きっと猫のおかげ

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子猫の誕生

1997年3月3日、チンチラゴールデンのお父さんとロシアンブルーのお母さんの間に7匹の子猫が生まれました。
子供ができないように手術をしていたのに、何故かできた不思議な子猫たちでした。
その猫たちのオーナーは驚きながらも一生懸命に子猫たちの貰い手を探しました。
生後3か月をお父さん、お母さんの元で過ごし、それから子猫たちはオーナーの知り合いの家にそれぞれ1匹ずつに貰われて行きました。

可愛い姉妹

私の知り合いが、その内の2匹を私の所へ連れてきました。
自分の友人が子猫を貰う予定で、今はゴールデンウィークで旅行に行っていて留守だから、その間だけ猫好きの私に預かって貰いたいとのことでした。
「特に可愛い子猫を選んで連れてきたんだよ」と言いながら知り合いが蓋を開けた箱の中に入っていた2匹の子猫は、1匹がチンチラゴールデン寄りのフサフサな毛並みの子で、もう1匹は普通のトラ猫みたいな毛並みの子でした。
お父さんとお母さんは美猫で、よくコンテストで優勝していただけあって、クルクルした丸い目とても可愛い雛祭り生まれ子猫の姉妹でした。

猫トイレ

私は猫が大好きでしたが自分でお世話をしたことが一度もなく、預かるにも一体どう扱って良いのかわからず、まずは本屋に行き「猫の飼い方」の本を2冊購入して、とりあえず必要な物を準備しました。
最初は「少しの間だから」と思い、トイレは段ボール箱にちぎった新聞紙を入れて簡易な物を作ったのですが、猫が全然そこを使う気配がなく、我慢して我慢してついに床の上に漏らしてしまっていたので、これはお互いの為にならないと思い、早速ホームセンターで猫トイレを購入して設置しました。
すると「コレですよ、コレ!コレを待ってたんですよ!」とばかりに、こぞって猫トイレを使い始めてくれたのでホッとしました。

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赤ちゃん猫

3か月ほど親元で生活していたときにトイレの躾もきちんとされていたようで、とてもお利口さんな子猫たちでした。
まだ本当に小さな赤ちゃんだったので、子猫用ミルクお皿から飲むことができず、本に書いてある内容を参考に、私がスポイトで少しずつ飲ませました。
環境が変わったからか便がなかなか出ず、そのままにしておくと病気になってしまうと猫に詳しい知り合いに教えられ、ティッシュで作ったこよりでお尻をトントンと軽く叩いて刺激して、なんとか排便をさせていました。

新しい家族

私がお世話をするのはゴールデンウィークの間だけで、その後はそれぞれ1匹ずつ別の人に貰われていくと最初からわかっていたのですが、2匹で身を寄せ合って慣れない環境で不安そうにしている様子をみていると、そんな2匹の子猫を引き離してしまうのが何だか物凄く可哀想に思えて、別々じゃなく1人の人に2匹まとめて貰ってもらえないかと、猫を連れてきた知り合いに頼みました。
でも、住んでいるマンションの規則でどちらの人も1匹ずつしか動物は飼えないとのことだったので、だったら私にこの子猫2匹とも育てさせて欲しいと頼み込み2匹の子猫は晴れて一緒に私の所で暮らすことになりました。

母性と成長

私は昔から猫と一緒に暮らすことを夢見ていたのですが、動物嫌いの家族の反対や、命に対する責任をきちんと果たせるか自信がなくて、ずっと躊躇していました。
でも実際にその子猫たちのお世話を数日間しているうちに「この子たちは私が守る!」という使命感にかられ、成り行きではありましたがとても強くハッキリとした決意をもって子猫を育てていくことに踏み切りました。
独り暮らしをしていたので、他に誰も子猫たちのお世話を手伝ってくれる人はなく、自分の責任でしっかりこの2匹の命を守っていかなくてはいけないというプレッシャー全く不安を感じなかったのは、母性のような強い愛情が自分の中に生まれたからだと思いました。
それは、私の記念すべき「人としての成長」第一歩だったのかもしれません。

