私の愛しき老猫ちゃん


永遠の『ニャイドル』

ウチには来月で21歳になる老猫ちゃんがいます。
私と娘は彼女の可愛さに夢中で、どんな瞬間の仕草や表情にも癒され、幸せをたくさんもらっています。
彼女の姉妹の老猫ちゃんは、一昨年の5月に19歳旅立ってしまいましたが、その子もかなり長生きをして私たちに幸せをたくさんくれました。
『お婆ちゃん猫』になってもその可愛らしさは赤ちゃんの頃のままで、私たちにとっては正に『永遠のアイドル』(娘曰く『ニャイドル』です。
逞しく生きて、いつも私たちに笑顔と癒しを与えてくれる丈夫な猫ちゃんたちとのご縁に恵まれて、私たちは本当にラッキーだと思います。

猫の日

猫ちゃんも、歳をとると内臓の機能も段々と低下して体重が減ったり、ほとんど眠ってばかりになったりと、いろんな部分で変化が出てきますが、年齢とともに生活や体調が変わってくるのは人間も同じことなので、ケアはしつつもあまり神経質に考えず、猫ちゃんが『ゴロゴロ』と喉を鳴らしてリラックスできる時間をなるべく多く作れるよう心掛けて暮らしています。
2月2日『ニャーニャー』猫の日だったので、娘と二人掛かりでいつも以上に「これでもか!」というくらい老猫ちゃんを撫でると、まるでスライムのようにぐにゃぐにゃになりながら、激しくゴロゴロと喉を鳴らしていました。

首と肩のコリ

人間の頭は身体の上に乗っかっている状態ですが、猫や犬などの動物は頭を自力で持ち上げて見上げている状態で、実はかなり首や肩が凝りやすいと聞いたことがあるので、私はたまに老猫ちゃんの首や肩のマッサージをしてあげるのですが、いつも決まって「オォォォォ、これは気持ちがいいですなぁ、たまりませんなぁ・・・」という独特の表情を浮かべます。
そんな様子を見ると「あぁ、どんなに赤ちゃんみたいに可愛くてもやっぱりお婆ちゃんなんだなぁ・・・いろいろ大変だよねぇ・・・」と思い、いたわってあげなくてはという気持ちがますます強くなります。


人生の同志

私自身も年齢を重ねるごとに身体の衰えや、以前と比べてできなくなったことを、日々切実に感じて生きているので、最近は老猫ちゃんのことを『自分の子供』としてだけではなく『共に人生を歩んできた同志』と認識しています。
娘が生まれてから私の生活スタイルはガラリと変わり、それなりにいろんな苦労もありましたが、思えば猫ちゃんたちも娘が赤ちゃんだった頃からその成長を見守り、振り回され、時にはストレスでハゲたり、病気になって入院をしたりしながら一緒に生きてきたので、そういった意味でもやはり猫ちゃんたちは私の『同志』であると思います。

魅惑の『抱っこ』

若かりし日の猫ちゃんたちは、かなり尖っていて「あたしたちが求めていない時に気安く触るんじゃニャい!抱っこニャんてニャれニャれしいんだよ!」という感じだったのですが、いつも娘が私に抱っこされているのを見ている内に段々と様子が変わり、「あのぉ、一つ私たちも抱っこしてはもらえませんかのぉ・・・」とアピールしてくるようになり、抱っこしてあげると「ほほぉ、抱っことはなかなかイイものですなぁ・・・」という表情でおとなしくしていました。
それから私は、二匹の猫ちゃんと娘に代わる代わる抱っこをせがまれ、しばらく肩、腕、腰の痛みが取れない日々を送りました。

猫ちゃんの便秘

娘が大きくなると、今度は娘が猫ちゃんたちを抱っこするようになり、最初は賢い猫ちゃんたちは自分の身の危険を察知して娘から逃げ回っていたのですが、今では娘も上手に抱っこができるようになったので、お互いに抱っこタイム満喫しています。
先日、娘が猫のトイレ掃除をしながら「猫ちゃんがウンコをしていない」と言ってきたので、猫ちゃんの様子を観察してみると、トイレに行って排便をしようとしながらも、すぐにやめて戻ってきてしまうという行動が見られました。
調べてみると、猫は老齢のせいで排便の回数が減ったり便秘気味になることもあるとのことでした。


おなかのマッサージ

猫ちゃんの場合も、便秘にはおなかのマッサージが良いとのことだったので、私はさっそく猫ちゃんのおなかをマッサージしました。
私が小さい頃、おなかを壊すといつもおばあちゃんが「痛いのなくなれー、痛いのなくなれー・・・」と言いながらおなかを撫でてくれたように、私も「ちゃんとウンコが出ますように、ちゃんとウンコ出がますように・・・」と言いながら、猫ちゃんのおなかを時計回りに撫でました。
猫ちゃんはおなかのマッサージが気に入ったようで、自らおなかを出して希望してくるようになり、そんなこんなでマッサージを続けていると二日後ぐらいにようやく排便がありました。

猫かわいがり

たまたま仕事が忙しい時期で、滅多にすることのない残業をしている私に、娘がわざわざ電話で「猫ちゃんのウンコ出たよー!」と報告してくれ、とてもホッとした気持ちで仕事を終わらせました。
家に帰り、さっそく猫ちゃんのウンコを確認すると、7センチ程の立派なウンコが4本も出ていて、娘と大喜びしながら猫ちゃんを撫で「偉いねー!よく頑張ったねー!」と、チヤホヤして褒めまくりました。
きちんと排便をしただけでこんなにも褒め称え歓喜するなんて『猫かわいがりの極み』もいいところだと思いつつも、私たちは今日も幸せです。

心得た攻撃

夜中に老猫ちゃんが突然「撫でろニャー!」と大きな声で鳴いて私を起こすのはいつものことなのですが、最近はその命令に従うのが遅いと、寝ている私の軽く爪を立てた状態でベシッと叩いて強引に起こします。
また、足の肉球で、寝ている私のをググーッとゆっくり押したりもし、私は「うわぁーっ、そんなことしたら眼球がボローンって飛び出しちゃうからぁ!」と言いながら、慌てて起きます。
「さすがは老猫様、どんな攻撃を与えるとすぐに命令に従うかをよく心得てらっしゃる・・・(泣)」といった具合で、私はいつも寝不足気味です。


私と猫ちゃんたち

そんな過酷な睡眠事情ではありますが、人の心を癒すF分の1の揺らぎで、猫が鳴らす喉の『ゴロゴロ』という音を聞きながら、猫ちゃんの小さな鼻から出る息が自分の顔に当たる距離一緒に眠れる日々に、心から感謝しています。
約21年前、猫ちゃんたちが私のもとにきて以来、私はずっとお母さんのつもりで猫ちゃんたちを育ててきました。
自分がまだ若く未熟だった頃は、仕事が辛くて辞めたくなったり投げ出したくなったりもしました。
そんなとき私は「私が仕事を辞めて収入がなくなったら、猫ちゃんたちのご飯はどうなるの?猫ちゃんたちが病気になったときの治療費は?」と考えました。

守るべき存在の有難さ

自分が育てると決めた命への責任を考えることで、「私は猫ちゃんたちを守るために頑張る!絶対に自分の弱さに負けない!」思い直して乗り越えることができました。
よくドラマなどで「誰のお陰で生活できてると思ってるんだ?!お前らのせいで嫌な仕事も我慢しないといけないんだ!」と威張るシーンがありますが、自分が守るべき存在があるということは、自分を奮起させたり思いとどまらせることにも繋がるので、とても有難いことじゃないかと私は思います。
私は、御縁があって猫ちゃんたちのお母さんになれたことに感謝しており、一日でも長くそうあり続けられることを願っています。

