お疲れ気味な心たち


忘れがちなこと

人への対応の仕方には『ちょっとした違い』が多く潜んでいて、それにより笑顔良い関係が生まれたり、不要な憎み合い争いが生まれたりします。
人に挨拶をされた際にきちんと挨拶を返すのか、失礼な態度で無視するのか、お互いにぶつかってしまった際に「すみません」と謝るのか、「お前が悪いからぶつかった」と文句を言うのか、そんな些細な事からでもお互いに受ける印象や抱く感情は大きく違い、大人でも小さな子供のように感情のコントロールができなくなり争いに発展します。
大人が子供と同じレベルの行動をしてしまうなんて情けないようにも思いますが、きっと忙しい日々の中で直面する様々な問題が多すぎると、誰もが当たり前に守れていたマナーだとか思いやりだとか、そんな大切なことをつい忘れてしまうのかもしれません。

手の掛かるお年頃

先日、4~5歳ぐらいのやんちゃな男の子を連れたお母さんが、スーパーのレジで多くの小銭をバラバラと落としていました。
小銭を拾い集めるお母さんに、近くを通りかかった年配の女性が「ここにも落ちてますよ」と小銭を指さしながら教えてあげると、そのお母さんは「わかってます!」迷惑そうに冷たく答え、年配の女性は「だったら早く拾えばいいじゃないの」と気分を害して立ち去りました。
親切で声を掛けている人に対してそんな態度をとらなくても、ただ「はい」と答えれば済む話だと思いましたが、きっとあのお母さんは言うことをきかずにいろんなことをしでかすお年頃の子供を育てる日々に疲れてるのかもな・・・と、可哀想に感じました。
私も娘があのくらいの頃は育児がしんどかったと思い出し「あと少ししたら段々と手が掛からなくなるから、それまで頑張って!」と思いました。


通勤電車にて

ある朝、通勤の際に駅で眼の不自由な若い女性に会いました。
混雑する電車なので、その女性が無事に乗れるのか心配で、どこまで行くのかと声を掛けると私と同じ駅だったので、私はその女性と一緒に電車に乗ることにしました。
電車が到着し、いつも通りもみくちゃになりながらその女性と電車に乗り込み、安全そうなポジションを確保すると、「もう少し下がってもらえませんか?」「あぁ?嫌だよ、うるせぇな!」というやりとりが聞こえてきました。
どんどん人が乗ってくるのに、自分が立っている場所から一歩も動かない若い男性がいて、スーツ姿の男性が「乗る人がたくさんいるんで、ちょっと場所を空けて下さい。」と促していたのでした。
それに対して若い男性は再び「だったらお前が下がればいいだろ!」と乱暴に言い、スーツ姿の男性は呆れて言葉を失っていました。

苛立つ若者

電車が発車するとスーツ姿の男性が「皆が乗りやすいように少し動いて欲しいと言っただけなんですよ」と再び言うと「うるせぇよ!お前が動けばいいだろ!」と若い男性が攻撃的に返し、次の駅まで電車の中は不穏な空気でした。
私はそんな態度をとる人間の顔とナリが気になったのですが、一緒に電車に乗った女性を揉め事から遠ざけ、きちんとサポートするという(勝手に自分で決めた)重要なミッションがあったので、わざわざ振り返ってその若い男性の顔を見ませんでした。
社会で生活する以上、人に対して乱暴な話し方をするのは明らかにマナー違反ですが、きっとその若い男性はそんな最低限のマナーを守る余裕もないほど、何らかの大きな不満不幸を抱えていたのでしょう。
私はその若い男性の幼稚な行動を残念に思いつつも、その若者が早く苛立ちから解放され、優しくなれたらいいのになと思いました。


投げやりな講師

他人に話しかけられたり質問されるだけで、攻撃をされたと思い込み、ムキになって過剰に反応している人をたまに見かけます。
私は娘がまだ小さい頃、母親として我が子の身の安全を守る為にいろんな知識を身につけようと、救命講習を受けに行きました。
質疑応答の時間に年配の男性講師に「何か質問はありませんか?」と言われたので手を挙げると、あからさまに「何だお前は!俺様の説明に何か不満があるのか!」というような表情をされ、私は「えっ?」と戸惑いながらも、いろんな状況が重なった場合の優先順位について質問をしました。
すると「まぁ、臨機応変に対応するしかないでしょう。」投げやりな回答をされたので、この人に質問をしても意味がないと判断し「わかりました」と言って、後日、他の方法でその答えを得ることにしました。

