思考範囲の大切さ


危険な決めつけ

思考範囲経験や知識の引き出しの多さは生き力に繋がりますが、パターン化された生活を繰り返す日々を送っていると、せっかくの広い視野が自分を取り巻く小さな世界の中で感化され、思考の幅が狭くなってしまいがちです。
何か一つの事柄について「考えられるのはこれしかないだろう」と自分が思いつくこと以外は絶対にないと思い込んでしまうと、せっかくの善意からの言動が良くない方向へ進んでしまうことも多々あります。
例えば「健康面で心配だから痩せた方がいい」というアドバイスは至極当然で好意的な気遣いに聞こえます。
太った原因が惰性的な不摂生だったとしたら、それは生活習慣に喝を入れて正しく導くアドバイスになるのでしょうが、ポイントは太る原因が不摂生だけとは限らないということです。


様々な理由

太る原因には薬の副作用や、個々に差が出る年齢的な変化、家系的な体質の他に、ストレスで精神的に追い詰められ、飲食でなんとか精神状態を保っているというケースも考えられます。
私が思いつくのはこれらのことですが、考えられる原因は他にもあると思います。
何パターンもの原因が考えられるのに、一方的に「自己摂生ができてないのはダメ!」と強めの調子で「痩せた方がいい!」と言って、実は相手には病気など特別な理由があったとなると、そのアドバイス無神経な発言になってしまうのが心配です。
特別な理由があるならそれを明かせば終わる話とも思われますが、自分の身体に関することを他人に話したくない人もいるので、思うほど簡単ではないのです。


複数の想定と必要性

何らかの特別な理由を話すことになった場合「余計な健康アドバイスさえなければ個人的なことを話す必要なんてなかったのに・・・」迷惑に思う人もいるでしょうし、理由を打ち明けたくなくて黙っていた場合、事情を知らない相手から何度も「痩せた方がいい」と繰り返され嫌な気持ちになる人もいるでしょう。
太った原因がストレスで、アドバイスをしてるその人がストレスの種だった場合は「実はあなたがストレスで・・・」とは言えず、更なるストレスで苛立つのではないでしょうか。
このように、他の想定を考えずに「身体のことぐらい誰にでも話すのが普通」と決めつけて発言してしまうと、せっかくの善意裏腹な結果に繋がる恐れがあります。
個人的な事柄はハラスメントになるので触れないのが無難ですが、口にする際にはまずいろんなケースを想定して考えてみることが必要じゃないかと思います。


単純ではない現実

先日、インターネットで「ひとり親なのは自己責任」という言葉を目にしました。
ひとり親になる経緯はドラマによくあるような話だけではなく人それぞれなのに、何を持ってそんなことを言うのだろうと私は驚きました。
死別した人だっているでしょうし、子供を暴行性暴力、その他の悪影響から守るために決別した人もいるでしょう。
幼い子供が障害児と診断された途端に世間体のためお金だけ渡して縁を切る親、借金を残して無責任に消える親、犯罪者として逮捕される親、子供に犯罪を強いる親、激情して子供の幼稚園や小学校で暴れる親、いろんな酷い親が実在します。
全ての人が何でもオープンに話す訳ではありませんから、語られず誰の耳にも入らない事実もあると考えるのが妥当なのに、自分が知り得ない話は現実ではないという狭い思考範囲で他人のことを悪く決めつけるのは乱暴な行為だと思います。


『社会的ないじめ』

発信されて誰かに伝わる話だけが真実ならば、情報を操作してバラまく人の作り話が真実で、沈黙を貫く人には真実など一つもないということになり、それは非常に愚かな解釈だと思います。
情報の見極めができないでいると、誰かの悪意に利用され、知らないうちに自分も共犯となることもあるので、何でもむやみに信用するのは危険です。
ひとり親を自分の勝手なイメージ憶測して言いふらす人、それを鵜呑みにしてしたり顔見下す人も実在します。
どんな成り行きであれ、それぞれの事情を抱えながら、ただでさえ大変な育児を一人でやり繰りしている世の中のひとり親を『自己責任』という言葉で否定して『ひとり親であること=ダメなこと』という偏見差別するのは『社会的ないじめ』に思え、残念な気持ちになりました。


思考範囲の大切さ

知識経験値は人によって違い、知っているから偉いとか知らないから不幸という訳ではありません。
ただ大事なのは「こうとしか考えられないだろう!」狭い思考範囲で決めつける前に「自分の中で思い浮かぶのはこれぐらいだけど、他にもいろんなケースや考え方があるかもしれない・・・」という気持ちで見つめ直すことだと思います。
思考範囲考え方の傾向自分を取り巻く環境に大きく左右されがちで、特に差別偏見など、悪い影響ほど容易く伝染するものです。
偏見を持たず、実際に自分が接した印象やそのときの様子をもとに相手を理解できていた人でも、他人の噂話が大好きで悪口で盛り上がるためなら事実なんかどうでもいいという人の側にいると、よほど芯の強い人間でない限り惑わされてしまします。


悪い影響

公正な判断ができていた人でも、噂話悪口に参加はしなくとも、周りから伝わる無責任な情報を多く耳にするうちに、自然とその情報で他人のことを知ったような感覚になり、怖いことに自分のそんなマイナスの変化に気づかないまま、それがいつしか自分の『他人を知る術』として定着してしまいます。
情報通で、常に情報の中心でいたい人たちというのは、誰かが傷つくことや誰かに迷惑をかけることをまるで気にせず、平気で話を作り情報操作をします。
そして「あたなにだけ特別に・・・」という魔法のワードと一緒に誰かの情報を提供することで相手に心を開かせ、他の人やその人自身の新たな情報を引き出し、今度はその情報を持って別の人のところへ行くという行動をひたすら繰り返すのです。

『劣等感』という呪縛

ですから私は『情報通』な人間ほど信用せず、近づいてこられたら天気や食べ物のどうでもいい会話で切り返して、なるべく関わらないようにします。
噂話や情報の中心にいる人間が唯一悪く言わないのは自分自身のことだけで、周りの人間のことは一番仲の良い噂仲間や自分に目をかけてくれている上司先輩のことでさえも必ず悪く言うので、そういう人間に特別扱いされて真に受けるのは間違いです。
誰かの悪口を言うことで結ばれた関係性は負の財産にしかなりません。
噂話悪口でしか他人とコミュニケーションがとれない人は、心に劣等感を抱えているから、他人を貶めて嘲笑うことで自分が優位に立とうとするのでしょうが、そんな行為は自分をどんどん醜くするだけで、結局は自分の首を絞めることになります。


与えられたギフト

誰にでも必ず天性の魅力があると私は思っています。
自分の魅力に気づいて自分自身を肯定することができない限り、ずっと負のスパイラルに捉われ続け、どんなに充実しているように見せても心が貧しいまま歳を重ねることになってしまうので、天性の魅力という与えられたギフトを良い方向へ活かして欲しいと思います。
周りの目は意外と鋭く厳しいので、他人の評判が落ちるよう吹聴する人、上や外部への善人アピールばかりで自分より下の立場の人には横暴な人は、自分では上手く立ち回って高評価されているつもりでも、実際は軽蔑されているものす。
誰かと出会うほどに愛想笑いの下で実は自分を軽蔑している人間が増える人生なんて虚しいので、自分に与えられた魅力を味方につけて自身の歪んだ心に打ち勝って欲しいと思います。


負の落とし穴

劣等感というのは誰かと比べて優劣をつけ羨ましがるから生まれる感情なので、まずは誰かと比べるのをやめる穏やかな気持ちになれます。
他人と比べたところで、自分の寿命経済環境、その他の事柄が変わる訳でもないのに、一体なぜ他人と比べる必要があるのかと私は思います。
もし、つい誰かと比べてしまったときは最後に「比べたところでどうなる訳でもないのに、バカバカしい!!」と、笑い飛ばして無かったことにするのが効果的です。
『他人と比べる』以外にも負の落とし穴は日常の至る所に存在します。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で何かと大変なこの時期は特に、思い通りにいかず気分が滅入ることも多いかもしれません。
だからそんなときこそ、うっかり負の落とし穴にはまり心が捉われてしまわないように、私はなるべく笑って生きていこうと思います。