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子猫のお母さん

私はその2匹の子猫に、自分の名前の漢字1文字ずつあげ、「あなたたちは私の分身だよ」という意味を込めて名前をつけました。
初めて猫のお母さんになった私はわからないことだらけでしたが、とにかく気を付けて育ててきました。
子猫がまだ小さい内は、人間が寝返りをしたときに潰して死なせてしまうことがあると本で読み、一緒に寝ないようにしたり、耳ダニの予防年齢に合ったゴハンの用意など、できる限りのケアをして育てました。

子猫時代の思い出

まだ私の所に来て間もない頃、夜中に大きな雷が鳴ると、2匹で駆け寄ってきてベッドで寝ている私の背中の下に頭を突っ込んで隠れようと必死にもがいていたことがあり、その姿がとても可愛かったです。
夏は窓を開けて網戸にしておくと、2匹ともセミのように網戸に張り付いて涼み、面白がって網戸の上を移動して遊ぶので網戸がボロボロでした。
ベッドと壁の間テレビの上など、いろんなお気に入りの居場所を見つけてくつろぐ天才でした。

猫の習性と私の損害

猫も成長するにつれ、どんどん好奇心が旺盛になり、頭は賢く手先は器用になってきて、ドア引き出しなどを開けるので、それらを防止する対応苦労しました。
当時、アパレル業に従事していた私は高級なスーツなども何着か持っていたのですが、やはり良質の生地は引っ掻き心地も格別なのか、私の知らない間に高い洋服は全て猫の爪によってダメにされており、東京本社への出張当日、スーツを選ぼうとクローゼットを開け、初めてその悲惨な有様を目にして泣きました
概ね50万円程の損害でした。
それ以来、クローゼットや洋服ダンスには絶対に猫が開けられないような工夫を欠かさなくなり、あまり高い服は買わないことにました。

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オニの様なブーム

一頃、私の背中に飛びついて肩の上によじ登る「お母さん登りごっこ」が2匹の間でちょっとしたブームになり、薄着になる夏場は油断して背中を見せると、すぐにどちらかが私の背中をめがけて「イェーイ」とばかりにジャンプして、爪全開でガッシリとしがみつくので、私の背中は2匹の爪痕だらけという地獄の日々でした。
そのとき、人間は本当に物凄く痛いときは悲鳴をあげる余裕なんてないということを、身をもって知りました。

赤ちゃん返り

猫たちが10歳のときに私の娘が生まれたのですが、赤ちゃんが甘やかされるのを見ると自分たちもすっかり赤ちゃん返りをし、私も私もと次々に甘えてくるので、育児と猫たちの対応に追われて本当に寝る時間がありませんでした。
それまでは抱っこされるのが大嫌いで、抱きかかえてもすぐに嫌がって逃げていたのですが、娘がいつも抱っこされているのを見ると、「私にも抱っこ、お願いします。」的なアピールをしてきて、抱っこされると「ほぅ・・・抱っことは、なかなかイイものですな。」という感じで、2匹とも抱っこされるのがとても気に入った様子でした。
娘は年月とともに成長していくのですが、赤ちゃん返りした猫たちはそれ以来ずっと気持ちは赤ちゃんのままで、年齢を重ねておばあちゃんになっても全力で甘えていました。

孤独な旅立ち

そんな猫2匹とのドタバタで幸せな生活が続いていましたが、2016年5月5日毛がフサフサした方の猫19歳で天国に旅立っていきました。
私がほんのちょっと家を空けた何時間かの間に、見つからないようにお風呂場でひっそりと旅立ったのでした。
私は年老いていく猫たちにずっと「あなたたちが旅立つときは必ずママのお膝の上だよ。そのときはママがちゃんと見守るからね。ママがいないときに勝手に旅立ってはダメだよ。」と言い聞かせていたのですが、きっとその子は私がとても悲しんで泣くと知っていたから、私の悲しみを少しでも小さく抑えようと、自分の最期の瞬間を私に見せずに、私がいない間に独りで旅立ったのだと思います。