それぞれの事情

最近『お母さんの応援ソング』として作られた歌と、それに対するアンサーソング反響があり、世間が少しザワついているというニュースを読みました。
物事にはいろんな捉え方があって、それは置かれている立場や環境によってもだいぶ異なり、正解不正解があるわけでもなく、共感できる人もいれば共感できない人もいるのが当たり前なので、「自分と違う意見や環境の人もいる」と受け止めるのが自然かなと思いました。
我慢することが多いお母さんも、自分のことに時間をかけられるお母さんも、子供がいない女性も、その他の人たちも、きっと皆それぞれの事情の中でいろんな思いを胸に頑張っているんだろうなぁと改めて感じました。


世間の見方

私は、自分が育児をしてみて「子供の行いは親次第というのが世間一般の根強い見方なんだなぁ・・・」実感しました。
子供が良い行いをしても悪い行いをしても、子供の個性などとは関係なく、最終的には『親による躾』がきちんとされているかどうかという話になっていたように思います。
そのとき私は、子供の躾について深く考えると同時に、自分の親のことを考えました。
親は、私が何歳になろうとずっと私の親なので、例えば私がみっともない真似をすれば、親まで私のせいで『そんな躾をした親』とか『親もきっとそういう人間に違いない』と思われる仕組みなのだと気がつきました。

自分の行動次第

世の中には「大人になった人間の行動は本人の問題で、親は無関係」と思う人ばかりではなく、「あんな行動をとる人間は、一体どんな親に育てられたのか」と考える人も多いので、いくら本人が「自分は自分、親は親だから、親は何も悪くない!」と主張したところで、自分を育ててくれた親自分の行動のせいで悪く言われるということもあると思います。
そこで「親を馬鹿にするな!許さないぞ!」とどんなに強く主張しても、残念ながら他人の考え方や言動は簡単に変えられないので、自分のせいが悪く言われるのを避けるには、自分の行動を見直し自分が成長するしかないのだと思います。

大事な繋がり

また、自分が親の立場なら、自分の良識ない幼稚な行動心無い行動のせいで子供が「あの親の子供じゃね・・・」と言われたり、いくら「子供は子供だ!自分とは違う!」と必死に主張しても「きっと子供もあの親みたいになるだろう・・・」と、罪もないのに世間に残念な見られ方をすることもあり得るので「楽ちんだから」とか「自分は自分だから関係ない」『自分の自由』ばかりを追求するのではなく、大事な人を守る為にも成長する努力は常に必要なのだということにも気がつきました。
人間は必ず人間との繋がりがあり、だからこそ生まれてこの世に存在していて、自分の為だけではなく大事な人の為にも成長するようにできているのだと思います。
私は、子供としてもとしてもその繋がりに感謝し、自分にとって大事な存在大切にしながら生きていこうと思いました。

最近考えたこと


得意分野と新しい挑戦

職場で原稿を作る仕事を与えられ、文章を書くのが好きな私はウキウキしながら取り組みました。
私はとにかく感覚で物事を捉えて考えるタイプなので、人物や物についての原稿であれば、多くの情報からポイントを抜粋して要約したり、わずかな情報から糸口となるキーワードを読み取って内容を膨らませて書くことが比較的得意で、書くのが難しければ難しいほど大きくなる達成感を楽しみながら、書き続けました。
今回は、そんな得意分野に加え、『経済』をテーマにした原稿作成のミッションも与えられ、「新しいことに挑戦するチャンス!」とばかりに張り切って取り掛かりました。

残念な結果

テーマが『経済』となると、様々な統計データの数字から状況を分析して現状を把握する必要がありますが、日頃、経済に関する情報はスマホの幾つかのニュースアプリで目にする程度だった上に、感覚だけが優先され『数字で分析する』という習慣がほとんどない私にとって、そのテーマはかなりの難問となりました。
数字のデータに注目して、それを踏まえて考えても、最終的には感性メインの抽象的な表現が満載の原稿に仕上がってしまうので、何度か書き直してもなかなか上司の納得を得ることができず、あまり役に立てずに終わってしまいました。

キャリアの違い

上司が作成した完成形の原稿は、経済の傾向について具体的なトピックを交え、わかりやすく表現しながらも、威厳のあるとても整った文章で「さすがだなぁ・・・これがキャリアの違いというものか・・・」感動しました。
そして、自分が書いた原稿と比べ、そこにどんな違いがあるのかを分析しました。
物事の捉え方、考え方は、切り口によって変わるもので、またそれを論理的に表現するか、感覚的に表現するかでも更に違ってきます。
一つの切り口だけでは偏ってしまうので、幾つかの切り口で考えた上でまとめることが大事なんだと気づき、自分の実力のなさを恥ずかしく思いました。


現実逃避

「ウォォォォ、レベルが違いすぎて恥ずかしすぎるー!穴があったら入りたいー!ウォォォォー!!」(からの)「ウォーウォーウォーウォーウォーイェーイェーイェーイェー サバイバルダンス サバイバルダンス トライアルダンス♪」(更に)「今夜だけでもー シンデーレラボーイ ドゥーユー ワナ ダンス トゥナーイ♪」(ラストは)「みーつめるキャッツアイ マジック プレイ ダンシング みーどりいろに ひかーる♪」と、壊れ気味に懐かしの名曲『サバイバルダンス』『ダンシングヒーロー』『キャッツアイ』を頭の中で熱唱し、恥ずかしい現実から束の間の逃避を試み、気を取り直して速やかにスマホ『経済ニュース』のアプリ7つ増やしました。

弱点の強化対策

自分の劣っている部分を知るということは、恥ずかしさを伴い、場合によっては悔しい思いもするものですが、それを明確に知ることで強化する為の対策を考える良い機会にもなります。
逆に知らないままでいれば、ここぞというときにその弱点のせいで自分が苦しむことになるかもしれません。
なので私は、もっと『社会経済』に目を向けて、感覚だけではなく『数字データの分析』も合わせた上で考える訓練をし『経済』がテーマのミッションも難なくこなせるようになろう、せっかく恵まれた学びの環境にいるのだから、多くの知識や技術吸収しようと思いました。

『人の大切さ』

そんなミッションを通して『経済』について情報収集をする中で、成功している日本企業の経営者の言葉をいくつか読みました。
商売に関して先見の明を持っている人、強い精神逆境に負けず立ち向かい前進する人、地道な努力を重んじて着実に会社を大きくしている人、積極的な行動を続ける人と、成功者にもいろいろなタイプがいますが、共通して説いているのは『人の大切さ』でした。
私の周りには不思議と経営者が多く、やはり成功しているのは、社員を大事にしていて、人を気遣う礼儀正しさ心の余裕がある『実るほど首を垂れる稲穂かな』という言葉のお手本のような人たちでした。


『育てる』という責任

逆に、やたらと威張っているワンマンな経営者たちの会社は、時期や理由はバラバラでしたが、多くが倒産していました。
そんな実例からも、自分の会社の従業員をしっかりと育て、いかに大事な財産として考えるかで企業の命運は左右されるものなのかなと思いました。
人間は生まれてから一人である程度のことが一通りできるようになるまで、一般的には保護監督責任である大人に育てられ、社会に出てからは職場という環境の中でそれぞれ出会った人間に育てられます。
どちらの成長過程においても、真っ新な状態の人間性や意識の持ち方は、育てる側次第でいかようにも変わり得るので、育てる側の責任は大きいと思います。

現実社会の悪役

私は、大人になり社会に出てから、職種や待遇の違いで人に対して差別的な態度をとる人間に遭遇し、ドラマの悪役みたいな人が現実社会にも存在すると知りました。
自分の上司や先輩には過剰に頭を下げ、後輩には(たいして仕事もできないのに)必要以上に先輩顔でふんぞり返り、挙句の果てには「大きな組織の人間は特別で、バイトや清掃員、運送業者なんて全部下っ端の人間だ!」と、その職場で関わる違う立場の人をあからさまに見下して、自分の親よりも年上であろう人に対しても横柄な態度をとる若い社員の姿を見る度に、人間は一体どんな教育を受けたらこんな風になってしまうのかと驚きました。