弱さの表れ

私は、自分が欲しい知識を得る為に合理的に行動し、知識を手に入れる方法何パターンも考えるので、その年配の講師の面倒くさそうな返答や態度に別に困りはしませんでしたが、私が講師だったら興味を持って真剣に聞いて質問までしてくれることに感謝し、きちんと丁寧な説明をするし、意見があがれば「おぉー、なるほど!」と素直に受け止めて参考にするけどなぁ・・・と不思議に思いました。
『質問=自分に対する攻撃』と捉えてしまう人というのは、自分の考えや発言に自信を持てない弱さや、常に人に攻撃的な態度をとられ続けた結果、反射的に防御の姿勢をとる習慣があると思われるので、もしもその男性講師が自分を高圧的に見下す人に囲まれて、ずっと委縮しながら生きてきたなら苦しかっただろうなぁ・・・と思いました。


二人の女性

つい最近、職場のお手洗いで「臨時職員なんかに情報は見られないようにすればいいのに!」強い語気で話している二人の女性を見かけました。
その女性たちが臨時職員で、仕事が広がり過ぎて大変だから「自分たちになんか情報を見せないでくれたら仕事の負担が減るのに!」という意味合いなのか、自分たちは正職員で「臨時職員なんか信用できないから情報なんて見せたくない!」という意味合いなのか、あまり知らない人たちなので判断がつきませんでした。
前者だとしたらよほど仕事が大変なんだなぁ・・・と不憫に思いますが、後者だとしたら同じ職場で働いている人に対する差別的発言にかなり引きます。
そんなに重要な情報ならば企業が責任を持ってきちんと管理すべきであって、臨時職員がそんな言われ方をするのはずいぶんと酷い話だと思いながら、私は年上であろう緩い服装の二人の女性を眺めていました。

スキルと知識

社会問題となっている雇用の格差について私は、正社員と非正規社員の間にある違いは優遇されるかされないかという運の良し悪しと御縁の問題で、実力の優劣によるものとは限らないと思っています。
新卒で正社員として雇用されたとしても、何らかの理由で退職して他の会社に就職すれば、ヘッドハンティングでもない限り中途採用という理由で自動的に非正規社員として迎えられるのが現代の一般的な流れだと思います。
ある企業ではチームを率いて優秀な仕事をしていた人が、違う企業に就職すれば立場も待遇も変わり、そこでの勤続年数は0からのスタートになりますが、その人の『スキルと知識』までもがリセットされる訳ではないので、場合によっては前からその企業で働いている人よりも実績をあげることだって当然あり得る話なのです。


正当な評価

待遇に差がある人間同士が一緒に働く以上、優遇されている人間低待遇の人間よりも仕事をしなかったり、同じくらいの仕事しかこなさなかったりすると、様々な問題に発展してしまいます。
また、低待遇の人間が優遇されている人間と同じ責任や働き方を求められるのもおかしな話で、やはり労働に見合う対価が支払われるべきだと思います。
『勤続年数』『立場』を武器に自分を優位に見せようと必死な人も稀にいますが、私は『仕事の勝負は仕事でするもの。仕事ができない人間に発言権なんてない。』というのが暗黙のルール下剋上的な環境で働いてきているので、職場においては誰のことだろうと仕事に対する姿勢や実力でしか評価しませんし、媚びへつらったりもしません。
勤続年数が短くても、向上心が強く応用力に長けている人間には敬意を払い、立場や年齢に関わらず学ばせてもらいたいと思います。
社会が肩書き重視のスタイルを卒業し、誰もが実力に見合った正当な評価を受けられるようになれば、働く人間のレベルが上がり事業の質がより良くなると私は考えます。

疲れた心に響く言葉

吐き捨てるような口調『臨時職員』の話をしていたあの二人の女性の発言の意図愚痴なのか差別なのか今も気になるところですがヘイトスピーチだった場合は企業の社会的信用に関わるので)、彼女たちの歪んだ表情を思い出すと「ストレスだらけで幸福感を持てない人生を送っているのかなぁ・・・」気の毒に思います。
そして最近の私もまた、蓄積された不満や怒りに支配されてあの二人の女性のように歪んだ表情になっていたであろうと自分を振り返り、反省し、原点に返るべくブルーハーツ『青空』『人に優しく』を聴き、その歌詞を噛みしめました。
子供の頃に当たり前にできていた真っすぐなものの見方シンプルな考え方人に対する優しさは生きていく上でとても重要なのに、失くしてしまうのは怖いことです。
お疲れ気味な心に響く言葉が詰まったその2曲を、よろしければ皆様もぜひ聴いて歌詞に注目してみて下さい。

♪ 聞こえて欲しい、あなたにも・・・『頑張れー!』