自分なりのボランティア


見直しの良い機会

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、外出せずに過ごす『おうち時間』が増え、家の中にある物を見直して片付ける良い機会ができました。
私は、サイズや丈が合わなくなった自分の洋服のお直しをして着られるようにしたり、何着かの子供服をリメイクしてエコバッグを作ったり、汚れてもう着られない洋服を手ごろな大きさに裁断してプチ雑巾を作ったりと有効な再利用を試みました。
そして今度は、ずっと保管してある子供用品の見直しに取り掛かりました。
子供の成長速度は親の予想を上回り、サイズが合わなくなって数回しか着用できなかった洋服や靴が少なくありませんし、中には一度も着用しないでしまった物もあります。
お裁縫が好きな私ですが、スーツコートなどは下手にリメイクをしてせっかくの型を崩してしまうのがもったいないので、手を着けずにそのまま保管していました。


卒業式の服装

この地域の小学校では卒業生袴姿で卒業式に出席するのが主流で、娘も袴を着るつもりでいたのですが、卒業式の頃でもまだ雪が残っているこの地域の厳しい自然環境を考慮した娘が寒い朝に美容室に行くために早起きするのキツくて嫌だし、雪の中を袴姿で移動するのは大変そうだから卒業式はスーツを着る。」と言い出したので、袴は別日に写真館で撮影する時だけ着ることにして、卒業式用のフォーマルスーツを探し始めました。
なるべく明るい色のスーツを探そうとしても、入園式や入学式で着る小さな子供用の可愛らしいスーツとはだいぶ違い、少しお姉さんなお年頃向けの子供用スーツは白黒や紺色シックで大人っぽいデザインのものが多く、なかなかイメージに合うものが見つかりませんでしたが、晴れ舞台の卒業式で着るスーツなので私たちは根気よく探し続けました。


フォーマルスーツ

春らしい色のスーツ用布地が家に買い置きしてあったので、私がスーツを作ってしまった方が早いかなとも思いましたが、小学校を卒業する頃の子供の服となるとジャケットに『プリンセスライン』という縦の曲線切り替えを入れたりしてエストラインを絞らないとダボついてしまいます。
スタイリッシュなシルエットに仕上げるためには型紙を起こして正確な裁断をする必要があり、小さな子供用の洋服のように短時間で簡単には作れないので断念し、ひたすら既製品を探し続けました。
ピンクのラインでトリミングされた淡いグレーのジャケットパステル系の紫色とピンクのチェック柄スカートがセットになった素敵なスーツをようやく探し当て、娘はそれを着用して卒業式に臨み無事に記念すべき式典は終わったのですが、その後はスーツを着る機会がなく、結局は一度しか着用しませんでした。


キレイな保管品

夏用や冬用など使用する季節が決まっている洋服は着る回数がとても少ないので、浴衣半袖の洋服、綿入りコート冬用小物ほとんど傷みがないものが多くありました。
電子バイオリンキッズパソコンなどのオモチャも娘が使用しなくなってからは購入時の箱に説明書と一緒に入れて保管しており、絵本はカバーが破れないようにあらかじめ外した状態で使用し、もう使用しなくなって箱に保管する際にカバーを再度戻していたので新品に近い見た目でした。
幼稚園児だった娘に購入した子供用自転車は、流行のキャラクターものではなく、自転車専門店で選んだカゴがバスケットになっている何気にフランスっぽい(?)シンプルでお洒落な赤い自転車で、あまり乗る機会がないままヘルメットと外した補助輪と共に室内で保管していたのでほぼ無傷でした。


応援したい対象

私が子供用品をずっと大事に保管していたのは、キレイな状態品質もそれなりに良い物なので、自分が応援したいと思える人にお譲りして、ぜひ育児に役立ててもらいたいと思ったからです。
残念ながら今まで私の周りにはお譲りする対象として該当する人が見当たらず、家での保管が何年も続いていました。
ですが今回、新型コロナウイルス感染拡大の影響で被害を受けた社会のニュースを目にする内に私は「様々な事情を抱えながら逆境の中で頑張っている母子家庭の方々を応援することはできないだろうか?!」と思いつきました。
そこで早速この地域の母子家庭支援団体に問い合わせると、その支援団体の施設に子供用品を持っていけば事務局から情報を発信して必要な方々にお渡しできるとのことだったので、私は張り切って保管してきた子供用品を整理し始めました。


運搬準備

押し入れや物置の奥の方から数々の段ボール箱を引っ張り出して、結構な数の子供用品を一点ずつチェックし、念のために最後に洗ったり拭いたりして状態を整え、持ち運びがしやすいように絵本以外の荷物は持ち手がついた丈夫な紙袋に入れ替えました。
この機会に合わせて、デニム生地の洋服を新たなポシェットにリメイクして荷物に追加したので、運搬の準備が完了するまで数日掛かりました。
私は車を運転しないので運搬にはタクシーを利用する予定でしたが、子供用の自転車やスキー類は大きくかさばりセダン型のタクシーだと一度に運ぶのが無理そうなので、ワゴン型のタクシーを手配できないか調べました。
チャーター料金2000円メーター運賃の支払いで全ての荷物を一度に運べる大きなワゴン型タクシーがあることがわかり、私はチャーター予約をしました。


自分なりのボランティア

子供用の自転車スキー類の他に、洋服、靴、オモチャ、バッグ、ヘアアクセサリーなどが入った大きい紙袋13袋絵本が入った段ボール箱1個を大型タクシーで支援団体の施設に運び、職員の方々に引き渡すと「すごくキレイな状態ですね!たくさんのご寄付をありがとうございます。こちらで責任を持って必要な方々にお渡ししますね!」と言ってもらえました。
それを聞いて私は、家のスペースが奪われ続けながらも子供用品を良い状態で保管してきた甲斐があったとしみじみ感じ、自分の行いが報われた喜びと、自分が応援したいと思える人たちのお役に立てる嬉しさとても爽やかな気持ちになりました。
その日はこの夏一番ぐらいの猛暑で体力を奪われるような暑さでしたが、自分の身の丈に合った自分なりのボランティア活動ができた充実感不思議なパワーが溢れ、私は炎天下も気にならず弾む足取りで施設を後にしました。


必ずあるプラス要素

ボランティア活動の良い機会なので、子供用品の運搬には娘も同行の予定だったのですが、テスト勉強に追われてかなり大変そうだったので私一人で出掛けました。
帰宅して、職員の方々からいただいた言葉を娘に伝えると、自分が愛着を持って大切に使っていたお気に入りの物誰かの役に立てることが私と同様に嬉しいようで、とてもいい笑顔で話を聞いていました。
今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で自粛が求められ、おばあちゃんの新盆のための帰省も、毎年恒例のリゾート旅行も中止して本当に静かに過ごしていますが、この期間に自分なりのボランティア活動ができたのは時間に余裕があったからなので、現在の環境の中にもプラス要素があることがわかります。
私は、今後また環境が変わってもポジティブな思考を忘れずに、日々の中に幸福感を感じながら生きようと思います。

我が家では最近、暑さを吹き飛ばすべく大きなスイカを豪快に食べて夏をこよなく実感できていることがささやかな幸せです🍉

自粛期間のリメイク生活


意外と快適な『おうち時間』

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2020年の春から全国的に自粛生活が始まり、我が家では毎年恒例のゴールデンウィーク旅行が中止になりました。
その上、週末もどこにも行けずにストレスを感じる生活になるかと思っていましたが、意外と私たち家族はまったりと過ごす『おうち時間』を快適に楽しみました。
休校になったことで活発な活動ができなくなってしまった娘ですが、パソコン好きなのでインターネット配信される学習プログラムを利用する勉強法を「繰り返し見られるし、自分のペースとタイミングで進められるのがいい」と好んで取り組んでいました。
家から娘の中学校までは徒歩で40分程かかり、教科書が入った重いリュックを背負い、部活道具のバッグを肩に掛け通学する娘を、私は常々「まるで10キロの米袋、またはそれ以上の重さの荷物を担いで遠くまで歩くのと同じで可哀相だなぁ・・・」と思っていたので「通学がなくなって超ラクちん!」と喜ぶ娘の姿に納得でした。