行動でわかる人間性

娘の幼稚園小学校に行事などで行くと、当然よそのお母さんたちに会うのですが、先生方には愛想よく丁寧な挨拶をするのに、幼稚園バスの運転手さんや用務員さん、給食室の職員さんにはすれ違っても挨拶どころか見向きもしない人がけっこういて「自分の子供がお世話になっているのは先生方だけじゃなく、そこで仕事をして関わっている全ての人だと、大人なのに何故わからないんだろう・・・」と常々思っていました。
人間はどんなにキレイに着飾り上品にふるまっていても、そういう所に人間性が出るので、私はそういう人たちのことは信用せず、なるべく関わらないようにしました。


大事な基本

私は運良く、現在101歳のおばあちゃんに「他人を見下して馬鹿にするような人間になってはいけない。いつも感謝の気持ちと謙虚さを忘れないようにしなさい。」と、毎日のように教えられて育ったので、自分が親になった今、娘にも同じように「職業や立場で人を判断するような愚かな人間になってはいけないよ。大事なのはあくまでもその人の中身だよ。」「ゴミ収集をして街をきれいにしてくれる人、皆が使うトイレをいつも清潔に掃除をしてくれている人たちにこそ、感謝の気持ちを忘れてはいけないよ。」と、基本的なことだけど、人としてとても大事なことを教えることができています。

差別的態度

私は『差別的態度』をとる人間を見ると、例え自分に向けられた訳ではないとしても、その人を心から軽蔑します。
『差別的態度』から生まれるのは『歪んだ優越感』、それに対する『軽蔑』『敵意』などで、どれもプラスになるものとはいえません。
大人社会でもそんな『差別的態度』が蔓延しているのならば、大人をお手本として育つ子供たちの社会から『いじめ』がなくならないのは当然のような気がします。
きっと、それが国全体、世界全体に蔓延しているから、根源となり現在もいろんな所で大きな争いへと発展しているのでしょう。
負の連鎖しか生み出さない『人を見下す行為』消滅して欲しいと思います。

大きなメリットとデメリット

この先、AIがどんどん活用されれば、人的ミスによるトラブルの減少や、人手不足の解消、重労働の負担が軽減されるなど、様々なメリットが考えられますが、企業がAIを活用することで、今までその仕事をしていた人たちが不要になり、多くの従業員が職を失うという問題も出てきます。
過去にも不況によるリストラで、多くの人々が失業した時期がありましたが、その頃はまだ、人による仕事が当たり前の時代でした。
ですが今後は、企業がAIを導入し、人件費の削減と仕事の生産性向上を実施することで、人による仕事がどんどん減少すると予想されるので、更に厳しい時代になるのではと思います。


貧困者の行方

AIの導入で、企業は利益を増やして会社の規模を拡大し、更なる利益の増加を図れる可能性が広がりますが、人員削減により少数の人だけが高収入を得て経済的に潤い、以前よりも多額の消費をするようになっても、大多数の人間が無収入で消費したくてもできないという状況に陥ったら、どんなにAIの効率的なシステム理想的な宿泊施設画期的な設備の介護施設などを建てても、お金を払って利用できる消費者が十分に存在しないので、需要と供給のバランスがとれない状態になります。
消費者数が減っても、消費金額が大きければ経済と流通は回り続けるのかもしれませんが、貧困化した多くの人たちはどうなってしまうのでしょう。

極端な不安

助け合いや慈しみの心を重んじる『禅』の教えを持ち、世界的にも注目されている美しきこの国が、貧富の差が大きくなることで、貧しい人が住む地域はどんどんスラム化無秩序になったり、『差別的態度』が当たり前の世の中になって、貧しい人の人権は無くなり、人が人を見下して『下っ端扱い』するのを超え『物扱い』するようになり、ついには、奴隷として売買されたり、暴動が繰り返される恐ろしい国へと変貌してしまうのではないかと、そんな考えが頭をよぎります。
今の子供たちが大人になった将来は、一体どんな世の中になっているのだろうと、とても心配です。

『Giver(与える者)』の精神

国も社会も人間によって作られているもので、人がいればこその世の中なのだから、一部の人間の利益重視して利便性だけを追求すると、最終的には国も社会も機能しなくなり、どんなに新しい技術の開発が進んでも、実質的には退化してしまうのではないかと思います。
国と企業の発展を考えるときに一番大切にすべきなのが『人』ならば、社会的に影響のある大きな組織であればあるほど『Taker(得る者)』として利益を追求するだけではなく『Giver(与える者)』としての精神も持って社会の経済を動かして欲しいと願います。

いろんな意味で、どうぞ平和が続きますように・・・


よろしければ、娘氏のブログもどうぞご覧ください(*^^*)
n-a-creation.hatenablog.com

ゆるく贅沢な冬休み


私にとっての贅沢

老猫ちゃんと共に家で過ごした年末年始は、とても幸せでした。
年末は、家の大掃除というミッションを娘と分担してテキパキとこなし、今まで何となく捨てられずにいた物を思い切って捨て、気持ち的にも部屋のスペース的にもスッキリしました。
大晦日から始まった『祝いの宴』はお正月の三が日まで延々と続き、気分次第でひたすらゆるくダラリと過ごすという贅沢な時間の使い方をしました。
今の私にとって『お休みを思うがままにゆっくりと過ごす』のは『100万円を自分の好きなように使える』ぐらいの価値があり、仕事で忙しく充実した日々を送ることによって余暇の価値を実感し、こんなにもありがたく思えることが不思議なくらい幸せでした。

『まったり』する幸せ

年末年始に何の予定もなく家にこもって過ごすだけなんて随分と味気なく寂しい印象がありますが、ウチの場合、雪の影響で飛行機がなかなか予定通りに飛ばないリスクが大きい季節に、わざわざ旅行の予定を入れない方針と、今年の3月で21歳になる愛しい老猫ちゃんと一緒に過ごしたいという思いがあるので、家でまったりと過ごすことに満足していました。
とはいえ、せっかくのお休みなので、私は娘と一緒に何かをして思い出を作ろうと計画を立てたのですが、娘が「ママが家にいて安心できる状況の中で、私は自分の好きなことを好きなだけして思う存分くつろぎたい」と言うので、その主張を受け入れ、本格的に何もせずまったりと過ごすことにしました。

いろんな『し放題』

小学校の高学年になり、難なくお留守番家事のお手伝いができるまでに成長したとはいえ、やっぱり子供には『親が側で見守ってくれる安心感』『親の関心が自分に向いている』という確かな認識がまだまだ必要なんだなと、娘の言葉から感じ、近すぎず遠すぎずの距離の取り方が段々と難しくなってくるお年頃だと思いました。
老猫ちゃんは気が向いたときに満足いくまで私たちに撫でてもらって甘やかされ放題、娘はゲーム動画視聴も飽きるまでし放題、私は時間も本数も気にせずシャンパを好きなだけ飲みながら、ずっと見ていなかったアニメ『ワンピース』一気見して号泣し放題と、各自で自由なことをしながら、皆それぞれ確実に至福の数日間を過ごしました。


