『オーストラリアの動物たちと』Vol.7


魅惑のオーストラリア

30歳をあと数年後に控えたある日、私は「そろそろ大人として、海外旅行も一度ぐらい経験しておいた方が良いのかも・・・」と思い立ち、動物が好きなので珍しい動物がたくさんいるオーストラリアを『初めての海外』に選びました。
せっかくの海外経験なのでホームステイ語学の勉強ができるプランを練り、クイーンズランド州ブリスベンゴールドコーストケアンズ刺激的なアクティビティーを体験し、サマークリスマスなど生まれて初めての経験を通して様々な人と交流しながら異国文化に触れ、私はすっかりオーストラリアに魅了されました。
そして帰国後、1年間の滞在が可能な『ワーキングホリデイビザ』を取得し、オーストラリアの動物園ボランティアとして働かせてもらえるラッキーなチャンスを掴んだ私は再びオーストラリアへ旅立ちました。

広がる御縁

まずはニューサウスウェールズ州シドニーとヴィクトリア州のメルボルンで数週間ずつホームステイをし、それが終わるとメルボルンから車で2時間ぐらいの郊外にある動物保護施設ボランティアとして飼育員のお手伝いをさせてもらいました。
たくさんの動物と動物好きな人たちに囲まれて夢のような日々を送っている内に気の合う友人もでき、友人の一人から「私はWWOOF(ウーフ)のホストファミリーをしているんだけど、良かったらWWOOFER(ウーファー)として、私の家に滞在しない?」とオファーをされました。
『WWOOF(ウーフ)』とは、労力を必要とする農場などで労働するかわりに農場などの人が宿泊場所と食事を提供するという助け合いの滞在交流システムで、日本では知名度が低いですが、日本も含めた約60か国で行われています。


仲良しのお友達

その友人は『WWOOF(ウーフ)』で外国人を受け入れ、文化交流を重ねており、彼女の家での労働内容は敷地の草刈りや庭の手入れなどでした。
私はそのオファーを受け、動物保護施設でのボランティア期間終了後、彼女の家にWWOOFER(ウーファーとして滞在することにしました。
ボランティアをしていた動物保護施設から車で40分程の地域にある彼女の家は大自然の中にあり、山一つが彼女の家の敷地でした。
ログハウス風の大きな平屋の本邸から少し離れた所にWWOOFER(ウーファー)用の小さな建物があり、私はそこに滞在しました。
彼女の家には白いマルチーズ白と黒と茶色のブチ柄のオーストラリアン・キャトルドッグがおり、二匹とも私を嬉しそうに迎えてくれ、特にオーストラリアン・キャトルドッグには顔中を舐める猛烈な歓迎をされ、その夜から毎晩ベッドで一緒に寝る仲良しになりました。

日本のカレー

私はWWOOFER(ウーファーとして、本邸の掃除や敷地内の草刈り、裏山にいるヤギのお世話をこなしました。
オーストラリアで滞在した家では必ず料理を作って振舞っていたので、私は大きな街に行った際、必ずチャイナタウンで主要な調味料を買い置きするようにしていました。
ある晩、カレーを作ろうと人参を切っている私に「息子は人参が大嫌いでどんな風に料理しても絶対に食べないのよ。なかなか食べる機会のない異国の料理だから挑戦はさせるけど、もし残してしまったらごめんなさいね。」と友人が言いました。
日本では甘口のカレーは子供に大人気ですが、オーストラリアの野菜嫌いの子供にも好かれるのかと心配しながら食事を始めると、彼女の9歳の息子は「すごく美味しい!」とパクパク食べておかわりもしてくれ、人参が食べられたことに本人もビックリしていました。


お料理のススメ

私は二人に『料理の天才』と称賛されましたが「凄いのは私じゃなく日本の食品メーカーだよ(;^ω^)」と訂正しつつ、やっぱり日本の甘口カレーは子供に絶大な人気で凄いなぁと思いました。
美味しいものには人を幸せな気持ちにし、人々の心の距離を縮める力があります。
私は、自国の料理を振舞うことはとても効果的な異文化交流の手段だと考えており、実際に今まで訪れた国々で料理を作って振舞うと友好的な関係を築けました。
カレーの材料であるジャガイモ、人参、玉ねぎ、鶏肉はほぼ全世界で食べられている食材なので、日本のカレーはルーさえ準備すればほとんどの国で作れる料理です。(甘口がお薦めです!)
大きな都市には大抵、チャイナタウンやアジア系の食品店がありますから、日本で購入するより価格は多少高いですが調味料などを入手するのは難しくないと思います。

アイディア次第

卵と砂糖もほぼ全世界で手に入る食材なので、玉ねぎと鶏肉の他に醤油(めんつゆなら更に良し)さえあれば親子丼もほとんどの国で簡単に作れますし、ベジタリアン向けには鶏肉を使わないで玉子丼を作ることもできます。
海外では薄切りの肉はなかなか見かけませんが、エビやイカなどの魚介類やキャベツ、小麦粉、卵は入手しやすいので、ソースとマヨネーズがあるときはお好み焼もよく作りました。
宗教的な食事制限アレルギーの有無に注意が必要ですが、人との友好的な繋がりを築くのに料理は心強い助けとなりますし、何より単純にその心遣いが喜ばれるので、自国の簡単な料理はいくつかできるようにしておいた方がプラスになると思います。
お返しとして相手から得意料理を振舞われることもあり、お互いをより知るきっかけとなるので楽しいです。


新たな展開

WWOOFER(ウーファーとして生活をする中、友人が西オーストラリア州レース犬のトレーナーをしている従妹に連絡を取り私を紹介してくれ、私はその従妹の下でアシスタントをすることになりました。
ドッグレースとは、競馬のような要領グレイハウンドというシャープな体系の大型のレース犬が走る競争で、レース場も競馬場とほとんど同じ様式です。
友人の従妹は約50匹のレース犬のトレーナーとして活躍しており、大事なレースを控えているのでそれが終わり次第、私を受け入れてくれるとのことでした。
私は西オーストラリア州で仕事のお手伝いをする前に、受け入れ日までの期間を利用してヴィクトリア州や南オーストラリア州観光旅行をしてみたいと思い、WWOOFER(ウーファーとしての生活を終えてメルボルンに向かいました。

華やかな行事

メルボルンでは11月上旬に大きな競馬の大会があり、街中がお祭りのように賑わいます。
紳士淑女正装をして競馬場に出掛け、シャンパを飲みながらレース観戦を楽しむのが恒例となっており、女性はゴージャスなデザインの帽子でドレスアップをします。
私はメルボルンの一番大きな駅の近くにあるバックパッカーズホステルに滞在していたので、そこで出会った日本人の若者たちと一緒に観光客として競馬場に出掛け、レースを楽しむ地元の華やかな人々を遠目に異国文化の雰囲気を現地で実際に味わい満足しました。
メルボルンはオーストラリアで二番目に大きな都市で、住みやすい規模の環境が私は好きでしたが、動物保護施設でボランティアをする前に滞在していたので、まだ訪れたことのない南オーストラリア州アデレードへ早々に移動することにしました。

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アデレード行きバスツアー

ただ高速バスに乗ってもつまらないので、メルボルンを出発してグレートオーシャンロードなどの観光スポットを巡りながらアデレードに向かう5日間のバスツアーに参加しました。
私は出発日に念の為、約束の時間の15分前からバスを待っていたのですがなかなかバスが来ず、もしかして待機場所を間違えたのではないかと不安になり、何度もツアーの案内書を確認しながらオロオロしていました。
1時間以上が過ぎ、ようやく着いたバスから軽やかに降りてきた運転手兼ツアーガイドの男性「やぁ、僕がこのツアーのガイドだよ!5日間、最高の旅にしようね(^o^)/」爽やかな笑顔で私をバスに乗せ、ノリノリでバスを出発させしました。
私はそのとき「さすがはオーストラリア人。これからの5日間は当然オーストラリア流のツアーだと覚悟せねば・・・」お国柄の違いを噛みしめました。

