのに熱心な保護者が多く、マナーに対するクレームが出ていることを考えると環境整備は重要なので、多少の不便を感じたとしても良い変化だと私は思いました。
小学校の行事は生徒たちがメインなのだから、子供たちが学習したことをより良い環境で発表できるのが何よりだと思います。
いよいよ娘氏の学年が公演する時間になり、入場の為の行列に早めに並んだ甲斐があり、私はステージに近い席に座ることができました。


集中できた観劇

娘氏が「今年は動画撮影しなくていいから、私の演技をしっかりと観てね!」と言ってくれたので、私は『iPadの重さで腕がプルプル震えてしんどくなる刑』から解放され、存分に観劇に集中しました。
6年生ともなるとみんなしっかりしていて、大きな声で堂々と演じていました。
1幕目の主役は聞きやすいスピードでハキハキとセリフを言うのが上手で、自己紹介をする始まりの場面にピッタリでした。
娘氏の出番は、悪い魔女として大活躍する2幕目だったのですが、いつもフワッとしている鈍くさい娘氏がそのシーンを演じるのは意外でした。
娘氏は以前、プロが演出する演劇出演させてもらった際に学んだ発声練習などが役立ち、物怖じする様子もなくきちんとセリフを言えていました。

娘氏の演技力

ステージ上で演じる娘氏の表情は、悪いことを企んで楽しんでいるズル賢い魔女そのもので、子供が役で演じている感じではなく、意地の悪い大人が実際に酷いことをするときに出す負のオーラ漂う低い声だったので驚きました。
魔法の呪文を「ポンピラパーン」と唱えるシーンでは、娘氏が家でその言葉を何度も繰り返していたのを思い出し「あぁ、あれは劇のセリフの練習だったんだ・・・そうとも知らず、またおかしなこと言ってふざけてるよ、しょうもない!とか思ってごめんね、娘氏よ・・・」と心の中で謝罪しました。
2幕目は、最初は悪いことをしていた魔女が人間の優しさや思いやりに触れ、そんな心を理解できずに戸惑いながらも少しずつ変わっていく場面で、娘氏の演技力に母親として感動し、じっくりと観させてもらいました。


画質が悪くてスミマセン(^^; その1

光る個性とみんなの力

娘氏の出番の最後の方には歌うシーンがあり、凛とした表情で歌う娘氏を観て、人前で自信を持って大きな声で歌えるその度胸誇らしく、また羨ましく思いました。
3幕目に変わり、今度は高い声で子供らしく明るい演技をする主役に変わりました。
娘氏との声のトーンや雰囲気のギャップの大きさが面白くて「これもまた小学校の学芸会の醍醐味」と思いながら劇のクライマックスを楽しみました。
どの幕の主役もオーディションを勝ち抜いただけあって、みんなそれぞれ人を惹きつける演技だったなぁと思いました。
また、いろんな役がある中で、みんな役になりきって演劇を盛り上げ、子供たちそれぞれの個性が光っており「演劇って関わる全ての人で作られているんだなぁ・・・」としみじみ感じました。

感謝の気持ち

それはきっと大人社会の組織にも同じことがいえ、輝かしい実績があるのは個人のスタンドプレイの賜物ではなく、その仕事に関わる全ての人の力があってこその実績なのだから、成功したからと得意になるのではなく、成功したときこそ関わった人たちへの感謝を忘れてはいけないんだなぁ・・・思いました。
それを繰り返し成長する人は、口先だけではない本物『実るほど首を垂れる稲穂』になるのでしょう。
演技を終え『150%の力』を出し切った娘氏を私は200%褒め、先生方にお礼の言葉を伝えて小学校を後にしました。
私は、小学校の先生たちは激務で大変だと常々思っており、娘のお世話をして頂けることをありがたく思っています。
もちろん、幼稚園でお世話になった先生方に対しても同じ気持ちです。


画質が悪くてスミマセン(^^; その2

大事なソーシャルワーカー

この先どんどん文明が進んでAIが社会で当たり前に活躍する時代がくるとしても、ソーシャルワークにおいてはやはり人間の感性と心がなければ担うことはできません。
教諭は正にソーシャルワーカーそのものであり、子供の成長において必要な存在です。
働き方改革という言葉のもと、様々な組織が取り組みを始めていますが、子供たちを導いてくれる教諭の働き方も改革によりどんどん改善されることを私は願います。
環境やスタイルが今までと変われば誰しも違和感を持つのは当たり前のことですが、私は『変化=悪いこと』と捉えずに、保護者として柔軟に教諭の働き方の改善理解と協力を示していきたいと思います。

幼稚園や小学校のどのイベントでも、娘氏の雄姿や成長をみることができているのは、先生方の並々ならぬ努力のお陰です。
本当に有難うございました。

『ワイン体験レポート2年目』10月

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念願の収穫

2018年10月13日(土)、娘と一緒にワイン葡萄の収穫に行ってきました。
前夜の酷い風雨から一転して朝はすっきりと晴れ、車窓から見える彩づき始めた山々と、穏やかな海の景色が綺麗でした。
昨年は、自分が栽培に関わったワイン葡萄畑の収穫に、残念ながら予定が合わなくて参加できなかったので、ワイン葡萄の栽培指導をしてくれているワイナリーのオーナーの畑でワイン葡萄の収穫作業を体験させてもらいましたが、今年は前もってだいたいの収穫日が知らされていたので、「今年こそは自分が手掛けたワイン葡萄の実りをこの目で見て収穫するぞ!」と楽しみにしていました。

