おばあちゃんの知恵袋

 f:id:n-a-creation:20161101231724j:plain 祖母  今年で100歳になった大正生まれの私の祖母は、有り難いことに今も元気に暮らしている。
 おばあちゃん子の私は、祖母に沢山の愛情をもらいながら育った。
 ここでは、祖母が私にしてくれた愛情溢れる行動の一部を紹介しようと思う。

梅の漬け汁  幼稚園に入ったばかりの頃、私は壁に頭をぶつけてタンコブができてしまった。
 痛がって泣き続ける私のコブを早く治してあげようと、祖母は自慢の知恵袋から一番良い方法を選び、梅とシソが漬けてある壺をもってきて、たっぷりと漬け汁を含んだ赤いシソの葉を私のタンコブにふんだんに乗せた。
そして
  「これをつければもう大丈夫だからね」と微笑む祖母の隣で、顔に垂れてくる梅の漬け汁を拭くのに必死で、コブはまだ痛かったが早々に泣き止んだ記憶がある。

ミョウバン  日本海のすぐ側で生まれ育った私は、冬の冷たい海風で手がかじかみ、毎年しもやけになっていた。
 両手が野球のグローブのように腫れ上がり、指が曲げられず箸を持つのも難しかった。
 冷えれば痛くなり温めれば痒くなるという大変な状態のしもやけを見て、幼い孫の両手を何とかあげたいと思った祖母は、私の為に自慢の知恵袋から治療法を探り出した。
 茄子を漬けるとき、鮮やかな青紫色にする為に使うミョウバンをお湯に溶かして手を浸すと、血行が良くなってしもやけが治るというのだ。
 ミョウバン湯に手を浸す私に祖母は「これで大丈夫」と微笑んだ。
 
そして  数日が過ぎても私のしもやけは一向に良くならず、段々と手が青紫色になっていった。
 ミョウバンは血行を良くする作用があるが、肌質によっては色素沈着を起こすらしく、私の手はそれ以来、立派な青紫色のグローブとなった。

ネギ  小学4年生の時に長く風邪をこじらせてしまい、学校を何日も休んだ私を祖母は不憫に思い、久しぶりに登校する日の前夜「もう可愛い孫に風邪など引かせまい」と自慢の知恵袋からとっておきの予防法を取り出した。
 ネギは風邪の予防に効くからと、私の首に軽く炙った1本の長ネギをぐるりと巻いた。 

試練  次の朝、祖母は「学校にも巻いて行けるようにしたから大丈夫だよ」と、タオルで包んだネギを私の首に巻いた。 タオルで包んでもネギを首に巻いて出掛けるのは恥ずかしかったのだが、自分の為に一生懸命にしてくれる祖母の優しい笑顔を曇らせるのは悪い気がしたので、私はネギを巻いたまま登校した。
そして  教室に入ると、クラスメイトはすぐにネギのニオイに気付き、私を囲んで物珍しそうに見ていた。  (当たり前である。) 
主役  だがそこは昭和時代の田舎の小学生、馬鹿にするのではなく「なんだかスゴイものを巻いてるぞ」「できれば自分も試したい」的な空気になり、病み上がりでネギを首に巻いて登校した私は、その日の話題の中心となった。
流行  家に帰って首にネギを巻いてもらったという子が何人もいて、おばあちゃんの知恵はちょっとしたブームになった。
 素直で純朴な友人に囲まれていて助かった。

ハンドルカバー  中学になった私は、雨の日も風が強い日も自転車で通学していた。
 幼い頃ミョウバン湯によって青紫色になった手が、風雨にさらされてますます痛そうな様を見て可哀想に思った祖母は、今度は自慢の知恵袋からではなく自分の自転車からシニア感漂うハンドルカバーを外して私の自転車につけてくれた。
 私はもう中学生だったので「さすがにこれは・・・」と言うと、祖母は「任せて!」とばかりに自転車屋に向かい、赤で縁取られた白い本革のハンドルカバーを買ってきて「これなら大丈夫」と微笑んだ。
そして  せっかくの祖母の厚意を断るのも気が引けたので素直に使ってみたところ、実際に暖かくて便利だったのだが、いくら田舎の純朴な子供とはいえ、さすがに思春期で恥ずかしかったので、祖母に貰った手袋を使うということで話をまとめた。

更なる強者  高校に入り、違う地域に住む友人もできた。
 たまたま流れで、小学生のときに首にネギを巻かれた話をしたところ、新しい友人から「私は中学生の頃、熱で寝込む度におばあちゃんから鼻にネギを詰められてたよ。」と、私の祖母の知恵を遥かに上回るパンチの効いたエピソードが飛び出した。
 鼻にネギ・・・しかも中学生で・・・それはキツい。
そして  私はそのとき、祖母の孫で良かったと胸を撫で下ろした。

 冬が終わったら、私の為にいつも一生懸命でいてくれた大好きな祖母に会いに行こうと思う。