グレートオーシャンロード

ツアー参加者はイギリス、ドイツ、イタリアなどから来た大学生や社会人の女性で、私を含む8人のメンバーはみんな一人旅中でした。
初日はグレートオーシャンロードをドライブし、不思議な横縞模様が入った断崖と『12使徒と呼ばれる岩々が海にそびえ立つ神々しい風景に心を奪われました。
2日目は、グレートオーシャンロードの上空をヘリコプターで観覧飛行しました。
私はジャンケンで負け、窓の面積が大きい4人乗りヘリコプターの後部座席に座ったのですが、ヘリコプターに乗るのが初めてだったので後部座席からでも眼下に広がる壮大な景色は迫力があり過ぎるくらいでした。
その後はオーストラリアの動物が見られる自然公園に行きコアラカンガルーウォンバットなどを写真に撮り、アボリジニ文化であるブーメランの体験をしました。

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大自然のアクティビティー

3日目は緑が茂る森の遊歩道を散策した後、山道をバスで進み、とある洞窟に到着しました。
私はその日のスケジュールにウォーターフォールという言葉があった気がしたので滝を見に行くのかと思っていたら、実際の記載は『ウォーターホール』で、到着した洞窟の中にある直径6メートル程の大きな穴に自然にキレイな水が溜まっており、そこで泳ぐというアクティビティーでした。
曇っていて少し肌寒かったので私は泳ぎませんでしたが、イギリス人とイタリア人の女性たちが泳いところ水がだいぶ冷たかったようで、二人とも唇が紫色になっていました。
4日目はクルーザーに乗って小さな島の近くへ行き、そこに住むアザラシたちと一緒に泳ぎました。
野生のアザラシなのですが、島に近い海岸沿いに住んでいる人たちに慣れているからか人間を警戒することなくフレンドリーに接してくれました。

アザラシとのスキンシップ

クルーザーの船長が私の水色の使い捨て水中カメラを見て「これをアザラシに見せたら、きっと珍しがって寄ってきてイイ写真が撮れるよ。」と教えてくれました。
アドバイス通りに水中カメラで気を引いてみると、アザラシたちは私の周りに寄ってきたので、かなりアップの写真が撮れました。
今度は船長から「カメラを自分の頬の近くに持ってきてごらん」と言われたのでそうしてみると、一匹のアザラシが私の頬にくっつけたカメラを鼻先でツンツンと押し始め、私がカメラをそっとよけるとそのまま私の頬に鼻先でキスしてくれました。
ヒゲが細い針金みたいでゴワゴワした感触でしたが、貴重なスキンシップにテンションが上がりました。
アザラシたちと泳いだ後はクルーザーで沖まで出て釣りをしました。
良いスポットだったようで、ツアーの参加メンバー全員が魚を釣ることができました。


素敵な船長

船長は釣った魚を船上でさばいてお刺身にしてくれ、小皿に醤油も用意してくれました。
以前、日本人をホームステイで受け入れて以来、日本人と日本文化が好きになり、自分は食べないけど日本人観光客の為に魚をさばいて刺身にし、醤油と共に振舞うようになったとのことで、私は大喜びで遠慮なくたくさんいただきました。
船長の優しさを感じながらいただく新鮮な刺身の味格別でした。
ツアー参加者の中で唯一の日本人である私に特に親切に接してくれた船長は『キャプテンサンタ』のような白いヒゲがよく似合うとても素敵な船長でした。
刺激的で充実した日々はあっという間に過ぎ、5日目の午後にアデレードへ到着してメルボルンからのバスツアーが終了すると、私は初めて訪れる南オーストラリア州での滞在をスタートさせました。

続きはまた『オーストラリアの動物たちと』Vol.8にて

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おばあちゃんとのお別れ


苦難多き人生

私の母は働くことが大好きな女性で、結婚して三人の子供を産んでからも忙しく仕事をしていたので、私たち姉妹の面倒は母の実母であるおばあちゃんがみてくれました。
おばあちゃんは、NHK連続テレビ小説おしんの主人公のように様々な苦難を乗り越えてきた人で、苦労が多かった分だけ他人の痛みを理解する優しさを持っていました。
早くに夫と死別し、女手一つで私の母を育てたおばあちゃんですが、現代でもシングルマザーが子供を育てていくのは何かと困難が多く容易ではないのですから、おばあちゃんが若かった頃の時代背景田舎の風習独特な集団心理などを加えると今とは比べ物にならないくらい大変だったはずです。
想像を絶するような逆境の中、それでも負けまいと必死に踏ん張り、たった一人で私の母を守ってきたのだと思います。

親切の積み重ね

気丈さと芯の強さを持つおばあちゃんに育てられた私は、人が大切にすべき事や、賢く逞しく生きる術をたくさん教わりました。
特に『自分を偉く見せる為に威張ることが強さではない。そんな人間は陰で笑い者にされるだけで誰にも信頼されない。馬鹿のフリをして頭を下げられる人間こそが本当に強くて賢い人間なんだ。』というおばあちゃんの教えは、常に私を戒めてくれています。
おばあちゃんは困っている人や忙しくて大変そうな人を見ると、自分の知り合いではなくても「手伝うよ!」と言って作業を一緒にこなして感謝されていました。
そんな親切の積み重ねで、実家周辺の地域ではいろんな人がおばあちゃんに笑顔で挨拶をしていましたし、母は出掛ける先で会う多くの人たちから「お宅のおばあちゃん元気?いつも手伝ってくれてありがとうって伝えといて!」と声を掛けられていました。


受け継がれる宝物

作業のお手伝いは積極的にこなすおばあちゃんでしたが、お手伝いをして仲良くなったとしても誰かの悪口や噂話には参加せずにサッサと作業を済ませて引き上げ、ゴシップとは距離を置いていました。
そんなおばあちゃんに育てられたからか、私も困っている人にはためらうことなくお手伝いのお声掛けをしますし、噂話や悪口を言う人にはどんな立場の人だろうと興味を示さず、なるべく関わらないようにします。
それで変わり者扱いされたとしても私は気にせず、自分の信念をもって行動し続けます。
「自分がした事は必ず自分に返ってくるから悪い事はしない。悪い事をしている人にも関わらない。」というおばあちゃんの教えがあるからです。
その性質と習慣は、私がおばあちゃんからもらった宝物の一つであり、嬉しいことに私から娘にも受け継がれているように思います。

長生きおばあちゃん

私はおばあちゃんがとにかく大好きで、小さい頃から「おばあちゃん、大好きだから絶対に死なないで!ずっと長生きして!」と毎日のように懇願していました。
その言霊の力が働いたからかはわかりませんが、好き嫌いせずに感謝して食事をとり、畑仕事や周りのお手伝いに精を出す健康的な生活を送ってきたおばあちゃんはとても丈夫で病気もすることなく、昨年の8月で103歳になりました。
おばあちゃんは自分の事は自分で何でもできましたが、102歳ぐらいから少し脳の障害が出始め、認知症と診断されました。
身体的には至って健康なので、働き者の性分のおばあちゃんは庭で作業をしたり自宅の階段を上り下りして運動したりと活発でしたが、母がせっかく植えたお花の苗を雑草と思い込んではむしりとり、それを何度も繰り返すなどの困った行動が出ていたようでした。