我が家の過ごし方

我が家の愛しい老猫ちゃんは、いつもお留守番だったのに、私たちがずっと家にいて老猫ちゃんをたくさん撫でて抱っこする新生活にご満悦の様子で、うんと甘えん坊さんになりました。
休校で給食がなくなり朝昼晩の食事を自宅で食べるようになった娘のために私はお料理に力を入れ、新型コロナウイルスに負けない免疫力を維持できるように、たくさんの緑黄色野菜発酵食品を使った料理を作って食べさせました。
外食にも行けないので淋しい食生活にならないよう、なるべく娘と自分の好物を食卓に並べて気分をアゲるように心掛けていました。
世間ではマスクが品薄状態で購入が困難ということだったので、私は自分でマスクを作ることにしました。
家にはお裁縫が趣味の私が長期に渡り買い込んだ布地が山ほどあったので、インターネットに紹介されていた立体型マスクの型紙を少しアレンジして、私と娘の一週間分14枚と数枚のスペアで約20枚のマスクを作りました。


マスクのリメイク

家の片付けをすると、数年前に購入した子供用不織布マスクが大量に見つかりました。
開封済みのマスクなので誰かに譲るのも気が引け、大人用マスクを使用している娘は「今さら小さいマスクなんか着けたくない!」と言うので、私はマスク用のゴム紐を入手して子供用マスクに付け足し、長さを緩く調整して自分で使うことにしました。
「顔を覆う部分が小さすぎて変かな?」と不安に思いましたが、実際に着けてみると、暑いときは布地の手作りマスクで顔の大半を覆うよりも涼しくて良さそうに感じました。
話題の『アベノマスク』が我が家にも届いたので開封してチェックしてみると、特に汚れなどの問題はなく、良質のガーゼが何重にもなっているしっかりした造り縫製も丁寧でした。
大きさは、鼻から顎下まですっぽりと覆える立体型マスクに慣れている私たちには縦幅が足りなかったので、私は届いた2枚の『アベノマスク』の上下に布を付け足し、両脇にタックを入れて立体型マスクにリメイクしました。


愛着のある洋服

家で過ごす時間が大幅に増えたので、私は家のスペースの大半を占めている洋服の見直しをすることにしました。
娘が小さい頃の洋服は私の手作りが多く、既製品は品質やデザインに一目惚れして購入したお洒落なものなので、娘の成長に伴い洋服が小さくて着れなくなっても布を付け足して着丈身幅を直すと、娘も喜んで着てくれていました。
それ以上のリメイクが難しくなり、いよいよ娘が着れなくなってからも私は洋服を保管していたので、押し入れの中は洋服入りの段ボール箱でいっぱいでした。
今回その子供服を箱から出し、まずはキレイな状態のものと着古したものに仕分けし、私が手作りした洋服でキレイな状態のものは「いつか誰かに譲る機会があったら喜んで着てもらえるかもしれない」という希望の下、自分の作品として記念に引き続き保管することにしました。
そして私はその他の子供服を眺めながら「なんとかこの子供服をリメイクして再活用できないかなぁ・・・」と考えました。


エコバッグへのリメイク

日本でも自然環境保護運動エコロジーの一環で販売店プラスチック袋が有料制になり、マイバッグの使用が強く推奨されているので、私は何点かの子供服をエコバッグにリメイクすることにしました。
幼稚園や小学校で着たスモックは動きやすいように身幅が広めに作られているのでエコバッグにピッタリの大きさでした。
私が作った娘の洋服も、過去に布を足して身幅を広くするリメイク済みだったので標準のお稽古バッグよりも大きなサイズになり、裾を縫い合わせて肩ひもを取っ手として付け替えただけで簡単にエコバッグに変身しました。
エコバッグを作りながら私は、15年以上前に受けたカルチャーショックについて思い出しました。
私はオーストラリア滞在中に、ヨーロッパのオーストリアから旅行に来ていたオーストリア人女性と友達になり、数年後、オーストリアの首都であるウイーンに住む彼女のところへ遊びに行きました。
そして彼女の家に滞在した約2か月の間ヨーロッパの国々に足を伸ばし、刺激的な時間を過ごしていました。


自然環境保護運動エコロジー

初めてウイーンスーパーマーケットで買い物をした私は、レジ袋をもらえなかったのでレジ係の女性にたずねると「持ち帰るための袋は有料だから、袋を購入するか自分のバッグに購入した物を入れて持ち帰るかです。」と言われ、マイバッグを活用する文化を初めて知りました。
そのスーパーマーケットで販売しているのは1200円程立派な布製のバッグ80円程取っ手なし紙袋で、私はとりあえず安い紙袋を買ったのですが冷蔵・冷凍食品を入れると湿気で紙がもろくなり、重い物を入れると破れやすくなるので持ち帰るのに苦労しました。
当時の私はそれを単に『文化の違い』と捉え、驚いた思い出として記憶しただけで深く考えませんでしたが、日本でもプラスチック袋の使用を本格的に減らすための対策が制度化されたことを受け「遅いスタートではあるけれど、これを機会に便利さよりも自然環境保護運動エコロジーについてもっと真剣に考えた行動をしていこう!」と強く思いました。


洋服のリメイク方法

洋服のリメイクをいろいろ考え、娘が小学生のときに履いていた着心地の良いハーフパンツやジャージは、両脇の縫い目をほどいて横幅15センチの同色系の布2枚を左右に付け足しエストと脚幅を広くし、部屋着としてリメイクしました。
ほとんど着ないままサイズが小さくなってしまったTシャツも、袖から裾までの両脇の縫い目をほどいて横幅15センチの布2枚を左右に付け足して身幅と袖幅を広げ、Tシャツの裾に上下幅20センチの布をぐるりと縫い付けて着丈を長くし、夏用パジャマにリメイクしました。
自分の洋服も一通りチェックし、現在の年齢的に丈が長く感じられるスカートの丈詰めをしたり、サイズがきつくなったものは娘の洋服のリメイクと同じ要領で身幅を広くしたり、パンツはゆったりと楽に履けるデザインに変更したり、袖が短く感じられる洋服には布を付け足して袖丈を長くしたりと、ずっと着続けてきた大好きな洋服をこれからも着続けられるようにリメイクしました。


万能なプチ雑巾

我が家では、使い古して不要になった布製品はすぐに捨てずに、一度洗濯をして10センチ×15センチぐらいの布切れに裁断してプチ雑巾として使います。
今回、リメイクが難しいと判断した着古し済みの洋服も、老猫ちゃんが吐く毛玉の掃除家の掃除に使用するプチ雑巾になりました。
また、食器洗いを少ない水で済ませ、油類をなるべく排水溝に流さないための試みとして、私は油や調味料がついたフライパンやカレーなどを作った鍋、油汚れがついた食器は汚れを拭き取ってから洗うので、その際もプチ雑巾が重宝します。
キッチンペーパーなどを使うより、捨てるつもりの不要な布製品から作ったプチ雑巾を使う方が合理的なエコロジーだと考えて実行しています。
老猫ちゃんがこの頃ベッドと壁の間にすっぽりとはまってあたふたすることがあるので、老猫ちゃんの転落防止プチ雑巾を袋に入れて危険な隙間に詰め込むなど、安全な環境づくりにも役立っており、我が家ではプチ雑巾大活躍です。


『捨てればゴミ、活かせば宝!』

今回の自粛期間中、私はリメイクをしてかなりの枚数の洋服を再活用できるようにした他、以前いただいたサイズが合わない新品のカーテンをベッドのシーツにリメイクしたり、我が家では使わないシングルの敷布団カバーに布を付け足して掛け布団カバーにリメイクしたり、日常生活に必要なアイテムを作ることもできました。
不要な物をゴミにせず、活用できる状態へのリメイクを成し遂げた達成感と、今後も自分が好きな洋服を着続けられる嬉しさ、ずっと箱の中にしまっていた大量の布地をリメイクのために有効活用することができた充実感で私の心は満ち溢れています。
『捨てればゴミ、活かせば宝!』という考え方は自然環境保護運動につながる大切なキーワードにもなると思うので、私は今後もエコロジーのために良いアイディアが浮かんだら実行していくつもりです。
どこにも出掛けられない自粛期間でしたが、私には充実したリメイク生活をしながら家族と穏やかで贅沢な時間を過ごせた貴重な機会となりました。