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誇らしい芸術作品

ワイン葡萄畑に着くと、葉が生い茂った葡萄棚の一番下の段にぶら下がっているワイン葡萄たちが目に入りました。
たわわに実ったワイン葡萄の房を手にしてみると、艶と張りがある濃い紫色の実がたくさんついており、ずっしりとした重みに感動しました。
絵画のような美しさを持つワイナリーのオーナーのワイン葡萄畑とは違い、枝やツルが伸びる方向が不規則で、木によって実がいっぱいついていたり全くついていなかったりとバラバラな状態でしたが、自分が実際に栽培作業に関わったワイン葡萄畑は最高の芸術作品に思え、『達成感』『誇らしさ』を感じました。


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自由なワイン葡萄の木たち

まずは収穫方法の指導を受けました。
前回、私が収穫作業をしたワイン葡萄畑は全ての木が規則正しく育ち、同じ様に実がついていたので、一番太い枝になっている『一番なり』のワイン葡萄だけを収穫するというルールに従って作業を進めれば良かったのですが、私が栽培作業に関わっているワイン葡萄畑は一本の木からメインの枝が二本生え、左右にわかれて伸びていたり同じ方向に重なった状態で伸びていたり、同じぐらいの太さの枝が何本か伸びていて、どれがメインの枝なのかわからない木があったりで、それぞれの木で見極めが難しく作業に手間取りました。

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素敵なアイデア

メインの太い枝から出たツルに実っている『2番なり』『3番なり』のワイン葡萄も立派な房で甘かったので、ワイン用に収穫したいぐらいでしたが、ワインの質の為に収穫しませんでした。
残したワイン葡萄は後でまとめて収穫しジュースにするとのことで、ワインだけでなくジュースもたくさん作られれば、ワインが飲めない人子供たち実りの喜びと味わいをシェアできるので、素敵なアイデアだと思いました。
ワイン葡萄は食用葡萄と違って甘くないと思われてますが、実はなかなかの甘さがあり(糖度が少ないと十分なアルコール度のワインにならないので)、私たちは収穫しながらけっこう食べました。

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人生の宝

私は娘と一緒に収穫作業をし、私が葡萄の房を枝から切り取って娘に渡し、娘が葡萄の実をチェックしてカビがついた粒やシワシワにふやけている粒を取り除くという流れで、テンポよく進めました。
昨年は娘の作業が未熟だった為、最後に私がチェックして仕上げていたので時間が掛かっていたのですが、今年は娘が担当した作業の出来は完璧でした。
子供の1年間の成長は大きいので、娘には驚かされ感心させられています。
頼もしく成長していく娘と一緒に共通の趣味を楽しめているこの時間は、大切な宝物として記憶に残るのだろうと感慨深く思いながら、私は作業を続けました。


嬉しい『プレートランチ』

午前中に収穫作業を終え、みんなで昼食を頂きました。
以前、コックとして働いていたという近所の農園の方が作ってくれた、地元の野菜たっぷりの『プレートランチ』は栄養満点で、意識高い系のお洒落さとひねりを利かせた珍しい味付けで作られており、私たちはよく味わい、興味津々に頂きました。
塩に漬けてから干したニンジンに衣をつけてサクッと上げた『塩ニンジンのフライ』が特に人気でした。
普段、自分が料理をする立場にいると、人に作ってもらえるご飯は特に美味しく感じます。
手の込んだ丁寧な食事を振舞ってもらい、ありがたさをしみじみと感じました。


ワイン葡萄踏み

午後からは、ワイン葡萄栽培の指導をしてくれているワイナリーのオーナーの所に行き、収穫したワイン葡萄を潰す作業に入りました。
直径50センチ、深さ65センチ程の、寸胴鍋のようなステンレス製の入れ物にワイン葡萄を半分くらいまで入れ、専用の長靴を履いて一人ずつその入れ物の中に立ちワイン葡萄を踏み潰しました。
最初はボールプール(子供の室内遊技場にあり、直径8センチ程のゴムボールが敷き詰められているもの)に足を踏み入れたような不安定な感覚で、何かに掴まらないと立ってられませんでした。
足踏みをすると、エアークッションのプチプチが潰れていくような感じがしました。


樽詰め作業

葡萄が潰れて果汁が溜まってくると、田んぼぬかるみを歩いているみたいに足を取られ、段々と動くのが大変になりました。
果汁の量が増えれば増える程、まだ潰れていない葡萄の房が果汁の中でプカプカと逃げるのでなかなか踏めず、全部を完全に潰すのは無理でした。
ワイン葡萄がある程度潰れたら、果汁も葡萄の皮も全部まとめてイタリア製の大きな濾し機に入れ、果汁だけを他の寸胴鍋型の入れ物に満タンになるまで貯めてから、大きなステンレス製のワイン樽に移し入れました。
ワイン葡萄が240キロぐらいあったので、全員で順番にそれらの作業をひたすら繰り返しました。

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盛り上がる作業体験

収穫したワイン葡萄を潰し終わるまで時間が掛かるので、その間にせっかく搾った果汁が酸化してしまわないよう、果汁を溜める入れ物ワイン樽ドライアイスを入れ、発生する二酸化炭素の重さを利用して溜まった果汁に見えない蓋をしました。
搾りたての濃厚なワイン葡萄ジュースをみんなで頂きながら、お祭り気分で作業は進みました。
「ワイン造りの作業をしてるとワインが飲みたくなるよねー!」「今夜はワインで決まりでしょ!」と話していると、優しいワイナリーのオーナーが試作品の赤ワインのボトルを開けてご馳走してくれました。
私たちはオーナー特製の特別なワインを頂き、更に盛り上がりました。