入院生活へ

その内、だんだんと記憶があやふやになり誰が誰だかわからず、会話の意味が通じなくなってきた頃、おばあちゃんは庭仕事をしようとサンダルを履いて外に出て転倒足と腰を痛めて立てなくなってしまいました。
それ以来、自宅で車椅子と介護用ベッドを利用する生活となったのですが、父と母がおばあちゃんをベッドから車椅子に移動させたりお手洗いに連れて行ったりするお世話をしていたところ二人とも腰を痛めてしまい、自宅介護の継続が困難になり、おばあちゃんは地域の病院へ入院することになりました。
「おばあちゃんの保証人をお願いしたい」と母から私のもとへ送られてきた病院の書類に私はすぐに署名捺印をし、今までおばあちゃんに大事に育てられた私の母と私の署名が並んでいるその書類を見て、何故だか不思議な感覚に捉われました。

おばあちゃんの旅立ち

感染が日々拡大している新型コロナウィルスの影響で、おばあちゃんの入院先では患者への面会が禁止されていました。
社会状況を見ると、この調子では毎年恒例のゴールデンウィークの帰省も今年は無理そうで、おばあちゃんにしばらく会えないことを残念に思いましたが、「今日、病院に書類を届けに行ったら、おばあちゃんは無事に過ごしてるって看護師さんが言ってた。」と母から聞きちょっぴり安心した私は、世の中が落ち着き次第おばあちゃんに会いに行こうと決めました。
ですが次の日の夜、母から電話で「おばあちゃんが亡くなった」と聞き、私は突然のことで言葉もありませんでした。
お医者さんによると「2020年4月9日の夜、就寝してそのまま息を引き取り、苦しむことなく眠るように亡くなりました。」とのことで、おばあちゃんは自分の寿命を全うして静かに旅立ったのだと理解しました。


望み通りの最期

病院で家族に看取られずに旅立ったことは、おばあちゃんにとっても私たちにとっても寂しいことではありますが、晩年はいつも「夜、布団に入ったらそのまま目覚めないで苦しまずに死ねるのが一番幸せだなぁ」と笑顔で話していたおばあちゃんを知る母と私は、おばあちゃんは自分が望んだ通りの幸せな最期を迎えられたのだと思っています。
私が署名捺印をした書類を母が病院に届けたその日の夜におばあちゃんが息を引き取ったのは、もしかすると「自分が世話をして育てた孫が、自分の保証人になるくらい大人に成長した。」ということを最後に確認し安心できたから旅立ったのかもしれないと私には思え、私はおばあちゃんに「もう私も大人だから心配しないで。おばあちゃんの様に強く愛情深く自分の娘をしっかり育てるから、安心して天国で暮らしてね!」と心の中でつぶやきました。

90歳差の仲良し

103歳天寿を全うしたおばあちゃんの人生の前半は苦労続きでしたが、後半は日本の数々の観光地へ旅行し、に囲まれ、曾孫とも仲良く過ごし、多くの人に慕われた穏やかで多幸な人生だったと思います。
私の娘はおばあちゃんが90歳のときに生まれたので、娘とおばあちゃんは90歳差の曾孫と曾おばあちゃんになります。
二人は、娘が赤ちゃんの頃から中学生になった現在まで変わることなく仲良しで、おばあちゃんは娘に会うたびに「おばあちゃんのこと嫌いにならないで、ずっと仲良くしてよ。」と繰り返し、何やら耳打ちをしては笑い合っていました。
春にはお花見に出かけ、秋にはおばあちゃんの畑で芋掘りをし、温泉旅館では一緒に入浴し、海辺を散歩するなど、ほんの十数年の中で素敵な時間を共有していました。
その様子を撮影した二人の楽しそうな写真は、私を笑顔にしてくれます。


多様なお別れの形

私が住んでいる地域は新型コロナウィルスの感染者が多く、私がもしも無症状感染者だとしたら帰省することでウイルスを家族の所に運ぶことになりますし、感染者の多い地域からの来訪は特に地元の人々を不安にさせ迷惑になってしまうので、私と娘はおばあちゃんの葬儀への参列を断念しました。
きっとおばあちゃんは「自分たちのことばかり優先させて他人様に迷惑を掛けるような行動はダメ!人間には我慢も必要!」と言うはずなので、私と娘は遠いこの地でおばあちゃんを偲びお別れを告げることにしました。
おばあちゃんともう会えないという事実は悲しいけれど、4年前に私の大事な家族である19歳の老猫ちゃんが旅立って以来、私と娘は物理的な繋がりよりも心の繋がり重視しているので、私たちが忘れない限りおばあちゃんはいつでも私たちの心の中にいると考え、毎日おばあちゃんを想い続けています。

たった一つの頼み事

私の母はおばあちゃんの一人娘なので、おばあちゃんは私に「もし私が死んだら、あなたのお母さんの肉親は子供と孫だけなんだから、お母さんをいたわってあげてよ。特にあなたとお母さんは私が大事に育てた二人なんだから、ちゃんと仲良く助け合って生きてよ。」と言っていました。
母と私は相性が悪く度々衝突するのですが、欲が無く何も要求したことがないおばあちゃんの唯一の頼み事なので、私は「これからは母親を失った悲しみを気遣い、母と衝突したら私が折れよう。」と決めました。
『親孝行したいときには親はなし』というように、私が気づくのが遅すぎて後悔しないように、おばあちゃんは自分の最期をもって私に親孝行のきっかけをくれたのだと思います。
芯が強く賢明で何でもこなす自慢のおばあちゃんに育ててもらえた私は最高の幸せ者で、心からの感謝しかありません。

おばあちゃん、本当にありがとう。
私 頑張るから、天国で19歳の老猫ちゃんと一緒に見守っててね!!


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『祝🌸23歳!』愛しき老猫ちゃん


運命の誕生日

2020年3月3日で、我が家の愛しき老猫ちゃん23歳になりました!
23年前の雛祭りの日、私と一緒にいた知り合いに高校生の息子さんから「子猫が無事に6匹も生まれたよー!」という喜びの電話があり、私は自分と運命で結ばれている猫ちゃんたちの誕生を知りました。
知り合いの息子さんの猫たちはどちらも避妊手術をしていた為、今回の出産は予想外の展開「子猫の貰い手をちゃんと探してあげなくちゃ!」と親子で慌てていました。
子猫たちのお父さんとお母さんは血統書付きの猫で、コンテストでも数回優勝している自慢の美猫なのですが、チンチラゴールデンのお父さん猫とロシアンブルーのお母さん猫の間に生まれたので子猫たちは雑種になるとのことでした。

子猫たちとの生活

美猫の子供たちだけあり、お父さん似お母さん似に分かれつつもみんな綺麗な容姿のようでした。
当時まだ高校生だった知り合いの息子さんは、自分の大事な猫の出産に一人で立ち会い、生まれた子猫たちのお世話をしており、私は彼の猫たちへの愛情の深さ強い責任感に感動しました。
私は動物が好きで特に猫好きだったのですが、一人暮らしで仕事でもプライベートでも家を空けることが多い生活スタイルだったので、自分が子猫の貰い手になろうとは考えていませんでした。
子猫の貰い手として決まった2人がゴールデンウィーク期間は不在な為、その間だけ子猫を預かって欲しいと知り合いに頼まれ、私は少しの間だけ2匹の子猫と一緒に暮らすことになりました。


