2度の震災を経て


老猫ちゃんの予感(?)

2018年9月6日(木)午前3時、私は愛しい老猫ちゃんに起こされました。
老猫ちゃんはお気に入りのマグカップの水が少なくなったとお怒りで「ウニャー!今すぐ起きて水を入れ替えるニャー!!」とばかりに寝ている私の耳元で叫び、若干爪を立てた手で何度も額を叩いておいででした。
私はいつものように「はいはい、わかりましたよぉ・・・(涙)」と仕方なく起きて部屋を明るくし、水を取り返させていただく前におトイレに行くことにしました。
低血圧なので起き上がってすぐに機敏に動くことができない私は、しばらくトイレでボーっとしていると、急にドーンと建物全体が突き上げられるような衝撃を感じ、嫌な感覚で一気に目が覚めました。

『震災』再び・・・

2011年の東日本大震災で被災し、かなり大きな縦揺れや横揺れのオンパレードを経験していた私は、トイレの壁に寄りかかりながら「あっ、この揺れはダメなやつだ!」と直感し、すぐに寝室へ走って戻り娘を起こしました。
娘は過去に経験した地震の恐怖を思い出して「うわぁ、怖いよー!」と泣いていました。
私もトラウマが蘇えり、恐怖で血の気が引きましたが、とにかく娘を抱きしめて「大丈夫だよ、ママがいるから大丈夫だよ。」と何度も繰り返し、前回の震災のときにした身を守る為の行動を瞬時に思い出し、これからやるべきことや必要な物を頭の中で整理しました。

非難の準備

揺れがおさまってからすぐにテレビをつけて地震情報を確認し、津波の心配がないことや震源との距離などを把握しました。
娘に懐中電灯を持って寝室の安全なスペースにいるよう指示をして、私は玄関までの通路の安全を確保し、玄関ドアがきちんと開くのを確認して、自分と娘のを持って寝室にもどりました。
次に、いつでも外に避難できるよう長袖の服とジーンズに着替え、財布保険証などが入ったバッグを手元に置きました。
そうこうしていると急に部屋が真っ暗になり、外の様子を窓から見ると他の家や建物の明かりも消えていたので停電だとわかりました。

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停電の影響

停電になると信号も消え、照明レジも使えなくなるので買い物もできず、電気で管理されているセキュリティーも機能しなくなるので、外は不便で危険な環境になります。
それに加え暗闇の中、娘を連れて外に避難するのはむしろ危ないので、朝になって明るくなるまで家にいようと決め、いつでも避難できる状態のまま待機しました。
災害で停電になるといつも、現地で被災している人はテレビという便利な情報源を絶たれるので、自分の置かれている状況を正確に把握できず、被害の少ない遠い所の人たちだけがニュースや速報で詳しい事情を知っているという、どうにも歯がゆい状態になるのが残念です。

断水と対策

今や、ほとんどの人が所有している携帯電話ですが、大事な時に電話が使えるよう、使用を必要最小限に抑えて電源を確保しなくてはいけないので、情報収集も不自由になります。
そんな状況で不安やストレスを感じ緊張していたので、余震が落ち着いてきた頃には疲れて寝てしまい、気がつくと朝でした。
マンションでは、停電になると各階に水を運ぶモーターが止まって断水になり、飲料水生活水もなくなります。
私は娘を起こし、まずは水を調達する為に出掛けることにしました。
お店はレジが使えず閉店していると思ったので、自治体の施設を目指して歩いていると、コンビニの袋を持って歩いている人がいました。

飲料の確保

訊ねてみると、近所の2軒のコンビニが開いているとのことだったので、私たちは急いで行きました。
2軒ともペットボトル入りの水はもう売り切れでしたが、片方のコンビニにはペットボトル入りのお茶が何種類かあったので、飲料の確保はできました。
電池や懐中電灯、携帯の充電器などはすぐに売り切れたようで、棚に並んでる食べ物も段々と減ってきている状態でした。
コンビニでは非常時でも使用できるレジ用機器を使ってお会計をしてくれていました。
コンビニが開いているのなら、近くのスーパーも開いているかもしれないと思い、次にスーパーへ行くことにしました。

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階段と行列

確保した飲料を、一度、家に置きに行ったのですが、停電でエレベーターが使えないので、マンションの8階まで非常階段を上らなくてはならず、かなりの重労働でした。
気温が高い日だったので汗だくで、休みながら息を切らしてやっとの思いで階段を上りきり、さっそく買ってきたお茶を飲んでしばしの休憩を取ると、気を取り直してスーパーに向かいました。
途中、スーパーで既にお買い物をして両手に荷物を持った知り合いに会い「お店に入るまで1時間も並んだよ!覚悟した方がいいよ!」と言われ「うわぁ・・・そんなに並ぶの?!」とガックリきました。

食料の確保

スーパーの入り口から長い行列ができており、ずっとここに並んでいたら他のお店に行けなそうだし、順番が回ってくるまでにスーパーの物がほとんどなくなってしまいそうだと思ったので、私は娘に1人で並んでもらい、近くのドラッグストア小型スーパーに先に行くことにしました。
ドラッグストアに着くともう品切れで閉店してしまっていたので、私は小型スーパーへと急ぎました。
店内には巡回コースが決まった列ができていて、ペットボトル入りの水は売り切れでしたが、食料の在庫は比較的ある方だったので、私は非常食になりそうなお煎餅パックのご飯とレトルトカレー、そして猫用の缶詰を買い物かごに入れました。