昔ながらのスタイル

何度も作業を繰り返し、大きな濾し機に葡萄の皮や絞り残しの実などがいっぱになると、それを搾って果汁をとるという作業に移りました。
イタリア製のその濾し機は、木の蓋をした上にパズルみたいに木材を積み重ね、金属の抑えと長い棒をセットし『てこの原理』を使って長い棒を前後に動かしながら手動で絞るという昔ながらのスタイルで、かなり体力を要する作業でした。
最初は葡萄の皮などが高く積まれていたので棒の位置が私の目の高さ位でしたが、絞っていくうちに圧縮されて徐々に棒の位置が私の胸の高さに変わってきたので「この高さなら私でもイケる!」と思い挑戦してみました。


こだわりのワイン造り

最初は順調に動いていたハンドルが、圧力が掛かると重くなり簡単には動かなくなりました。
少し時間を置けば果汁が流れ出て圧力が抜けるとのことでしたが、みんな苦戦していました。
現代では機械で圧搾されるのが一般的ですが、このワイナリーのオーナーはいつもこの方法でワイン造りをしています。
日々の畑の管理や栽培作業なども合わせて考えるとかなり過酷な労働だと思い、私は「ワイン造りは体力勝負ですね」とグラスを片手にオーナーと話しました。
すぐ外にあるオーナーのワイン葡萄畑を見に行くと、昨年と同様、洗練されたアートのような葡萄棚が広大な敷地に広がり、圧巻の風景に感動しました。

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大きな『ケーキ』

心地良い風に吹かれオーナーのワイン葡萄畑を見学しながら歩いていると、オーナー宅の猫『ニャー太』が外でゴロンと寝そべっていました。
丸々とした大きな体を見ると、オーナーに愛されている様子が伝わってきて、ほっこりとした気持ちになりました。
澄んだ空気猫の可愛さにすっかり癒されワイナリーへ戻ると、圧搾作業が終盤に差し掛かかっていました。
濾し機を解体すると圧縮された大量の葡萄の搾りかすが姿を現し、それは見た目のまんま『ケーキ』と呼ばれているとのことでした。
崩して捨ててしまうのがもったいないほど美味しそう『ワイン葡萄のケーキ』でした。

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プライスレスなひととき

自分が栽培に関わったワイン葡萄を収穫し、長靴姿秋晴れの空と美しいワイン葡萄畑を眺めながらワイナリーの特別なワインを味わい、作業体験や語らいを楽しむひとときは私にとってプライスレスで、お洒落をして洗練されたゴージャスなシチュエーションでグラスを傾ける時間よりも贅沢に感じられ、この瞬間にここにいられる幸運御縁に心から感謝しました。
私が栽培作業に関わっている畑のワイン葡萄は『600年前のワイン造り』をテーマに、栽培指導をしてくれているワイナリーのオーナーの手によって毎年異なる醸造方法でスパークリングワインへと生まれ変わっています。
今年はどんな仕上がりで喜び感動を与えてくれるのか、試飲会待ち遠しい限りです。

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最近の私


実務修行の積み重ね

私は9月に、仕事でイベントの開催を手掛けました。
柔軟な考えで新しいアイディアを取り入れ、進化に挑戦しながらもルールにのっとり着実に仕事をこなす女性上司に採用してもらえた日から、私の『実務修行』は始まりました。
自分が取得してきた資格を生かし、過去の経験から得た知識とスキルを応用しながら新たな学びを重ねる発見の日々非常に興味深いものでした。
上司が段取りをするイベントのちらしを作成したり、参加者を集めて確認の連絡を取ったり、参加者のデータを入力したりという裏方的な作業から始まり、その仕事が滞りなくこなせるようになると、毎年、定期的に行われている企画を丸ごと任せてもらえるようになりました。

新たな課題

今回のイベントは、私が提出した幾つかの企画案の中から新たな企画として採用されたもので、イベント開催に必要な手配の段階からほとんど全て任せてもらえることになりました。
新たな企画の為、毎年開催している定例イベントと違い、前年に倣って同様に進めるという訳にいかず、一から手配をする必要がありました。
初めてのことだったので、交渉や確認には注意を払い『報告・連絡・相談』を繰り返し、上司に教わりながら仕事を進めました。
自分の仕事もかなり忙しい中、私の仕事に落ち度がないかチェックとフォローをしてくれる上司に申し訳なさを感じながらも、そんな風に育ててもらえることが本当にありがたかったです。

まさかの展開

頭と気力をフル活用し緊張しながらイベントの準備を進めていたところに、9月6日の震災があり、既にイベント参加者の募集を開始していたので50人の定員に対し半数近くの申し込みがきていましたが、震災の影響で中止になるのではないかと私は思いました。
ですが、大きな余震がない限りは予定通り開催するとのことで、この組織のガッツに驚かされました。
押さえていた会場は安全確認が終わるまで使用許可が出ない状態だったので、私は使用可能な予備の会場をすぐに押さえることにしました。
運良く予備の会場を押さえられ、もともと押さえていた会場の使用許可がおりなくてもイベントを開催できるように整いました。