『オーストラリアの動物たちと』Vol.7


魅惑のオーストラリア

30歳をあと数年後に控えたある日、私は「そろそろ大人として、海外旅行も一度ぐらい経験しておいた方が良いのかも・・・」と思い立ち、動物が好きなので珍しい動物がたくさんいるオーストラリアを『初めての海外』に選びました。
せっかくの海外経験なのでホームステイ語学の勉強ができるプランを練り、クイーンズランド州ブリスベンゴールドコーストケアンズ刺激的なアクティビティーを体験し、サマークリスマスなど生まれて初めての経験を通して様々な人と交流しながら異国文化に触れ、私はすっかりオーストラリアに魅了されました。
そして帰国後、1年間の滞在が可能な『ワーキングホリデイビザ』を取得し、オーストラリアの動物園ボランティアとして働かせてもらえるラッキーなチャンスを掴んだ私は再びオーストラリアへ旅立ちました。

広がる御縁

まずはニューサウスウェールズ州シドニーとヴィクトリア州のメルボルンで数週間ずつホームステイをし、それが終わるとメルボルンから車で2時間ぐらいの郊外にある動物保護施設ボランティアとして飼育員のお手伝いをさせてもらいました。
たくさんの動物と動物好きな人たちに囲まれて夢のような日々を送っている内に気の合う友人もでき、友人の一人から「私はWWOOF(ウーフ)のホストファミリーをしているんだけど、良かったらWWOOFER(ウーファー)として、私の家に滞在しない?」とオファーをされました。
『WWOOF(ウーフ)』とは、労力を必要とする農場などで労働するかわりに農場などの人が宿泊場所と食事を提供するという助け合いの滞在交流システムで、日本では知名度が低いですが、日本も含めた約60か国で行われています。


仲良しのお友達

その友人は『WWOOF(ウーフ)』で外国人を受け入れ、文化交流を重ねており、彼女の家での労働内容は敷地の草刈りや庭の手入れなどでした。
私はそのオファーを受け、動物保護施設でのボランティア期間終了後、彼女の家にWWOOFER(ウーファーとして滞在することにしました。
ボランティアをしていた動物保護施設から車で40分程の地域にある彼女の家は大自然の中にあり、山一つが彼女の家の敷地でした。
ログハウス風の大きな平屋の本邸から少し離れた所にWWOOFER(ウーファー)用の小さな建物があり、私はそこに滞在しました。
彼女の家には白いマルチーズ白と黒と茶色のブチ柄のオーストラリアン・キャトルドッグがおり、二匹とも私を嬉しそうに迎えてくれ、特にオーストラリアン・キャトルドッグには顔中を舐める猛烈な歓迎をされ、その夜から毎晩ベッドで一緒に寝る仲良しになりました。

日本のカレー

私はWWOOFER(ウーファーとして、本邸の掃除や敷地内の草刈り、裏山にいるヤギのお世話をこなしました。
オーストラリアで滞在した家では必ず料理を作って振舞っていたので、私は大きな街に行った際、必ずチャイナタウンで主要な調味料を買い置きするようにしていました。
ある晩、カレーを作ろうと人参を切っている私に「息子は人参が大嫌いでどんな風に料理しても絶対に食べないのよ。なかなか食べる機会のない異国の料理だから挑戦はさせるけど、もし残してしまったらごめんなさいね。」と友人が言いました。
日本では甘口のカレーは子供に大人気ですが、オーストラリアの野菜嫌いの子供にも好かれるのかと心配しながら食事を始めると、彼女の9歳の息子は「すごく美味しい!」とパクパク食べておかわりもしてくれ、人参が食べられたことに本人もビックリしていました。


お料理のススメ

私は二人に『料理の天才』と称賛されましたが「凄いのは私じゃなく日本の食品メーカーだよ(;^ω^)」と訂正しつつ、やっぱり日本の甘口カレーは子供に絶大な人気で凄いなぁと思いました。
美味しいものには人を幸せな気持ちにし、人々の心の距離を縮める力があります。
私は、自国の料理を振舞うことはとても効果的な異文化交流の手段だと考えており、実際に今まで訪れた国々で料理を作って振舞うと友好的な関係を築けました。
カレーの材料であるジャガイモ、人参、玉ねぎ、鶏肉はほぼ全世界で食べられている食材なので、日本のカレーはルーさえ準備すればほとんどの国で作れる料理です。(甘口がお薦めです!)
大きな都市には大抵、チャイナタウンやアジア系の食品店がありますから、日本で購入するより価格は多少高いですが調味料などを入手するのは難しくないと思います。

アイディア次第

卵と砂糖もほぼ全世界で手に入る食材なので、玉ねぎと鶏肉の他に醤油(めんつゆなら更に良し)さえあれば親子丼もほとんどの国で簡単に作れますし、ベジタリアン向けには鶏肉を使わないで玉子丼を作ることもできます。
海外では薄切りの肉はなかなか見かけませんが、エビやイカなどの魚介類やキャベツ、小麦粉、卵は入手しやすいので、ソースとマヨネーズがあるときはお好み焼もよく作りました。
宗教的な食事制限アレルギーの有無に注意が必要ですが、人との友好的な繋がりを築くのに料理は心強い助けとなりますし、何より単純にその心遣いが喜ばれるので、自国の簡単な料理はいくつかできるようにしておいた方がプラスになると思います。
お返しとして相手から得意料理を振舞われることもあり、お互いをより知るきっかけとなるので楽しいです。


新たな展開

WWOOFER(ウーファーとして生活をする中、友人が西オーストラリア州レース犬のトレーナーをしている従妹に連絡を取り私を紹介してくれ、私はその従妹の下でアシスタントをすることになりました。
ドッグレースとは、競馬のような要領グレイハウンドというシャープな体系の大型のレース犬が走る競争で、レース場も競馬場とほとんど同じ様式です。
友人の従妹は約50匹のレース犬のトレーナーとして活躍しており、大事なレースを控えているのでそれが終わり次第、私を受け入れてくれるとのことでした。
私は西オーストラリア州で仕事のお手伝いをする前に、受け入れ日までの期間を利用してヴィクトリア州や南オーストラリア州観光旅行をしてみたいと思い、WWOOFER(ウーファーとしての生活を終えてメルボルンに向かいました。

華やかな行事

メルボルンでは11月上旬に大きな競馬の大会があり、街中がお祭りのように賑わいます。
紳士淑女正装をして競馬場に出掛け、シャンパを飲みながらレース観戦を楽しむのが恒例となっており、女性はゴージャスなデザインの帽子でドレスアップをします。
私はメルボルンの一番大きな駅の近くにあるバックパッカーズホステルに滞在していたので、そこで出会った日本人の若者たちと一緒に観光客として競馬場に出掛け、レースを楽しむ地元の華やかな人々を遠目に異国文化の雰囲気を現地で実際に味わい満足しました。
メルボルンはオーストラリアで二番目に大きな都市で、住みやすい規模の環境が私は好きでしたが、動物保護施設でボランティアをする前に滞在していたので、まだ訪れたことのない南オーストラリア州アデレードへ早々に移動することにしました。

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アデレード行きバスツアー

ただ高速バスに乗ってもつまらないので、メルボルンを出発してグレートオーシャンロードなどの観光スポットを巡りながらアデレードに向かう5日間のバスツアーに参加しました。
私は出発日に念の為、約束の時間の15分前からバスを待っていたのですがなかなかバスが来ず、もしかして待機場所を間違えたのではないかと不安になり、何度もツアーの案内書を確認しながらオロオロしていました。
1時間以上が過ぎ、ようやく着いたバスから軽やかに降りてきた運転手兼ツアーガイドの男性「やぁ、僕がこのツアーのガイドだよ!5日間、最高の旅にしようね(^o^)/」爽やかな笑顔で私をバスに乗せ、ノリノリでバスを出発させしました。
私はそのとき「さすがはオーストラリア人。これからの5日間は当然オーストラリア流のツアーだと覚悟せねば・・・」お国柄の違いを噛みしめました。