『ワンピース』

私のお気に入り『ワンピース』アニメ(漫画)ですが、子供向きという訳ではなく『大人に、つい忘れてしまいがちな純粋さやひたむきさを思い出せてくれる作品』だと思います。
私は、娘が生まれたばかりで育児生活のハードさ直面していた頃にこの作品に出逢い、それから10年程の付き合いになります。
『ワンピース』作者と私は同じ歳のようなので、私は勝手に親近感を持ち、『難しくなくて、何も考えずに笑える場面が多いのに、要所要所で心を掴まれ涙してしまう魅力的な作品』を、若い頃から描き続けている作者を尊敬し、同世代の人間として誇りに思っています。
大好きな作品なので、娘が7歳ぐらいの頃から一緒に見て、感動を共有しています。

新しいストレスの解消法

最近、世間には、泣いてストレスを解消する『涙活(るいかつ)』なるものがあり、それは映画を観たり本を読んだりして悲しみの涙感動の涙を流すことにより、自律神経リラックスや安静を促しやすい状態に切り替えることができるものなのだそうです。
どんな映画や本を選ぶかは好みの問題ですが、私としてはシリアスで重いテーマのものより、明るく泣けるものの方が観ていて気が楽だし、特にアニメは童心にかえって構えることなく気軽に観られるので、『ワンピース』『涙活(るいかつ)』にもお薦めかなと思います。
長く続いている作品なので、いろんなエピソードがありますが、中でも特に感動する作品としては『エピソード オブ チョッパー プラス 冬に咲く、奇跡の桜』がお薦めです。

偶然の『涙活(るいかつ)』

私は特に『涙活(るいかつ)』を意識したのではありませんが、たまたま『ワンピース』を観て号泣に号泣を重ねることで、自律神経を上手く切り替えて、すがすがしい気分一年のスタートを切ることができたのだと思います。
私は昭和の人間なので、昭和の時代が大好きで、お正月と言えばやっぱり男はつらいよ釣りバカ日誌のような、お約束の平和な笑いが一番だと思っているのですが、昭和の作品ではないけれど、昭和生まれの作者がずっと描き続けている『ワンピース』初笑い初泣きにはピッタリだと思います。
泣くと体力を消耗してグッタリし、次の日まで顔がパンパンに腫れてしまうこともあるので『涙活(るいかつ)』をするにはタイミングも重要かなと感じました。


温泉と心の声

年末年始のお休みが終わり、一日だけ出勤するとまた三連休がやってきて、私の冬休みはまだまだ続きました。
お正月はひたすら家でまったりしたので、三連休は近くの温泉に泊まりに行きました。
以前は、温泉に宿泊といっても大きなレジャープールがある施設に泊まり、遊び回る娘を監視するという体力勝負のミッション付きで、私にとっては過酷な行事でしたが、娘が成長してレジャーよりもお洒落な空間で過ごすことを重視するようになってくれたお陰で、今回は本来の温泉での過ごし方ができました。
檜風呂露天風呂に浸かると、身体の疲れが一気にほぐれ、無意識のうちに「あぁ~、最高じゃぁ~、幸せじゃぁ~、極楽じゃぁ~♥」心の声が口から出ていました。

コスパ最高なDNA

現在101歳の私のおばあちゃんも昔から、珍しいものを食べては「あぁ~、こんな美味しいものが食べられて幸せだぁ~、ありがたい、ありがたい・・・」と、観光地に行っては「あぁ~、こんなハイカラで綺麗な所に来られて幸せだ~、ありがたい、ありがたい・・・」と、温泉に浸かっては「あぁ~、いい湯だ~、極楽だ~、ありがたい、ありがたい・・・」と、事あるごとに感謝の心の声が自然と口から出ていました。
私のもまた、何年か前からそんな風に感謝の心の声が口から出るようになり、今年はもそうなっていることにハッと気づき「何気ないことでもでもありがたく感じ、自分は恵まれていると思いながら、常に幸福感を持って生きていける、コストパフォーマンスの良さを持つ強いDNA」確信しました。

日本の素晴らしい文化

温泉にはいろんな効能があり、お風呂上りもしばらく温かさ続くので、身体がとても心地良い状態でした。
綺麗なビュッフェレストランで食事をし、お部屋で少し休み、また心の声を口に出しながら温泉に浸かりました。
雪が舞う中で入る露天風呂は最高で「こういった文化がある『日本』に生まれて本当に良かったなぁ・・・」と心から思い、自分の境遇感謝しました。
ゆっくりと温泉を楽しめるのが嬉しくて、次の日も早起きをして朝の景色を眺めながら露天風呂に浸かって、ポカポカの身体で朝食を頂きました。
今までレジャープールのない温泉にはあまり行く機会がなく、泊まってみたい温泉旅館は近場にもいろいろあるので、娘との今後の静かな温泉巡りに期待を膨らませました。


合理的な帰り道

温泉の帰りに、「どうせ街を経由して帰るなら、この機会に髪をカットして帰ろう!」と思いつき、ネットで二人同時にカットしてもらえる美容室を探して行きました。
同じ姿勢で長く座っていることにすぐに疲れる上に面倒くさがりの私たち親子は美容室にはあまり行きたくない派なのですが、その美容室はシャンプーなしのカットがOKで、スタイリストさんたちの手際がとても早いので、30分ぐらいで希望通りに仕上がりました。
親子同時短時間でカットができる美容室を新たに見つけ、合理的な時間の活用ができて、今年も新年から幸先がいいなと思いながら、寄り道した分、急いで家に帰ると、老猫ちゃん寝起きの不機嫌そうな顔「ウンニャアー!」力強く叫びながら私たちを出迎えてくれました。

『雪育遠足』と『スキー合宿』

私の穏やかな冬休みが終わると、娘は冬休み本番とばかりに今まで温存していた体力全開で、力いっぱいスキーを楽しみ始めました。
プロスキーヤー佐々木明さんとその仲間の皆様が、東日本大震災の被災者を対象に毎年開催して下さる、心のこもった『雪育遠足』というイベントに参加し、娘はジャンプをしながらのスキーに挑戦してはしゃいでいました。
娘は先生たちが大好きで、会えるのを楽しみにしていたので、今年も招待して頂けたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
初参加3泊4日のスキー合宿は、知り合いもいない中、どうなることかと心配しましたが、ナイタースキーをしてゴンドラから夜景を観たり、お友達と枕投げをしたと嬉しそうな顔で帰ってきました。

新学期とPTA当番

雪と大自然の中でいろんな新しい経験をして、素敵な思い出を作り、逞しく成長できた娘の冬休みも今日で終わり、いよいよ新学期が始まります。
それに伴い、私は明日から2日間、PTAのお手伝い当番として交通安全の黄色の旗を手に、児童の登校の安全指導観察をする予定です。
私の母はPTAの役員として学校や生徒の為に活動するのが大好きで、交通安全指導も何度もしていました。
私は母の姿を見て「私もいつか黄色の旗を手に交差点に立ってみたい!」と思っていたので、毎年この当番に立候補してそれなりに楽しんでいるのですが、ただ、この地域の冬はかなり寒く、立ちっぱなしでいると凍えきってしまうので、せめて吹雪くことなく晴れた穏やかな朝になってくれることを強く願っています。

『過去のブログ』を振り返る Vol.1

ブログを始めた頃の記事を、現在の書式スタイルに編集して掲載し、皆様にぜひご覧頂きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いいたします(^^)/


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Vol.1『頑張れ、私!!』

作文練習

以前から娘の日本語の使い方違和感を感じて気になっていた私は、今年の夏休みに娘の作文の特訓を試みてみました。
他の教科の宿題は早々に済ませ、とにかく母国語の表現力と理解力をしっかり固めておかなくてはと、いろんなイベントに参加するごとに作文を書くようにさせ、時々私も同じテーマの作文を書いて読み比べをしました。

きっかけ 

娘が書いた文章を見直しながら熱く指導をしている内に、何だか段々と楽しくなってきて「あ、そういえば私って文章を書くのが好きだったんだ!」昔の自分を思い出しました。
それから時間を見つけては様々なテーマで気ままにエッセイを書くようになり、たまにエッセイコンテストなどにも応募するようになりました。
今回、思い切ってブログを始めたのも、自分が綴ったエッセイ公開し、発信する場所が欲しいと思ったからなので、いろいろ挑戦してみようと思いました。

ドメイン

そして念願が叶った今、張り切って選んだ有料コース独自ドメイン設定がなかなか上手くいかず、不安を感じながら緊張の第1ページ目を作成しています。
できれば最初からかっこよくキメたいところなのですが「失敗しながら立て直し方を学ぶのも大事だよ」といつも娘に掛けている言葉を胸に、楽しみながらこのブログページを育てていきたいと思っています。
頑張れ、私!