一時的なお世話

一時的な預かり生活とはいっても10日間ぐらいのことだったので、私は子猫との生活の為にトイレセット、ご飯とお水用のキャリーケース、猫の飼い方のマニュアル本を購入し、子猫用ミルクとそれを飲ませる為のスポイトも準備して子猫たちを迎え入れました。
私の所に来た子猫たちは、親猫から引き離され知らない場所へ連れてこられたので2匹でひっついたまま震えていました。
1匹ずつ抱きかかえてスポイトで子猫用ミルクを飲ませ一緒に過ごしている内に、不安そうだった様子が少しずつ消え、私に心を開いてなついてくれているように思えました。
おトイレの仕方は親猫がすでに教えていたようで、子猫たちは上手にできていました。

私の決断

何をするにも常に一緒で離れない2匹の姿を見ていると、私はゴールデンウィークが終わったらこの子猫たちが1匹ずつ別々の所へ連れて行かれることが無性に不憫に思え、知り合いに「子猫たちを引き離さずに、2匹一緒に受け入れてもらう訳にはいかないだろうか。」と相談しました。
ですが、どちらの貰い手も「子猫1匹なら何とか引き受けてもいいよ」という条件で、2匹一緒に引き取るのは難しいとのことだったので、私は考えた末ついに心を決め「せっかく引き受けてくれた2人の貰い手には申し訳ないけれど、子猫たちは2匹一緒に私に育てさせて下さい!」と知り合いにお願いをして、そのまま2匹の子猫たちと生活を続けることになりました。


自分の分身

私の家族となった子猫たちに私は自分の名前の漢字を1字ずつあげて名付け、自分の分身のように大事に育てました。
自分に似た性格の子猫たちを見て、度々ハッと思わされることもありました。
子猫たちの兄弟姉妹4匹がそれぞれの貰い手の所で、耳ダニなどの病気、交通事故動物同士のトラブルで、わずか数カ月で旅立ってしまったという悲しい知らせを聞き不安になった私は、子猫たちを慎重に育てる為に猫に関する参考書を何冊も熟読しました。
自分を頼りにして家で待っている大事な存在ができたことで、私は命への責任を持ち「必ず守っていくんだ!」という強い意志で、嫌なことから逃げずに乗り越えられるようになり、そんな成長を与えてくれた猫ちゃんたちとの御縁に感謝しました。

若かりしワイルドな時代

そんな私の気持ちを汲んでくれたのか子猫たちはスクスクと元気に育ち、1匹は19歳で旅立ってしまうまで私を癒し続けてくれ、もう1匹は23歳になった今も健在で私に幸せを与え続けてくれています。
外国種の猫は日本猫よりも体が大きいので、ウチの猫ちゃんたちはいつも「大きいねー!」とか「えぇっ、オスじゃないの?!」と驚かれていました。
パワーが溢れていた若き日々は、ワイルドに網戸やカーテンにのぼり、食卓から食べもしない餃子を奪いベッドの下に隠し、2匹で追いかけっこをしては私にぶつかり私の顔に引っかき傷をつけ、背中に飛びついては爪を立ててぶら下がるなど、とにかくやんちゃで大変でした。
クローゼットの扉を力づくで開けて洋服を引っ掻くので、高価なスーツが台無しになって途方に暮れたこともあります。


赤ちゃん返り

年齢と共に落ち着いてきた猫ちゃんたちですが、猫ちゃんたちが10歳のときに私の娘が生まれ赤ちゃん中心の生活スタイルになり、以前の様に猫ちゃんたちにかまってあげられなくなると、猫ちゃんたちは揃って赤ちゃん返りをし、今までにないぐらい甘えん坊になりました。
それまでは尖った態度で抱っこされるのを断固として拒んでいた猫ちゃんたちですが、いつも娘が私に抱っこされているのを見ている内に羨ましがるようになり、私が娘をベビーベッドに寝せてソファーで一息つくと、すぐにどちらかの猫がヒザの上に座って『抱っこしてアピール』をし、足元ではもう1匹の猫が順番待ちをしているので、私は常に娘か猫ちゃんを抱っこしている生活でした。

困難と成長

エンドレスの抱っこに追われてまともに眠れず、腱鞘炎にもなり身体がしんどい状態でしたが、猫ちゃんたちに「ほほう、抱っことはなかなか良いものですなぁという満足そうな顔でゴロゴロと喉を鳴らされると、私には抱っこを拒否することなど到底できませんでした。
赤ちゃんの泣き声予測不能な行動大きなストレスとなって猫ちゃんたちは体調を崩し、1匹はハゲができ、1匹は腎機能低下2週間の入院を強いられ小さな手に点滴針を刺されっぱなしの生活を送るなど、2匹とも多大な迷惑を被りましたが、娘が成長し動物好きな面倒見の良い子に育ってくれたので、猫ちゃんたちは娘に抱っこされたり撫でられたりするのが気に入り、家族みんなが仲良く暮らせるようになりました。


強いハート

2011年の東日本大震災で被災し、実家に一時避難したときも、この地域に移住してきたときも私たちはずっと一緒でした。
飛行機を利用する際、猫ちゃんたちはジェットエンジンの爆音が響く貨物室に荷物と一緒に積まれるので、当時すでに14歳だった老猫ちゃんたちは大丈夫かと心配でしたが、2匹ともどうにか我慢して頑張ってくれたので、猫2匹と幼児を連れたハードな移動を無事にこなすことができました。
『猫は人ではなく家につく』といいますが、ウチの猫ちゃんたちは5回の引っ越しでも各住居で家族と一緒にリラックスしており、この地域への移住の際もすぐに新居に馴染めていたので「ウチの猫ちゃんたちは神経質な性格じゃなくて良かったなぁ・・・」と思いました。

心の繋がり

様々な逆境がありつつも、私たち家族は常に寄り添い共にいられることに感謝して暮らしました。
そんな中、2016年5月5日チンチラゴールデンのお父さん猫によく似たウチの老猫ちゃんが19歳旅立ち、私たちはいつも側にいた存在が消えてしまったことが悲しくて泣き暮らしていました。
ですが『四十九日』が過ぎる頃には『存在が消えた』のではなく『居場所が心の中に変わっただけ』と思えるようになり、私は旅立ってしまった老猫ちゃんとの心の繋がりを感じながら「いつも見守ってくれてありがとう」と心の中で想うようになりました。
『四十九日』というのは霊が成仏する為の期間といいますが、残された者が気持ちの整理をつける為の期間でもあるんじゃないかと私は思いました。


多様な幸せ

「今まで仲間がいたのに独りぼっちになったら猫が淋しくて可哀そうだから、猫をもう1匹迎えた方がいい。」と人に言われることもありましたが、私は人間も動物も性格や感じ方は多様だと思っており、ウチの老猫ちゃんは1匹になってから更に甘えん坊になって、私と娘を独り占めして甘え放題な生活満喫している様子なので、新しい仲間を迎えて賑やかにするよりも、のんびりと過ごせる静かな環境余生を送らせてあげたいと思っています。
「みんな一緒の方が楽しい」という人もいれば「他人といて気疲れするよりも一人でいる方が気楽でいい」という人もいるのと同じで、猫ちゃんの好みだってきっといろいろです。

『長生き』と『食欲』

ウチの猫ちゃんたちは雑種ということで免疫力が純血種よりも強いと思われ、ありがたいことに食欲旺盛によく食べてくれたので、どちらも長生きなのかもしれません。
お気に召さない缶詰をあげると意地でも食べずに残すので、嫌いな缶詰を把握して買わず、飽きないように毎回違う種類の缶詰とドライフードをあげるとモリモリ食べてしっかり排泄をする健康的な生活でした。
23歳になった猫ちゃんはロシアンブルーのお母さん似ではなくキジトラ柄の短い毛並みだったはずなのですが、もう1匹の猫ちゃんが旅立ってから前よりもフサフサしてきて、あちこちにできる毛玉「急にどうしちゃったの?!」と不思議に思いながらせっせとカットしています。


