お気に入りの『格言』


潔い清々しさ

私には、とても印象に残っている『格言』があります。
以前、同じ職場で働いていた年下の女性の言葉です。
所属する課が違うので関わる機会があまりなく、たまにお手洗いで一緒になったときに話すぐらいだったのですが「他人のことを勝手に決めつけてウワサする人って面倒だよね」というような会話をしていたときに彼女が言った「言いたい奴には言わせておけばいい。私の人生に何の影響力もない雑魚の言う事なんて気にする価値もない。」という言葉です。
それを聞いたとき私は「なんて潔くてカッコイイ言葉なんだ!」と感動し、やさぐれ感溢れる単語のチョイスに「雑魚まで言っちゃうー?!」大爆笑しました。
的を射たその言葉を思い出すと、今でも笑ってしまいます。
私は、誰かが私の悪評を流し貶めて嘲笑おうが勝ち誇ろうが、別に私の寿命経済状況も変わる訳じゃないから気にする必要はないし、姑息な人間の相手なんかしてられないという考えで生きており、彼女のその言葉は正に私の思考をズバリ大胆に表現したものでした。
勢いのある口調でバシッと言い切る彼女の姿に力強さと清々しさを感じました。


言及するがゆえに

私は「えっ、それっておかしくない?」と思うことや「だったらこうした方がいいんじゃないの?」と思うことを割とはっきり言及するタイプなので、それに伴ったいろんな経験をしています。
ある職場では「評価基準を個人売上ではなく店の売上とした方が連帯感のある業務で売上が上げられると思います。できれば売上を達成した月はこちらが希望するお店でお食事会を開いて欲しいです。」と提案しました。
個人売上となると顧客の取り合いになってしまう、協力する姿勢に欠けてしまうという残念な現実があったからです。
とても柔軟で理解のある会社だったので提案を受け入れてもらえ、その結果ほとんどの月に売上を達成しては豪華なお食事会を楽しむことができ、私はその会社で評価されました。
ある職場では「利用者数を減らさないようにするには、こちら目線ではなく利用者目線でサービスを変える必要があると思います。」と提案し改善することができたのですが、「あいつ生意気だ」的な感じでとてもわかりやすく膨大な量の仕事を振られ、過酷な状況に追い込まれました。(昭和の人間なので根性でこなしましたが、体力的にキツかったです・・・)
そんな目にあうこともそれなりにあります。


打たれても打たれても

『出る杭は打たれる』という言葉がありますが、その対義語として『義を見てせざるは勇無きなり』という言葉や『出過ぎた杭は打たれない』『出ない杭は朽ちる』という言葉もあります。
私の言葉は『打たれてもまた出るし打たれっぱなしでは終わらない』です。
(いちいち挫けてメソメソしてたら見知らぬ土地でたった独り、ワンオペ育児なんてこなせませんからね★)
目立ちたいからという理由ではなく、やっぱり言うべきことはきちんと言える自分でありたいと思います。
そのせいでトホホな状況(←昭和な死語)に陥っても自己責任なので後悔はしません。
社会の風紀を守る『世直しポリス』を目指している訳ではないので他人のことには干渉しませんが、御縁があって関わった上で余程「それって主旨と違ってませんか?」とか「そのままではマズくないですか?」と思ったことには言及します。
そんな自分だからこそ困っている人を見かけたら躊躇せずに声を掛けられるのだと思うので、都合の良いイエスマン声をあげない人間にはなりたくないです。


行動しないということ

あるとき、国内空港で私はお手洗いの順番待ちの列に並び出入り口付近にいました。
お手洗いの中の方から歩いてきた若い女性が背面に注目を浴びているのを不思議に思い、すれ違ったときにその女性の背面に目を向けると、スカートの後ろ裾がウエストに引っ掛かりショーツが丸見えという恥ずかしい状態になっていました。
それに気づかずにお手洗いから出ていこうとする女性に私は慌てて声を掛け現状を伝えました。
お手洗いの出入り口まで来るには列に並んでいる多くの人たちの前を通りますし、洗面台では立ち止まっているはずなのに、注目だけして誰も声を掛けてあげないという冷たい現実に私は震えました
「目立ちたくないから」なのか「声を掛ける勇気がないから」なのか「他人のことだから関係ない」という考えなのか、いずれにせよ行動しない人間たちによって生み出される残酷さの一例だと思いました。