グレートオーシャンロード

ツアー参加者はイギリス、ドイツ、イタリアなどから来た大学生や社会人の女性で、私を含む8人のメンバーはみんな一人旅中でした。
初日はグレートオーシャンロードをドライブし、不思議な横縞模様が入った断崖と『12使徒と呼ばれる岩々が海にそびえ立つ神々しい風景に心を奪われました。
2日目は、グレートオーシャンロードの上空をヘリコプターで観覧飛行しました。
私はジャンケンで負け、窓の面積が大きい4人乗りヘリコプターの後部座席に座ったのですが、ヘリコプターに乗るのが初めてだったので後部座席からでも眼下に広がる壮大な景色は迫力があり過ぎるくらいでした。
その後はオーストラリアの動物が見られる自然公園に行きコアラカンガルーウォンバットなどを写真に撮り、アボリジニ文化であるブーメランの体験をしました。

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大自然のアクティビティー

3日目は緑が茂る森の遊歩道を散策した後、山道をバスで進み、とある洞窟に到着しました。
私はその日のスケジュールにウォーターフォールという言葉があった気がしたので滝を見に行くのかと思っていたら、実際の記載は『ウォーターホール』で、到着した洞窟の中にある直径6メートル程の大きな穴に自然にキレイな水が溜まっており、そこで泳ぐというアクティビティーでした。
曇っていて少し肌寒かったので私は泳ぎませんでしたが、イギリス人とイタリア人の女性たちが泳いところ水がだいぶ冷たかったようで、二人とも唇が紫色になっていました。
4日目はクルーザーに乗って小さな島の近くへ行き、そこに住むアザラシたちと一緒に泳ぎました。
野生のアザラシなのですが、島に近い海岸沿いに住んでいる人たちに慣れているからか人間を警戒することなくフレンドリーに接してくれました。

アザラシとのスキンシップ

クルーザーの船長が私の水色の使い捨て水中カメラを見て「これをアザラシに見せたら、きっと珍しがって寄ってきてイイ写真が撮れるよ。」と教えてくれました。
アドバイス通りに水中カメラで気を引いてみると、アザラシたちは私の周りに寄ってきたので、かなりアップの写真が撮れました。
今度は船長から「カメラを自分の頬の近くに持ってきてごらん」と言われたのでそうしてみると、一匹のアザラシが私の頬にくっつけたカメラを鼻先でツンツンと押し始め、私がカメラをそっとよけるとそのまま私の頬に鼻先でキスしてくれました。
ヒゲが細い針金みたいでゴワゴワした感触でしたが、貴重なスキンシップにテンションが上がりました。
アザラシたちと泳いだ後はクルーザーで沖まで出て釣りをしました。
良いスポットだったようで、ツアーの参加メンバー全員が魚を釣ることができました。


素敵な船長

船長は釣った魚を船上でさばいてお刺身にしてくれ、小皿に醤油も用意してくれました。
以前、日本人をホームステイで受け入れて以来、日本人と日本文化が好きになり、自分は食べないけど日本人観光客の為に魚をさばいて刺身にし、醤油と共に振舞うようになったとのことで、私は大喜びで遠慮なくたくさんいただきました。
船長の優しさを感じながらいただく新鮮な刺身の味格別でした。
ツアー参加者の中で唯一の日本人である私に特に親切に接してくれた船長は『キャプテンサンタ』のような白いヒゲがよく似合うとても素敵な船長でした。
刺激的で充実した日々はあっという間に過ぎ、5日目の午後にアデレードへ到着してメルボルンからのバスツアーが終了すると、私は初めて訪れる南オーストラリア州での滞在をスタートさせました。

続きはまた『オーストラリアの動物たちと』Vol.8にて

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おばあちゃんとのお別れ


苦難多き人生

私の母は働くことが大好きな女性で、結婚して三人の子供を産んでからも忙しく仕事をしていたので、私たち姉妹の面倒は母の実母であるおばあちゃんがみてくれました。
おばあちゃんは、NHK連続テレビ小説おしんの主人公のように様々な苦難を乗り越えてきた人で、苦労が多かった分だけ他人の痛みを理解する優しさを持っていました。
早くに夫と死別し、女手一つで私の母を育てたおばあちゃんですが、現代でもシングルマザーが子供を育てていくのは何かと困難が多く容易ではないのですから、おばあちゃんが若かった頃の時代背景田舎の風習独特な集団心理などを加えると今とは比べ物にならないくらい大変だったはずです。
想像を絶するような逆境の中、それでも負けまいと必死に踏ん張り、たった一人で私の母を守ってきたのだと思います。

親切の積み重ね

気丈さと芯の強さを持つおばあちゃんに育てられた私は、人が大切にすべき事や、賢く逞しく生きる術をたくさん教わりました。
特に『自分を偉く見せる為に威張ることが強さではない。そんな人間は陰で笑い者にされるだけで誰にも信頼されない。馬鹿のフリをして頭を下げられる人間こそが本当に強くて賢い人間なんだ。』というおばあちゃんの教えは、常に私を戒めてくれています。
おばあちゃんは困っている人や忙しくて大変そうな人を見ると、自分の知り合いではなくても「手伝うよ!」と言って作業を一緒にこなして感謝されていました。
そんな親切の積み重ねで、実家周辺の地域ではいろんな人がおばあちゃんに笑顔で挨拶をしていましたし、母は出掛ける先で会う多くの人たちから「お宅のおばあちゃん元気?いつも手伝ってくれてありがとうって伝えといて!」と声を掛けられていました。


受け継がれる宝物

作業のお手伝いは積極的にこなすおばあちゃんでしたが、お手伝いをして仲良くなったとしても誰かの悪口や噂話には参加せずにサッサと作業を済ませて引き上げ、ゴシップとは距離を置いていました。
そんなおばあちゃんに育てられたからか、私も困っている人にはためらうことなくお手伝いのお声掛けをしますし、噂話や悪口を言う人にはどんな立場の人だろうと興味を示さず、なるべく関わらないようにします。
それで変わり者扱いされたとしても私は気にせず、自分の信念をもって行動し続けます。
「自分がした事は必ず自分に返ってくるから悪い事はしない。悪い事をしている人にも関わらない。」というおばあちゃんの教えがあるからです。
その性質と習慣は、私がおばあちゃんからもらった宝物の一つであり、嬉しいことに私から娘にも受け継がれているように思います。

長生きおばあちゃん

私はおばあちゃんがとにかく大好きで、小さい頃から「おばあちゃん、大好きだから絶対に死なないで!ずっと長生きして!」と毎日のように懇願していました。
その言霊の力が働いたからかはわかりませんが、好き嫌いせずに感謝して食事をとり、畑仕事や周りのお手伝いに精を出す健康的な生活を送ってきたおばあちゃんはとても丈夫で病気もすることなく、昨年の8月で103歳になりました。
おばあちゃんは自分の事は自分で何でもできましたが、102歳ぐらいから少し脳の障害が出始め、認知症と診断されました。
身体的には至って健康なので、働き者の性分のおばあちゃんは庭で作業をしたり自宅の階段を上り下りして運動したりと活発でしたが、母がせっかく植えたお花の苗を雑草と思い込んではむしりとり、それを何度も繰り返すなどの困った行動が出ていたようでした。


入院生活へ

その内、だんだんと記憶があやふやになり誰が誰だかわからず、会話の意味が通じなくなってきた頃、おばあちゃんは庭仕事をしようとサンダルを履いて外に出て転倒足と腰を痛めて立てなくなってしまいました。
それ以来、自宅で車椅子と介護用ベッドを利用する生活となったのですが、父と母がおばあちゃんをベッドから車椅子に移動させたりお手洗いに連れて行ったりするお世話をしていたところ二人とも腰を痛めてしまい、自宅介護の継続が困難になり、おばあちゃんは地域の病院へ入院することになりました。
「おばあちゃんの保証人をお願いしたい」と母から私のもとへ送られてきた病院の書類に私はすぐに署名捺印をし、今までおばあちゃんに大事に育てられた私の母と私の署名が並んでいるその書類を見て、何故だか不思議な感覚に捉われました。