小悪魔的な賢さ

19歳で旅立った猫ちゃんもとても賢かったですが、23歳にもなると賢さに磨きがかかり、ご飯のおねだりは声ではなく熱い視線で心に訴えかけ、抱っこのおねだりは思わせぶりな態度でワザと行く手を塞ぎ、抱っこしやすい位置で立ち止まって背中でアピールします。
ベッドで一緒に寝たいときは「さあ、私について来て!」と少し歩いては立ち止まって振り返り、何度も小悪魔的にいざないます。
夜中に淋しくなると私の枕元に来て、目玉をえぐり出すかのように肉球で圧をかけ確実に一撃で起こし「ウニャーンと甘えた声でその場を取り繕います。
そんな鬼の所業をする老猫ちゃんですが、毛玉を吐くときは必ずベッドから降りて床で吐くという健気な気遣いもあり、私は何度も容赦なく睡眠を妨害されてもやはり愛さずにはいられないのです。

長い付き合い

近年の猫ちゃんのお誕生日のお祝いは、娘と2人で可能な限りのテンション手間暇で猫ちゃんをお姫様のように特別扱いしてサービスすることで、チヤホヤされてご満悦の猫ちゃんに私と娘は心が和みこの上ない笑顔になります。
現在、老猫ちゃんは私の年齢のちょうど半分の年月を一緒に生きており、そんなに長く私と暮らし私の生活を詳しく知る家族は他にいません。
私の人生の半分を近くで見ながら共に生き、私のことを一番よく知る愛しき老猫ちゃんは、私の可愛い子供であり、心強い相棒であり、とても大切な宝物です。
これからも平和な環境の中で、どこも痛くならず不自由を感じることなくゆったりとした日々を過ごして欲しいと心から願うばかりです。

「今日も生きててくれてありがとう、大好きだよ

新型コロナウィルスと冬季大会の中止


冬季大会招致への想い

私は昨年の6月に転職し、障がいのある方々が社会との繋がりを持ちながら健康的な生活を送れるようにスポーツ活動を推進し、大小様々な大会を開催して発表の場を作るという公益性の高い事業を世界的に展開している組織の大会事務局で仕事をしています。
今回の大会は4年に一度の国内冬季大会で、来年度に開催される世界冬季大会の予選も兼ねている大規模な大会でした。
大会開催地は、知的障がい者の為のスポーツ活動を促進している各都道府県の組織の中で大会招致を希望する組織がプレゼンをして選ばれます。
今回の大会開催地となったこの地域の組織は、前回の冬季大会開催地選考の際にも大会招致に手を挙げたのですが残念ながら選ばれず、「今度こそは!」という意気込みでプレゼンをした結果選ばれたそうなので、きっと皆さん今回の冬季大会開催に対する想いが強かったことと思います。

全力の大会準備

冬季大会PRの為のパレードや神聖な火をいただく採火式、分火した火を点火したトーチを手にアスリートが走るトーチランなどのプレイベントが多く開催され、秋には約80名を率いての競技会場の現地説明会を実施するなど、冬季大会の1年前ぐらいから様々な準備が行われてきました。
全国から約1000人の選手団が集う大会なので、競技会場や宿泊先の確保、食事の手配、現地で移動する際のシャトルバスの用意、競技役員やボランティアスタッフに対する説明会など大規模な準備から、大会に必要なグッズや備品の手配と管理などの細かい準備作業もあり、大会開催日が近づくにつれ大会関係者はそれぞれの担当業務に慌ただしく追われていました。
私は冬季大会事務局での経理業務の他に、選手団が使用する荷物の送付状や名札の作成と発送、開閉会式のチケットの発送などを担当し、少しでも早く皆さんのお手元に届けられるよう早出残業をして作業を進めました。


担当業務への意欲

大会開催が1週間後に近づくと夜10時まで残業になることもありましたが、「今まで準備を重ねてきた冬季大会がいよいよ開催されて、参加するアスリートやコーチ、家族の皆さんの笑顔が見られるんだ!」と思うと力が湧いてきて、溜まり続ける疲れも苦にせず集中して頑張ることができました。
異例の暖冬で雪が少なく競技会場のコンディションが心配されても「きっと大丈夫!良い大会になるはず!」根拠のないポジティブな思考邁進してきました。
冬季大会の会場は式典会場と競技会場を合わせ5会場あり、大会スタッフはそれぞれの持ち場に配属されます。
私は式典会場へ配属され、担当する役割は開会式・閉会式会場での物販ブース管理と経理業務、総合案内の事務的な業務、来賓をお招きしてホテルで開催されるレセプションパーティーの受付業務などで、その打ち合せや準備に張り切っていました。

新型コロナウィルスの猛威

その頃、新型コロナウィルスの感染拡大という不穏なニュースが日々報道されおり、私は大会開催日が近づくにつれアスリートやコーチ、ご家族の皆さんのことがとても心配になりました。
人から人へ感染するウィルスということは、様々な地域から多くの人が集まる場所は感染のリスクが高くて危険と考えられるので、大会に参加する為に飛行機に乗降する際の空港も感染リスクが高いですし、選手団と大会関係者、ゲスト出演者と観客を合わせ1000人を優に超える人間が集まる大会開会式絶対に安全な場所とは言い切れないので、私は大会の開催準備を続けながらも不安を感じていました。
そんな週明けの月曜日、緊急会議新型コロナウィルスの感染が拡大している状況で大会を開催すべきかが検討され、大会参加者や関係者、観客の方々の安全を一番に考えた結果、今回の冬季大会は中止と決定されました。


『大会中止』という英断

大会中止の発表は、各会場で競技の打合せや会場整備に励んでいた大会関係者や、必死に業務を続けていたスタッフ、参加を楽しみにしていた選手団や観覧予定だった方々にとって突然のショックな一報となったと思います。
「冬季大会が中止になる可能性もないとは言えない状況だよなぁ・・・」とうっすら予想をしていた私でも、実際に『冬季大会は中止となりました』という言葉を正式に耳にしたときは、緊張の糸が切れてガクリと力が抜けました。
ですが私は、大会を成功させる為にしてきた今までの努力や、念願の冬季大会開催に対する強い想いよりも、まずは人々の安全を最優先にして考慮し断腸の思い冬季大会中止の決断に踏み切った大会実行委員会の方々の決定は勇気ある英断だと思い、尊敬の念を抱きました。
冬季大会の中止が決定されたのは大会開催予定日の数日前だったので、私たちは悲しみ嘆く暇もなく、早急に大会中止の旨を関係者の方々に発信する作業に取り掛かりました。

新たな激務

「大会の中止を知らずに会場に来てガッカリする人がいないように一刻も早くお知らせしなくては!」と、大会スタッフで手分けして電話メールで連絡をする段取りを組み、留守電になり直接伝えられない方には念の為に書面の郵送もしました。
大会開催予定日が近かったので飛行機やホテルなどのお手配を既に済ませていた方が多かったと思うのですが、私たちの声が悲しげで申し訳なさそうだったからか、大会中止を聞いた方々からは苦情ではなく「大変だと思いますが、頑張って下さい。応援してます!」という温かい励ましのお言葉をいただき気持ちが救われました。
『新型コロナウィルスの感染拡大による大会中止』ということで大会事務局にメディア取材がいくつも入り、中止に関するお問い合わせの電話が続き、大会中止に伴うキャンセル手続きに追われるという、今までとは違う激務に突入しました。

