私の方針と解釈


心の芯

私は思考を廻らせることが好きで、いろんな事柄についてじっくりと考えます。
そして、自分が考えに考えて辿り着いた答えや方針は、とことん信じて貫き通します。
人は、重ねる経験生きた年月によって考え方やものの見方が変わるので、10年前や20年前の自分と今の自分とでは当然、物事の捉え方や考えが違っていますが、根本的な信念は変わっていないと感じます。
それはきっと、現在101歳の私のおばあちゃんがくれた教えが大きく影響しているからだと思います。
『礼儀、努力、誠実さ』が人間にとっていかに大切かということと、『心の芯が通っている人間はそう簡単には負けないものだ』ということを、いつも私に説いてくれたおばあちゃんに、私は心から感謝しています。

経験という財産

私は、私を母親に選んで生まれてきてくれた娘に、常により良い環境を与えたくて、娘がなるべくいろんなことに挑戦できる機会を作れるよう心掛けています。
経験こそが人間を成長させる、何よりの財産だと考えるからです。
娘が小さい頃から、いつもインターネットのイベント情報や自治体の広報誌をまめにチェックしては応募し、多くの体験のチャンスをゲットして親子で楽しんできました。
娘も好奇心が旺盛なのでいろんなイベントに張り切って参加し、実際に体験しみて想像以上に楽しく感じたものもあれば、予想に反して自分にはちょっと向いてないかな・・・と感じるものもある中で、『何事も挑戦してみなくてはわからない』ということを自身の経験から学んでくれているような気がします。

3つの必要能力

娘の学習面では、何でも出来が良いに越したことはないのですが、私はあまり欲張らず3つのことだけに重きを置いています。
①言語能力 相手の言葉を理解し、自分の考えを的確な言葉で表現して相手に伝える能力。
②計算能力 お金や時間の計算をして、やりくりをする能力。
③コミュニケーション能力 礼儀やマナーを守り、自分の考えをしっかりと持って人とディスカッションができる能力。
この3つがあれば、人間はどんな分野でも何とかやっていけると私は思っています。
また、自分が生きるフィールドを、今住んでいる地域や国に限定するか、国を越えて世界単位で選ぶかは語学力によって違ってくるので、世界共通語とされている英語を話せるようにしておくのは良いことだと思います。


スキルと広がる選択肢

履歴書に書いて評価を上げる為の英語ではなく、単に英語が話せるといろんな国の人と付き合い多くを知ることができるし、いろんな国で様々な経験ができ、自分の選択肢や可能性が広がるので、人生を楽しむ為のスキルとして身につけた方がいいと考え、①と③には英語学習も入っています。
『それしか選択肢がないからその選択をする』のと『多くの選択肢がある中でやっぱりコレだと思ったからその選択をする』のとでは、結果的には同じ選択であっても、その後の生き方のスタンス幸福感が大きく違ってくると思います。
また、せっかくのチャンスが巡ってきたときに「挑戦してみたいけど言葉が通じないから・・・」という残念な理由で諦めて欲しくないと思うのです。

改善策の重要性

娘の行動面においても、あまり欲張らずポイントを絞り『だから』というキーワード『やってしまったことを自分でどう立て直すのか』というテーマに取り組み続けています。
子供なので当たり前なのですが、娘は日々いろいろな失敗を繰り広げ、更に『お年頃』ということもあり、悪知恵を使ってあの手この手でズルをしてきます。
その都度、私が注意したり叱ったりするので、娘は「ごめんなさい」と謝るのですが、本当に大事なのは謝ることよりも、『失敗をした。だから次からはどうするのか。』『悪いことをした。だから今後はどうしていくのか。』ということだと私は思っているので、娘に改善策をしっかりと考えさせ、自分の言葉で宣言し、それを実行するまで見届けます。

大きな差

『だから』というキーワードは実は大人社会にも重要なものだと、私は考えます。
仕事でミスをして謝るのは当たり前のことですが、それで「はい謝ったし落着、落着!」と終わらせる人と「敗因は○○だったので、次回からはこうします!」ミスを生んだ理由と、その具体的な改善策まできちんと考えられる人とでは、その後の成長の度合いが大幅に違ってくるはずです。
管理する立場側にしても、何らかの問題提起をし「もっと、ちゃんとやりなさい!」とか「どうなっているんだ!」と言いっ放しの人と「だから、今後はこういう風にしなくてはいけない。」と取り組み方を示してくれる人とでは、統率力部下との信頼関係部下の成長大きな差が出るはずです。