仲間の定義

また、「誰かにとっての敵はグループ全員の敵」みたいな全員一致主義同調圧力も怖いなと感じます。
人には相性があるので合う相手、合わない相手がいます。
それを仲間意識による「あいつ気に入らないよね!」という同調の押付け「嫌いじゃないけど嫌いと言って合わせておこう」という互助的な感情操作で故意に変えるのは、ある種のマインドコントロールのような気がするからです。
個人意思を操作してまで思考や行動を統一させる必要はないと思いますし、好き嫌いまで同じじゃないとそんなにダメなのでしょうか?
仲間の定義も様々ですが、悪い部分には目を向けず優遇し同調し合う心地良い存在が仲間なのではなく、すべき指摘をし合ってもこじれることのない強い関係性や、異なる思考を尊重し認め合えるのが仲間の定義であって欲しいです。
人間関係で悩んでいる方には、今回ご紹介した私のお気に入りのちょっぴりやさぐれた格言で少しでも強く清々しい気持ちになってもらえたらいいなと思います。
紆余曲折四苦八苦してる50代もなんとか必死に頑張ってますから、皆さんも元気出してくださいねー!

「言いたい奴には言わせておけばいい。私の人生に何の影響力もない雑魚の言う事なんて気にする価値もない。」

※ 声に出す場合は場所とタイミングに注意してくださいね (^_^;)

達成感とか 価値観とか


見え始めた成果

私は今『WEBデザイン』の学校に通っています。
以前から興味がありずっと学びたいと思っていたので、難しい内容でも毎日が楽しくて仕方ありません。
すぐにスラスラと覚えられない私には地道な復習が必要で、理屈も理解した上で自分の言葉で綴り、きっちり頭に入れるという方法をとっています。
かなりの時間と集中力が必要となるので身体的に疲れ、先週は目の毛細血管が切れて白目に血が滲んでいましたが、変わらず全力で励んでいます。
今は『HTML』CSSというプログラミング言語を一から自分で書き込んでホームページを作る『コーディング』を学んでいます。
演習課題に挑戦し、自分のアイデアとリサーチでほとんどの難題をクリアして、スマートフォンにもパソコンにも対応可能なレスポンシブデザインのホームページを作ることができました。
解決策を模索して何度も試してはやり直すという作業の繰り返しの末に完成まで漕ぎ着けた達成感は格別でした。


今すべきこと

使いやすい親切なデザインになるように自分なりのひらめきを加えられたことにも満足しています。
仕上がりの一部をもっと改善できたらなぁと思い、リサーチと試行を繰り返しても結局最後までできなかった箇所が一つだけ残ったのですが、私は学習している真っ只中よりも少し時間が経過してからの方がより理解力と応用力が増すので、きっと後で改善策を見つけることができると思います。
自分との付き合いが長いだけ自身の特性がわかっているので、出だしでバタついて遅れをとっても、いつも通りコツコツと復習を重ねて必要な知識をきちんと自分のものにしています。
私の最大の強み応用力なので、まずは最後まで気を抜かずに基礎を確実に覚え、後に応用力をどんどん発揮していくつもりです。
自分のここぞという時に発揮できる実力を身につける為に、学ぶべき場所で得るべき知識を得る、今すべきことはそれだけです。


困ったアレルギー

今週はアレルギーが発動してしまい、体力的に大変でした。
免疫力治癒力低下しており、アレルギー症状が出ると治まるまでだいぶ時間が掛かることを痛感します。
薬の副作用で頭がボーっとし、薬が切れてくると目と鼻がグシュグシュでけっこうしんどかったので体力を温存する為、学校ではなるべく声を発しなくて済むように人と目を合わせないで過ごしました。
私はいつもポジティブなお声掛けを心掛けていますが、誰とも話さずに過ごすのも別に苦痛ではないタイプなので、周りからは挙動不審と思われたかもしれませんが体力的にはとても楽でした。
もしこれが職場だったら具合が悪くても会話も電話対応も通常通りこなしますが「勉強が目的の学校なので許してください・・・」という感じで暗く静かに過ごした数日間でした。
「こんな時こそしっかり食べなくては!」と栄養のあるものをいつも以上にモリモリ食べていたので、顔は逆にふっくらしています。


