白髪の対処法
私は家系的に白髪になりにくい髪質で50代になった今も白髪が比較的少なく髪を染めたりせずに過ごせています。
ドライヤー焼けして少し茶色っぽくはなっているものの、黒っぽい色なので白髪があるとけっこう目立ちます。
そんな白髪を見つけてはピンセットで抜くのが私の密かな楽しみで、白髪だけを上手につまんで根元からしっかりと引き抜けたときの達成感と、気になる白髪たちを排除して見た目を黒髪に整えたときのやりきった感がたまらなく好きでした。
先日、美容室で白髪の話になり白髪を抜いていると話したら『白髪は抜いてはいけない』ということとその理由を説明されました。
毛根の仕組み
1つの毛根からは1本の髪の毛だけが生えているのではなく、実は『成長段階の髪の毛』と『成長しきって停滞中の髪の毛』と『古くなり抜けていく髪の毛』の3本がセットになって生えているのだそうです。
毎日、髪の毛が自然に何本も抜けるのに髪の毛の量が保たれているのは『成長しきって停滞中の髪の毛』が今度は『古くなり抜けていく髪の毛』となり、『成長中の髪の毛』が今度は『成長しきって停滞中の髪の毛』となり、新しく『成長段階の髪の毛』が生えてくるという定期的なローテーションになっているからとのことでした。
白髪の毛根から生えている3本の髪の毛は全部白髪という訳ではなく、3本の中の1本だけが白髪で他の2本は黒髪というパターンもあると聞き、私は衝撃を受けました。
美容師さんとの約束
白髪を1本抜くことで3本分の毛根を一気に台無しにして『成長しきって停滞中の黒髪』と『成長段階の黒髪』までダメにしていたなんて、私は今までなんと恐ろしい事をしていたのでしょう。
せっかくの黒髪を温存する為には白髪を抜くのではなく根元に近い位置で切るのが正解なのだと力説され、美容師さんの「もう白髪は抜かないでくださいね」という強めの念押しに、私は「はい」と素直にうなずいて帰ってきました。
それからは白髪を見つけても抜きたい気持ちをグッと堪え、美容師さんのアドバイス通りに根元近くの位置で切るようにしています。
普通サイズのハサミだと1本の髪の毛だけを挟むのが難しく小さな眉毛カット用ハサミを使っていますが、不慣れなのでだいぶ手古摺っています。
桜の枝
私は今『WEBデザイン』の学校に通っています。
先月、学校の受付に120センチ以上ありそうな立派な桜の枝が飾られており、キレイな花を咲かせていました。
1週間程たって花がすっかり散ってしまった状態の桜の枝を見て、私は「もう片付けた方がいいよなぁ」と思っていたのですが、ある先生の「お花が散っても葉っぱは頑張って成長していますよ」という言葉を聞いてハッとしました。
私は、過去の仕事の習慣で『お客様の目に触れる箇所は常に美しく』という考えが今も自分の中に残っており、来客が目にする事業所の顔とも言える受付に萎れた花を飾りっぱなしにしておいてはみっともないという感覚で「花が散った枝は速やかに片付けた方が受付の印象が良い」と当たり前に思っていました。
学ぶ素直さ
私とは違い「花だけではなく葉っぱの頑張りも応援しよう」という植物の生命に対するリスペクトが感じられるその先生の考え方に、私は「なんてポジティブな捉え方でフォローする力に長けた人なんだ!」と心を動かされました。
私もかなりポジティブ思考で良い所を見つけるのが得意ですが、植物に対してそういった意識はなかったので勉強になり「頑張って生きているのに酷いことを思ってごめんね、桜の枝ちゃん・・・」と反省しました。
日々の生活には学びのチャンスがたくさん存在し、それらに『気づける力』と『学ぶ素直さ』によって学びの量と質は違ってきます。
より学んだ方が人間的に成長できる気がするので、私はいくつになっても学びに対する素直さを失わずにいようと改めて思いました。
満たされている人
世の中には長期的から期間限定まで様々な集団が存在しますが、人が集まる所には他人のことを陰で話して面白がる低俗な人間が残念ながら必ずいます。
自信がない人や満たされていない人ほど他人を批判して嘲笑し見下すことで自分の方が上だと自他に認識させるのに痛いくらい必死になるものです。
『金持ち喧嘩せず』という言葉の通り、本当のお金持ちは他人と比べたり他人をひがんだりして争うことも自慢することもしません。
金銭的に恵まれて十分に満たされている人にはそんな発想自体がないからです。
心の豊かさにおいても同じことがいえると思います。
自分の存在価値を肯定して心が十分に満たされている人は、他人の目や評価を気にしてビクビクしませんし躍起になって他人を蹴落とすこともしません。
為にならないこと
他人のことを嗅ぎまわり個人の情報をコソコソと入手してネタにしては得意げに『情報通』を気取っている人とその周りのゴシップ好きの人たちは、そんな程度の低い真似を続けている限り人間的に底辺に位置し軽蔑されるということに早く気づいてやめた方がいいのになと思います。
他人をけなして勝ち誇ったところで、他人が努力して身につけた知識力や人間力を奪ったり追い抜いたりすることはできず、どんなに優位を装っても実際には勝てないのです。
会話が流暢な社交家と口の軽い人間は全く別物で、社交家は情報を制しビジネスで成功できますが、口の軽い人間は都合よく利用されて排除されるのがオチだと教わったことがあります。
薄汚い言動は自分の為にならないということです。
人の評価
人脈についても、闇雲に誰でも構わず関わるとロクなことにならず負の財産となるので見極めが重要だと教わりました。
確かにその通りで、他人のゴシップや悪口で繋がっている関係から建設的な事案は生まれませんし、とりあえず繋がっておけばいつか何かに役立つだろうという単なる利用目的の雑多な繋がりに私は価値を感じません。
人の評価というのはSNSや世間話で繋がっていれば良くなり、長く関わりがなければ悪くなるというものではなく、例えばその人のことを聞かれる機会があったら「真面目な人だ」とか「仕事ができる人だ」とか「口が軽くて信用できない人だ」とか、その人がとってきた行動がそのまま反映されるものだと思います。
問われるのは薄っぺらい調子の良さではなく日頃の姿勢なのです。
御縁の断捨離
個人でも団体でも企業でも同じなのですが、私はどんなに興味があって自分からアプローチをしたのだとしても、感じの悪い対応や不信感を抱くような対応をされたらその時点で興味も関わる気もなくなります。
素敵だと思って入ったお店で店員に失礼な態度をとられたり一方的な決めつけでクレーマー扱いされたりしたら気分を害して二度と行かない、もうそのお店のチラシや情報は一切見ないというケースに似ているでしょうか。
ストレスになる要素とわざわざ関わる必要なんてありませんし、そのような流れになるということは、誰が悪いとかではなくきっと深く関わらない方がいい御縁なのだろうと私は考えます。
御縁にも良し悪しがあるので、心の平穏を守る為には維持することだけに重きを置くのではなく『御縁の断捨離』という『リスク管理』も必要です。
出逢いが運命的な御縁ならば別離は運命的な決断であり、何事も見極めが肝心なのだと思います。
皆様、笑顔でいられるようご自身の心を大切にしてくださいね (*^-^*)