エスコート
私は朝の通勤の際、たまに駅で目が不自由な女性に会うことがあります。
朝の通勤電車はいつも満員で、私が利用する駅は乗り降りする人が多くて大変なので、私はその女性に「一緒に乗りましょう」とお声掛けをして、その女性をエスコートしながら電車に乗っています。
最初の頃はその女性がなるべくもみくちゃにならないよう上手く支えるのに必死でしたが、最近はだんだんと慣れてスムーズなエスコートができるようになりました。
今までは、電車を降りて一緒にエスカレーターで上の階に上がり、エスカレーターを降りて少し進んだ所で「いってらっしゃい、気をつけて!」と声を掛けてお別れしていたのですが、黄色の視覚障害者誘導用ブロックの上でお別れした方が親切なんじゃないかと最近になって気がつき、先日の朝からさっそく実行してみました。
日々の学び
エスカレーターを降りて視覚障害者用ブロックまで進み「今日はこの黄色い線の上でお別れしますね。いってらっしゃい、気をつけて!」と声を掛け、それぞれ別の方向へと歩き出しました。
そして、私はふと「目が不自由な人に対して『黄色の線』と視覚で説明するなんて、私はなんて無神経だったんだろう・・・」と思いました。
善意の行動であっても、認識の甘さから自分の想いとは裏腹な結果になってしまうことがあります。
私の言葉でその女性が嫌な気持ちになったのではないかと考えると、私は気配りが未熟な自分が恥ずかしくなりました。
今回のことで学び、今後は「誘導用ブロックの上でお別れしますね」とその女性に伝えることにした私は、「日常には学ぶべき事柄が溢れていて、それに気づくか気づかないかで人間としての成長の幅や心の深さが変わってくるものなんだろうなぁ・・・」と感じました。
隠れた本意
人間には学ぶべきことがたくさんあって、人生はいくつになっても勉強だと思います。
人と関わる際のマナーや気遣いは特に難しく、言葉や行動に隠された本意を汲み取ることができずに失敗することもあります。
意見が対立したときに相手が引き下がるのを「自分が正しくて相手が間違っているのだから当然」とか「自分の方が強くて相手は弱いから引き下がるのだろう」と、自分を立ててくれる相手の配慮や、自分に譲ってくれる相手の懐の大きさを感じ取ることができない人や、「何も言ってこないのだから問題ないだろう」と、相手に対する思いやりのない行動を知らず知らずに繰り返す人は、本物の信頼関係を築くことはできませんし、精神的に成長できないまま年齢を重ねていくので後々「その年齢でそんな道徳的なこともわからないのか」という評価を受けることになります。
受け止め方
何より怖いのは「このままではダメだ」と自分で気づき修復や改善を試みても、そんな風に無自覚に年月を重ねてきた為に道徳的な感覚が乏しくなり、的を射た的確な気遣いをすることや相手の真意を汲み取ることができない人間になってしまうことです。
また『遠回しな指摘』に気づかずにいると、後に大打撃に繋がる怖い結果を招くこともあります。
「末っ子だとすぐにわかる」という言葉には『愛されお姫様・王子様キャラ』という賞賛ではなく『他人に気が遣えないワガママさが溢れ出ている』という意味が含まれているので、私はその発言をする人を『悪気のないフリをして失礼なことを言う人』と認識しつつも、その言葉が自分に向けられたときは日頃の行いを振り返る機会として受け止めるようにしています。
マナー次第
お酒が強い弱いは人それぞれの体質なので良い悪いはありませんが、会社のお酒の席で自分の許容量も考えず「お酒が弱いと舐められるから」とか「飲みたい気分だから」と、記憶が残らなくなるほど飲むような幼稚な行動は社会人として慎むべきですし、飲ませる側も面白がってけしかけたり無理強いするような下品な行動をすべきではありません。
お酒を飲み過ぎて迷惑行為をしたり暴言を吐いたりしたことを本人が覚えていようがいまいが、不快な気持ちにさせられた被害者には怒りしか残らないのです。
いくら自分が楽しいからといって、体調が良くない人をお酒の席に平気で5~6時間も拘束するような思いやりのない行動も然りで、会社のお酒の席はマナー次第で人の士気を下げ、相手との信頼関係を一瞬で失ってしまう場にもなり得るのです。
人間の魅力
以前、職場の若い男性がお酒の席で話したことをほとんど何も覚えていない状態だったので「お酒の席で話したこと、何も覚えてないんですね・・・」と、記憶が残らないような飲み方をするのは社会人のマナー違反だと気づかせようとして言ったところ「今聞いたことはちゃんと覚えておきますよ。関心がない訳じゃないですから安心して下さい。」と、まるで私が「私の言ったこと全然覚えてくれてないなんてショック―!」とでも言っているかのような返答をされ「えーっと・・・そういうことじゃなくて・・・ (~_~;)」と困りました。
