私の愛しき老猫ちゃん


永遠の『ニャイドル』

ウチには来月で21歳になる老猫ちゃんがいます。
私と娘は彼女の可愛さに夢中で、どんな瞬間の仕草や表情にも癒され、幸せをたくさんもらっています。
彼女の姉妹の老猫ちゃんは、一昨年の5月に19歳旅立ってしまいましたが、その子もかなり長生きをして私たちに幸せをたくさんくれました。
『お婆ちゃん猫』になってもその可愛らしさは赤ちゃんの頃のままで、私たちにとっては正に『永遠のアイドル』(娘曰く『ニャイドル』です。
逞しく生きて、いつも私たちに笑顔と癒しを与えてくれる丈夫な猫ちゃんたちとのご縁に恵まれて、私たちは本当にラッキーだと思います。

猫の日

猫ちゃんも、歳をとると内臓の機能も段々と低下して体重が減ったり、ほとんど眠ってばかりになったりと、いろんな部分で変化が出てきますが、年齢とともに生活や体調が変わってくるのは人間も同じことなので、ケアはしつつもあまり神経質に考えず、猫ちゃんが『ゴロゴロ』と喉を鳴らしてリラックスできる時間をなるべく多く作れるよう心掛けて暮らしています。
2月2日『ニャーニャー』猫の日だったので、娘と二人掛かりでいつも以上に「これでもか!」というくらい老猫ちゃんを撫でると、まるでスライムのようにぐにゃぐにゃになりながら、激しくゴロゴロと喉を鳴らしていました。

首と肩のコリ

人間の頭は身体の上に乗っかっている状態ですが、猫や犬などの動物は頭を自力で持ち上げて見上げている状態で、実はかなり首や肩が凝りやすいと聞いたことがあるので、私はたまに老猫ちゃんの首や肩のマッサージをしてあげるのですが、いつも決まって「オォォォォ、これは気持ちがいいですなぁ、たまりませんなぁ・・・」という独特の表情を浮かべます。
そんな様子を見ると「あぁ、どんなに赤ちゃんみたいに可愛くてもやっぱりお婆ちゃんなんだなぁ・・・いろいろ大変だよねぇ・・・」と思い、いたわってあげなくてはという気持ちがますます強くなります。


人生の同志

私自身も年齢を重ねるごとに身体の衰えや、以前と比べてできなくなったことを、日々切実に感じて生きているので、最近は老猫ちゃんのことを『自分の子供』としてだけではなく『共に人生を歩んできた同志』と認識しています。
娘が生まれてから私の生活スタイルはガラリと変わり、それなりにいろんな苦労もありましたが、思えば猫ちゃんたちも娘が赤ちゃんだった頃からその成長を見守り、振り回され、時にはストレスでハゲたり、病気になって入院をしたりしながら一緒に生きてきたので、そういった意味でもやはり猫ちゃんたちは私の『同志』であると思います。

魅惑の『抱っこ』

若かりし日の猫ちゃんたちは、かなり尖っていて「あたしたちが求めていない時に気安く触るんじゃニャい!抱っこニャんてニャれニャれしいんだよ!」という感じだったのですが、いつも娘が私に抱っこされているのを見ている内に段々と様子が変わり、「あのぉ、一つ私たちも抱っこしてはもらえませんかのぉ・・・」とアピールしてくるようになり、抱っこしてあげると「ほほぉ、抱っことはなかなかイイものですなぁ・・・」という表情でおとなしくしていました。
それから私は、二匹の猫ちゃんと娘に代わる代わる抱っこをせがまれ、しばらく肩、腕、腰の痛みが取れない日々を送りました。

猫ちゃんの便秘

娘が大きくなると、今度は娘が猫ちゃんたちを抱っこするようになり、最初は賢い猫ちゃんたちは自分の身の危険を察知して娘から逃げ回っていたのですが、今では娘も上手に抱っこができるようになったので、お互いに抱っこタイム満喫しています。
先日、娘が猫のトイレ掃除をしながら「猫ちゃんがウンコをしていない」と言ってきたので、猫ちゃんの様子を観察してみると、トイレに行って排便をしようとしながらも、すぐにやめて戻ってきてしまうという行動が見られました。
調べてみると、猫は老齢のせいで排便の回数が減ったり便秘気味になることもあるとのことでした。


おなかのマッサージ

猫ちゃんの場合も、便秘にはおなかのマッサージが良いとのことだったので、私はさっそく猫ちゃんのおなかをマッサージしました。
私が小さい頃、おなかを壊すといつもおばあちゃんが「痛いのなくなれー、痛いのなくなれー・・・」と言いながらおなかを撫でてくれたように、私も「ちゃんとウンコが出ますように、ちゃんとウンコ出がますように・・・」と言いながら、猫ちゃんのおなかを時計回りに撫でました。
猫ちゃんはおなかのマッサージが気に入ったようで、自らおなかを出して希望してくるようになり、そんなこんなでマッサージを続けていると二日後ぐらいにようやく排便がありました。

