苦難多き人生
私の母は働くことが大好きな女性で、結婚して三人の子供を産んでからも忙しく仕事をしていたので、私たち姉妹の面倒は母の実母であるおばあちゃんがみてくれました。
おばあちゃんは、NHK連続テレビ小説『おしん』の主人公のように様々な苦難を乗り越えてきた人で、苦労が多かった分だけ他人の痛みを理解する優しさを持っていました。
早くに夫と死別し、女手一つで私の母を育てたおばあちゃんですが、現代でもシングルマザーが子供を育てていくのは何かと困難が多く容易ではないのですから、おばあちゃんが若かった頃の時代背景や田舎の風習と独特な集団心理などを加えると今とは比べ物にならないくらい大変だったはずです。
想像を絶するような逆境の中、それでも負けまいと必死に踏ん張り、たった一人で私の母を守ってきたのだと思います。
親切の積み重ね
気丈さと芯の強さを持つおばあちゃんに育てられた私は、人が大切にすべき事や、賢く逞しく生きる術をたくさん教わりました。
特に『自分を偉く見せる為に威張ることが強さではない。そんな人間は陰で笑い者にされるだけで誰にも信頼されない。馬鹿のフリをして頭を下げられる人間こそが本当に強くて賢い人間なんだ。』というおばあちゃんの教えは、常に私を戒めてくれています。
おばあちゃんは困っている人や忙しくて大変そうな人を見ると、自分の知り合いではなくても「手伝うよ!」と言って作業を一緒にこなして感謝されていました。
そんな親切の積み重ねで、実家周辺の地域ではいろんな人がおばあちゃんに笑顔で挨拶をしていましたし、母は出掛ける先で会う多くの人たちから「お宅のおばあちゃん元気?いつも手伝ってくれてありがとうって伝えといて!」と声を掛けられていました。
受け継がれる宝物
作業のお手伝いは積極的にこなすおばあちゃんでしたが、お手伝いをして仲良くなったとしても誰かの悪口や噂話には参加せずにサッサと作業を済ませて引き上げ、ゴシップとは距離を置いていました。
そんなおばあちゃんに育てられたからか、私も困っている人にはためらうことなくお手伝いのお声掛けをしますし、噂話や悪口を言う人にはどんな立場の人だろうと興味を示さず、なるべく関わらないようにします。
それで変わり者扱いされたとしても私は気にせず、自分の信念をもって行動し続けます。
「自分がした事は必ず自分に返ってくるから悪い事はしない。悪い事をしている人にも関わらない。」というおばあちゃんの教えがあるからです。
その性質と習慣は、私がおばあちゃんからもらった宝物の一つであり、嬉しいことに私から娘にも受け継がれているように思います。
長生きおばあちゃん
私はおばあちゃんがとにかく大好きで、小さい頃から「おばあちゃん、大好きだから絶対に死なないで!ずっと長生きして!」と毎日のように懇願していました。
その言霊の力が働いたからかはわかりませんが、好き嫌いせずに感謝して食事をとり、畑仕事や周りのお手伝いに精を出す健康的な生活を送ってきたおばあちゃんはとても丈夫で病気もすることなく、昨年の8月で103歳になりました。
おばあちゃんは自分の事は自分で何でもできましたが、102歳ぐらいから少し脳の障害が出始め、認知症と診断されました。
身体的には至って健康なので、働き者の性分のおばあちゃんは庭で作業をしたり自宅の階段を上り下りして運動したりと活発でしたが、母がせっかく植えたお花の苗を雑草と思い込んではむしりとり、それを何度も繰り返すなどの困った行動が出ていたようでした。
入院生活へ
その内、だんだんと記憶があやふやになり誰が誰だかわからず、会話の意味が通じなくなってきた頃、おばあちゃんは庭仕事をしようとサンダルを履いて外に出て転倒し足と腰を痛めて立てなくなってしまいました。
それ以来、自宅で車椅子と介護用ベッドを利用する生活となったのですが、父と母がおばあちゃんをベッドから車椅子に移動させたりお手洗いに連れて行ったりするお世話をしていたところ二人とも腰を痛めてしまい、自宅介護の継続が困難になり、おばあちゃんは地域の病院へ入院することになりました。
「おばあちゃんの保証人をお願いしたい」と母から私のもとへ送られてきた病院の書類に私はすぐに署名捺印をし、今までおばあちゃんに大事に育てられた私の母と私の署名が並んでいるその書類を見て、何故だか不思議な感覚に捉われました。
おばあちゃんの旅立ち
感染が日々拡大している新型コロナウィルスの影響で、おばあちゃんの入院先では患者への面会が禁止されていました。