大切にしていること

私はコストパフォーマンス(対費用効果・お得感)と同様に、タイムパフォーマンス(対時間効果・時間の価値)も重視しているので、居場所と目的に応じた切替えを大切にしています。
学校にいるときは学びに、職場にいるときは職務に、家にいるときは母親業と自分に必要なこと(学習、趣味、リラックスなど)に専念して時間を使うようにしています。
その為、プライベートでは外部の人たちと関わらず、生活にメリハリをつけるスタイルをとっており、連絡先交換お断りしています。
お断りするときは心苦しいので、できるだけ『掴みどころがなく親しくなろうと思われない雰囲気』をふんだんに出すようにしています。
それでも「除け者にしたら可哀相」という気遣いや強いポジティブ思考で連絡先を聞いてくる人もいたりします。
その場合はより心苦しくて気まずくなるので、今通っている学校では最後まで誰からも連絡先とかお食事会などの話題を振られないことを願っています。(これが不要な心配として終わって欲しい・・・)
私にとってはそういう類のことと、ポジティブなお声掛け他愛のない会話はまったく別物なのです。


仕事のポリシー

また、職場の人たちとプライベートで関わらないのには他にも理由があります。
私には『仕事の評価は仕事で得るもの』というポリシーがあり、プライベートで仲が良いからとか、媚びて気に入られたからとかではなく純粋に仕事での評価を得たいので、特に上司とは近しくならないように若い頃から努めています。
先日、作成したホームページの仕上げで文字揃えをしていて、以前お世話になった女性上司のことを思い出しました。
『読みやすい文章の改行』を常に指示されていたので、私は改行の見直しが今も習慣になっています。
思えば、育児でずっと家にいた私がオフィスワークをする機会を得て 社会復帰し、膨大な量の様々な仕事をこなすことでスキルと自信を身につけられたのは、その女性上司のお陰です。
度胸があり、仕事をバリバリこなす強い女性がいるからこそ女性が活躍できる場所が社会に増えているのだと尊敬の念を抱いていました。
今でも心から感謝しています。
年齢が近かったので仲良くなることもできたと思うのですが、自分の上司なので私は敢えて距離を置くようにしていました。
もうお会いする機会もありませんし、この言葉が届くかはわかりませんが、いろんな状況で伝えられなかった言葉をここに記します。

「 本当にありがとうございました。」

ささやかなエール


変化の感じ方

世代の変わり目というのはいろいろと悩み不安が付きもので、健康面に関しては年齢を重ねるほど老いを実感し心配事が増えます。
もうすぐ40代から50代へと変わる私にも、視力の低下生活習慣病予防についてなど、さほど深刻ではないながらも気になることはそれなりにあります。
最近は治癒力が減少していることをヒシヒシと感じています。
30代から40代に変わる頃はいよいよ中年と呼ばれる世代になることや、目立ち始めた年齢なりの容姿の変化に気づいて衝撃を受ける日々に戸惑ったりしていました。

『衰え』との対峙

精神的に一番大変だったのは20代から30代に変わる頃でした。
10代から20代に変わる頃は単純に「これからは自分も大人として扱われる」という嬉しさと将来に対する希望しかありませんでしたし、若さパワーに溢れていたので全力で楽しくはしゃいでいたように思います。
ですが、20代から30代に変わる頃は、平気だった夜更かしやアクティブな行動でどっと疲れるようになり著しい体力の低下を感じ、初めて『年齢的な衰え』というものを知りました。


大人のプレッシャー

30代になったら社会である程度の経験を積んできている大人として扱われ、以前よりも責任のある立場や身につけた知識築いてきたものがあるのが当たり前と思われたり「もう30代なんだからこれくらいはわかるよね」というような見方をされたりするのだろうと考えると、とてもプレッシャーを感じました。
そして、自分には築き上げたものや手に入れた特別なものがあると言えるだろうか、確固とした誇れるものがあるだろうか、もしかしたら自分は薄っぺらな大人になってしまうのだろうかと深く考えたりもしました。

