最近考えたこと


得意分野と新しい挑戦

職場で原稿を作る仕事を与えられ、文章を書くのが好きな私はウキウキしながら取り組みました。
私はとにかく感覚で物事を捉えて考えるタイプなので、人物や物についての原稿であれば、多くの情報からポイントを抜粋して要約したり、わずかな情報から糸口となるキーワードを読み取って内容を膨らませて書くことが比較的得意で、書くのが難しければ難しいほど大きくなる達成感を楽しみながら、書き続けました。
今回は、そんな得意分野に加え、『経済』をテーマにした原稿作成のミッションも与えられ、「新しいことに挑戦するチャンス!」とばかりに張り切って取り掛かりました。

残念な結果

テーマが『経済』となると、様々な統計データの数字から状況を分析して現状を把握する必要がありますが、日頃、経済に関する情報はスマホの幾つかのニュースアプリで目にする程度だった上に、感覚だけが優先され『数字で分析する』という習慣がほとんどない私にとって、そのテーマはかなりの難問となりました。
数字のデータに注目して、それを踏まえて考えても、最終的には感性メインの抽象的な表現が満載の原稿に仕上がってしまうので、何度か書き直してもなかなか上司の納得を得ることができず、あまり役に立てずに終わってしまいました。

キャリアの違い

上司が作成した完成形の原稿は、経済の傾向について具体的なトピックを交え、わかりやすく表現しながらも、威厳のあるとても整った文章で「さすがだなぁ・・・これがキャリアの違いというものか・・・」感動しました。
そして、自分が書いた原稿と比べ、そこにどんな違いがあるのかを分析しました。
物事の捉え方、考え方は、切り口によって変わるもので、またそれを論理的に表現するか、感覚的に表現するかでも更に違ってきます。
一つの切り口だけでは偏ってしまうので、幾つかの切り口で考えた上でまとめることが大事なんだと気づき、自分の実力のなさを恥ずかしく思いました。


現実逃避

「ウォォォォ、レベルが違いすぎて恥ずかしすぎるー!穴があったら入りたいー!ウォォォォー!!」(からの)「ウォーウォーウォーウォーウォーイェーイェーイェーイェー サバイバルダンス サバイバルダンス トライアルダンス♪」(更に)「今夜だけでもー シンデーレラボーイ ドゥーユー ワナ ダンス トゥナーイ♪」(ラストは)「みーつめるキャッツアイ マジック プレイ ダンシング みーどりいろに ひかーる♪」と、壊れ気味に懐かしの名曲『サバイバルダンス』『ダンシングヒーロー』『キャッツアイ』を頭の中で熱唱し、恥ずかしい現実から束の間の逃避を試み、気を取り直して速やかにスマホ『経済ニュース』のアプリ7つ増やしました。

弱点の強化対策

自分の劣っている部分を知るということは、恥ずかしさを伴い、場合によっては悔しい思いもするものですが、それを明確に知ることで強化する為の対策を考える良い機会にもなります。
逆に知らないままでいれば、ここぞというときにその弱点のせいで自分が苦しむことになるかもしれません。
なので私は、もっと『社会経済』に目を向けて、感覚だけではなく『数字データの分析』も合わせた上で考える訓練をし『経済』がテーマのミッションも難なくこなせるようになろう、せっかく恵まれた学びの環境にいるのだから、多くの知識や技術吸収しようと思いました。

『人の大切さ』

そんなミッションを通して『経済』について情報収集をする中で、成功している日本企業の経営者の言葉をいくつか読みました。
商売に関して先見の明を持っている人、強い精神逆境に負けず立ち向かい前進する人、地道な努力を重んじて着実に会社を大きくしている人、積極的な行動を続ける人と、成功者にもいろいろなタイプがいますが、共通して説いているのは『人の大切さ』でした。
私の周りには不思議と経営者が多く、やはり成功しているのは、社員を大事にしていて、人を気遣う礼儀正しさ心の余裕がある『実るほど首を垂れる稲穂かな』という言葉のお手本のような人たちでした。


『育てる』という責任

逆に、やたらと威張っているワンマンな経営者たちの会社は、時期や理由はバラバラでしたが、多くが倒産していました。
そんな実例からも、自分の会社の従業員をしっかりと育て、いかに大事な財産として考えるかで企業の命運は左右されるものなのかなと思いました。
人間は生まれてから一人である程度のことが一通りできるようになるまで、一般的には保護監督責任である大人に育てられ、社会に出てからは職場という環境の中でそれぞれ出会った人間に育てられます。
どちらの成長過程においても、真っ新な状態の人間性や意識の持ち方は、育てる側次第でいかようにも変わり得るので、育てる側の責任は大きいと思います。

現実社会の悪役

私は、大人になり社会に出てから、職種や待遇の違いで人に対して差別的な態度をとる人間に遭遇し、ドラマの悪役みたいな人が現実社会にも存在すると知りました。
自分の上司や先輩には過剰に頭を下げ、後輩には(たいして仕事もできないのに)必要以上に先輩顔でふんぞり返り、挙句の果てには「大きな組織の人間は特別で、バイトや清掃員、運送業者なんて全部下っ端の人間だ!」と、その職場で関わる違う立場の人をあからさまに見下して、自分の親よりも年上であろう人に対しても横柄な態度をとる若い社員の姿を見る度に、人間は一体どんな教育を受けたらこんな風になってしまうのかと驚きました。

