『過去のブログ』を振り返る Vol.4

ブログを始めた頃の記事を、現在の書式スタイルに編集して掲載し、皆様にぜひご覧頂きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いいたします(^^)/

Vol.6『集団心理』というもの


カースト制度

随分と前に『ママカーストというものが話題になりました。
カーストとはインドの身分制度のことで、現在、インドでは法律上で全面禁止となっているのですが、実際のところ人権差別は今も残っていて『家の名誉を守る為に、しきたりに背いた身内を親族が公衆の面前で焼き殺した。』などという恐ろしいニュースが記憶にあります。
以前、ドラマの題材になった『タワマンカーストも本当に存在し、都心のタワーマンションの住人たちの間で、上層階に住む人が格上とされ、低層階に住む人は格下とされていると聞いたことがあります。
私はそのドラマを見ていませんでしたが、何かと話題になっていたので、かなり殺伐とした内容なのだろうと思っていました。

身近にある『格付け』

『タワマンカーストは、マンションの購入価格から考えられる経済力の比較なのでしょうが、せっかく素敵な生活を楽しもうとそれぞれの想いや期待のもとお洒落なマンションを購入したのに、勝手にそんな格付けをされたのでは、上層階以外の住人にとっては非常にガッカリで迷惑な話だろうなぁと思いました。
『ママカーストもそれと同様で、御主人の社会的地位が高く経済的に潤っている家庭の母親は格上とされ、そうではない家庭の母親は格下とされるもので、それぞれの人生の選択を勝手に型に当てはめて格付けをするという、大きなお世話としか言いようのないものでした。
都会に限らず『ママカースト母親が集まる社会に存在し、子供が社会生活をスタートさせる『幼稚園』などの社会にありがちなのかなと思います。


残念な悪影響

せっかく授かった子供をそれぞれの家庭で大事に育て、何も知らない無垢な状態の子供に教育や躾をしていく中で、家庭そのものを勝手に格上だの格下だのと格付けされるなど、全く持って迷惑な話であり、そんな関係性を作ることは、子供たちの情操教育社会環境悪影響だと思いました。
私は、幼い子供が一番に信じて頼るのは母親なのだから、母親には子供のお手本になるという役目もあると考えていましたが、残念ながら、母親の中にも他人と比較して優越感に浸ることでしか、自分の存在価値認識できない人はいました。
私は、娘が幼稚園に入園し『園ママ』としてデビューをしたとき既に『ママカースト前衛的な流れに巻き込まれていたような気がします。

幼稚園バスの停留所

娘が通っていた幼稚園は、全ての行事の準備は幼稚園が行い、親は見学に招待されるのみというシステムで、母親同士の摩擦が起きないような対策徹底されていました。
私の『プチ・ママカースト体験』の舞台となったのは幼稚園ではなく、幼稚園バスの停留所でした。
当時、私が住んでいたエリア周辺は、社会的地位が高いとされる職業の人々が多く住む、その地方のステイタス的な居住地で、子供を通わせる幼稚園もだいたい決まっており、娘と同じ幼稚園には20世帯の子供たちが、スクールバスで片道40分かけて通園していました。
娘の通園が始まったばかりの頃、子供たちをバスに乗せて見送った後、そのバス停を利用する母親20人自己紹介をすることになりました。


不思議な自己紹介

私は、母親としての自己紹介なのだから、自分の名前と子供の名前や年齢「一人っ子で甘えん坊です」とか「ピアノを習ってます」とか、子供のことを紹介しあうものと思い、何を言おうかとあれこれ考えていました。
少しクセのある母親が「じゃあ、私から言わせて頂くわね。」と一番目に自己紹介を始め「○○です。子供は特別英語クラスです。主人は医師です。××マンションの1階に住んでいますの。猫の額ほどの庭しかございませんが、いつでも遊びにいらして下さいな。」と、子供の情報はほぼないまま自己紹介が終わりました。
すると、他の母親たちも子供のクラスと御主人の職業、自分の住居を発表する形で続き、結局、子供の情報はあまりないまま、わかったのは20世帯の内17世帯は御主人が医師だということでした。

戸建ての強さ

『御主人が医師でそのエリアに住んでいる』というのが、その母親たちの中ではステイタスとなっているようで、更に戸建てに住んでいると一目おかれるという感じでした。
意外にも、ご主人が医師で戸建てに住んでいるのは2世帯しかなく、そこの地域には珍しい若いギャル系の母親が、御主人は普通の会社員で戸建てに住んでいると自己紹介をして、他の母親たちをザワつかせている様子が何気におもしろかったです。
また、医師の間でも開業医勤務医、代々続く個人病院の跡取り格差があり、医師の妻同士探り合いと比較が日々の会話の中で行われていて、面倒で大変だなぁと思いました。
中には物凄く裕福な人もいて、他人と比べることもせずいつも礼儀正しく『金持ち喧嘩せず』っていうもんなぁと思いました。