『悩み』と『開き直り』

同世代の人たちが結婚して子供を産むなど人生の大きな変化を迎えているのに、相変わらず好きなことばかりして生きている自分に、楽しいけれど本当にそれでいいのだろうかとか、いつか自分も親になるのだろうかとか、様々な自問自答を繰り返しました。
先のことは誰にもわからないだけに、考えだすとあれこれと悩んでしまいがちです。
考え疲れた私は「人生はなるようにしかならないんだから、悩んだところで変わらないなら悩むだけムダ」と開き直り、思い切って海外で(ちょっとだけ)冒険をする計画を立て実行することにしました。


運命の考え方

人生運命というのはその時その時の選択次第で未来が変わるものではなく、自身がどの時点でどんな選択をするのかということもすべて生まれたときから既に決まっているのだと私は思っています。
人生で起こることは良い事悪い事も、良い出逢い悪い出逢いも、すべて起こるべくして起きているという考えです。
進むべき道の選択にしても、結局は選ぶべくして選んでいる道であり、それが自分の運命なのだと考えているので、過去を振り返って「あのときあの人に出逢わなければ・・・」とか「あんな選択さえしなければ・・・」と悔いることはあまりありません。

焦りと迷走

周りの人たちが仕事で順調に結果を出していたり、結婚して子供を育てたりしているのを見ると、自分だけが取り残されてしまったような気持ちになることもあると思います。
ですが、人生で成功するタイミングパートナーと出逢うタイミング人それぞれ違うので、成功するタイミングが36歳という人は36歳で成功するのだし、50代でパートナーに出逢う人は50代で出逢うのだから、タイミングがたまたま早い人たちと比べて焦って迷走しても疲れるだけのような気がします。


それぞれのケース

結婚にしても、何度目かの結婚の相手が運命のパートナーだというケースだってあるでしょうし、結婚や恋愛という関係性ではないもっと違うかたちでのパートナーとの出逢いもあるでしょう。
自分自身を最高のパートナーとして、あえて独身のまま気楽に生きるという人もいますし、本人がそれで幸せならありだと思います。
大事なのは自分を大切にして生きれているかということなので、特別に成功を収めていなくても、パートナーに出逢えていなくても、世間の価値観に流されて焦る必要なんて本当はまったくないのです。

私の提案

迷走して壁にぶつかりながら生きる日々から学んだり、精神的に鍛えられたりすることもきっとありますから、それも一つの人生勉強と言えます。
ですが、憔悴すると人間はネガティブ思考に陥りやすくどうしても多くのパワーを奪われてしまいます。
それならば『人と比べない強い意思』『自分を見失わない心』を養うことにパワーを費やした方が、自身のブラッシュアップになり自己肯定感幸福感に繋がるのでより良いのではないかと思います。


ささやかなエール

現在、悩んで迷走している人というのは、自分に真剣に向き合って一生懸命に生きている人だと思います。
そんな風に自分の人生を大切にしている人は、本人が気づいていない大きな魅力を持っているものです。
人と比べて競いマウントをとるのではなく、魅力をポジティブな方向に向けてぜひ輝いて欲しいと思います。
そんな悩める人たちを私は応援したいです。
インターネットで検索できるので、THE BLUE HEARTS(ザ ブルーハーツ『人にやさしく』という歌を、歌詞に注目して聴いて欲しいです。
「 ♪ 聞こえてほしい あなたにも ガンバレ! 」

気楽なスタイル

ちなみに私は今、男とか女とか関係なくただ『人間』として気楽に生きています。
どこも痛くなく、食べたいものを美味しく食べられることをありがたいと感じ、毎日幸せです。
人と比べることも多くを求めることもないのでハードルが低い分、ちょっとしたことでも幸福感を感じられています。
ずっと興味があって勉強したかった『WEBデザイン』を学べていることも幸せです。
今はプログラミング言語を自分で一から記述してWEBページを作る練習をしています。
しっかり覚えたくて復習していたら睡眠時間が減ってしまい、目の毛細血管が切れて白目に血が滲んでいました。
血と汗の努力
頑張りマッスルボンバー ★ 
( いよいよ本格的に疲れてきてる感じが漏れ出てしまいました )