使命

独自ドメイン設定の正しい方法を学んだら、それをこのブログに書いて同じように困っている人たちに伝えるのが私の使命だと今この瞬間も思っています。
「安心してください!ちゃんと書いてますよ!同じ不安な気持ちにはさせませんよ!」みたいな。
このフレーズ、古いでしょうか・・・(^^;;
フフフフ、今後ともよろしくお願いいたします★


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Vol.2 『ファーストネイム』

愛着 

私は自分のファーストネイムがとても気に入っています。 
偶然にもインターナショナルな名前なので外国でも違和感がなく、漢字も「真っすぐ」「正直」「素直」「美しい」という意味合いで、清廉な潔さが感じられるところがとても好きです。

父の願望

私の名前は、少し違っていたら「ツネ子」「ツネ美」になっていたかもしれないと母に聞かされたことがあります。
私は3人姉妹の末っ子なのですが、父がどうしても息子自分の名前を受け継がせたくて男の子を熱望していたのに、生まれたのがまたもや女の子だったので、ヤケになって私に自分の名前を強引に受け継がせようとしたのだそうです。

母の勝利

「ツネ子」「ツネ美」は広く存在している名前ではありますが、私の生まれた時代にはあまり名付けられていなかったように思います。
そこで母が「その時代に合った名前にしてあげないと」と考え、今の私の名前に決めて役所に書類を提出してくれたのだそうです。
諦めきれずにジタバタする父を制して、インターナショナルな名前を付けてくれた母に心から感謝です。

想い

娘の名前は私が考えて決めました。
私はなぜか名付けの権利は、子どもがお腹にいるときから大事に守り、実際に苦労して出産する母親の私にあると当たり前のように思い込んでいました。
生まれてくるのが男の子でも女の子でも、大好きな「海」という漢字を使った名前を付けたいと思い、ワクワクしながら考えていました。

意味と想い 

はこの地球上の全ての大陸や島に繋がっていて、とても広大で深く、その奥底には未だに解明されていない未知の神秘が潜んでいます。
表情の違う美しい色で静かに人の心を癒す力も、激しく荒ぶる波で全てを飲み込むほどの強い力も持っています。
そういった意味から、大きく深く強く、そしてグローバルに生きて欲しいと願いながら選んだ「海」という漢字に、瑠璃という綺麗な青色に輝く宝石のイメージを合わせた名前なのです。

イメージ

「瑠璃色の海」というイメージも兼ねた娘の名前を見る度に、私は故郷の日本海はもちろんのこと、いろんな国で見た様々な色合いの美しい海を思い出します。
オーストラリアで見た、場所によって深い青優しいエメラルドグリーンに変わる、とても不思議でゴージャスな海の色は特に印象深いです。

愛猫 

私は本当に自分のファーストネイムが気に入っていて、19年前に私の所に来てくれた愛猫2匹に私の名前の漢字を1文字ずつあげてそのまま名付けました。
そういった意味でその愛猫たちは私の分身で、実際に性格が私によく似ているので、彼女たちの奔放な様子を見ているとまるで自分を見ているようで恥ずかしくなり反省してしまいます。
もしかすると彼女たちは私の行いを正すために私の元に来てくれたのかもしれません。

相棒

自信を失くした時、私は自分のファーストネイム「名前の通りに生きているし、これからもそれでいいんだ。」勇気づけられています。
私にとって母が名付けてくれたファーストネイムは、常に自分がどうあるべきかを教えてくれ、助けてくれる大事なパートナーです。

ずっと

サーネイム(苗字)とは違い、生まれた時に自分だけに与えられ一生変わることなく自分と共に存在するこの名前を、私はずっと大事にしたいと思います。
今後、自分のに向かって活動する際も、私はできるだけファーストネイムで人々とコミュニケーションをとっていけたらいいなと思っています。

よろしければ、娘氏のブログもぜひご覧ください★

n-a-creation.hatenablog.com

新年のひらめき


充実の『仕事納め』

『仕事納め』も無事に終わり、年末年始のお休みに入りました。
百貨店で働いていた頃は、大晦日まで勤務をして元日だけがお休みなのですが、1月2日の初売りの為にかなりの早出をしての勤務になるので、早起きに備えて早く寝なくてはならないあっという間のお休みで『仕事納め』『お正月』という感覚はほとんどありませんでした。
今の職場では年末らしく大掃除をし、部の上司からはサプライズなプレゼント労いのお言葉を頂き、「仕事を頑張って良かったなぁ・・・」と心から思いながら『仕事納め』満喫しました。
夕方からは組織全体の立食パーティー抽選会があり、私の課は全員賞品が当たり、良い締め括りとなりました。

新スタイルのお年越し

お休みに入り、娘と家の掃除を終わらせ大晦日を迎えました。
いつも大晦日天ぷら年越しそばを食べ、夜はみかんを食べながら年末の特別番組を観るぐらいなのですが、私の住んでいる地域には大晦日にはもうお祝いの宴を始めるという文化があり、急遽、今回は我が家もそれに倣って大晦日の夕方からお正月の為に用意したご馳走を広げて、地元民気分お祝いを始めることにしました。
基本的に我が家の場合、家での食事を楽しむよりもお出掛け先宿泊先プロの職人さんが作った本格的な料理好きなだけ頂くという選択の方が多いので、今回も例年と同じ量のご馳走を準備していました。

予定と違ったお正月

一日早くお祝いをスタートしたことと、成長に伴い娘の食欲が旺盛になってきたことにより、用意していたお正月のご馳走元日の午前中にはほとんどなくなってしまって、家でゆっくりと寛ぐはずがいそいそと近くのスーパーに買い出しに行くハメになり、娘に「ママ、ご苦労様!いってらっしゃい!!」と私一人だけ寒い外へ送り出されました。
スーパーに着き「まぁ、せっかく元日に来たんだし・・・」と、おせち料理やお寿司、お刺身、ステーキ肉、お正月のスペシャルケーキなどをガンガン買い込み、大荷物で帰宅し再びお正月のお祝いを始めました。
明るいうちから飲むお酒は本当に最高でした。

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新年のひらめき

そんな元日に、より幸せな気持ちで生きる為にできることをふと考え、ひらめきました。
何かを新たに心掛けたり、行動するというのは精神的にも体力的にもパワーを使うので、そう簡単には実行できないものです。
ならば逆の発想で、今までしていたことをやめるなら比較的しやすいのではないかと考えました。
人間は、無意識のうちにネガティブな行動をし、指摘されるまで気がつかないことが結構ありがちで、恨まれるかもしれないリスクを負ってまでわざわざ指摘してくれる親切な人残念ながらそういないものです。
私は今回『より幸せに生きる為にやめた方がよいこと』を考えてみました。

『どうせ自分なんか・・・』

その言葉を使えば、周りにいる優しい人「そんなことないよ!」と言ってくれるものですが、もしそれを計算した上で『慰めの言葉待ち』として言っているなら、やめた方が良いと思います。
思惑通り慰めの言葉がもらえたとしても、小学生の子供でも考えつくようなそんな作戦を多くの人はお見通しなので、『幼稚でズルい人間』認識され、呆れられてしまいます。
また、計算ではなく本当に自分を嘆きながら『どうせ』卑下しているのなら、自分に対して『努力をしなくなる呪い』をかけてしまっているのと同じで、それはとても怖いことなので、やっぱりやめた方が良いと思います。
何気ない言葉ほど、実は気をつけた方がいいのかもしれません。

『情報を鵜呑みにする』という危険

世の中には様々な『情報』が溢れています。
社会的なニュースからプライベートな人間関係噂話まで、全てが『情報』であり、その膨大な情報正しいか否かを判断する力がないと、時に悪意のある情報の発信者踊らされて利用されることにもなります。
ではその正しい判断基準とは何でしょうか。
自分好みのタレントが発信すれば、その情報は真実なのでしょうか?
自分と親しい人間が言うことは全て事実なのでしょうか?
自分と話す機会が多い人が言っていることなら、それは正しいことなのでしょうか?
たくさんの人と繋がっている人の言葉は大多数の考えで、それが世の中の常識だといえるのでしょうか?