おばあちゃんの旅立ち

感染が日々拡大している新型コロナウィルスの影響で、おばあちゃんの入院先では患者への面会が禁止されていました。
社会状況を見ると、この調子では毎年恒例のゴールデンウィークの帰省も今年は無理そうで、おばあちゃんにしばらく会えないことを残念に思いましたが、「今日、病院に書類を届けに行ったら、おばあちゃんは無事に過ごしてるって看護師さんが言ってた。」と母から聞きちょっぴり安心した私は、世の中が落ち着き次第おばあちゃんに会いに行こうと決めました。
ですが次の日の夜、母から電話で「おばあちゃんが亡くなった」と聞き、私は突然のことで言葉もありませんでした。
お医者さんによると「2020年4月9日の夜、就寝してそのまま息を引き取り、苦しむことなく眠るように亡くなりました。」とのことで、おばあちゃんは自分の寿命を全うして静かに旅立ったのだと理解しました。


望み通りの最期

病院で家族に看取られずに旅立ったことは、おばあちゃんにとっても私たちにとっても寂しいことではありますが、晩年はいつも「夜、布団に入ったらそのまま目覚めないで苦しまずに死ねるのが一番幸せだなぁ」と笑顔で話していたおばあちゃんを知る母と私は、おばあちゃんは自分が望んだ通りの幸せな最期を迎えられたのだと思っています。
私が署名捺印をした書類を母が病院に届けたその日の夜におばあちゃんが息を引き取ったのは、もしかすると「自分が世話をして育てた孫が、自分の保証人になるくらい大人に成長した。」ということを最後に確認し安心できたから旅立ったのかもしれないと私には思え、私はおばあちゃんに「もう私も大人だから心配しないで。おばあちゃんの様に強く愛情深く自分の娘をしっかり育てるから、安心して天国で暮らしてね!」と心の中でつぶやきました。

90歳差の仲良し

103歳天寿を全うしたおばあちゃんの人生の前半は苦労続きでしたが、後半は日本の数々の観光地へ旅行し、に囲まれ、曾孫とも仲良く過ごし、多くの人に慕われた穏やかで多幸な人生だったと思います。
私の娘はおばあちゃんが90歳のときに生まれたので、娘とおばあちゃんは90歳差の曾孫と曾おばあちゃんになります。
二人は、娘が赤ちゃんの頃から中学生になった現在まで変わることなく仲良しで、おばあちゃんは娘に会うたびに「おばあちゃんのこと嫌いにならないで、ずっと仲良くしてよ。」と繰り返し、何やら耳打ちをしては笑い合っていました。
春にはお花見に出かけ、秋にはおばあちゃんの畑で芋掘りをし、温泉旅館では一緒に入浴し、海辺を散歩するなど、ほんの十数年の中で素敵な時間を共有していました。
その様子を撮影した二人の楽しそうな写真は、私を笑顔にしてくれます。


多様なお別れの形

私が住んでいる地域は新型コロナウィルスの感染者が多く、私がもしも無症状感染者だとしたら帰省することでウイルスを家族の所に運ぶことになりますし、感染者の多い地域からの来訪は特に地元の人々を不安にさせ迷惑になってしまうので、私と娘はおばあちゃんの葬儀への参列を断念しました。
きっとおばあちゃんは「自分たちのことばかり優先させて他人様に迷惑を掛けるような行動はダメ!人間には我慢も必要!」と言うはずなので、私と娘は遠いこの地でおばあちゃんを偲びお別れを告げることにしました。
おばあちゃんともう会えないという事実は悲しいけれど、4年前に私の大事な家族である19歳の老猫ちゃんが旅立って以来、私と娘は物理的な繋がりよりも心の繋がり重視しているので、私たちが忘れない限りおばあちゃんはいつでも私たちの心の中にいると考え、毎日おばあちゃんを想い続けています。

たった一つの頼み事

私の母はおばあちゃんの一人娘なので、おばあちゃんは私に「もし私が死んだら、あなたのお母さんの肉親は子供と孫だけなんだから、お母さんをいたわってあげてよ。特にあなたとお母さんは私が大事に育てた二人なんだから、ちゃんと仲良く助け合って生きてよ。」と言っていました。
母と私は相性が悪く度々衝突するのですが、欲が無く何も要求したことがないおばあちゃんの唯一の頼み事なので、私は「これからは母親を失った悲しみを気遣い、母と衝突したら私が折れよう。」と決めました。
『親孝行したいときには親はなし』というように、私が気づくのが遅すぎて後悔しないように、おばあちゃんは自分の最期をもって私に親孝行のきっかけをくれたのだと思います。
芯が強く賢明で何でもこなす自慢のおばあちゃんに育ててもらえた私は最高の幸せ者で、心からの感謝しかありません。

おばあちゃん、本当にありがとう。
私 頑張るから、天国で19歳の老猫ちゃんと一緒に見守っててね!!


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『祝🌸23歳!』愛しき老猫ちゃん


運命の誕生日

2020年3月3日で、我が家の愛しき老猫ちゃん23歳になりました!
23年前の雛祭りの日、私と一緒にいた知り合いに高校生の息子さんから「子猫が無事に6匹も生まれたよー!」という喜びの電話があり、私は自分と運命で結ばれている猫ちゃんたちの誕生を知りました。
知り合いの息子さんの猫たちはどちらも避妊手術をしていた為、今回の出産は予想外の展開「子猫の貰い手をちゃんと探してあげなくちゃ!」と親子で慌てていました。
子猫たちのお父さんとお母さんは血統書付きの猫で、コンテストでも数回優勝している自慢の美猫なのですが、チンチラゴールデンのお父さん猫とロシアンブルーのお母さん猫の間に生まれたので子猫たちは雑種になるとのことでした。

子猫たちとの生活

美猫の子供たちだけあり、お父さん似お母さん似に分かれつつもみんな綺麗な容姿のようでした。
当時まだ高校生だった知り合いの息子さんは、自分の大事な猫の出産に一人で立ち会い、生まれた子猫たちのお世話をしており、私は彼の猫たちへの愛情の深さ強い責任感に感動しました。
私は動物が好きで特に猫好きだったのですが、一人暮らしで仕事でもプライベートでも家を空けることが多い生活スタイルだったので、自分が子猫の貰い手になろうとは考えていませんでした。
子猫の貰い手として決まった2人がゴールデンウィーク期間は不在な為、その間だけ子猫を預かって欲しいと知り合いに頼まれ、私は少しの間だけ2匹の子猫と一緒に暮らすことになりました。


一時的なお世話

一時的な預かり生活とはいっても10日間ぐらいのことだったので、私は子猫との生活の為にトイレセット、ご飯とお水用のキャリーケース、猫の飼い方のマニュアル本を購入し、子猫用ミルクとそれを飲ませる為のスポイトも準備して子猫たちを迎え入れました。
私の所に来た子猫たちは、親猫から引き離され知らない場所へ連れてこられたので2匹でひっついたまま震えていました。
1匹ずつ抱きかかえてスポイトで子猫用ミルクを飲ませ一緒に過ごしている内に、不安そうだった様子が少しずつ消え、私に心を開いてなついてくれているように思えました。
おトイレの仕方は親猫がすでに教えていたようで、子猫たちは上手にできていました。

私の決断

何をするにも常に一緒で離れない2匹の姿を見ていると、私はゴールデンウィークが終わったらこの子猫たちが1匹ずつ別々の所へ連れて行かれることが無性に不憫に思え、知り合いに「子猫たちを引き離さずに、2匹一緒に受け入れてもらう訳にはいかないだろうか。」と相談しました。
ですが、どちらの貰い手も「子猫1匹なら何とか引き受けてもいいよ」という条件で、2匹一緒に引き取るのは難しいとのことだったので、私は考えた末ついに心を決め「せっかく引き受けてくれた2人の貰い手には申し訳ないけれど、子猫たちは2匹一緒に私に育てさせて下さい!」と知り合いにお願いをして、そのまま2匹の子猫たちと生活を続けることになりました。