私のお洋服事情


私の大正解

私はお洋服が大好きで、若い頃にせっかく新卒で就職した金融機関を辞めてアパレル業に転職しました。
社会的安定性収入は前職より下がり、親をはじめ周囲の人たちからは「若気の至りでそんなもったいないことして・・・」と転職したことを大きな間違いのように言われました。
ですが、私は素敵なお洋服やファッションアイテムがいっぱいのキラキラした世界向上心を持って働き、それに伴う評価も得ることができたので大正解の選択だったと思っています。
価値観は人それぞれなので、自分がそれで幸せだと思うなら他人がどう思おうとそれが正解だということです。


大切な経験

百貨店ミセスフロア(ご婦人向けの階)で勤務していた頃は、ベテランお局様方がいる『大奥』のような特殊な空間でかなり鍛えられ対人力洞察力を磨くことができました。
私の人生において本当に大切な経験だったと思います。
現代では全く違うのかもしれませんが、当時その空間は『気弱な人は生き抜けない戦場』といっても過言ではない場所でした。
お陰で私は「1対10だろうが1対100だろうが言うべきことは言わせてもらう」という強い精神たくましく生きられています。
(争うと疲れるので余程じゃないことは受け流してますけどね)


お洋服選び

そんなお洋服好きな私ですが、高齢者向けの福祉施設実務修行をしていた期間はジャージ姿で働き、通勤着はなるべく早く着替えられる服だけを着ておりオシャレとは縁遠い生活を送っていました。
久しぶりにお洋服を楽しめる生活になり、今まで出番がなかった私服たちを着ようと張り切っていたところ、コーディネイト重視の薄着で出掛けて危うく風邪を引きそうになってしまったので、それからは健康重視のお洋服選びに切り替えました。
いよいよ寒さがピークになった最近では、持っている中で一番暖かい着ぐるみのようなモフモフの赤色か茶色のセーター2択のみという状態です。


完璧な防寒スタイル

私は『WEBデザイン』の学校に通っており『Photoshop』『illustrator』の学習を終えて、今は『Visual Studio Code』コーディングをしてホームページの骨組みを作る勉強をしています。
1日も休むことなくしっかり授業を受けたいので、今の私にはオシャレよりも確実な防寒対策の方が重要です。
耳当てをし、羽毛布団のような分厚いロングのダウンコートを着て、裏起毛の160デニールタイツとモフモフの裏起毛ズボンの上に厚手のロングスカートを履き、2択のセーターの下にはブラウス裏起毛Tシャツを着るという完璧な防寒スタイルで通学しています。


魅惑のヒョウ柄

30代後半になった頃あたりから、私はヒョウ柄の魅力に気づいてしまいました。
そのぐらいの年齢から柄物に目覚める女性が多く、大きくはヒョウ柄派』『ミリタリー柄派』の2つに別れるのだそうですが、それらの柄のお洋服を着るのはなかなか勇気がいるので、大半の人は靴やストールなどのファッションアイテムだけを使うようにしているという話を知人から聞きました。
確かにヒョウ柄インパクが強すぎて気が引けてしまい、思えば私も小物使いが精一杯な感じでヒョウ柄のお洋服たちはほとんど着れていませんでした。


躊躇と願望

若い人のヒョウ柄ファッションはオシャレなアクセントに見える場合が多いのですが、私がヒョウ柄のお洋服をがっちり着たら『派手でキツい中高年』という印象になるのではないかと躊躇してしまいます。
いずれにせよ、この季節には薄すぎて合わない素材だったり、モフモフしていても前開きで風通しが良すぎだったりするので当面は出番がないと思われます。
まぁ、できれば今年はヒョウ柄のお洋服を着れたらいいなぁなんて思います。( ← そう思い続けてもう10年ぐらいになります・・・)


私のお洋服たち

私は色や素材を重視して、流行に左右されないシンプルなデザインのお洋服を選ぶので長持ちしており、あまり購入の必要がありません。
譲り受けるお洋服などもあるので、サイズが合わないものは自分でお直しリメイクをして、スカートなどのウエストは総ゴムにします。
(いくらでも伸びるから太っても安心 ♥)
また、私のお下がりを娘が着てくれたりするのも、お洋服好きの私には醍醐味です。
今後、出番が少なかったお洋服たちを活躍させられるようになったら毎日がワクワクで楽しいだろうなぁと思いつつ、を心待ちにしている今日この頃です。

では皆様、また近日中に (*^-^*)