貴重な経験

初めて関わる福祉事業の大きなイベント運営ということと、新たに挑戦する経理業務などに魅かれて私は冬季大会事務局で働くことを決め、無事に大会を成功させるという目標に向かって仕事をしてきたので、冬季大会が中止となってしまった現在の状況はとても残念ではありますが、こういった状況から学ぶことや、こういった状況でしか見えてこないこともあるので、気持ちを切り替えて新型コロナウィルスの感染拡大による不運な展開貴重な経験と捉えることにしました。
現地の冬季大会事務局は期間限定の事務局なので残すところあと数か月の勤務となりますが、せっかくご縁があって携わることができた福祉事業なので、なるべく多くのことを習得し自分の中に知識として残せるように最後までしっかりと業務に取り組みたいと思います。

鋭い意見

私は将来、自分で福祉事業を展開したいと考えています。
私の知人は「ボランティア活動や人助けは、まず自分が儲けてからじゃないとできないこと。お金と時間に余裕がなければ世の中の為に役立つことをするなんて難しい話。」という意見で、以前の私は「そんなことない!」と思っていましたが、今は「その通りかも・・・」と思います。
事実、平日フル勤務で働き家事を全て一人でこなしながら子供を育てている今の私は、仕事子供のケア睡眠であっという間に過ぎるバタバタな毎日で時間に余裕がなく、誰かにボランティア活動をお願いされてもお受けするのは難しいような気がします。
子供を育てる為にはお金が必要ですから、就労時間を減らしてボランティア活動の為に時間を作るというのも考えづらく、結局のところお金と時間に余裕がない今の私には気持ちがあっても残念ながら大々的なボランティア活動をすることが無理な現状です。


『ボランティア精神』の定義

ただ私は、必ずしも『福祉=ボランティア活動』とは限らないとも思っています。
また、普段の生活の中にあるちょっとした親切な行動や思いやりも一種のボランティア精神と言えると思いますし、無償ではない就労の中でも相手や周りのことを考えた丁寧な仕事ボランティア精神に基づくものだと思っているので、胸を張れるような立派なボランティア活動をするのは無理でも、ボランティア精神を発揮して誰かのお役に立つことは可能だと思っています。
他人の反応を気にするあまり本心を隠して流されてばかりでは、自分が優先すべきことを見失い心が死んでしまうので、私は自分ができることとできないことをきちんと見極めてハッキリと言える人間でいたいです。
きっと今はまだ、自分にできる範囲『親切な行動』『誰かの役に立つこと』を日々積み重ね、自分が将来展開しようとする福祉事業の基盤を模索する為の時期なのだと思います。
子供の思春期受験対策など子育ての課題も抱えている現段階の私には、母親としても社会で働く人間としても更なる成長が必要で、起業に至るまでの修行の日々はまだまだ続きそうです。

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インクルーシブな大会運営


障がい者のスポーツ大会

私は昨年の6月に転職をして福祉関係の事業所で働いています。
障がいのある方々社会との繋がりを持ちながら健康的な生活を送れるようにスポーツ活動を推進し、大小様々な大会を開催して発表の場を作るという公益性の高い事業を世界的に展開している組織で、4年に1度開催される大規模な夏季大会と冬季大会があり、それぞれ国内大会と世界大会があります。
私は今月開催される国内冬季大会の事務局で仕事をしています。
障がいのある方々のスポーツというと身体障がい者の総合的なスポーツの大会であるパラリンピックを思い浮かべる人がほとんどで、まだあまり広く知られてはいないのですが知的障がい者の為のスポーツ大会も展開されています。


大会の特徴

身体障がい者のスポーツ大会で有名なパラリンピックでは、オリンピックと同様に勝敗の結果や実力の優劣を競い合い、上位3位までのアスリートを表彰します。
知的障がい者のスポーツ大会では、個々のスキルのレベルによって分けられたグループごとに競技が行われるので、競技経験が浅い人でも自分と同レベルのグループに参加できます。
また、個人のスキルチェックを大会で公式にしてもらうこともできます。
大きな特徴としては一般的なスポーツ大会とは違い、優れた競技選手を決めることが目的ではなく、日頃の練習の成果発表を最後までやり遂げることが目的なので、上位3位までのアスリートにメダルが授与されるだけではなく、その他のアスリートにもリボンが贈呈され、競技に参加した全員が日々の努力と多くの人の前で練習成果を発表することができた勇気を讃えられ、温かい拍手の中で表彰されます。

インクルーシブな活動

冬季大会では7種目、夏季大会では21種目が公式競技とされており、その中には知的障がい者と障がいのない人がチームを組んで共に協力しながら競技をする『ユニファイドスポーツ』というものもあります。
知的障がい者の方々のスポーツ大会は、多様な環境で人々と関わりながらアスリートが練習の成果を発表する機会を持つことで活躍の場を広げ自信を身につけ社会との繋がりや自立心を持つことを意義とし、周りはその活動を支援し受け入れるというインクルーシブな(あらゆる人を包み込み支え合う)大会です。
大会運営組織はメインとなる大きな大会だけではなく日頃の練習の場や大小様々な発表の場、その全てに同じく意義があると考え、知的障がい者のスポーツ活動の推進をしています。


尊敬の念

私はこの仕事のオファーを受けるまで知的障がい者のスポーツ大会の存在を知りませんでしたが、大会の運営側に身を置いてからいろいろな事柄を学ばせてもらいました。
常に事務局の中で仕事をしているので、私は知的障がいを持つアスリートの方々と接する機会はほとんどないのですが、そのご家族やコーチなど関係者の方々にはたまにお会いすることがあります。
自分と同じ運営側の一員とはいっても、事務所の中で大会運営の仕事だけをしている私とは違い、知的障がいを持つアスリートと実際に深く関わり競技指導や事故がないように保護監督をするという大変な役割を果たしており、私は知的障がいを持つアスリートのご家族やコーチ、その他のサポートをしている現場の関係者の方々に心から尊敬の念を抱いています。

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気遣いの一手間

冬季大会開催日が近づくにつれ業務が大幅に増えて忙しくなり、先日は大会の開会式と閉会式のチケットを大会に参加する各都道府県の選手団に発送する作業に追われました。
発送準備は、各都道府県別に分けたチケットをバラバラとただ雑に封筒に入れて発送すれば面倒な手間も省け作業時間の短縮になりましたが、それは受け取った側が自分の選手団にチケットを振り分けて渡すのにとてもわかりづらくて手間取ってしまう不親切なやり方でしたし、遠方の各地から知的障がいを持つアスリートとその引率者の方々が大会に来るのだから、少しでもその方々の準備がスムーズに進むようお役に立ちたかったので、私は多少時間が掛かってもわかりやすく分類して発送する方法をとりました。
私は福祉の基本親切心だと考えているので、可能な範囲でそういった気遣いの一手間を大切にしたいと思っています。


参加者の為に

この仕事を始めた当初は「大会運営に関わるからには必ず大会を成功させよう!仕事の成果を収めよう!」という気持ちでしたが、この大会の素晴らしい意義を知ってからは自分の仕事への評価などよりも、知的障がいを持つアスリートの方々の大会出場に向けた頑張りや、コーチやご家族、その他の関係者の尽力と努力を一番に考えるようになり「大会出場の為にはるばる開催地に来てくれる方々の為に絶対に良い大会にしたい!どうぞ天候にも恵まれて無事に開催できますように!」と毎日願うようになりました。
組織の為よりも、責任者の為よりも、とにかく私は大会に参加するアスリートやコーチ、ご家族やその他の関係者の方々の笑顔の為福祉の心で最後まで頑張ります。


福祉の幅広さ

こうした福祉事業に携わりながら、私は『福祉』の幅広さを知りました。
今、私が大きく思いつくのは障がい者の為の福祉、子供の為の福祉、高齢者の為の福祉、社会的弱者の為の福祉です。
障がい者の為の福祉には視覚障がい者の為の福祉、聴覚障がい者の為の福祉、その他の身体障がい者の為の福祉、知的障がい者の為の福祉、発達障がい者の為の福祉などがあり、それらには更にスポーツ関係の福祉と生活関係の福祉があります。
子供の為の福祉にも経済格差に対する福祉、学力格差に対する福祉、虐待から守る為の福祉、いじめから守る為の福祉などがあり、きっと他にももっとあるのだと思います。
現時点で私は自分が進みたい分野はどれで、自分にできることは何なのかがわからずにいるのですが、決断を急ぐ必要もないですし、人生は御縁とタイミングが肝心なので、焦って先のことを考えるよりまずは目の前の冬季大会に向け準備作業に励みたいと思っています。
これからが正念場なので、全力で頑張ります!