自分の分身

私の家族となった子猫たちに私は自分の名前の漢字を1字ずつあげて名付け、自分の分身のように大事に育てました。
自分に似た性格の子猫たちを見て、度々ハッと思わされることもありました。
子猫たちの兄弟姉妹4匹がそれぞれの貰い手の所で、耳ダニなどの病気、交通事故動物同士のトラブルで、わずか数カ月で旅立ってしまったという悲しい知らせを聞き不安になった私は、子猫たちを慎重に育てる為に猫に関する参考書を何冊も熟読しました。
自分を頼りにして家で待っている大事な存在ができたことで、私は命への責任を持ち「必ず守っていくんだ!」という強い意志で、嫌なことから逃げずに乗り越えられるようになり、そんな成長を与えてくれた猫ちゃんたちとの御縁に感謝しました。

若かりしワイルドな時代

そんな私の気持ちを汲んでくれたのか子猫たちはスクスクと元気に育ち、1匹は19歳で旅立ってしまうまで私を癒し続けてくれ、もう1匹は23歳になった今も健在で私に幸せを与え続けてくれています。
外国種の猫は日本猫よりも体が大きいので、ウチの猫ちゃんたちはいつも「大きいねー!」とか「えぇっ、オスじゃないの?!」と驚かれていました。
パワーが溢れていた若き日々は、ワイルドに網戸やカーテンにのぼり、食卓から食べもしない餃子を奪いベッドの下に隠し、2匹で追いかけっこをしては私にぶつかり私の顔に引っかき傷をつけ、背中に飛びついては爪を立ててぶら下がるなど、とにかくやんちゃで大変でした。
クローゼットの扉を力づくで開けて洋服を引っ掻くので、高価なスーツが台無しになって途方に暮れたこともあります。


赤ちゃん返り

年齢と共に落ち着いてきた猫ちゃんたちですが、猫ちゃんたちが10歳のときに私の娘が生まれ赤ちゃん中心の生活スタイルになり、以前の様に猫ちゃんたちにかまってあげられなくなると、猫ちゃんたちは揃って赤ちゃん返りをし、今までにないぐらい甘えん坊になりました。
それまでは尖った態度で抱っこされるのを断固として拒んでいた猫ちゃんたちですが、いつも娘が私に抱っこされているのを見ている内に羨ましがるようになり、私が娘をベビーベッドに寝せてソファーで一息つくと、すぐにどちらかの猫がヒザの上に座って『抱っこしてアピール』をし、足元ではもう1匹の猫が順番待ちをしているので、私は常に娘か猫ちゃんを抱っこしている生活でした。

困難と成長

エンドレスの抱っこに追われてまともに眠れず、腱鞘炎にもなり身体がしんどい状態でしたが、猫ちゃんたちに「ほほう、抱っことはなかなか良いものですなぁという満足そうな顔でゴロゴロと喉を鳴らされると、私には抱っこを拒否することなど到底できませんでした。
赤ちゃんの泣き声予測不能な行動大きなストレスとなって猫ちゃんたちは体調を崩し、1匹はハゲができ、1匹は腎機能低下2週間の入院を強いられ小さな手に点滴針を刺されっぱなしの生活を送るなど、2匹とも多大な迷惑を被りましたが、娘が成長し動物好きな面倒見の良い子に育ってくれたので、猫ちゃんたちは娘に抱っこされたり撫でられたりするのが気に入り、家族みんなが仲良く暮らせるようになりました。


強いハート

2011年の東日本大震災で被災し、実家に一時避難したときも、この地域に移住してきたときも私たちはずっと一緒でした。
飛行機を利用する際、猫ちゃんたちはジェットエンジンの爆音が響く貨物室に荷物と一緒に積まれるので、当時すでに14歳だった老猫ちゃんたちは大丈夫かと心配でしたが、2匹ともどうにか我慢して頑張ってくれたので、猫2匹と幼児を連れたハードな移動を無事にこなすことができました。
『猫は人ではなく家につく』といいますが、ウチの猫ちゃんたちは5回の引っ越しでも各住居で家族と一緒にリラックスしており、この地域への移住の際もすぐに新居に馴染めていたので「ウチの猫ちゃんたちは神経質な性格じゃなくて良かったなぁ・・・」と思いました。

心の繋がり

様々な逆境がありつつも、私たち家族は常に寄り添い共にいられることに感謝して暮らしました。
そんな中、2016年5月5日チンチラゴールデンのお父さん猫によく似たウチの老猫ちゃんが19歳旅立ち、私たちはいつも側にいた存在が消えてしまったことが悲しくて泣き暮らしていました。
ですが『四十九日』が過ぎる頃には『存在が消えた』のではなく『居場所が心の中に変わっただけ』と思えるようになり、私は旅立ってしまった老猫ちゃんとの心の繋がりを感じながら「いつも見守ってくれてありがとう」と心の中で想うようになりました。
『四十九日』というのは霊が成仏する為の期間といいますが、残された者が気持ちの整理をつける為の期間でもあるんじゃないかと私は思いました。


多様な幸せ

「今まで仲間がいたのに独りぼっちになったら猫が淋しくて可哀そうだから、猫をもう1匹迎えた方がいい。」と人に言われることもありましたが、私は人間も動物も性格や感じ方は多様だと思っており、ウチの老猫ちゃんは1匹になってから更に甘えん坊になって、私と娘を独り占めして甘え放題な生活満喫している様子なので、新しい仲間を迎えて賑やかにするよりも、のんびりと過ごせる静かな環境余生を送らせてあげたいと思っています。
「みんな一緒の方が楽しい」という人もいれば「他人といて気疲れするよりも一人でいる方が気楽でいい」という人もいるのと同じで、猫ちゃんの好みだってきっといろいろです。

『長生き』と『食欲』

ウチの猫ちゃんたちは雑種ということで免疫力が純血種よりも強いと思われ、ありがたいことに食欲旺盛によく食べてくれたので、どちらも長生きなのかもしれません。
お気に召さない缶詰をあげると意地でも食べずに残すので、嫌いな缶詰を把握して買わず、飽きないように毎回違う種類の缶詰とドライフードをあげるとモリモリ食べてしっかり排泄をする健康的な生活でした。
23歳になった猫ちゃんはロシアンブルーのお母さん似ではなくキジトラ柄の短い毛並みだったはずなのですが、もう1匹の猫ちゃんが旅立ってから前よりもフサフサしてきて、あちこちにできる毛玉「急にどうしちゃったの?!」と不思議に思いながらせっせとカットしています。


小悪魔的な賢さ

19歳で旅立った猫ちゃんもとても賢かったですが、23歳にもなると賢さに磨きがかかり、ご飯のおねだりは声ではなく熱い視線で心に訴えかけ、抱っこのおねだりは思わせぶりな態度でワザと行く手を塞ぎ、抱っこしやすい位置で立ち止まって背中でアピールします。
ベッドで一緒に寝たいときは「さあ、私について来て!」と少し歩いては立ち止まって振り返り、何度も小悪魔的にいざないます。
夜中に淋しくなると私の枕元に来て、目玉をえぐり出すかのように肉球で圧をかけ確実に一撃で起こし「ウニャーンと甘えた声でその場を取り繕います。
そんな鬼の所業をする老猫ちゃんですが、毛玉を吐くときは必ずベッドから降りて床で吐くという健気な気遣いもあり、私は何度も容赦なく睡眠を妨害されてもやはり愛さずにはいられないのです。

長い付き合い

近年の猫ちゃんのお誕生日のお祝いは、娘と2人で可能な限りのテンション手間暇で猫ちゃんをお姫様のように特別扱いしてサービスすることで、チヤホヤされてご満悦の猫ちゃんに私と娘は心が和みこの上ない笑顔になります。
現在、老猫ちゃんは私の年齢のちょうど半分の年月を一緒に生きており、そんなに長く私と暮らし私の生活を詳しく知る家族は他にいません。
私の人生の半分を近くで見ながら共に生き、私のことを一番よく知る愛しき老猫ちゃんは、私の可愛い子供であり、心強い相棒であり、とても大切な宝物です。
これからも平和な環境の中で、どこも痛くならず不自由を感じることなくゆったりとした日々を過ごして欲しいと心から願うばかりです。