学びの基本

予備会場の収容人数がもともと押さえていた会場より少ないので、念の為、定員人数を少なく変更し調整することにしました。
結局、もともと押さえていた会場の使用許可が出たので、当日は約30人の参加者を広い会場に迎えイベントが開催されたのですが、参加者は程よい間隔の席でイベントの内容に集中できていたようなので、定員数を少なく調整してかえって良かったようにも感じられ、次回からの定員設定の参考にしようと思いました。
こんな風に、実際に自分の目で見るからわかることやその場の感覚、それによってひらめくアイディアもあるので、やはり体験することこそが学びの基本なのだと感じました。

挑戦と成長

自分が考案して、ほとんどの段取りを任されたイベントは初めてだった為、慎重かつ手探り状態で準備を進めていたところに震災があり、その影響で見通しが更に不安定になってしまい「何てこった!」と思いましたが、日々の実務修行の集大成ともいえる、私にとって重大な仕事だっただけに、困難を乗り越えて無事にこなすことができ感激と満足感でいっぱいでした。
失敗を避ける一番の策は『挑戦しないこと』で、それもまた無難に生きる為の術ですが、私は今回イベント参加者から感謝の言葉を頂き「大変な思いをしても挑戦して良かった」と思い、「これからも失敗を恐れないで挑戦する気持ちを大切にしよう!」と心に決めました。

ラッキーな私

私の上司と私は、同世代なのですがいろんな面において性質が真逆です。
だから私は『自分とは全く違う考え方とやり方』を知り、従来の自分のスタイルに取り入れて臨機応変な使い分けを覚えることができました。
尊敬できる上司の下で働けるのは幸運なことなので、これからもなるべくたくさんのことを学びたいと思っています。
力強く仕事をこなし活躍する女性がいるからこそ、女性のパワーが認められ社会的立場がどんどん確立されています。
私がチャンスをつかみ、仕事にやり甲斐を感じながら成長できているのも、上司のお陰なので、私は上司に心から感謝しており、世の働く女性には益々輝いて欲しいと願っています。


不思議な体験

先日、私は人生で二度目の不思議な体験をしました。
一度目は今から10年以上前、まだ独身だった頃で、友人宅に泊まっていた私は午前4時か5時ぐらいにふと目を覚ましました。
カーテンを閉めていなかったからか、遮光カーテンではなかったからかは忘れましたが、夏の陽ざしで部屋の中はとても明るく「今日もいいお天気だなぁ」と思いました。
仰向けで寝ていたので姿勢を変えようとしたところ、全く体を動かすことができず声も出せませんでした。
過去に金縛りの体験もなかった私は何が起こっているのかも、どうしたらいいのかもわからずに、仰向けのまま目線を天井から徐々に自分の足元の方に移しました。

奇妙な感じ

私の足元に灰色の人影のようなものが立っていて、顔や体のパーツはボヤっとしていて見えないのですが、私を見下ろしているのが何となく感覚でわかりました。
息ができず苦しいという訳でもなく、痛みも身の危険も感じなかったのですが「えーっ、何これ?!どうしよう・・・」と私は焦りました。
少しするとその影が私の身体の上にフワッと倒れてきて、そのまま私の身体に重なるようにスッと入ってきました
その影は少しヒンヤリとした感触で、私は「ヒィーッ!」と心の中で叫び、ただただ呆然としていましたが、少しすると手足の指先が痺れ始め、だんだんと身体が動くようになりました。

疲れ×仰向け=金縛り?!

自分には霊感なんて絶対ないし、きっと霊体験の類とは一生無縁だろうと、大した根拠もないまま勝手に安心しきっていた私は、何だかショックでした。
その体験が夜中とか、暗くていかにもなタイミングではなく、朝方の明るいときでまだ良かったなぁと思いながらも「またこんな体験したら怖くて嫌だなぁ・・・」と不安でした。
人にその体験を話すと「疲れすぎると体が動かなくて金縛りかと思うことってあるよ」とか「仰向けで寝てるとそういうことになりやすいよ」と言われるぐらいで、その体験以降は何も起こらなかったので、私もそんなに深刻に考えずに「不思議な体験だったなぁ・・・」と思う程度で忘れていました。


再びの不思議体験

二度目の不思議な体験は数日前で、午前2時か3時くらいに私はふと目が覚め、仰向けで胸の上に両手をのせた状態でボーっとしながら再び眠りに落ちるのを待っていました。
いつもなら老猫ちゃんに起こされ『撫でろニャー!』『水をかえるニャー!』命令されるのですが、今回は側に老猫ちゃんの姿はなく、私は「今日は眠れる!」とホッとしていました。
すると「イライラ、イライラ、イライラ・・・」と言う声が私のすぐ側で聞こえてきて、誰かが私の両手と両手首を締め付けているように感じ、ハッキリとは見えないのですがおかっぱ頭の女子がいるような気がしました。

怒りの叫び

もの凄いダメージを受けるような痛みではありませんでしたが、明らかに攻撃をされているのだと感じました。
「何?誰なの?」と思いながら腕を動かそうとしましたが、身体が動きませんでした。
何故だか私は焦りや身の危険を感じなかったので、そのままジッとしていると、今度は二の腕をギュッとつねられました。
10キロ以上も太り、タプタプした立派な二の腕になりましたが、脂肪とはいえ二の腕はつねられるとかなり痛いので、私はけっこう早い段階でアタマにきて、夜中なのにまぁまぁ大きめの声「やめろ!!(怒)」と言い、胸の上に置いていた自分の両手を左右に思いっきり振り払いました。