笑顔は最高の味方


残念なお知らせ

私はずっとGYAO(ギャオ)』という動画無料配信サービスを利用させていただいています。
テレビ番組の見逃し配信だけではなく、映画海外ドラマから昔懐かしいアニメまで充実したラインナップなので、プライベート時間は動画鑑賞を心ゆくまで楽しむことができるのです。
ところが先日GYAOから『重要なお知らせ』として2023年3月31日サービス終了になるという旨が記載されていました。
それは私にとって、最近の無印良品のバームクーヘン値上げ』に続く大きな衝撃で、またもやド昭和なリアクションであたふたしてしまいました。
がっびーん!! そりゃないぜ、ベイベー・・・ (←死語)

親切な案内

とても親切なことに、別の動画無料配信サービスへの切替えの案内をしてくれており、『TVer(ティーバー)』というアプリを使用すればテレビ番組の見逃し配信を鑑賞することができるとのことでした。
『メンタリスト』『BONES(ボーンズ)』など、シリーズで見続けていて今後の配信が楽しみだった海外ドラマたちを見られなくなるのはとても残念ですが、バラエティー番組はこれからも観られるとわかってホッとしました。
最近のお気に入りは、芸人コンビかまいたち『ダイアン』お笑い番組です。
現在、必死で頑張っている『WEBデザイン』の勉強がますますハードになる時期なので、動画を見る時間が必然的に減るのはちょうど良いのかもしれません。


『笑い』の効果

新型コロナウィルスの影響でマスク着用の生活が当たり前になってからは、隠れて見えないからと気を抜きがちで顔に緊張感がない状態が続いています。
そのせいで顔の筋肉がすっかり落ちてしまった為、私は大好きなお笑い番組を観るときはエクササイズを兼ね、なるべく大きく口を開けて大袈裟に笑うようにしています。
タレントの関根勤さんにも負ける気がしないぐらいの笑いっぷりです。
笑うと脳は「楽しくて幸せなんだ」と思い込み『ポジティブ思考』になるので自然と気持ちが明るくなります。
そして、笑うことで血行が良くなり脳の働き身体の細胞活性化され免疫力が上がりますし、リラックスした状態になって副交感神経が優位になるので自律神経も整うという効果もあります。

楽しい習慣

私は高齢者向けの福祉施設で働いていた頃はよく「笑うだけで元気になれるなんて嬉しいですねー!今日もいっぱい一緒に笑いましょう!!」と声を掛け、ベタな駄洒落を言ったり、わざとらしく訛って話してみたり、あの手この手でなるべく多く笑ってもらえるよう努めていました。
結果、自分も笑って元気になっていたので相乗効果一石二鳥でした。
また、私はお洋服が好きでお洒落な人を見ると自然に「素敵ですね」と言葉が出るので、そこから話が弾んでお互いにウキウキな笑顔になることも多かったです。
その楽しい習慣は今の生活でも続いており、今後もずっと続くのだと思います。


賢く生きる技

笑顔は自分の心と身体元気にしてくれるビタミンです。
笑顔は人から人へと広がるので、みんなで幸せの連鎖を作ることもできます。
ですが、なるべく笑顔でいようと心掛けていても日々の生活にはストレス苛立ちもありますから、24時間ずっと笑顔という訳にはいきません。
なので私はお笑い番組を観て大笑いし、脳に「幸せなんだ」と思い込ませ『怒りの感情』『ネガティブ思考』『幸福モード』に切り替えるようにしています。
自分の脳を騙すような感じですが、良い方向へ向かうならアリだと思いますし、それも一つの『賢く生きる技』です。
ちなみに、棒読み的な笑い方や口角をあげて強引に作った笑顔でも脳は反応し「幸せなんだ」と思い込んで『ポジティブ思考』になってくれるらしいです。
よろしければ皆さんもぜひ試してみてくださいね。
私は今日もお笑い番組を楽しみ、本気で大いに笑います。


笑顔は自分を幸せにしてくれる最高の味方です (*^-^*)