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コミュニケーション能力

人間なので『信じてあげたい』『助けてあげたい』という気持ちが働いて、親しい人ひいき目に見てしまうことはよくあると思いますが、情報が事実かどうかの判断をする際にその感情を連動させることは危険なことだと思います。
生きる上で必要とされるコミュニケーション能力にもいろいろあり『明るく礼儀正しくて感じがいい』という無害で模範的なものだけではなく、常に情報の中心に身を置くことで、いかにもいろんな人のことをよく知っているという態度で情報通を気取り、他人のことをまことしやかに言いふらす『厄介なずる賢さ』というコミュニケーション能力も存在します。

『あざとさ』という墓穴

以前、私が人を評価する立場にいた頃、自分の評価を上げる為に私に擦り寄り、自分のライバルの悪口を吹き込んで蹴落とそうとする人がいました。
その人は、いかに自分が大変ライバルは楽をしているかという趣旨のことを『ねっ、私って可哀相でしょ?!』という目で、何とか取り入ろうと巧みに訴えてきましたが、私が自分の目で見た事実からは、わざわざアピールはしてこなくても仕事をしっかりこなす人はきちんとこなしているし、仕事に支障をきたしている様子もなかったので、その情報は無視しました。
むしろ厭らしく裏で手を回してアピールしてくるあざとさが、評価のマイナス要因となり、その人は墓穴を掘った形になりました。

見極めの重要性

情報の信憑性のジャッジは、自分の目で見極めることが大事だと思います。
それが人の評価中傷に繋がるような情報なら、責任があることですから尚更です。
情報の信憑性を考えもせずに、人の言うことをいちいち真に受けて反応していると「物事を見極める力のない人間」という残念な評価を自分がされてしまいます。
私は自分の目で見た事実に基づき評価をしたことで、アピールをしてきた人には逆恨みされて陰口をたたかれましたが、評価をする立場の人間としての信頼を手に入れました。
情報を鵜呑みにするのをやめて、核心自分の目で見極めれば、何事においてもプラスに繋がる選択ができるものだと思いました。

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『相手にしない』という強さ

私が以前いた職場は嫉妬が多い『大奥』のようなところで、油断すると誰でもすぐにやり玉に挙げられるので、皆それぞれの方法で自分の身を守っていたように思います。
『やり返す』という選択肢もある中、同様の行為をすれば自分の人間性確実に下がり、顔に性根の悪さが出て醜くなってしまうので、私は自分の気の強さ『仕返し』には向けず「低俗な中傷で私の心の芯は砕かれたりしない!他人が知らなくても、私は自分が薄っぺらな弱い人間ではないことを自分でよく知っている。」ときっぱり言いきって『相手にしない』というやり方を通してきました。
時に、相手にするのをやめるということも身を守り幸せに生きる術として必要だと思います。

悪口と噂話にメリットなし

人が自分の悪口を言うスキを与えないように、次から次へと他人の悪口を言い続けて自分を守る人や、悪口好きなグループの一員となり、他人が持つ嫌悪の感情に便乗することで自分が狙われないようにする人もたくさんいましたが、そういう人たちは、その場にいない仲間の悪口でも平気で盛り上がるので、結局、悪口で繋がることにメリットなど何もないように見えました。
『いろんな人が標的にされてるけど、自分だけはきっと大丈夫』という考えを持つのは、おめでたすぎかな・・・と思います。
噂話また然りで、幸せや人との良縁意地の悪い表情の人のもとには寄ってきません。
人と誰かの悪口や噂話で繋がることをやめれば、自然と顔に滲んでしまっている醜さが消え、本来の穏やかな優しい表情になり、運も開ける気がします。

自分の価値

人生の時間限られているので、せっかくの『自分の時間』怒ったり妬んだり蔑んだりすることに費やすのをやめれば、穏やかでより幸せな気持ちで生きられるのかなと思います。
また、自分の価値を低く認識することをやめれば、新たに見えてくるものがあるんじゃないかとも思います。
私はブログを見てくれる皆様感謝していますし、見てもらえることで『やり甲斐』というパワーをもらっており、皆様必要としています。
きっと他にもそう感じながらブログを続けている人がいるのではないかと思います。
他人にそんな『幸せな気持ち』をあげている皆様は、皆様自身で考えるよりももっと価値のある人だと私は思います。

今年も皆様にとって素敵な一年になりますように・・・(^-^)

よろしければ、娘氏のブログもどうぞご覧ください★
n-a-creation.hatenablog.com

年末に見つけたスタート

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足早に過ぎた一年

年々、月日の流れを早く感じるようになりつつも、家にいた頃は年末だからといって凄く忙しいという感覚はありませんでした。
今年は外に出てウィークデイのフルタイム勤務で、新しい挑戦や学びに必死になりながらアタマもカラダもフル活用する日々を送ったので、本当に一年が早く感じられ、特に12月『一瞬』でした。
以前なら、普段は学校で過ごしている娘が冬休みに入ると「今年も手間のかかる時期がやってきたなぁ・・・」という気持ちだったのですが、今年は自分にも年末年始の冬休みがあり、娘と一緒にゆっくり過ごせるその時間がとても楽しみで待ち遠しい気持ちでした。

臨機応変なタイミング

私と娘はクリスチャンではないので、私たちにとって今年のクリスマス年末年始の冬休みの前祝いのような感覚でした。
私は忙しく、娘からの熱い要望もなかったので、今年は家でクリスマスの飾り付けを全くしておらず、その分クリスマスっぽい雰囲気の場所へ出掛けてクリスマス気分を満喫しようということになりました。
我が家には『そのイベントの当日でなければ意味がない』というような拘りはなく、ゆっくりできるタイミング臨機応変に楽しむことを重視しているので、今年は12月23日(土)24日(日)の週末にクリスマスらしいことをして盛り上がりました。

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眺めの良いお席

23日は、氷点下の気温が続く最近ではめずらしいプラスの気温で、穏やかな天気になったので、街の大きな公園イルミネーションを見に行きました。
夕方からの点灯なので、4時ぐらいにレストラン早めの夕食を頂いてから公園を散歩することにしました。
その公園の近くの、以前から娘が行きたがっていたビュッフェレストランに行くと、いつも人気で行列になっているとのことでしたが、夕食にはまだ早い時間だったのですんなりと入れました。
サンタの帽子をかぶった店員さんに案内されたお席は窓際ではありませんでしたが、公園の景色が見えるお席でした。