のんきな家族

その瞬間、私への攻撃は止み、おかっぱ頭の女子が消えていくのが何となくわかりました。
つねられた二の腕がジンジンと痛み「一体、何のつもりなの?!脂肪ならつねってもいいと思ってんの?!」と、私はプリプリと怒り、ブツブツと文句を言いました。
離れた場所でスヤスヤ眠る老猫ちゃんを見て「猫がいる家に霊は寄ってこないって聞くけど、老猫は例外なのかな・・・まぁ、今のは私の夢だったのかもしれないしね(^^;)」と呟きました。
そして、隣で私がキレながら騒いでいるのに全く気付かずのんきにグーグー寝ている娘を見て「誰かをアテにすることなく強く生きていこう」と改めて思いました。
ある意味、そんな決意を再確認する良い機会だったのかもしれません。

私、これからも自力で頑張ります( ;∀;)

『今年の夏』Vol.2


おばあちゃんの『My 田畑』

私の実家がある地域では、昔からその土地に住んでいるお年寄りはそれぞれ『My 田畑』『My 山』などを所有しており、趣味として田畑で農作物を栽培し、家族で美味しく頂くのが一般的でした。
今年の8月で102歳になった私のおばあちゃんも以前は『My 田畑』『My 山』を所有していたので、家の庭だけではなく広い田畑でお米果物野菜を栽培しており、そのお陰で私は小さい頃から季節ごとの美味しい農作物をたくさん食べて育ちました。
特に夏はほとんどご飯を食べずに、大好きなイチゴ、スイカ、メロン、トマト、キュウリ、アスパラガスだけを毎日食べていたような気がします。
「夏と言えばスイカ!」それが私と娘の合言葉ですが、娘は私と違って畑から好きな果物を採ってきていくらでも食べられるという環境で育っていないので、スイカはカットされたパック入りのものを買って食べるのが普通です。

イカな夏

イカ1玉を半分に切ってスプーンでそのまま好きなだけ食べていた私としては、娘にもその醍醐味を味わって欲しく、昨年の夏はそこそこ遠くの八百屋で大きなスイカを買い、1ブロック進むごとに休みながら頑張って家に持ち帰り、娘にダイナミックに食べさせました。
娘は大興奮で、嬉しそうにパクパク食べていたので、私は今年も娘にスイカ豪快に食べさせてあげたいと考え、ある日スーパーで大きなスイカを1玉買いました。
いざ持ち帰ろうとすると、昨年よりもスイカを運ぶのが体力的に辛く、途方に暮れていました。
すると娘が「私が持つよ!」とスイカを抱えて歩き出し、ヨロヨロしながらも家までしっかりと持ち帰ってくれました。
逞しく成長した頼もしい娘の活躍で、今年の夏は大きなスイカ1玉を3回購入し、二人で仲良くお腹いっぱい食べました。


リビング・シアター

私は娘に観せたい昔の映画や、一緒に観たい気になる映画があったので、レンタルショップでDVDを大量に借り、娘には飲み物とポップコーンを、自分にはシャンパンとカナッペを用意し、リビングで寛ぎながらのんびりとDVD鑑賞をしました。
『プリティープリンセス』ティンカーベルなどの女の子らしいディズニー映画、アベンジャーズアントマンなどのアメリカンコミックのヒーロー映画、インディージョーンズなどのアドベンチャー映画などいろいろ観ましたが、娘がダントツに気に入ったのは『チャーリーズエンジェル』でした。
娘は空手を習い始めたこともあり、何でも華麗にこなしてカッコよく戦う強い女性の姿に憧れを抱いたようでした。
私は「イイ映画は、何度観てもおもしろいなぁ・・・」と、懐かしさを感じたりワクワクしながら鑑賞しました。

『空手』の魅力

飽きっぽい性格の娘にしてはめずらしく、4月から始めた空手には休まずに通い、家でも熱心に型の練習をして頑張っています。
空手の先生は若い男性なのですが、道家なので礼儀や心構えについての指導もしっかりとしてくれます。
空手の先生が子供たちに言い聞かせる言葉は、人としての基本を説いた至極当然の大事なことばかりで、大人の私も「心を引き締めなければ!」という気持ちになります。
娘は小学6年生だけあって型の覚えが早く、やる気やセンスの面からみて『空手』という武道がとても合っているように思えます。
7月に受けた初の段級審査では11級に合格し、晴れて白帯から色帯に昇級していました。
空手は習得すると護身術としても役立ちますが、私は日本のマーシャルアートとして自国の文化や自分の特技を表現する際にも役立つ、素晴らしい財産になると思っています。

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マイペースな楽しみ方

半年ぶりに娘とボーリングに行きました。
私は、若い頃よりも体重は10キロ以上増加しているのにパワーは年々減少しており、娘と同じ8ポンドの球を選んでも投げるのが大変です。
娘は空手のセンスは良い方だと思うのですが、球技はどうもダメなようで、ガーター防止のレーンに感謝しながらゲームをしています。
私は腕が落ち、娘はセンスがない為、私たちのスコアは残念な数字になるのですが、それでも私たちはボーリングをするのがけっこう好きです。
お年寄り向けのレクリエーションには『サッカーボーリング』という、水の入ったペットボトルをピンにしてビニールボールを蹴って倒すゲームがあるとインターネットで見ました。
私は、そのゲームがボーリング場で新たに導入されたら、体力的な負担が少ない分、世代に関わらず誰もが一緒に楽しめそうでいいなと思いました。