『過去のブログ』を振り返る Vol.6

ブログを始めた頃の記事を、現在の書式スタイルに編集して掲載し、皆様にぜひご覧頂きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いいたします(^^)/

Vol.8『言葉貯金』


旅立つ言葉たち

人は会話をしたり文章を書くことで、自分の中から日々いろんな言葉を発信します。
特に生活の中で口から出る言葉は多く、大半は何気なく話す事柄なので、自分の発言の全てを覚えているのは難しいものです。
発信され自分のもとから旅立っていった言葉たちは言霊を持ち、自分には想像もつかないどこかで、誰かを勇気づけたり新たなアイディアのヒントや何かを選択する際の後押しになって人の役に立っているかもしれません。
人の心を動かし励ますような印象深い言葉は、受け止めた人の中に意味のある大切なものとして残るので、発信した自分がその言葉を忘れてしまったとしても誰かの心の中にずっと存在し続け受け継がれます。
強い信念を持っている人でも、状況や環境の変化によって時に心が揺らぎ、悩んだ末に迷走し、自身の大事な基本が見えなくなってしまうことがありますが、言葉は時を超えて自分を励まし助ける為に自分のもとへ戻ってくると私は思っています。


言葉との再会

人のことは客観的に冷静に分析することができても、自分に関することは意外と気付かないでしまうことがありがちです。
私は2011年の東日本大震災で被災し、今後の生活についてどうするべきか決断をしなくてはならず考えを巡らせていたときに古い友人と久しぶりに会い、お互いの近況を話しました。
私が今後の生活環境や娘を育てていく上での環境についてどんな選択が一番良いのか、大きなジレンマを抱えながらハッキリと決められずにいることを話すと、その友人に「人生で起きる全てのことは、その人が生まれたときから決まっていて、実は死ぬ日だって同じように決まっているんだよ。今こうしてどちらの道に進むか迷うことも、考え抜いた末にどんな選択をするかも、あなたが生まれた時点で本当はもう決まっていて、結局はあなたが最終的に出した答えが正解なんだよ。だから自分の選択を信じればいいんだよ!」と言われました。


心を助ける言葉

その言葉は何年も前、その友人が悩んでいたときに相談にのった私が掛けた言葉でした。
私から聞いたということは覚えていない様子でしたが、その友人がその言葉を大切に心の中に持ち続けていた感じが自信と思いやりに満ちた話し方から伝わってきました。
私は、その友人がその言葉を発信したのが私だと覚えていないからこそ、こうして私に真剣に伝えてくれているのだろうし、前に私がその友人の為に掛けた言葉が今は私に必要だからこうして私のもとに帰ってきたのだろうと思い、戻ってきてくれた言葉に感謝し言霊の力を受け止めました。
突然の震災で多くのものを失った喪失感と、生活環境がガラリと変わってしまう先の見えない不安の中、前向きさ潔さで人を励ましていた強い自分の姿などすっかり忘れて深く沈み込んでいましたが、「私は大丈夫、もう迷わない!」と気持ちを切り替えると今まで悩んでいたのが急にバカバカしく思え、気持ちが軽くなりました。

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言葉貯金

久しぶりに会った友人が思い出させてくれた過去の自分の言葉で私は、物事を単純に捉え自信を持って行動できていた頃の自分を取り戻しました。
言葉というものは、発信して誰かの記憶に残したり、書き記して文字で残したりすることで貯金をすることができ、心がこもった言葉はいつか自分を助ける心強い味方になってくれるものなのだと思います。
また、私が発信した言葉で励まされた誰かがその言葉を他の人に伝え、更に誰かが心を動かされ、その繰り返しでどんどんポジティブの輪が広がるのはとても嬉しいことで言葉の発信名利に尽きますし、自分が誰かの言葉に感銘を受けて新しい気持ちで前進する度に言葉の力の大きさを感じます。
年齢を重ねる毎に様々な経験をして学び、若い頃とは考え方行動も変わるものですが、私は素晴らしいと思ったことには「賞賛の言葉」を、元気がない人には「寄り添う言葉」を、悩んでいる人には「そっと背中を押す言葉」を発信できる素直さ真っ直ぐさは変わらずに持っていたいと思います。
ブログという発信ツールを手に入れた今の私は更に言葉貯金のし放題。
これからも私は誰かの為にも自分の為にも、自分の中の言葉たちを綴り発信し続けていきます。

『スマニュー砲』いただきました!!


スマートニュース

世の中には便利なニュースアプリがいくつもあります。
私はiPhoneを使用し始める際に、iPhoneを購入したお店の店員さんが紹介してくれた『SmartNews(スマートニュース)』というニュースアプリを利用しています。
スマートフォンの機能やそれに関連した情報に詳しい人がお勧めするだけありなかなかの人気ニュースアプリなようで、私の周りにも利用者がたくさんいました。
国内外の総合チャンネル、経済や芸能など各専門分野チャンネル、報道機関別のチャンネル、都道府県別のチャンネルと豊富なチャンネルの中から自分で選択し好きな順番に並べて利用できるので、その工程も楽しめます。
また、ニュースは時間ごとに更新されるので情報量が多く、簡潔に事実だけを記載している記事もあれば、記者それぞれの考え方や異なる切り口によって書かれている記事もあるので、世の中には様々な解釈の仕方があるということを知った上で、溢れる情報をどう受け止めてどう処理すべきかを考える訓練にもなっています。


驚きのアクセス数

2019年12月に『Windows10』へのアップデートというブログ記事をアップし、次の日にブログへのアクセス数を見てみると、その日の午後2時時からから午後4時の2時間だけで約2500件になっていました。
私は「あれ、見間違いかな?」と二度見し「そんな、バカな!」と三度見しましたが、やはりアクセス数は約2500件と表示されていました。
アプリにはたまに不具合が発生することがあるので、きっと何らかの原因でアクセス数のカウントが違ってしまっているのだろうと思っていたのですが、午後11時にまたブログへのアクセス数を見てみると今度は約6500件になっていました。
次の日のアクセス数も前日ほどのペースではありませんでしたが増え続け、その次の日も増え続け、3日間で約10000件のアクセス数になりました。
一体何が起きているのかと少し怖くなり、アクセス元のページを見てみると『SmartNews(スマートニュース)から99.9%』となっていました。