行動でわかる人間性

娘の幼稚園小学校に行事などで行くと、当然よそのお母さんたちに会うのですが、先生方には愛想よく丁寧な挨拶をするのに、幼稚園バスの運転手さんや用務員さん、給食室の職員さんにはすれ違っても挨拶どころか見向きもしない人がけっこういて「自分の子供がお世話になっているのは先生方だけじゃなく、そこで仕事をして関わっている全ての人だと、大人なのに何故わからないんだろう・・・」と常々思っていました。
人間はどんなにキレイに着飾り上品にふるまっていても、そういう所に人間性が出るので、私はそういう人たちのことは信用せず、なるべく関わらないようにしました。


大事な基本

私は運良く、現在101歳のおばあちゃんに「他人を見下して馬鹿にするような人間になってはいけない。いつも感謝の気持ちと謙虚さを忘れないようにしなさい。」と、毎日のように教えられて育ったので、自分が親になった今、娘にも同じように「職業や立場で人を判断するような愚かな人間になってはいけないよ。大事なのはあくまでもその人の中身だよ。」「ゴミ収集をして街をきれいにしてくれる人、皆が使うトイレをいつも清潔に掃除をしてくれている人たちにこそ、感謝の気持ちを忘れてはいけないよ。」と、基本的なことだけど、人としてとても大事なことを教えることができています。

差別的態度

私は『差別的態度』をとる人間を見ると、例え自分に向けられた訳ではないとしても、その人を心から軽蔑します。
『差別的態度』から生まれるのは『歪んだ優越感』、それに対する『軽蔑』『敵意』などで、どれもプラスになるものとはいえません。
大人社会でもそんな『差別的態度』が蔓延しているのならば、大人をお手本として育つ子供たちの社会から『いじめ』がなくならないのは当然のような気がします。
きっと、それが国全体、世界全体に蔓延しているから、根源となり現在もいろんな所で大きな争いへと発展しているのでしょう。
負の連鎖しか生み出さない『人を見下す行為』消滅して欲しいと思います。

大きなメリットとデメリット

この先、AIがどんどん活用されれば、人的ミスによるトラブルの減少や、人手不足の解消、重労働の負担が軽減されるなど、様々なメリットが考えられますが、企業がAIを活用することで、今までその仕事をしていた人たちが不要になり、多くの従業員が職を失うという問題も出てきます。
過去にも不況によるリストラで、多くの人々が失業した時期がありましたが、その頃はまだ、人による仕事が当たり前の時代でした。
ですが今後は、企業がAIを導入し、人件費の削減と仕事の生産性向上を実施することで、人による仕事がどんどん減少すると予想されるので、更に厳しい時代になるのではと思います。


貧困者の行方

AIの導入で、企業は利益を増やして会社の規模を拡大し、更なる利益の増加を図れる可能性が広がりますが、人員削減により少数の人だけが高収入を得て経済的に潤い、以前よりも多額の消費をするようになっても、大多数の人間が無収入で消費したくてもできないという状況に陥ったら、どんなにAIの効率的なシステム理想的な宿泊施設画期的な設備の介護施設などを建てても、お金を払って利用できる消費者が十分に存在しないので、需要と供給のバランスがとれない状態になります。
消費者数が減っても、消費金額が大きければ経済と流通は回り続けるのかもしれませんが、貧困化した多くの人たちはどうなってしまうのでしょう。

極端な不安

助け合いや慈しみの心を重んじる『禅』の教えを持ち、世界的にも注目されている美しきこの国が、貧富の差が大きくなることで、貧しい人が住む地域はどんどんスラム化無秩序になったり、『差別的態度』が当たり前の世の中になって、貧しい人の人権は無くなり、人が人を見下して『下っ端扱い』するのを超え『物扱い』するようになり、ついには、奴隷として売買されたり、暴動が繰り返される恐ろしい国へと変貌してしまうのではないかと、そんな考えが頭をよぎります。
今の子供たちが大人になった将来は、一体どんな世の中になっているのだろうと、とても心配です。

『Giver(与える者)』の精神

国も社会も人間によって作られているもので、人がいればこその世の中なのだから、一部の人間の利益重視して利便性だけを追求すると、最終的には国も社会も機能しなくなり、どんなに新しい技術の開発が進んでも、実質的には退化してしまうのではないかと思います。
国と企業の発展を考えるときに一番大切にすべきなのが『人』ならば、社会的に影響のある大きな組織であればあるほど『Taker(得る者)』として利益を追求するだけではなく『Giver(与える者)』としての精神も持って社会の経済を動かして欲しいと願います。

いろんな意味で、どうぞ平和が続きますように・・・


よろしければ、娘氏のブログもどうぞご覧ください(*^^*)
n-a-creation.hatenablog.com