驚きと慄き

娘と初めて4D映画を鑑賞しました。
私の好きな『ミッションインポッシブル』の最新作が4Dで観られるとのことだったので、前作の『ミッションインポッシブル』のDVDを観てしっかりと復習をしてから映画館に出掛けました。
いつものように飲み物とポップコーンを買ってシアターの入口に行くと、係の人に「危ないので手荷物はロッカーに入れてからの入場になります」と言われました。
「もしかして飲み物とかこぼれたりしますか?」と訊ねると「そうですね、気をつけて下さい。」と言われ、どれ程に激しく座席が動くのかと不安になりながら荷物をロッカーに預けて席に着きました。
シアターが暗くなり、4Dのシュミレーション映像が流れると一番前の列の両端からが出て、座席が激しく動いたのに驚き、娘と二人で「ヒィィィィーッ!」と声をあげ、慄いてしまいました。

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4D映画の迫力

映画は、トム・クルーズがいつも通りカッコよく、連続の大胆なアクション期待を裏切らない迫力でした。
「やっぱりこの映画のシリーズは間違いないよね!最高!」と、スピード感を盛り上げる水しぶき振動匂いを感じながら4D映画を楽しみました。
戦うシーンでは座席の背もたれがボコボコ動き、肩や頭を押されるような衝撃が何度も続き、臨場感はありましたが少し居心地が悪かったです。
娘の様子を伺うと、右腕にLサイズのポップコーンをしっかりと抱え、左手でドリンクホルダーに置いてある飲み物を押さえる必死な様子が可笑しかったです。
4D映画に慣れていないせいか途中で少し酔って疲れたので、映画の後はインド人が経営するレストランでエビのマンゴーソースサラダチキンカレーを食べ、エスニックのスパイススタミナをつけて帰りました。

夏バテ知らず

今年の夏は気温の高い日が続き、昨年よりも更に厳しい暑さに感じられました。
私と娘のパスポート輪ゴムでまとめて置いていたら、暑さで輪ゴムが溶けてパスポートの表紙にベッタリとくっついていました。
「輪ゴムが溶ける程の暑さって・・・」と呆気にとられながらも、「そんな酷な暑さの中、我が家の21歳の老猫ちゃんはよくぞ頑張って生き延びてくれたなぁ・・・本当に良かったなぁ・・・」と、しみじみありがたく思いしました。
私が現在住んでいる地域は湿気が少ない方なので、幸か不幸か私は夏バテすることもなく、野菜をモリモリ食べ、キリッと冷えたビールスパークリングワインもすすみ、職場では元気ハツラツ働きました。
私も娘もこの夏はなぜだか物凄く牛肉が食べたくなり『いきなりステーキ』2週連続で行ったり、近所の焼肉屋に行ったりしました。

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大好きな『牛タン』

私は牛タンも大好きで、以前住んでいた地域では決まったお店に定期的に行っていました。
そのお店は現在住んでいる地域にもあるのですが、たまにはちょっと冒険をして違うお店にも行ってみようと思い、前から気になっていた牛タン屋さんへ行きました。
『味噌味と塩味の牛タンの盛り合わせ定食』『牛タンの盛り合わせ定食』を注文したら、薄い牛タンが出てきました。
私がいつも行くお店の牛タンは分厚くても柔らかくて噛み切れることで有名なのですが、薄い牛タンはペラペラしてるのに噛み切れないので、一口サイズにカットしてもらいました。
『牛タンの盛り合わせ定食』には『芯タン』という分厚くて柔らかい牛タンが少し盛りつけられてました。
娘がほとんど食べていない状態で「もうお腹いっぱい」と言うので、私は娘の分の牛タンと麦飯も食べました。

『牛タン』について

娘はデザートメニューの『ずんだアイスクリーム』を食べ、気に入ったようでした。
ほぼ二人分の牛タンを食べ、満腹で幸せでしたが「やっぱり牛タンは分厚くて柔らかいのに限るなぁ・・・」と思いました。
私がいつも行くお店には薄い牛タンはなく、おそらく他のお店で『芯タン』として普通の牛タンと差をつけた値段で出しているものが、そのお店では普通の定食として出されているから、値段設定が他のお店より高いのだろうと気がつきました。
「牛タンは噛み切れなくて嫌い」とか「高い割に美味しさを感じない」と言う人がいますが、薄くて噛み切れない牛タンを食べればそういう感想を持ったとしても不思議はありません。
本当の牛タンの美味しさは『芯タン』を食べてこそわかるものだと思うので、薄い牛タンを食べ、人々が『牛タン=美味しくない』と思い、牛タンが嫌われるのは悲しいなぁと私は思いました。

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せつない『夏の締め括り』

小学校の視力検査で娘が『要再検査』だったので眼科に行きました。
長時間のパソコン使用のせいか、視線を変えたときや遠くを見るときにピントが合わず視界がぼやけるので、私も受診しました。
私も娘も散瞳剤という瞳孔を開かせる目薬をさされ、薬が効くまでしばらく待機し、お医者さんに瞼をひっくり返されながら念入りな検査を受けた結果、特に問題はなく眼の状態も良いとのことでしたが、私の視界がぼやけるのは「老眼のせいです」と言われました。
待ち時間も含め3時間かけてやっと検査を終えたところに『老眼宣言』をされた40代の私は「ガガーン!」と大きなショックを受け、しょんぼりと肩を落として眼科を後にしました。
夏の太陽が散瞳剤の影響を受けた眼に眩しくささる過酷でせつない帰り道でしたが、途中立ち寄ったカフェのランチが美味しくコスパが感動ものだったので、得した気分でちょっぴり元気が出ました。
そんな今年の夏でした。

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2度の震災を経て


老猫ちゃんの予感(?)