変わった母親

医師である御主人と一緒に、そのバス停を利用している世帯の住居を外から見て回り、評価をしている母親がいました。
あるとき私は不運にもその母親に捕まってしまい、お茶をしながら所有しているの種類や資産の有無、結婚指輪のブランドまでもあれこれと聞かれて当惑しました。
その母親から携帯に電話がかかってくるようになり、忙しくて出られないでいると、20回ぐらい着信記録を残すという病的ともいえる行動に恐怖を感じ、全力で早急に距離を置き『医師の妻』にも変わった人がいるものだと身をもって知りました。
私が住んでいたのはその『特別エリア』と道路を1本挟んだ隣のエリアで『特別エリア』のバス停の方が近くて便利だったので、そちらを利用していたのですが、少し不安を覚えました。

おかしな質問

ある日、子供の情報が何も伝わらない例の不思議な自己紹介を最初に始めた、少しクセのある母親「お宅は○○エリアに住んでもいない上に、御主人が医師でもないなんて随分珍しいこと。そんな方は今までいらっしゃらなかったわよ。」高圧的に言われました。
日々そのエリアの『医師の妻』たちの探り合いと比較の独特の雰囲気に飲み込まれていたことや、子供が幼稚園という社会にデビューし、初めてのことで何もわからない状態だったこともあり、少数派の自分は普通じゃないのかもと思ってしまうぐらい精神的に疲れていたようで、私は「はぁ、○○エリアに住んでなくてすみません・・・」と答えていました。
そして帰宅すると旦那さんに「ねぇ、どうして貴方は医者じゃないの?」と尋ねていました。


正常な思考

『僕は医者ではないけど、会社を2つ経営してそれなりに頑張っているつもりだよ。それに○○エリアよりもこのエリアの方が地価は高いんだし。しっかり者の君が、他人に流されるとはね。」という、私の唐突で意味不明な質問に対する答えを聞き、私はハッと我に返りました。
医師は確かに人の命を救う尊い仕事ですが、世の中で医師だけが頑張っている訳じゃないし、その『特別エリア』に住んでなくても誰にも迷惑はかかってないという、ごく当たり前のことを思い出して反省し、改めて集団心理というものの恐ろしさを感じました。
それ以来、バス停への娘の送迎は基本的に旦那さんに行ってもらうことにして、私はその集団から離れ、そのバス停を利用する母親たちで定期的に開くお食事会にも参加せず、なるべく関わらないようにしました。

母親の悩みと不安

初めての育児は、子供が大きくなってもその年齢その年齢でわからないことだらけの手探り状態で、子供が10歳、15歳と成長したとしても、それぞれの年齢特有の課題を新たに抱えることになるので、母親の悩みと不安は尽きないと思います。
何が正解なのかわからず自信が持てないでいるとき、人は自分を見失って周りに流されやすくなりがちです。
決して内気でなく、むしろはっきりとした意思を持っている私でも、自覚のないまま簡単集団心理に押し潰されたことを考えると、娘の社会生活が本格的にスタートした『幼稚園デビュー』は、母親の私にとって正に迷いや不安が多く、育児生活において最も危うい時期だったように思います。


集団心理と距離

私はその後、同じ様に惑わされないように、他の母親とはあまり関わらずに育児をすることにしましたが、ママ友を作らなくても、情報の入手や相談幼稚園や学校の先生に連絡をしたので、特に困ったことはありませんでした。
娘の成長に伴い、今後よその子供やその母親とのお付合いも出てきますが、娘が自分で選んだ友人関係母親として寄り添うだけで、ママ友だとか同じ母親グループであるかなどは関係ないと思っています。
私はわりと極端なタイプなので、私と同じ方法をお勧めしようとは思いませんが、もし母親同士の人間関係に悩んでる人がいたら、集団心理に飲み込まれて判断力を失っていないか、一度その集団から離れて確認してみることも大事だと思います。

御縁と選択肢

全ての出逢いには何らかの意味があるのだと思いますが、その御縁をどう受け止め、どうするのかは自分次第だと思います。
苦しみから学ぶこと、また苦しみからしか学べないこともありますが、ずっと苦しみ続けなくても、学ばせてもらったことに感謝「ありがとうございました。さようなら。」決別するという選択肢があっても良いと思うのです。
あの『特別エリア』の母親たちの中にも、本当は競い合いたくなんかないのになす術もなく流され続けていたり、後に自分がどうすべきかを学んで強く成長した人もいるかもしれません。
きっと人間は、大人になっても失敗苦い思いをしながら『正しく見極めて生きる術』を学び続けるのでしょう。
私もまだまだ人として成長の途中ですが、私のこんな体験談が少しでも、以前の私の様に精神的に疲れ集団心理に捉えられてしまっている人のお役に立てばと思います。