無印良品のバームクーヘン


お気に入りスイーツ

我が家の冷蔵庫には常に何種類かのお味の無印良品のバームクーヘン』が入っています。
濃厚なお味しっとりとした食感のスイーツが、結構なボリューム150円というお得さに私の心は鷲掴みにされ、高カロリーとは知りつつも無印良品のバームクーヘン』が与えてくれる幸福感に満たされ続けてきました。
紅茶味、バナナ味、抹茶味が我が家の定番で、季節になると発売されるチョコレート味や様々なフルーツ味も魅力的です。
私の一番のお気に入りチョコレート掛けオレンジ味です。
この季節はホワイトチョコレート掛け紅茶味のまろやかさや、チョコレート掛けバナナ味のゴージャスさにもウットリさせられます。


衝撃の悲報

昨年末、私は無印良品のバームクーヘン』が値上げされるという悲報をスマートニュースで知りました。
150円から180円へと価格変更され、元の価格の20%にあたる30円の値上がりとなるのです。
今まで600円あったら4本買えたものが3本しか買えなくなると考えると『お得感』が薄れ、何事においてもコストパフォーマンス重視の私の無印良品のバームクーヘン』に対する情熱を冷めさせるには十分な変化でした。
値上げされるまではまだ何日もあったので、出掛けたついでにでもいっぱい買っておこうと思い値上げ予定日の数日前にお店に行ったのですが、なぜかバームクーヘンは既に値上げされていました。
がっびーん!(←昭和のフレーズ)
私はショックのあまり、しばらくその場で呆然と立ち尽くしました。(←大袈裟)


切ない別れ

いろんな物がどんどん値上がりしていますが「これも時代の流れだから仕方ないか」と受け入れていました。 
ですがコストパフォーマンスを評価して常に購入していたお気に入りの商品が急に20%値上がりするとなると、やはり「なっ、なんですってぇぇぇ!」となるものですね・・・
きっとこれは糖尿病予防の為にもボリューム満点高カロリースイーツからさっさと卒業しなさいという啓示なのだと受け止めることにして、私は何も買わずにそっと売り場を後にしました。
無印良品のバームクーヘン』よ、今までたくさんの幸せをありがとう! そして、さようなら・・・
いつかまたお会いしましょう(涙)


※ って言いながらも、以前の買い置きがまだ冷蔵庫に5〜6本は入ってますけどね (;^ω^)

新たな近況


退職という選択

実は昨年の12月から『WEBデザイン』の学校に通っています。
私は福祉関係の学校で半年間勉強して3つの福祉資格を取得し、その後は実務修行として福祉施設で勤務をしていました。
3年間の実務経験を積めば国家試験受験資格が得られるとのことで、私は福祉の国家資格取得を目指して働いていたのですが、体力的な限界を感じ3年間の修行を終える前に退職しました。
頑張って学んだ知識を現場で活かしながら経験を積む日々はやり甲斐がありましたし、たくさんの利用者さんとの良い御縁にもめぐまれ笑顔いっぱいの充実した日々だったので残念ではありましたが、退職という道を選びました。

体力の限界

その施設には、福祉の資格取得の際に現場実習として10日間程お世話になっており、きつい仕事なのは承知の上で働き始めました。
脱衣所に1名、浴場に2名のたった3人の介護職員が午前中の約2時間で20名以上の高齢者の入浴介助をするのは体力と注意力が勝負となります。
入浴拒否されれば上手に説得をして誘導するのに更に時間が必要ですし、その日の血圧体調の関係で予定していた通りにはなかなか進められないのが日常です。
ですが、よほどのことがない限りは利用者さんにその日の内に入浴介助をしなければなりません。
車イス利用の方々入浴用のイスに移乗してのリフト浴や、全ての介助が必要な重度介護の方々を抱え上げての入浴介助は10代20代の若者でも「きつくてもう続けられない!」と悲鳴を上げていました。
それを、もうすぐ50代になる私が肩を並べて同等にこなすことに体力的な限界を感じるのは自然なことのようにも思えました。
また、施設では新型コロナウィルスクラスタが発生し私自身も罹患してしまいました。
自宅療養後は職場復帰しましたが、息切れ倦怠感、著しい体力の低下など新型コロナウィルスの後遺症 と思われる症状も退職の要因となりました。