2018年9月6日(木)午前3時、私は愛しい老猫ちゃんに起こされました。
老猫ちゃんはお気に入りのマグカップの水が少なくなったとお怒りで「ウニャー!今すぐ起きて水を入れ替えるニャー!!」とばかりに寝ている私の耳元で叫び、若干爪を立てた手で何度も額を叩いておいででした。
私はいつものように「はいはい、わかりましたよぉ・・・(涙)」と仕方なく起きて部屋を明るくし、水を取り返させていただく前におトイレに行くことにしました。
低血圧なので起き上がってすぐに機敏に動くことができない私は、しばらくトイレでボーっとしていると、急にドーンと建物全体が突き上げられるような衝撃を感じ、嫌な感覚で一気に目が覚めました。

『震災』再び・・・

2011年の東日本大震災で被災し、かなり大きな縦揺れや横揺れのオンパレードを経験していた私は、トイレの壁に寄りかかりながら「あっ、この揺れはダメなやつだ!」と直感し、すぐに寝室へ走って戻り娘を起こしました。
娘は過去に経験した地震の恐怖を思い出して「うわぁ、怖いよー!」と泣いていました。
私もトラウマが蘇えり、恐怖で血の気が引きましたが、とにかく娘を抱きしめて「大丈夫だよ、ママがいるから大丈夫だよ。」と何度も繰り返し、前回の震災のときにした身を守る為の行動を瞬時に思い出し、これからやるべきことや必要な物を頭の中で整理しました。

非難の準備

揺れがおさまってからすぐにテレビをつけて地震情報を確認し、津波の心配がないことや震源との距離などを把握しました。
娘に懐中電灯を持って寝室の安全なスペースにいるよう指示をして、私は玄関までの通路の安全を確保し、玄関ドアがきちんと開くのを確認して、自分と娘のを持って寝室にもどりました。
次に、いつでも外に避難できるよう長袖の服とジーンズに着替え、財布保険証などが入ったバッグを手元に置きました。
そうこうしていると急に部屋が真っ暗になり、外の様子を窓から見ると他の家や建物の明かりも消えていたので停電だとわかりました。

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停電の影響

停電になると信号も消え、照明レジも使えなくなるので買い物もできず、電気で管理されているセキュリティーも機能しなくなるので、外は不便で危険な環境になります。
それに加え暗闇の中、娘を連れて外に避難するのはむしろ危ないので、朝になって明るくなるまで家にいようと決め、いつでも避難できる状態のまま待機しました。
災害で停電になるといつも、現地で被災している人はテレビという便利な情報源を絶たれるので、自分の置かれている状況を正確に把握できず、被害の少ない遠い所の人たちだけがニュースや速報で詳しい事情を知っているという、どうにも歯がゆい状態になるのが残念です。

断水と対策

今や、ほとんどの人が所有している携帯電話ですが、大事な時に電話が使えるよう、使用を必要最小限に抑えて電源を確保しなくてはいけないので、情報収集も不自由になります。
そんな状況で不安やストレスを感じ緊張していたので、余震が落ち着いてきた頃には疲れて寝てしまい、気がつくと朝でした。
マンションでは、停電になると各階に水を運ぶモーターが止まって断水になり、飲料水生活水もなくなります。
私は娘を起こし、まずは水を調達する為に出掛けることにしました。
お店はレジが使えず閉店していると思ったので、自治体の施設を目指して歩いていると、コンビニの袋を持って歩いている人がいました。

飲料の確保

訊ねてみると、近所の2軒のコンビニが開いているとのことだったので、私たちは急いで行きました。
2軒ともペットボトル入りの水はもう売り切れでしたが、片方のコンビニにはペットボトル入りのお茶が何種類かあったので、飲料の確保はできました。
電池や懐中電灯、携帯の充電器などはすぐに売り切れたようで、棚に並んでる食べ物も段々と減ってきている状態でした。
コンビニでは非常時でも使用できるレジ用機器を使ってお会計をしてくれていました。
コンビニが開いているのなら、近くのスーパーも開いているかもしれないと思い、次にスーパーへ行くことにしました。

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階段と行列

確保した飲料を、一度、家に置きに行ったのですが、停電でエレベーターが使えないので、マンションの8階まで非常階段を上らなくてはならず、かなりの重労働でした。
気温が高い日だったので汗だくで、休みながら息を切らしてやっとの思いで階段を上りきり、さっそく買ってきたお茶を飲んでしばしの休憩を取ると、気を取り直してスーパーに向かいました。
途中、スーパーで既にお買い物をして両手に荷物を持った知り合いに会い「お店に入るまで1時間も並んだよ!覚悟した方がいいよ!」と言われ「うわぁ・・・そんなに並ぶの?!」とガックリきました。

