『因果応報』
自分がしたことは、良いことも悪いことも必ず自分に返ってきます。
良いことをすればそれが助けや幸福となって返ってきますし、悪いことをすれば罰が当たります。
大小にかかわらず悪行をはたらくということは、自分で自分に『いつか必ず悪いことが起こる呪い』をかけているのと同じなのです。
悪いことをしているという認識がなくても「これは別に悪いことじゃない」と自分に言い訳をして認識がないフリをしても、悪いことをしたという事実は変わりません。
自分がしたことが誰にもバレないとしても同じで、悪いことをしたという事実は消えないのです。
伝えたいこと
悪行というのは誰かが傷ついたかどうか、迷惑を被ったかどうか、大事に発展したかどうかなど、裁判的な観点で決まるものではないので「相手から傷ついたり迷惑を被ったりしたとは言われていない」とか「大事に発展した原因が自分の言動であるとは断定されない」などと言ったところで、自分に返ってくる応報は何も変わりませんし誰にも変えられません。
悪行は、相手も自分も苦しめる無益な行いなのです。
だから自分で自分に呪いをかけるようなことはやめて、それぞれ穏やかな日々を送って欲しいという願いを込めた会話型エッセイを少し前に掲載しました。
それからまだ間もないのですが、私はどうしてもこのタイミングでもう一度そういったことを伝えたいと思い、そのエッセイから一部抜粋してこのページに掲載することにしました。
いつも応援してくださり、そのエッセイを既に読んでいただいている皆様も、どうぞお付き合いくださいませ。
『自分に呪いをかけないでね』より一部抜粋
『因果応報』という言葉があるように、善行も悪行も自分がしたことは必ず自分に返ってくるものだから、人を裏切ったり陰湿なことをする人には罰が当たるものよ。
噂好きで口が軽い人間は、自分の情報をバラされても別に動じず「お互い様だよね」ぐらいにしか思わないんじゃないかなぁ?
罰っていうのは必ずしも同じような内容で、自分にのみ返ってくるとは限らないのよ。誰かを騙したり貶めたりした罰が事故によるケガだったりもするし。
そうなんだ。いろんな可能性があると考えると怖いね。望む御縁に恵まれないとか、幸せの絶頂から急に奈落へと転落するとか・・・
自分の悪行の罰として大切な人が災難にあうなんて、それこそ最悪よ。例えば親として生きている人は、自分のせいで子供が酷い目にあうなんて絶対に嫌でしょうし。
本当だね。自分が苦しむのは自業自得だけど、何の罪もない我が子が自分の為に犠牲になるなんて、普通の親なら耐え難いだろうね。
自分が誰かにした仕打ちと同じことを自分の子供がされて苦しんでいたら、その人は親として加害者に抗議するのかしらね。自分のことを棚に上げて。
子供に嫌がらせの方法を教えて仕返しの指導とかしたりするのかなぁ。自分の得意分野だって自慢げな顔をしてさ。
逆に、自分が他人にした酷いことを子供が真似して誰かを傷つけて、他人に憎まれるような人間になったら、その人は親としてどう思うのかしらね。
自分のせいだなんてまったく考えもしない親もいるかもね。「噂話も陰口も上手くやってバレてないから仕返しされることなく現在に至ってるんだ」とか言って。
仕返しされてないからバレてないとは限らないのにね。賢い人ほど「つける薬がない人間」を相手にしないってだけで、しっかり軽蔑されてると思うけど。
子供は親を見て育つのだから、親として生きている人、いつか親として生きる人は特に自分の言動に気をつけないと、子供に悪影響を与えてしまうよね。そうなると子供がかわいそうだよね・・・
悪行というのは、予期せぬ時に予期せぬ形で必ず返ってくる自分への呪いで「悪気はなかった」とか「自分は見てただけだから」と都合よく理屈を並べてごまかしても、絶対に逃れられはしないのよ。
悪業を働いたという事実も、それに対する報いも、反省や謝罪をすれば消えるという訳ではないんだね。
「反省するので許してください」とか言う人って本当に反省する気があるのかしらね。自分は罪を認めて罰を受けるのが然るべきだという気持ちがない人は、結局また同じことを繰り返すような気がするわ。
被害者と和解しようが、誰かが「許す」と言ってくれようが応報はなくならないし、その人が本心から反省して行動を改めない限り改善もされないってことだね。
「反省すれば許してもらえる」ってシナリオ通りに動いているだけの人も同じね。「許してもらったことに感謝して善人になろう」という誠実さがあるようには思えないし。
反省してるフリだけして許してもらおうとする人もいれば、自分も加害者なのに状況がマズくなると急に手のひらを返して被害者の味方みたいな顔しながら他の加害者を非難するような卑怯な人もいるしね。
すべての行動には責任が伴い、自分の行動には責任を持たなければならないという当たり前の厳しさを学ぶことが大事なんだと私は思うわ。
「悪行で他人を傷つけ続けてしまうダメな自分も愛して許そう」とか言われても、周りで傷つけられてる人たちは困り果てて途方に暮れちゃうよね。
『ゴメンで済んだら警察いらない』って言葉があるけど、あれって物凄く的確な教訓なのよ。大事なのは謝罪することではなく、その後いかに償い行動を改めるかということなんだから。
傷つけられた側の苦しみや悲しみが『謝罪』によって爽やかな思い出に一転するとか、そんな魔法みたいなことには決してならないからね。
世の中には様々な考え方があって、日々いろんなことが起こるけど、自分で自分に呪いをかけるような行いはやめて、みんな穏やかに生きて欲しいと思うわ。
~『自分に呪いをかけないでね』より一部抜粋(終)~
自分の心を大切に
「誰のせい」だとか「誰が悪い」ではなく、みんなが自分の幸せの為に『自分に呪いをかける行為』をやめて平穏に生きて欲しいです。
誰かを非難したり貶めたりしても自身への応報が増えるだけで、幸せは遠のく一方です。
自分の存在意義や幸福感を肯定する方法は他にきっとあります。
ネガティブな誘惑に負けないで自分の心を大切にしていれば、その努力はいつか素敵な贈り物となって自分に返ってくるはずなので、踏ん張って踏みとどまってくれることを願うばかりです。
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