可愛いレストラン

店内のディスプレイBGM可愛らしい、メルヘン溢れるレストランでした。
自分の好きな色でカラフルな綿あめが作れる機械があり、娘は自作の綿あめを満喫していました。
カロン様々なケーキの他に、オーダー制のクリスマス限定スイーツもあり、パスタやピザ、肉料理、魚料理などのお食事メニュー豊富で美味しいので、人気で行列になるのも当然だと思いました。
女子高生たちがキャッキャッと楽しそうスイーツの写真を取りながら、食事をしている姿を見て「娘もあと何年かしたら、あんな風にお友達と過ごすんだろうなぁ・・・」と思いました。

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ゴージャスな夜景

「お気に入りのお店が増えたね!」「絶対にまた来ようね!」と娘と話しながら、レストランを出て、通りを挟んですぐの公園へと向かいました。
まずは公園にあるテレビ塔に上って、夜景を観ることにしました。
普段の街の光に公園のイルミネーションが加わり、よりゴージャスな夜景が眼下に広がっていました。
展望台をぐるりと一周して、しばらくベンチに座りながら街の明かりを眺めてからテレビ塔を後にしました。
公園では『クリスマス市』も開催中で、彩とりどりの雑貨が目を楽しませてくれ、ゴスペルステージも行われるなど、大勢の人で賑わっていました。

光のグラデーション

フードコーナーには外国料理のお店が並び、ホットワインホットチョコレートなどの暖かい飲み物が好評のようでした。
食事をする為の、暖房の入ったテントもあるのですが、屋外のスペースで食事をしている人たちもいて「穏やかな天気とはいえ、寒い中で食事とはスゴい気合だなぁ・・・」と思いました。
毎年そのクリスマス市に出るお店のアーモンド菓子を買うのが私たちの恒例となっていて、今年もカカオ味を選びました。
今年のイルミネーションデザインがシンプルな感じに変わっているコーナーもありましたが、光のグラデーションが美しかったです。

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帰り道の出来事

次の日は、家から一歩も出ずシャンパを開けて家でゆっくりと過ごす予定だったので、公園からの帰りにお店に寄り、クリスマスパーティーの為のご馳走やケーキを買い、風邪予防の長ネギも2束買って家に向かいました。
娘とそれぞれ大きな買い物袋を手に横断歩道を渡っていると、向かい側から目の不自由な方を片手に歩いてくるのが見えました。
道路は凍っていてツルツルで、私たちが普通に歩くのも危険な状態なのだから、目の不自由な方にとっては一段と危険だろうと心配に思ってお声掛けしてみました。

電車で危機一髪?!

その方は路面電車に乗るとのことだったので、停留所まで付き添うことにしました。
停留所に着くとすぐに電車が来たので、電車に乗るまでお手伝いをすると、来たのが新型の電車入口の位置が違う為、その方は車両の連結部分に足を踏み入れそうになり「もう少し進んだ所が入り口ですよ」とお声掛けしながら誘導しました。
優先席がちょうど空いていたので、一緒に車内に入ってお席に座ってもらい、私は急いで電車を降りました。
「電車のドアが閉まって、このまま私も長ネギがはみ出た袋を片手に、街まで連れて行かれたらどうしよう・・・」アワアワしました。

電車を降りて

それを見ていた娘も「あのまま電車が出発しちゃったらどうしようかと思って焦ったよ!」と言っていました。
「人に親切にするって良いことだね!私もママみたいに人に親切にしたい!」と言う娘の姿に成長を感じつつも「娘よ、YOUは恐ろしくドジなところがあるから、MEはまず、YOUが自分のことをしっかりできるようになって欲しいのだよ・・・」と心の中で思いました。
目の不自由な方にとって、雪道は特に危険がいっぱいだなぁ・・・と思いました。
そこで改めてハンディキャップを持っている方々の様々な苦労を考え、何か自分にできないものかと思いました。

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カサンドラ症候群』

家へ向かいながら娘と「誰もが暮らしやすい、安全で便利な世の中になったらいいのにね・・・」と話しているうちに、「私が目指したい事業のベース福祉なんだ」と気づきました。
私は最近発達障害について関心を持っています。
発達障害の人に対する親切な接し方だけでなく、発達障害の人から受ける影響でストレスが溜まり病気になってしまう発達障害二次被害カサンドラ症候群』という世間にあまり知られていない症状にも関心があります。

スタート地点

本人には全く自覚がなく周りの人間だけがうっすらと気付いていて何かと気を遣ったり迷惑を被ったりする『隠れ発達障害の人もいるらしく、そういう人から受ける被害とストレス相当きついものだと思います。
私は発達障害二次被害を受け、一人で抱え込み苦しんでいる人の気持ちを理解して、少しでも助けになりたいとも思っています。
私が考える事業展開は『マンツーマンで個人を助ける』というよりも『多くの人を助けられる何らかのシステムをデザインする』というもので、具体案はまだありませんが、今回こうして改めて考え気づくことで、何となくスタート地点にやっと立てたような気がしました。

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ウチのスタイルで

寒い中をけっこう歩く間、無意識の内に身体がこわばり体力を消耗してしまったようで、家に着くとぐったりと疲れ果て、その夜は早い時間に眠りにつきました。
次の日は遅めの時間に起き、ランチタイムからシャンパを開け、娘と一緒にDVDを観ながらのんびりと至福のひと時を過ごしました。
一般的なイベントだからといって「皆と同じように大きなクリスマスケーキを買わないと!プレゼントは絶対にその日じゃないと!」とは別に思わないので、ウチはウチのスタイルで食べたい物を食べ、自分たちの好きなように盛り上がり、お正月もそんな調子で我が家流幸せな時間を過ごそうと思っています。

お正月の為に用意したロゼを含む7本のシャンパンたちを、カニや鴨肉、クリームチーズ等で頂くのが楽しみで、新年は『ヒャッハー』または『うひょひょー』な予感です★

クリスマスの奇跡


素敵なクリスマスイベント

12月16日(土)の午後、ある大きな企業の組合が主催するクリスマスイベントに参加しました。
それは、2011年の東日本大震災の影響でこの地域に避難してきた人たちを支え続けてくれている活動で、海水浴だったり工場見学だったりと、その年によって内容も様々でした。
母子だけで自主避難をしてきた私と娘は、何度か参加させて頂いているのですが、人の優しさや温かさが溢れるそのイベントにいつも励まされてきました。
イベントが開催されるホテルの会場に入ると、手作りの可愛らしい飾り付けがされていて、子供たちにはプレゼントが用意してあり、楽しそうな笑い声でいっぱいでした。
以前参加したイベントで知り合ったご家族や、主催者の方たちに今年も会うことができ、懐かしさと支えてくれる人がいるという安心感で何だかポカポカした気持ちになりました。

盛り沢山な料理とゲーム

会場がホテルなので食事が豪華で、次から次へと料理が運ばれてきました。
イベントの案内状には『軽食程度のご用意となります』とあったのですが、そのボリュームはその辺の宴会向けのコース料理よりも明らかに豪華「もしかしてこの主催メンバーの方たちはいつも食べる量がすごく多い方たちなのかな・・・」と思いながら、パクパク美味しく頂きました。
参加者全員が楽しめるゲームもあり、『お絵かき当てゲーム』『ジャンケン大会』で会場は更に盛り上がりました。
『お絵かき当てゲーム』各家族がチームになり、チーム内の誰かがお題を引いて絵を描き、同じチームのメンバーはその絵を見てお題を当てるというもので、制限時間は1分で当てるまでの時間が一番早かったチームが優勝というものでした。

お絵かき当てゲーム

最初のチームが引いたお題『宇宙飛行士』で、お母さんが絵を担当したのですが、お題が難しいので描くのが大変で、描けば描くほど会場の誰もが「???」首をひねっていたのですが、子供が「わかった!宇宙飛行士!!」と答えたので「オォーッ!よくわかったね!!」「奇跡だ・・・」拍手どよめきが広がりました。
私は「親子の絆ってスゴイなぁ」神秘的なものを感じました。
様々なお題が出ていろんな絵が描かれ会場が盛り上がる中、いよいよ私たちのチームの番がきました。
絵を描く担当は私、答えるのは娘と決めて、張り切ってお題を引くとラッキーなことに『コーヒー』というシンプルなお題でした。
私はなぜか昔から、賞品がかかったゲームにはそこそこ強いので、実は今回も勝てる予感があり、そのお題を引いて優勝を確信しました。