必要な取組み

「自分で考えて何とかしなさい!」という指導をして、実際に部下が自分では全く見当もつかないことをひたすら考えて時間を浪費しながらミスを連発するよりも、基本をきちんと指導した上で「あとは自分なりに応用して、より迅速にこなせる工夫をしなさい。」と指導する方が効率的かつ合理的で、建設的だと思います。
仕事ができることと、人に指導ができることは別の才能なので、組織の発展を考えるならば、管理者はその見極めをしっかりして適材適所な人事や仕事割りをすることが最も重要だと思います。
指導を怠れば人材は育たず人事や仕事量の采配を誤れば必ず仕事は滞り、ミスが多くなればなるほど組織の看板に傷がつき、自分たちの耳には入らなくても世間の評判は必ず下がるのです。

解釈次第

日常の言葉の解釈にも『だから』というキーワードは大事だと思います。
『人は独りでは生きていけない』という言葉があり『だから助け合うことが大切』という意味なのだと思いますが、肝心なのはその後に更に続く『だからどう行動するのか』という部分だと思います。
『人は独りでは生きていけない、だから・・・』の続きを『助けてもらえるように常に集団の一員でいる。』とか『浅く広く友達付き合いをして、一人ぼっちにならないようにする。』とか『面倒でもランチ会・サークルなどの集まりやSNSで積極的に広く繋がって、多くの人と仲良くしておく。』という風に解釈し、伏線を張るのに忙しく行動している人は、何だか疲れて大変そうだなぁと思います。

必要業務

私は、母親になり『ママ友』『保護者会』などのお付き合いが必然的な状況になってからも、子供同士を比べたがる母親や、教育方針が自分とは明らかにかけ離れている母親の影響を避けるべく、必要最低限のお付き合いしかしていないので気が楽です。
『友達』が多いことが本当に嬉しくて、幅広いお付き合いをしている人にとっては『人は独りでは生きていけないから助け合いが必要。だから皆で繋がりましょう!』というのは普通の良き日常なのでしょうが「知らない人間のことは誰も助けないから、自分の存在を周りに知らせておかないと、イザというときに一人ぼっちになって困ってしまう。」という不安から、伏線を張っている人にとって、そういったお付き合いは面倒ありきの必要業務でしかないのだろうと思います。


困った時はお互い様

私は、個人としても母親としても、いろんな人と必要以上のお付き合いはしませんが、誰かが困っていたら、例えそれが知らない人だったとしてもお声掛けをして助けます
「余計なお世話だ」と断られたときの恥ずかしさや、知り合いでもないのに話しかけてきたと変な目で見られるかもしれないリスクよりも、まずは『困ったときはお互い様、放っておけない!』という考えの方が先に立ち、他人に対して親切に接することに何の戸惑いも感じません
私は『人は独りでは生きていけない、だから・・・』の後には『困っている人がいたら、助けの手を差し伸べる優しさと勇気を持とう。』『お互い思いやりのある態度で接し合おう。』と続くものと解釈しています。

平等な『思いやりの心』

集団に身を置くことで仲間意識支配され過ぎて、同じグループ以外の人を必要以上に警戒し、話しかけることや話しかけられることをまるで悪いことのように捉えてしまっている人が、大きな集団であればあるほど多くいるような気がしています。
『人は独りでは生きていけない、だから助け合う為に、そういった隔たりのある考え方や接し方はやめましょう。困っている人がいたら親切にしましょう。』という解釈の人が増えたら、世の中からギスギスした対立や望んでいない業務的な付き合いのストレスが減るんじゃないかと思います。
言葉は、人の解釈の仕方によって意味合いや、その後に続く行動が違ってくるので、正解・不正解がないだけに判断が難しかったりもしますが、人に対して平等な『思いやりの心』を持つことで、多くの事柄がより良い方向へ進んだらいいなと思います。

よろしければ、娘氏のブログもどうぞご覧ください★n-a-creation.hatenablog.com