「今日も生きててくれてありがとう、大好きだよ

新型コロナウィルスと冬季大会の中止


冬季大会招致への想い

私は昨年の6月に転職し、障がいのある方々が社会との繋がりを持ちながら健康的な生活を送れるようにスポーツ活動を推進し、大小様々な大会を開催して発表の場を作るという公益性の高い事業を世界的に展開している組織の大会事務局で仕事をしています。
今回の大会は4年に一度の国内冬季大会で、来年度に開催される世界冬季大会の予選も兼ねている大規模な大会でした。
大会開催地は、知的障がい者の為のスポーツ活動を促進している各都道府県の組織の中で大会招致を希望する組織がプレゼンをして選ばれます。
今回の大会開催地となったこの地域の組織は、前回の冬季大会開催地選考の際にも大会招致に手を挙げたのですが残念ながら選ばれず、「今度こそは!」という意気込みでプレゼンをした結果選ばれたそうなので、きっと皆さん今回の冬季大会開催に対する想いが強かったことと思います。

全力の大会準備

冬季大会PRの為のパレードや神聖な火をいただく採火式、分火した火を点火したトーチを手にアスリートが走るトーチランなどのプレイベントが多く開催され、秋には約80名を率いての競技会場の現地説明会を実施するなど、冬季大会の1年前ぐらいから様々な準備が行われてきました。
全国から約1000人の選手団が集う大会なので、競技会場や宿泊先の確保、食事の手配、現地で移動する際のシャトルバスの用意、競技役員やボランティアスタッフに対する説明会など大規模な準備から、大会に必要なグッズや備品の手配と管理などの細かい準備作業もあり、大会開催日が近づくにつれ大会関係者はそれぞれの担当業務に慌ただしく追われていました。
私は冬季大会事務局での経理業務の他に、選手団が使用する荷物の送付状や名札の作成と発送、開閉会式のチケットの発送などを担当し、少しでも早く皆さんのお手元に届けられるよう早出残業をして作業を進めました。


担当業務への意欲

大会開催が1週間後に近づくと夜10時まで残業になることもありましたが、「今まで準備を重ねてきた冬季大会がいよいよ開催されて、参加するアスリートやコーチ、家族の皆さんの笑顔が見られるんだ!」と思うと力が湧いてきて、溜まり続ける疲れも苦にせず集中して頑張ることができました。
異例の暖冬で雪が少なく競技会場のコンディションが心配されても「きっと大丈夫!良い大会になるはず!」根拠のないポジティブな思考邁進してきました。
冬季大会の会場は式典会場と競技会場を合わせ5会場あり、大会スタッフはそれぞれの持ち場に配属されます。
私は式典会場へ配属され、担当する役割は開会式・閉会式会場での物販ブース管理と経理業務、総合案内の事務的な業務、来賓をお招きしてホテルで開催されるレセプションパーティーの受付業務などで、その打ち合せや準備に張り切っていました。

新型コロナウィルスの猛威

その頃、新型コロナウィルスの感染拡大という不穏なニュースが日々報道されおり、私は大会開催日が近づくにつれアスリートやコーチ、ご家族の皆さんのことがとても心配になりました。
人から人へ感染するウィルスということは、様々な地域から多くの人が集まる場所は感染のリスクが高くて危険と考えられるので、大会に参加する為に飛行機に乗降する際の空港も感染リスクが高いですし、選手団と大会関係者、ゲスト出演者と観客を合わせ1000人を優に超える人間が集まる大会開会式絶対に安全な場所とは言い切れないので、私は大会の開催準備を続けながらも不安を感じていました。
そんな週明けの月曜日、緊急会議新型コロナウィルスの感染が拡大している状況で大会を開催すべきかが検討され、大会参加者や関係者、観客の方々の安全を一番に考えた結果、今回の冬季大会は中止と決定されました。


『大会中止』という英断

大会中止の発表は、各会場で競技の打合せや会場整備に励んでいた大会関係者や、必死に業務を続けていたスタッフ、参加を楽しみにしていた選手団や観覧予定だった方々にとって突然のショックな一報となったと思います。
「冬季大会が中止になる可能性もないとは言えない状況だよなぁ・・・」とうっすら予想をしていた私でも、実際に『冬季大会は中止となりました』という言葉を正式に耳にしたときは、緊張の糸が切れてガクリと力が抜けました。
ですが私は、大会を成功させる為にしてきた今までの努力や、念願の冬季大会開催に対する強い想いよりも、まずは人々の安全を最優先にして考慮し断腸の思い冬季大会中止の決断に踏み切った大会実行委員会の方々の決定は勇気ある英断だと思い、尊敬の念を抱きました。
冬季大会の中止が決定されたのは大会開催予定日の数日前だったので、私たちは悲しみ嘆く暇もなく、早急に大会中止の旨を関係者の方々に発信する作業に取り掛かりました。

新たな激務

「大会の中止を知らずに会場に来てガッカリする人がいないように一刻も早くお知らせしなくては!」と、大会スタッフで手分けして電話メールで連絡をする段取りを組み、留守電になり直接伝えられない方には念の為に書面の郵送もしました。
大会開催予定日が近かったので飛行機やホテルなどのお手配を既に済ませていた方が多かったと思うのですが、私たちの声が悲しげで申し訳なさそうだったからか、大会中止を聞いた方々からは苦情ではなく「大変だと思いますが、頑張って下さい。応援してます!」という温かい励ましのお言葉をいただき気持ちが救われました。
『新型コロナウィルスの感染拡大による大会中止』ということで大会事務局にメディア取材がいくつも入り、中止に関するお問い合わせの電話が続き、大会中止に伴うキャンセル手続きに追われるという、今までとは違う激務に突入しました。

貴重な経験

初めて関わる福祉事業の大きなイベント運営ということと、新たに挑戦する経理業務などに魅かれて私は冬季大会事務局で働くことを決め、無事に大会を成功させるという目標に向かって仕事をしてきたので、冬季大会が中止となってしまった現在の状況はとても残念ではありますが、こういった状況から学ぶことや、こういった状況でしか見えてこないこともあるので、気持ちを切り替えて新型コロナウィルスの感染拡大による不運な展開貴重な経験と捉えることにしました。
現地の冬季大会事務局は期間限定の事務局なので残すところあと数か月の勤務となりますが、せっかくご縁があって携わることができた福祉事業なので、なるべく多くのことを習得し自分の中に知識として残せるように最後までしっかりと業務に取り組みたいと思います。

鋭い意見

私は将来、自分で福祉事業を展開したいと考えています。
私の知人は「ボランティア活動や人助けは、まず自分が儲けてからじゃないとできないこと。お金と時間に余裕がなければ世の中の為に役立つことをするなんて難しい話。」という意見で、以前の私は「そんなことない!」と思っていましたが、今は「その通りかも・・・」と思います。
事実、平日フル勤務で働き家事を全て一人でこなしながら子供を育てている今の私は、仕事子供のケア睡眠であっという間に過ぎるバタバタな毎日で時間に余裕がなく、誰かにボランティア活動をお願いされてもお受けするのは難しいような気がします。
子供を育てる為にはお金が必要ですから、就労時間を減らしてボランティア活動の為に時間を作るというのも考えづらく、結局のところお金と時間に余裕がない今の私には気持ちがあっても残念ながら大々的なボランティア活動をすることが無理な現状です。


『ボランティア精神』の定義

ただ私は、必ずしも『福祉=ボランティア活動』とは限らないとも思っています。
また、普段の生活の中にあるちょっとした親切な行動や思いやりも一種のボランティア精神と言えると思いますし、無償ではない就労の中でも相手や周りのことを考えた丁寧な仕事ボランティア精神に基づくものだと思っているので、胸を張れるような立派なボランティア活動をするのは無理でも、ボランティア精神を発揮して誰かのお役に立つことは可能だと思っています。
他人の反応を気にするあまり本心を隠して流されてばかりでは、自分が優先すべきことを見失い心が死んでしまうので、私は自分ができることとできないことをきちんと見極めてハッキリと言える人間でいたいです。
きっと今はまだ、自分にできる範囲『親切な行動』『誰かの役に立つこと』を日々積み重ね、自分が将来展開しようとする福祉事業の基盤を模索する為の時期なのだと思います。
子供の思春期受験対策など子育ての課題も抱えている現段階の私には、母親としても社会で働く人間としても更なる成長が必要で、起業に至るまでの修行の日々はまだまだ続きそうです。

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