『スマニュー砲』

「なぜSmartNews(スマートニュース)からのアクセスが?!」と不思議に思い、さっそくインターネットで調べると『スマニュー砲』という言葉を見つけました。
『スマニュー砲』とは、スマートニュースにブログ記事が掲載され多くのスマートニュース利用者からアクセスされることでアクセス数が一気に増えるという、ブロガーにとって大変ラッキーな現象のことでした。
私のような素人のブログ記事でもこれだけのアクセス数増大効果があったということは、本格的に展開している達人ブロガーの記事ならきっと大々的に『バズる(物凄く話題になる)』んだろうなぁと『スマニュー砲』影響力の大きさを実感し、『スマニュー砲』をいただけたことを嬉しく思いました。
どんな風に自分のブログ記事がスマートニュースに掲載されているのか見てみたくて、私は『スマニュー砲』をいただいたブログ記事のタイトル『Windows10』へのアップデートから連想されるIT関連のチャンネル、ビジネス情報関連のチャンネル、生活関連のチャンネル、はてなブログのチャンネルなどを探してみました。


お役に立てた喜び

スマートニュースには掲載記事の検索機能がなく、もう既に『スマニュー砲』によるお祭り状態の3日間が過ぎていた為、残念ながら自分のブログ記事が掲載されたチャンネルを探すことはできませんでした。
『スマニュー砲』に関する記事などを読んでみると、スマートニュースの『トップ』チャンネルに『あなたにおすすめ』という、各読者が普段よく読む記事の傾向からおすすめの記事をピックアップして紹介するコーナーがあり、そこに登場することもあると書いてありました。
今回『スマニュー砲』をいただいた『Windows10』へのアップデートというブログ記事は、2020年1月14日をもち、(有料延長サポートを受けられるものを除いた)Windows7のサポートが終了するということで、新しいパソコンを購入するか、ソフトを購入してWindows10にアップデートするか迷っている人が多い為、たまたま注目され選ばれたのだと思うのですが、自分のブログ記事が誰かの参考になり、少しでもお役に立てたのならば私は嬉しい限りです。


『まぁ、いっか!』と言える強さ

私が『Windows10への無償アップデート』の情報を得てそれを実行できたのは、私がパソコンに詳しくなくアップデートの必要性などを積極的に知ろうとすることなく放っておいて、いよいよ切羽詰まったところにパソコンに詳しい職場の人から助言をいただけたという絶妙なタイミングによる運だと感じているので、私は日頃からいろんな御縁にとても感謝しています。
また最近は、スマートニュースで目にした『まぁ、いっか!と言える人ほど最強』という内容のコラム記事の言葉を噛みしめ、自分もそうなろうと努力しています。
もちろん世の中には『まぁ、いっか!』では済まされないこともありますから、常にそれが通用する訳ではなく常識と道徳心による判断が必要となりますが、他人様に迷惑が掛からない自分のメンタル的な部分においては、完璧を目指して肩に力を入れて構えずに『まぁ、いっか!』潔く執着を捨て広い心で前進できる人間になりたいです。
そうすれば、未だにクリアできずにいる『許すことができる人間になる』という自分の人生の目標がクリアできる気がします。


おみくじの教え

2020年のお正月は、この地域に移住して以来初の『初詣』に行きました。
パワースポットとしても有名な壮大で美しくそびえ立つ神宮は多くの参拝者で賑わっており、私と娘は青空の下、清々しい気持ちでお参りをしておみくじを引きました。
私が引いたおみくじは『中吉』で、下記のような内容でした。
① 思いがけない煩い事に取り乱すが、心を静かに保ち暮らせば良い知らせあり。運に任せると良し。
② 久しぶりの友より嬉しい連絡あり。
③ 願いごとは人の助けにより叶う。
④ 仕事は大事にせよ。
⑤ 争うことなく、常に信心深く平穏であれ。

占いの類を全て鵜呑みにしている訳ではありませんが、新年にいただいたこれらの言葉に関しては自分への戒めとして心にとめて生きようと思いながら、細く折りたたんだおみくじを結びました。
娘のおみくじは小吉でしたが、気持ちを正しく持って過ごしていれば運気は自然と良い方向に向かい、学業でも結果を出せるとありました。
私は、①にある『思いがけない煩い事』にはもう既に大きな心当たりがあり、娘の学習と成績について中学に進学してから次から次へと発覚する問題にずっと頭を悩ませ、先日の三者面談でも深刻な課題を突きつけられたところだったので、おみくじの言葉に少しホッとしました。


初耳の入試システム

娘は中学生になり浮かれると同時に、部活動や今までとはガラリと変わった生活のリズム、新しい友人関係などに緊張やストレスを抱える中、中学校の定期テストを経験し、その厳しい結果を見て自分の学習への取り組み方の浅さを思い知り焦っているようでした。
それでも「私は他の人よりも塾に通っているから大丈夫!」「成績がもっと悪い人もいるし・・・」という子供にありがちな未熟な甘さが邪魔をし、全く学習の結果が出せていませんでした。
この地域の高校入試は私には全く馴染みのないシステムで、中学1年生から3年生まで1年ごとに成績による内申点が与えられ、3年間の内申点の総合得点が高校入試の際の『持ち点』として当日の学力試験の結果よりも大きく評価されるので、例えば中学3年生から成績が伸び始めて高校入試当日の学力試験で高得点をとったとしても、内申点と当日学力試験の点数の評価比率が6:4の学校が多い為、当日の学力試験で点数があまりとれなかったけど『内申点』を多く持つ生徒に負けて不合格となるケースがあり、一発逆転が難しいのです。


イライラとの決別

なので、娘はまだ中学1年生ですが成績で順調に結果を出せずに過ぎてしまった1学期2学期を振り返り、娘も私も精神的に追い詰められてとても参っていました。
『郷に入りては郷に従え』で、この独特な入試のシステムに疑問を感じつつも「この地域で受験するなら、この地域の流儀でやるしかない!」と娘も私も腹を決めてはいましたが「これこそが当然の公平な高校入試システムだ!」という意見を聞く度に、心のモヤモヤが大きく膨らんでいきました。
また、娘の成績が伸びないのは勉強をしているフリをして実はさぼって手を抜いているからなのか、本気で頑張った結果がこの状態なのかと考える度に、前者だとしたらこの期に及んでさぼれる神経が理解できず許せませんでしたし、後者だとしたら実力を発揮してこの程度の理解力なら将来どうやって生きていくのだろうと不安でたまらず、本当にもどかしく苛立たしい日々でした。
ですが私は、スマートニュースで目にした言葉と初詣で引いたおみくじの言葉との御縁に乗っかり「まぁ、いっか!もう悩まず運に任せてのんびり生きていこう・・・」と決めました。


潔さと学び

そしてさっそくそのスタイルを書き初めで実行してみました。
今までの私なら、何度も練習をして字のバランスを確かめ、自分が完全に納得できる字が書けるまで書いたと思いますが、今年は自分の直感に従い1枚だけササッと書き上げました。
字のバランスをもっと模索し、納得のいく美しいハネに仕上げたい気持ちはありましたが、何度も自分に「まぁ、いっか!でいくって決めたんだから。」「これでいいの!これからは多くを求めないで気楽に生きるの!」と言い聞かせ、潔く筆を置きました。
娘の書き初めの指導も、基本的な筆使いだけサラッと教えるのみで「いいんじゃない?上手に書けてると思うよ。」と私はその場を離れ自分の事をしました。
娘は、難しい漢字にも拘わらずのびのびと形の良い字が書けていて満足そうでした。
言葉との不思議な御縁によって、子供を育てる際には親が肩の力を抜いてのんびりと見守ってあげることも大事なのだと気づき、親として『放棄すること』と『力を抜くこと』の違いを知りました。
私は「人間って、どのタイミングで何に救われるかわからないものだなぁ・・・」と思いつつ、今年は新しい自分として前進できそうだと感じています。

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