社会状況を見ると、この調子では毎年恒例のゴールデンウィークの帰省も今年は無理そうで、おばあちゃんにしばらく会えないことを残念に思いましたが、「今日、病院に書類を届けに行ったら、おばあちゃんは無事に過ごしてるって看護師さんが言ってた。」と母から聞きちょっぴり安心した私は、世の中が落ち着き次第おばあちゃんに会いに行こうと決めました。
ですが次の日の夜、母から電話で「おばあちゃんが亡くなった」と聞き、私は突然のことで言葉もありませんでした。
お医者さんによると「2020年4月9日の夜、就寝してそのまま息を引き取り、苦しむことなく眠るように亡くなりました。」とのことで、おばあちゃんは自分の寿命を全うして静かに旅立ったのだと理解しました。
望み通りの最期
病院で家族に看取られずに旅立ったことは、おばあちゃんにとっても私たちにとっても寂しいことではありますが、晩年はいつも「夜、布団に入ったらそのまま目覚めないで苦しまずに死ねるのが一番幸せだなぁ」と笑顔で話していたおばあちゃんを知る母と私は、おばあちゃんは自分が望んだ通りの幸せな最期を迎えられたのだと思っています。
私が署名捺印をした書類を母が病院に届けたその日の夜におばあちゃんが息を引き取ったのは、もしかすると「自分が世話をして育てた孫が、自分の保証人になるくらい大人に成長した。」ということを最後に確認し安心できたから旅立ったのかもしれないと私には思え、私はおばあちゃんに「もう私も大人だから心配しないで。おばあちゃんの様に強く愛情深く自分の娘をしっかり育てるから、安心して天国で暮らしてね!」と心の中でつぶやきました。
90歳差の仲良し
103歳で天寿を全うしたおばあちゃんの人生の前半は苦労続きでしたが、後半は日本の数々の観光地へ旅行し、孫に囲まれ、曾孫とも仲良く過ごし、多くの人に慕われた穏やかで多幸な人生だったと思います。
私の娘はおばあちゃんが90歳のときに生まれたので、娘とおばあちゃんは90歳差の曾孫と曾おばあちゃんになります。
二人は、娘が赤ちゃんの頃から中学生になった現在まで変わることなく仲良しで、おばあちゃんは娘に会うたびに「おばあちゃんのこと嫌いにならないで、ずっと仲良くしてよ。」と繰り返し、何やら耳打ちをしては笑い合っていました。
春にはお花見に出かけ、秋にはおばあちゃんの畑で芋掘りをし、温泉旅館では一緒に入浴し、海辺を散歩するなど、ほんの十数年の中で素敵な時間を共有していました。
その様子を撮影した二人の楽しそうな写真は、私を笑顔にしてくれます。
多様なお別れの形
私が住んでいる地域は新型コロナウィルスの感染者が多く、私がもしも無症状感染者だとしたら帰省することでウイルスを家族の所に運ぶことになりますし、感染者の多い地域からの来訪は特に地元の人々を不安にさせ迷惑になってしまうので、私と娘はおばあちゃんの葬儀への参列を断念しました。
きっとおばあちゃんは「自分たちのことばかり優先させて他人様に迷惑を掛けるような行動はダメ!人間には我慢も必要!」と言うはずなので、私と娘は遠いこの地でおばあちゃんを偲びお別れを告げることにしました。
おばあちゃんともう会えないという事実は悲しいけれど、4年前に私の大事な家族である19歳の老猫ちゃんが旅立って以来、私と娘は物理的な繋がりよりも心の繋がりを重視しているので、私たちが忘れない限りおばあちゃんはいつでも私たちの心の中にいると考え、毎日おばあちゃんを想い続けています。
たった一つの頼み事
私の母はおばあちゃんの一人娘なので、おばあちゃんは私に「もし私が死んだら、あなたのお母さんの肉親は子供と孫だけなんだから、お母さんをいたわってあげてよ。特にあなたとお母さんは私が大事に育てた二人なんだから、ちゃんと仲良く助け合って生きてよ。」と言っていました。
母と私は相性が悪く度々衝突するのですが、欲が無く何も要求したことがないおばあちゃんの唯一の頼み事なので、私は「これからは母親を失った悲しみを気遣い、母と衝突したら私が折れよう。」と決めました。
『親孝行したいときには親はなし』というように、私が気づくのが遅すぎて後悔しないように、おばあちゃんは自分の最期をもって私に親孝行のきっかけをくれたのだと思います。
芯が強く賢明で何でもこなす自慢のおばあちゃんに育ててもらえた私は最高の幸せ者で、心からの感謝しかありません。
おばあちゃん、本当にありがとう。
私 頑張るから、天国で19歳の老猫ちゃんと一緒に見守っててね!!
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