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種を越えた親子愛

実際、もし私がその子の側にいて、苦しみながら最期を迎える姿を目にしていたとしたら、どうしていいかわからずにうろたえて、目の前にいるのに何もできず助けてあげられなかったことをずっと悔やみ立ち直れなかったと思います。
その子は昔から私にベッタリのお母さん子だったので、私の弱さや脆さを誰よりも身近で感じ、もしかしたら私自身よりも私のことを良く知っていたのかもしれません。
私はそのとき、その子との間に種を越えた母と子の愛を感じました。

別れの悲しみ

過去に祖父や祖母との別れは経験しましたが、一緒に住んでいなかったこともあってか葬儀のときもあまり実感が湧きませんでした。
なので今回初めて自分の身近な家族の死に直面し、大きな悲しみとショックに打ちひしがれ、しばらく泣いて暮らしました。
火葬をして、お仏壇を作り、部屋いっぱいにその子の写真を貼って、なるべく寂しさを感じないように努めました。

心の区切り

あまり私が悲しんでばかりいると、その子が私を心配して成仏できなくなると思い、四十九日までには心を落ち着けて、気持ちの上できちんとお見送りをしました。
四十九日他界した側が心を落ち着かせて成仏する準備の為の期間といわれているけれど、本当は見送る側が気持ちの整理をつけて少しでも心穏やかにお別れができるよう、優しい心遣いから作られた期間なんじゃないかなと、私は思いました。

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「忙しさ」という助け

お見送りが終わってからは何だか急に忙しくなり、娘の夏休みにはいろんな行事に参加出来る運びとなって、慌ただしく時間に追われている間は、悲しみに泣くことなく過ごせました。
娘の夏休みが終わると、今度はちょうど良いタイミングで自分の勉強を始められる環境になり、トントン拍子で良い流れができ、いろんなことに挑戦しながら気を張っているうちに、私は深い悲しみから少しだけ立ち直れていました。

きっかけは猫

そんな時間を経て今、社会での実務修行という一歩を踏み出し、落ち着いた環境で学ぶ幸せな日々を過ごしていられるのは、きっと天国へと旅立った猫が、全て上手くいくように私たち家族を守って応援してくれているからだと思っています。
ワイン葡萄作りで関わることになったエコビレッジにもがいて、思えば猫の話がきっかけでそこのオーナーとの会話が始まり「実はワインに興味がある」という話になり、現在に至っています。
現在お世話になっている職場では、偶然にも上司も先輩も猫好きで、そのメンバーでLINEグループを作成し、和気あいあいで良い雰囲気です。

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感謝と素敵な思い込み

こんな風に猫つながりで良い流れができているのは、やはり旅立った猫が応援してくれているからだと思うのです。
だから私は、何か良いことがあったり幸せを感じる度「いつも有難う。守ってくれて有難う。応援してくれて有難う。ずっと愛してるよ。絶対に忘れないよ。ママ、頑張るからね。大好きだよ。」とつぶやきます。
何度も何度もつぶやきます。
感謝の気持ちのこもった温かい言葉が自分の中から自然と出てくることは良いことだと思うので、プラスにつながる思い込みはきっとアリだと思います。

人生が教えてくれること

私は宗教家ではありませんが、和の心や文化が好きで、言霊の力も信じており、「人間は気の持ちようでどうにでもなる」と思っています。
旅立ってしまった甘えん坊なおばあちゃん猫とは、物理的にはもう一緒にいることができなくなりましたが、今私は、一緒に生活していた頃よりもその子のことを多く考えるようになり、心でつながることで以前よりもその子の存在を不思議なくらい身近に感じています。
人生で起こる事柄は、良いこと悪いこと全て何かを教えてくれているのだと思います。
今回の、大事な家族である猫との悲しい別れは、私に「別れの受け止め方」「精神的なつながりの強さ」を教えてくれ、また更に「人としての成長」をさせてくれたように思います。


「いつも有難う。全部、全部、有難う。ずっと大好きだよ。」