後遺症と診断書

復帰後まもなく、会社に一時的な時短勤務などを希望したところ「対応には診断書の提出が絶対に必要」とのことでした。
それは企業的に妥当な返答なのだと思います。
ただ、新型コロナウィルスは突然物凄いスピードで猛威を振るい始め、未だ解明されていないことだらけなので治療や予防の方法も手探り状態です。
新型コロナウィルスの後遺症については最近ニュースなどでちらほらと目にするようになりましたが、病院に行けば診断してもらえるというような現状ではまったくありませんでした。
私は地元の医療機関に問い合わせていろいろ調べ、ようやく『新型コロナウィルス後遺症外来』という部門を見つけました。

無理な現実

その病院に電話して訊ねると、すぐにその部門で診察を受けられる訳ではなく最初は内科で何度か診察を受け、内科の医師から『新型コロナウィルス後遺症外来』での診察指示が出たらようやく受診できる流れとのことでした。( 現在も同じシステムなのかは不明です)
体調が悪くて時短勤務にしてもらう為に休日にわざわざ遠くの病院へ通い、診断書がもらえるのかもわからないまま通院に時間と体力を費やし、ゆっくり身体を休める暇もなくきつい仕事を続けるのは本末転倒に思えました。
そして何より、私はもう日々の業務でクタクタすぎて休日はベッドから出られずどうにもならなかったので、結局は診断書の取得時短勤務も諦めることになりました。


命あっての人生

そんな中、勤務する福祉施設の利用者数が私の入社時よりもだいぶ増えて職員の業務負担が更に大きくなり、私は過労による生命の危険を感じるようになりました。
御縁あって出逢った利用者さんたちにたくさん笑って元気になってもらいたいという気持ちや、国家資格取得の為に今まで重ねた努力を考えると悩み、新型コロナウィルスの後遺症と思われる症状が出てからも半年ぐらいは気力を振り絞って頑張りました。
ですが、やはり命あっての人生と思い職場を去ることにしました。
そして現在は、以前から興味があった『WEBデザイン』の勉強をしています。
私は福祉の勉強を始める前から「福祉系のアプリを自分で作って提供したい」と思っており、その内容なども具体的に考えていました。

いろんな関わり方

母子家庭の支援子供を守る為の内容でのアプリ作成を考えていましたが、福祉の現場で経験を積んだ今は高齢者の心を元気にする内容も構想に追加されています。
高齢者の方々にWEBの利用は難しいと思うので、福祉施設の職員の方々に向けてWEB情報を発信し、その職員の方々から高齢者の方々に心が元気になるアイディアが伝わるようにしたいと考えています。
現場からは退きましたが福祉の精神を捨てたわけではありません。
現場で高齢者の方々と接することがなくなっても役に立てる関わり方はいくらでもあるはずなので、私は今までと変わらない意思や思いやりを大切にして前向きに歩み続けようと思います。


必死な私

『WEBデザイン』の学校で、12月は『Photoshop(フォトショップ)』というプログラムを使用し、写真を加工してWEBのバナーや印刷物のデザインをする学習をしました。
1月からは『illustrator(イラストレーター)』というプログラムを使用して学習しています。
まったくの未経験者な私には初めて知ることばかりで覚える内容が物凄く多く、授業の課題も自宅での復習もこなすのが本当に大変ですが、ずっと学びたかったことですし、最終的に大事な目標もあるので脱落しないよう必死に食らいついています。
そんな私には思うところが2つあります。

密かな願い

 ギリギリの状態で課題に取り組んでいる落ちこぼれな私に「これ教えて」って言わないで、既に知識と技術があって時間に余裕がある人にだけ頼って欲しい。
お役に立てないし、私には時間が足りないのです・・・
 放課後の自習時間にすぐ隣や後ろでまぁまぁな音量の会話をするのはやめて欲しい。
その距離での会話ならもっと小さな声でも十分ですよね・・・
私はお喋りや交流ではなく課題の自習がしたいのです・・・


誰かとつるんで陰で批判するようなゴミみたいな真似は嫌いですし、わざわざクレームを入れるのも面倒なので、ずっと気づいて貰えないであろう私の密かな願いです。
今年になってから騒がしさちょっぴりマシになったのは我慢の限界に達した誰かがクレームを入れたからなのかなと思っています。
(迷惑に思っている人は他にもいるということですね)
そんなこんなですが、とにかく私は集中して勉強を頑張るのみです!

では皆様、また近日中に (*^-^*)