食料の確保

スーパーの入り口から長い行列ができており、ずっとここに並んでいたら他のお店に行けなそうだし、順番が回ってくるまでにスーパーの物がほとんどなくなってしまいそうだと思ったので、私は娘に1人で並んでもらい、近くのドラッグストア小型スーパーに先に行くことにしました。
ドラッグストアに着くともう品切れで閉店してしまっていたので、私は小型スーパーへと急ぎました。
店内には巡回コースが決まった列ができていて、ペットボトル入りの水は売り切れでしたが、食料の在庫は比較的ある方だったので、私は非常食になりそうなお煎餅パックのご飯とレトルトカレー、そして猫用の缶詰を買い物かごに入れました。

斬新なお会計

食事となるものがなくなったときの為に、一応スナック菓子飲むビタミンゼリーなども買い物かごに入れてレジに進みました。
レジが使えず正確な金額で計算して細かいお釣りを出すのが困難な為、100円以下の商品は全て100円101~200円の商品は全て200円201~300円の商品は全て300円として電卓で計算されるシステムでした。
「おぉー、なるほど!レジが使えなくてもそういう販売方法もあるんだぁ!」と、そのアイディアに感心しつつ「あれ、待てよ。ということは、私が念の為に買い物かごに入れた108円ぐらいのスナック菓子やらお煎餅やらの数々は、全部200円になるってことか・・・」と気づきました。

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親切なスーパー

こんな非常時には、食べ物を売ってもらえるだけでもありがたいことなので、食料を確保できて良かったと思いました。
再びスーパーへと戻ると、娘は行列の半分くらいまで進んでいました。
スーパーのすぐ隣では、各自の容器に水道局の人が水を入れてくれていたので、今度は私が行列に並び、娘は水をもらいに行きました。
娘が水の入った容器を手に私の所に戻ってくると、ちょうど私たちの順番になり、スーパーでお買い物ができました。
缶詰レトルト食品インスタント食品果物などがあり、レジが使えず細かい釣銭もないので、100円、150円、200円とキリが良い安めの金額設定で、買える数は決まっていましたが親切価格でした。

避難所へ

スーパーではペットボトル入りの水を買うことができて助かりました。
買い物が終わるとが降ってきたので急いで家に帰り、1回目よりも更に重い荷物を持って、何度も休みながら時間をかけて階段8階へ上りました。
食事をとり少しゆっくりしていると、娘が通っている小学校の体育館避難場所として開設されたというお知らせメールが入ったので行ってみました。
かなりの人が避難をしており、飲料水はなく非常食の乾パンをもらいました。
携帯の充電をしている人が多く、私も充電をしたかったのですが充電用のプラグを持参していなかったので家に取りに行くことにしました。

試練と根性

小学校でバケツを4つ借り、家に戻る途中の公園で水を入れ、私と娘はそれぞれ2つずつのバケツ4ブロック先の自宅まで運びました。
8階まで運んだバケツの水を自宅のトイレタンクに入れ、残った水を浴槽に貯水して、ソファーの上でぐったりしていると電気が復旧し、水が使えるようになりました。
もう少し待っていれば苦労してバケツで水を運ぶ必要はなく、無駄骨を折った感は若干ありましたが、こんなときに娘に『生き抜く為に必要な行動力と根性』を教えることができたので、体力的には大変でしたが学びの試練として受け止めました。
娘も私もよく頑張ったなぁと思います。


守られている私たち

私と娘は、ご先祖様や故郷の即身仏になられた上人様、2年前に19歳で旅立った老猫ちゃん、そして今も長生きしてくれている21歳の老猫ちゃんたちに常に守られているような気がしています。
前回の震災で恐ろしい思いをしましたが、娘が幼稚園から帰宅して私と一緒に家にいたので、私は娘を守ることができ、私たちにケガはありませんでした。
本当なら次の日から車で東京に出掛ける予定だった為、車にはガソリンが満タンに入っており、スーツケースには旅行用の荷物がまとめてあったので、震災の翌日、道路が封鎖されて移動ができなくなる前に他県の実家に避難することができました。

ありがたいこと

今回の震災でも、たまたま老猫ちゃんが私を(無理矢理)起こしてくれ、家の中が明るい状態だったので被害状況を把握でき、焦って事故に至ることもなく無事に乗り越えられました。
今回は、台風の後の大きな地震だったので、踏んだり蹴ったりだという気もしましたが、台風と地震が同じ日にこなかったことをありがたく思っています。
「わざわざ遠い地域に引っ越したのに、そこでもまた震災に遭うとはね・・・」と私のことを思う人もいるかもしれません。
(実際、私自身も「ウソでしょー!!!」と思いました(^^;)
ですが、私はこの地域に多大な魅力を感じており、予想外の2度目の震災で再び怖い思いはしましたが、それでもやっぱりこの地域に移住して良かったと思っています。

目から鱗』な観点

今回の震災では、この地域の人たちの復旧に対するハングリーさ力強さを感じ、今まで私が持っていた観点とは違う『逞しい生き方』を学べたような気がしています。
「こんな時だから自粛して静かに過ごそう・・・」という考えが当たり前だった私には「こんな時だからこそ負けてられない!どうにかしよう!とにかく前へ進もう!」という姿勢と行動が目から鱗が落ちるくらい新鮮で、やはり北の寒く厳しい土地を開拓してきた人たちの精神を脈々と受け継ぎ築き上げられた『北の大地の文化』は深いなぁと感じました。
私は、この土地に導かれて生きている人生をとても幸せに思っています。

ご自分の家も大変だったはずなのに、震災後すぐに人々の為にお店や避難所などの施設、その他の場所で仕事をしてくれた献身的で勇気と思いやり溢れる皆様に、心から感謝しお礼を申し上げます。