斬新なお会計

食事となるものがなくなったときの為に、一応スナック菓子飲むビタミンゼリーなども買い物かごに入れてレジに進みました。
レジが使えず正確な金額で計算して細かいお釣りを出すのが困難な為、100円以下の商品は全て100円101~200円の商品は全て200円201~300円の商品は全て300円として電卓で計算されるシステムでした。
「おぉー、なるほど!レジが使えなくてもそういう販売方法もあるんだぁ!」と、そのアイディアに感心しつつ「あれ、待てよ。ということは、私が念の為に買い物かごに入れた108円ぐらいのスナック菓子やらお煎餅やらの数々は、全部200円になるってことか・・・」と気づきました。

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親切なスーパー

こんな非常時には、食べ物を売ってもらえるだけでもありがたいことなので、食料を確保できて良かったと思いました。
再びスーパーへと戻ると、娘は行列の半分くらいまで進んでいました。
スーパーのすぐ隣では、各自の容器に水道局の人が水を入れてくれていたので、今度は私が行列に並び、娘は水をもらいに行きました。
娘が水の入った容器を手に私の所に戻ってくると、ちょうど私たちの順番になり、スーパーでお買い物ができました。
缶詰レトルト食品インスタント食品果物などがあり、レジが使えず細かい釣銭もないので、100円、150円、200円とキリが良い安めの金額設定で、買える数は決まっていましたが親切価格でした。

避難所へ

スーパーではペットボトル入りの水を買うことができて助かりました。
買い物が終わるとが降ってきたので急いで家に帰り、1回目よりも更に重い荷物を持って、何度も休みながら時間をかけて階段8階へ上りました。
食事をとり少しゆっくりしていると、娘が通っている小学校の体育館避難場所として開設されたというお知らせメールが入ったので行ってみました。
かなりの人が避難をしており、飲料水はなく非常食の乾パンをもらいました。
携帯の充電をしている人が多く、私も充電をしたかったのですが充電用のプラグを持参していなかったので家に取りに行くことにしました。

試練と根性

小学校でバケツを4つ借り、家に戻る途中の公園で水を入れ、私と娘はそれぞれ2つずつのバケツ4ブロック先の自宅まで運びました。
8階まで運んだバケツの水を自宅のトイレタンクに入れ、残った水を浴槽に貯水して、ソファーの上でぐったりしていると電気が復旧し、水が使えるようになりました。
もう少し待っていれば苦労してバケツで水を運ぶ必要はなく、無駄骨を折った感は若干ありましたが、こんなときに娘に『生き抜く為に必要な行動力と根性』を教えることができたので、体力的には大変でしたが学びの試練として受け止めました。
娘も私もよく頑張ったなぁと思います。


守られている私たち

私と娘は、ご先祖様や故郷の即身仏になられた上人様、2年前に19歳で旅立った老猫ちゃん、そして今も長生きしてくれている21歳の老猫ちゃんたちに常に守られているような気がしています。
前回の震災で恐ろしい思いをしましたが、娘が幼稚園から帰宅して私と一緒に家にいたので、私は娘を守ることができ、私たちにケガはありませんでした。
本当なら次の日から車で東京に出掛ける予定だった為、車にはガソリンが満タンに入っており、スーツケースには旅行用の荷物がまとめてあったので、震災の翌日、道路が封鎖されて移動ができなくなる前に他県の実家に避難することができました。

ありがたいこと

今回の震災でも、たまたま老猫ちゃんが私を(無理矢理)起こしてくれ、家の中が明るい状態だったので被害状況を把握でき、焦って事故に至ることもなく無事に乗り越えられました。
今回は、台風の後の大きな地震だったので、踏んだり蹴ったりだという気もしましたが、台風と地震が同じ日にこなかったことをありがたく思っています。
「わざわざ遠い地域に引っ越したのに、そこでもまた震災に遭うとはね・・・」と私のことを思う人もいるかもしれません。
(実際、私自身も「ウソでしょー!!!」と思いました(^^;)
ですが、私はこの地域に多大な魅力を感じており、予想外の2度目の震災で再び怖い思いはしましたが、それでもやっぱりこの地域に移住して良かったと思っています。

目から鱗』な観点

今回の震災では、この地域の人たちの復旧に対するハングリーさ力強さを感じ、今まで私が持っていた観点とは違う『逞しい生き方』を学べたような気がしています。
「こんな時だから自粛して静かに過ごそう・・・」という考えが当たり前だった私には「こんな時だからこそ負けてられない!どうにかしよう!とにかく前へ進もう!」という姿勢と行動が目から鱗が落ちるくらい新鮮で、やはり北の寒く厳しい土地を開拓してきた人たちの精神を脈々と受け継ぎ築き上げられた『北の大地の文化』は深いなぁと感じました。
私は、この土地に導かれて生きている人生をとても幸せに思っています。

ご自分の家も大変だったはずなのに、震災後すぐに人々の為にお店や避難所などの施設、その他の場所で仕事をしてくれた献身的で勇気と思いやり溢れる皆様に、心から感謝しお礼を申し上げます。