猫かわいがり

たまたま仕事が忙しい時期で、滅多にすることのない残業をしている私に、娘がわざわざ電話で「猫ちゃんのウンコ出たよー!」と報告してくれ、とてもホッとした気持ちで仕事を終わらせました。
家に帰り、さっそく猫ちゃんのウンコを確認すると、7センチ程の立派なウンコが4本も出ていて、娘と大喜びしながら猫ちゃんを撫で「偉いねー!よく頑張ったねー!」と、チヤホヤして褒めまくりました。
きちんと排便をしただけでこんなにも褒め称え歓喜するなんて『猫かわいがりの極み』もいいところだと思いつつも、私たちは今日も幸せです。

心得た攻撃

夜中に老猫ちゃんが突然「撫でろニャー!」と大きな声で鳴いて私を起こすのはいつものことなのですが、最近はその命令に従うのが遅いと、寝ている私の軽く爪を立てた状態でベシッと叩いて強引に起こします。
また、足の肉球で、寝ている私のをググーッとゆっくり押したりもし、私は「うわぁーっ、そんなことしたら眼球がボローンって飛び出しちゃうからぁ!」と言いながら、慌てて起きます。
「さすがは老猫様、どんな攻撃を与えるとすぐに命令に従うかをよく心得てらっしゃる・・・(泣)」といった具合で、私はいつも寝不足気味です。


私と猫ちゃんたち

そんな過酷な睡眠事情ではありますが、人の心を癒すF分の1の揺らぎで、猫が鳴らす喉の『ゴロゴロ』という音を聞きながら、猫ちゃんの小さな鼻から出る息が自分の顔に当たる距離一緒に眠れる日々に、心から感謝しています。
約21年前、猫ちゃんたちが私のもとにきて以来、私はずっとお母さんのつもりで猫ちゃんたちを育ててきました。
自分がまだ若く未熟だった頃は、仕事が辛くて辞めたくなったり投げ出したくなったりもしました。
そんなとき私は「私が仕事を辞めて収入がなくなったら、猫ちゃんたちのご飯はどうなるの?猫ちゃんたちが病気になったときの治療費は?」と考えました。

守るべき存在の有難さ

自分が育てると決めた命への責任を考えることで、「私は猫ちゃんたちを守るために頑張る!絶対に自分の弱さに負けない!」思い直して乗り越えることができました。
よくドラマなどで「誰のお陰で生活できてると思ってるんだ?!お前らのせいで嫌な仕事も我慢しないといけないんだ!」と威張るシーンがありますが、自分が守るべき存在があるということは、自分を奮起させたり思いとどまらせることにも繋がるので、とても有難いことじゃないかと私は思います。
私は、御縁があって猫ちゃんたちのお母さんになれたことに感謝しており、一日でも長くそうあり続けられることを願っています。

それぞれの事情

最近『お母さんの応援ソング』として作られた歌と、それに対するアンサーソング反響があり、世間が少しザワついているというニュースを読みました。
物事にはいろんな捉え方があって、それは置かれている立場や環境によってもだいぶ異なり、正解不正解があるわけでもなく、共感できる人もいれば共感できない人もいるのが当たり前なので、「自分と違う意見や環境の人もいる」と受け止めるのが自然かなと思いました。
我慢することが多いお母さんも、自分のことに時間をかけられるお母さんも、子供がいない女性も、その他の人たちも、皆それぞれの事情の中でいろんな思いを胸に頑張っているんだなぁと改めて感じました。


世間の見方

私は、自分が育児をしてみて「子供の行いは親次第というのが世間一般の根強い見方なんだなぁ・・・」実感しました。
子供が良い行いをしても悪い行いをしても、子供の個性などとは関係なく、最終的には『親による躾』がきちんとされているかどうかという話になっていたように思います。
そのとき私は、子供の躾について深く考えると同時に、自分の親のことを考えました。
親は、私が何歳になろうとずっと私の親なので、例えば私がみっともない真似をすれば、親まで私のせいで『そんな躾をした親』とか『親もきっとそういう人間に違いない』と思われる仕組みなのだと気がつきました。

自分の行動次第

世の中には「大人になった人間の行動は本人の問題で親は無関係」と思う人ばかりではなく、「あんな行動をとる人間は、一体どんな親に育てられたのか」と考える人も多いので、いくら本人が「自分は自分、親は親だから、親は何も悪くない!」と主張したところで、自分を育ててくれた親自分の行動のせいで悪く言われるということもあると思います。
そこで「親を馬鹿にするな!許さないぞ!」とどんなに強く主張したところで、残念ながら人の考え方や言動は簡単に変えられないので、自分のせいが悪く言われるのを避けるには、自分の行動を見直し自分が成長するしかないのだと思います。

大事な繋がり

また、自分が親の立場なら、自分の良識ない幼稚な行動心無い行動のせいで子供が「あの親の子供じゃね・・・」と言われたり、いくら「子供は子供だ!自分とは違う!」と必死に主張しても「きっと子供もあの親みたいになるだろう・・・」と、罪もないのに世間に残念な見られ方をすることもあり得るので「楽ちんだから」とか「自分は自分だから関係ない」『自分の自由』ばかりを追求するのではなく、大事な人を守る為にも成長する努力は必要なのだということにも気がつきました。
人間は必ず人間との繋がりがあり、だからこそ生まれてこの世に存在していて、自分の為だけではなく大事な人の為にも成長するようにできているのだと思います。
私は、子供としてもとしてもその繋がりに感謝し、自分にとって大事な存在大切にしながら生きていこうと思いました。