お手伝い
先日、近所のスーパーでキャッシュコーナーに並んでいると、目の不自由な男性が店内に入ってきて買い物かごや商品を陳列している棚にぶつかりながら私の横を通り過ぎました。
心配だったのでその男性にどこに向かいたいのかを訊ねると、キャッシュディスペンサーを利用しに来たとのことでした。
キャッシュコーナーには私を含めた4名が順番待ちをしている状態でしたが、その男性には行列が見えていないのでキャッシュディスペンサーの近くで待機しはじめました。
私は「並んでいる人がいるのですが待つことはできますか?」とお声掛けして、自分が並んでいた位置にその男性を誘導して順番を譲り、お手伝いが終わったら一番後ろに並び直すことにしました。
すると、私の後ろに列の最後尾として並んでいた若い女性が「お二人とも私の前に入ってもらって大丈夫ですよ」と親切にお声を掛けてくれました。
実践の難しさ
お陰で私は自分も一緒に順番待ちをしながら、その男性をサポートすることができました。
そこのスーパーには介助研修を受けている店員さんがいるようだったので、私はタイミングを見てサービスカウンターに行き「目の不自由な方がキャッシュコーナーに並んでいるので、お手伝いが必要か一応お声掛けしてみてください。」と伝えてお任せすることにしました。
誘導の際、私は「12時の方向へ1歩進みます」などとクロックポジションでお伝えすることはできましたが、腕を組んでする歩行誘導では若干もたついてしまい、親切心だけでは適切なお手伝いはできないという現実に自分の不甲斐なさを感じました。
やはりお勉強と実践は違うので、目が不自由な方のお手伝いをする度に私は介助の難しさを痛感させられます。
ですが、きっと私はこれからも果敢にお手伝いのお声掛けをすると思います。
繊細な課題
今回のケースでは、順番を譲ってくれた若い女性がたまたま居合わせてくれて助かりました。
『共存・共生』が現代社会の大きなテーマになっていますが、だからこそ「皆が同じように順番を待って同じ様に利用すべき」という意見もありますし「身体が不自由な方への優先制度はあるべき」という意見もあります。
その他にも様々な意見が存在し、それぞれの主張に一理あるように思うので、何が正解なのか私には判断ができないというのが正直なところです。
優しさが必ずしも正義とは限りませんし、世の中にはいろんな価値観があるので『共存・共生』と口にするのは簡単ですが、実際には繊細で難しい課題だと思います。
新しいライフスタイル
私は現在、2日勤務して1日休み2日勤務して2日休むというスタイルで週休3日の生活をしています。
今はまだ仕事で覚えることがいっぱいで心のゆとりがなく家の事でも何かと忙しい時期なので、新しいライフスタイルになっても時間に余裕をあまり感じられていませんが、仕事に慣れて精神的な負担が減り自分の時間を贅沢に満喫できる日がくるのを楽しみにしています。
ただ心配なのは、今月で研修が終わって来月から現場での勤務が始まるにあたり、ちゃんと仕事をこなせるのかということです。
今は未熟すぎる自分に不安しかないので、自分を励ます為の対策をいくつか用意しておこうと思います。
人生、いかなる場合もリスク管理は大事です。
切なく残念なひととき
季節の変わり目で体調を崩して弱った身体が免疫力をアップさせるために栄養分を求めているのか、または『太る呪い』なのか、私は近頃ものすごくお腹が空きます。
空腹状態で仕事をするのは別に平気なのですが、最高にお腹が空いているタイミングで面談に呼ばれたときは困りました。
会議や面談の最中にお腹が鳴り響くなんて恥ずかしいので険しい表情で必死に耐え、お腹が鳴ってしまう前に面談が終わることをひたすら祈っていたのですが、なぜか沈黙の中で待つ時間を何度か与えられ「これって、私が何か悪いことをした罰が当たってるのかな?」と思うくらい絶望的な状態でした。
結果、面談の会話は弾まず、努力の甲斐もなくお腹は普通に鳴り、とても切なく残念なひとときとなりました。
悲しいお知らせ
先程、ウチの娘氏が学校で使っているマイクロソフトのタブレットパソコン『Surface』をぶっ壊して帰ってきました。
体調不良の余波でまだ喉が痛み、薬を飲んだばかりだったにもかかわらず、結構な声量で『激オコ説教タイム』を繰り広げた私の喉は、果たして明日の仕事までに復活するのでしょうか。
どうやら、私の『子育ての苦労』と『母親の苦悩』はまだまだ続くようです。
「ようやく娘氏も大人びて手が掛からなくなってきたから私も落ち着けるかな ♥」なんて思い始めていましたが、所詮は束の間の夢と散り、疲れ果てて発熱しそうです。
そんなこんなでいろいろありますが、大人なので強く生きていこうと思います (;^ω^)
皆様もどうぞ体調管理をしっかりして、たくましく日々を生き抜いて下さいね ★