優勝と親子の絆

「よーい、スタート!」と言われ、受け皿にのったカップから湯気が上がっている絵素早く描き娘の方を振り返ると、娘は勉強では見せない真剣な顔「コーヒー!」と答えました。
「オォー!早い!物凄い記録が出ました!!」という声に大きな拍手が起こり、私もまさか娘が5秒で正確に答えるとは思っていなかったので驚き、娘の答えに「イエスッ!」ガッツポーズをとり、子供以上はしゃいでしまいました。
過去に娘の英語の勉強用に、せっせとイラストを描いてオリジナルの単語カードを作成した成果が報われ、嬉しかったです。
(その割に、娘の英語の成果であまり報われていないのは若干残念なのですが・・・(^^;))
結果、私たちのチームは優勝賞品をもらい、5秒という記録『伝説決定』となりました。
娘との深い絆を改めて感じることができた素敵なひとときでした。

ストレスウィーク

実はここ一週間ほど、のことでも仕事でもプライベートでもかなりイラッとさせられることがあり、それがきっかけとなってこの一年間の集大成大成)かというくらいアタマにきて、今まで我慢することで自分の中に蓄積されてきた怒りとストレス爆発「ギャーッ!!!」となりました。
思いのたけを口にすれば、その瞬間は『言いきった感』少しだけ気は晴れるのですが、その後に襲ってくる『言ってしまった罪悪感』苦しみの方が大きいので、最終的に自分の良心が痛みます。
なのでいつも「言いたいことをはっきり言って相手を傷つけるよりも、自分が我慢できる許容範囲のことは我慢しよう!」と思いながら行動するのですが、今回はついに「ギャーッ!!!」となってしまい、まだまだ未熟な自分に更に落ち込みました。

頑張った私

この一年、実務を通していろんなことを学び、確実にスキルアップできたと感じています。
一年の前半はなかなか仕事を時間内に終わらせられず、負け犬気分お腹いっぱい味わいましたが、振り返ってみるとそれは、今まで他の課の仕事だったものを引き受けることで単純に昨年より仕事が増えたことと、その仕事の量が今年は前年に比べて倍ぐらい多くなったことと、以前はその一つの仕事を複数人で手分けしていたのに今年はほぼ私一人でしなければいけなかったのが理由だったとわかりました。
そんな状況下で、対応ミス数字のズレもなくその仕事をきちんとこなしたという事実は、何日かだけは残業をしてしまったことを差し引いても十分「負け犬気分を感じる必要なんて全くなく、むしろ私はよくやった!」と自分に誇りを持って言うに値すると思っています。


私の決意

私は「子供に何かがあったときに欠勤するかもしれない分、絶対に自分のことでは休まない!」と決めて仕事を始めました。
「子供がいると仕事に支障が出やすい」という理由で、母親は就職が難しく、面接で話が弾んでも子供の話が出ると、あからさまに「じゃあダメだ・・・」という顔をされ、まるで社会のゴミになったような気持ちにさせられることもあります。
私は、せっかくもらえたチャンスを生かして、苦しい立場に置かれている世のお母さんたち就職の間口が少しでも広がるように「母親だから休みがちだなんてないですよ」「母親の度胸と根性は仕事にも役立ちますよ」というアピールをしていこうと、気合を入れて勤務しました。
ある団体の方から「働く母親の代表として今度お話を披露して欲しい」と言われたのですが、もう少し経験を積み自信をつけてから引き受けることにしました。
そんなこともあり、私は採用してくれた上司に本当に感謝しています。

『母親』の社会的立場

「女性が活躍する社会づくり」とか「母親が社会に復帰しやすい環境づくり」とか少子化問題対策」などと大々的に謳ってはみても、現実は待機児童数はまだまだ多く、母親だという理由で採用されにくく、子供連れの人を必要以上に厳しい目で見て何かと「迷惑だ」という態度をとるような、そんな社会の現状を見れば「母親になることで立場的にも経済的にも苦しい環境に追い込まれるなら、自分はわざわざ母親になる選択なんてしない。」と考える人が増えても全く不思議はないと私は思います。
そんな悪循環がいつまでも続けば、子供は増えず、時が経てば誰もが歳をとるのでいずれ若者はいなくなり、自ずと国は滅んでしまいます。
そんな環境を作ったのが『社会』ならば、それをまた良い方向へ変えてゆくのも『社会』役目で、人々が少しの優しさ気遣いを見せることで変われると私は考えます。

待遇の格差

今年、仕事で私が一番残念に思ったことは、同じ部に所属しているほぼ同じ立場の人たちの中で、私の待遇だけが悪かったことです。
私が話対応をすることが圧倒的に多い為、他の人のミスでもまず一発目に怒られて、代わりに謝罪をしてフォローする日々にもめげず、ひたすら仕事をする私に、その様子をいつも目にしている人たち「本当によく頑張っているよね」という言葉をかけてくれました。
「わかって励ましてくれている人もいるんだし、くじけずに頑張ろう!」と、私は自分を奮起させてきました。
私はスキルアップの為の勉強と思いながら仕事をしていて、楽な仕事を望んでるわけでも多額の収入を望んでいる訳でもないので、特に不満も言わず仕事をしてきましたが、待遇の差をつけられたときは「さすがにキツイなぁ・・・」と思いました。


残念な評価

評価をする立場の人には優れた洞察力と統率力があり、だからこそそのポジションを担っている訳ですから、私一人だけが他の人より悪い待遇を受けたということは、私の仕事がきっと誰の目から見ても同じ部の他の人たちより明らかに劣っていたということに他ならず、私の仕事に取り組む姿勢出来他の人たち以下というその評価はきっと絶対的に正しいのだろうと思います。
私がいつも大量の仕事に追われていて気がつかなかっただけで、同じ部の他の人たちはきっと私よりもたくさんの大変な仕事を、私以上に息つく間もなくこなしてきた熱心で優秀な人たちということで間違いないのでしょう。
不甲斐無い自分のせいで、いつも私の仕事を応援しながらお手伝いを頑張ってくれている10歳の娘に、他の人たちと同じ様に一日多い夏休みをもらい『親子で一緒に過ごせる楽しい時間』もう一日多くプレゼントしてあげられなかったことだけ娘に申し訳なくてとても悔やまれました。

クリスマスの奇跡

「仕事でこんな評価しかもらえないザマで、世の中のお母さんたちが後に続きやすいような道を作るだなんてね・・・」自分に苛立ち、それは深く大きなストレスとなり、体調不良へと繋がりました。
そしてそれを爆発させたことで、更に大きな罪悪感心が塞ぎ気が滅入っていたのですが、運良く私は今回のクリスマスイベント救われました
主催者の方たちの「人を思いやり助けようとする純粋な心」に触れ、心が洗われ明るくなりました。
主催者の方たちも抱えている課題問題は大きいにも拘らず、東日本大震災からもう6年目になる今も、私たちを気にかけて励まし続けてくれるその心遣い感謝感動でいっぱいで、人として大事なことを思い出させてもらいました。
私を穏やかな気持ちへと導いてくれた心のこもったクリスマスイベントは、私にとって一足早いクリスマスの奇跡だったのだと思います。
今年も心穏やかに一年を締めくくり、晴れ晴れ新たなスタートがきれそうです。

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何かと忙しい年末、皆様お気をつけてお過ごしくださいませ・・・★(^-^)★

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