その後、その若い男性は社内のお酒の席で飲み過ぎて暴言を吐き、同僚に嫌われ信用を失うことになり、私は「気づけないって本当に怖いことだなぁ・・・」と思いました。
世間には『若さこそが最大の魅力』と信じ、年齢を重ねた人を『終わってる年寄り』と安易にバカにする人がいますが、私は自分の歴史を重ね落ち着きと余裕を兼ね備えた大人は男女共に素敵だと思います。
異性の魅力でいえば男性の旬は48歳からで、そのくらいの年齢から知性溢れる大人の色気が漂い始めるものと感じています。
※ 画質が悪くてスミマセン
実家の柿
先月、実家から段ボール箱いっぱいの柿が届きました。
実家の庭には柿の木があり、毎秋、収穫した柿の実や干し柿を送ってくれるのですが、今年は随分と量が多く驚きました。
大きな柿の木なので、年老いた両親には剪定などの手入れが大変になり、今年の収穫が終わったタイミングで木を切り倒したとのことで、実家で採れる最後の柿を十分に味わえるようにと大量に送ってくれたのでした。
せっかくの『ラスト柿』なので、職場で日頃お世話になっている人たちにも味わってもらいたいと思い、見た目の良い柿の実を選んで持っていきました。
柿は傷みやすいので、他人様にあげられるような状態の柿は限られていましたが、何十年も栄養を蓄えてきた木だけあって実が大きく、なかなかの大荷物になりました。
思い出深い秋の味覚
朝の満員電車で柿の実が潰されないように気をつけて運び、職場で配ったところ予想以上に喜ばれ、思い出深い秋の味覚を自分の好きな人たちとシェアできたことを嬉しく思いました。
『生ハムメロン』のように柿を生ハムで巻いた『生ハム柿』をシャンパンと一緒に頂くのが私は好きだったので、実家の柿が食べられなくなってしまうのは淋しいですが、きっと実家の柿の木も最後の実りでより多くの人に笑顔を作ることができて幸せだったと思います。
このブログを始めた頃に書いた『実家の柿』に関する記事があったので、ちょっと文章のスタイルを変えて載せてみようと思います。
ぜひお読みください。
『門外不出の柿サラダ』
祖母と母
大正生まれの100歳の祖母は母方の祖母、つまり私の母の母親で、この二人はずっと一緒に暮らしているだけあってとても仲が良く、味の好みや生活習慣もそっくりです。
母は仕事が大好きな人で、子供を産んでからもずっと会社で働いていたので、食事の支度や買い物など、家事全般は全て祖母がしていました。
大正生まれの祖母のセンスで用意されるおやつは常にお饅頭、かりんとう、煎餅と渋目の和菓子で、ポテトチップス、チョコレート、ポッキーなどが出されるなんてことは夢のまた夢でした。
マヨネーズとの出逢い
朝は母が食事の支度とお弁当作りをするのですが、母は『見た目より質重視派』なので、幼稚園に通っていた頃から私のお弁当は内容はそれなりに豪華なのですが、可愛らしさのかけらもない茶色だらけの、まるで職人の親方のお弁当のようでした。
母が小さかった頃はまだマヨネーズが今のように普及しておらず、母と祖母にとってマヨネーズはとても斬新で画期的な調味料で、当時の母と祖母は「これさえあれば何でも洒落た一品に早変わり!」とばかりに、家族全員分のイチゴやメロン にまでマヨネーズをかけて食卓に並べるので困りました。
新メニュー誕生
私にとってイチゴやメロンはお気に入りのデザートなのですが、自分たちの趣味の畑作で収穫するイチゴやメロンを昔から飽きるほど食べてきた母と祖母にとっては、旬の果物よりもマヨネーズの方が価値があるようでした。
秋になると庭の柿の木に実がたくさん実り、その量は半分を干し柿にして食べても食べきれないので、母と祖母は相談し平たい種無しの柿の皮を剥いて十字に切って4等分した上に、クルリと一周マヨネーズをかけるだけの必殺料理『柿サラダ』を考案しました。
微妙な『柿サラダ』
おかずとして『柿サラダ』を食べた後にはデザートの柿が待っているという、飽き飽きするほど柿三昧の日々でした。
母と祖母は自分たちが考案した『柿サラダ』がとても気に入っていたので、私の友人が遊びに来たときも、お客さんを招いたお食事会のときも必殺料理『柿サラダ』はいつも振舞われました。
『柿サラダ』を出された人たちは、その斬新な一品に困惑しながらも、マナーとして失礼のないよう完食していましたが、私は「美味しい」と言って食べている人を見たことがありません。
門外不出の理由
実際に我が家で『柿サラダ』を食べた人々も、私が実家を離れてから『柿サラダ』の話を聞かせた相手も、誰も実際に作りたそうな反応はしませんでした。
よって私の実家で食べられている母と祖母の味『柿サラダ』は未だに門外不出であり、今後も門外にて作られたり広められることはないでしょう。
今年も庭の柿の木に実がたくさんが実る季節になり、じきに実家では『柿サラダ』が食べられるのだと思います。
今後、母と祖母によってどんな斬新な必殺料理が考案されるのか、ちょっぴり楽しみでもあります。