危険な決めつけ
思考範囲と経験や知識の引き出しの多さは生き力に繋がりますが、毎日ステレオタイプ化された生活を繰り返してばかりいると、せっかくの広い視野が小さな世界で感化され思考の幅が狭くなってしまいがちです。
一つの事柄について「考えられるのはこれしかないだろう」と自分が思いつくこと以外のパターンなど絶対にないと思い込んでしまうと、善意からの言動のつもりが良くない方向へ進んでしまいます。
例えば「健康面で心配だから痩せた方がいい」という発言は好意的な気遣いからのもっともなアドバイスにも聞こえますが、実際は微妙なところです。
その人が太った原因が惰性的な不摂生ならば、それは生活習慣に喝を入れ正しく導くアドバイスになるのでしょうが、ポイントは太る原因が不摂生だけとは限らないということです。
様々な理由
太る原因には薬の副作用や人によって異なる年齢的な変化、家系的体質などがあります。
また、ストレスで精神的に追い詰められ食べて欲求を満たすことでなんとか精神状態を保っているというケースも考えられます。
私が思いつくのはこのぐらいですが、他にもいろいろあるはずです。
それなのに一方的に「自己摂生ができてないのはだらしなく怠けているから」と決めつけ「健康の為に痩せた方がいい!」とただ正論を押しつけてしまうと、病気などの特別な理由で太ってる人にとってその言葉はアドバイスではなく心を傷つける凶器となってしまいます。
特別な理由があるなら打ち明けてわかり合えばいいだけの話と思うかもしれませんが、世の中には何でもオープンに話す性格の人間ばかりではないので、そう簡単にはいかないのです。
複数の想定の必要性
他人に話したくないことを話さなければならない状況に追い込まれたら「この人のおせっかいな発言さえなければこんなことにならなかったのに」と迷惑に思うでしょうし、事情を話さないままでいれば「痩せた方がいい」と何度も言われ続けもっと嫌な気持ちになるでしょう。
太った原因がストレスで、ストレスの種がそのおせっかいな人の言動だったとしても「実はあなたがストレスの原因です」とはなかなか言えませんから更なるストレスでますます太るなんてことになるかもしれません。
このように決めつけた言動はせっかくの善意を裏腹な結果へと導く恐れがあります。
あまり個人的な事柄はハラスメントにもなり得るので触れないのが無難ですが、もしも口にするならまずは複数の想定を考えてみる必要あると思います。
単純ではない現実
先日、インターネットで「ひとり親なのは自己責任」という言葉を目にし、ひとり親になる経緯はドラマによくあるような恋愛話だけではなく人それぞれなのに、何をもってそんな風に決めつけるのかと、私は衝撃を受けました。
死別した人もいるでしょうし、子供を暴行や性暴力、その他の悪影響から守るために決別した人もいるでしょう。
幼い子供が障害児と診断された途端に世間体のためお金だけ渡して縁を切る親、借金を残して無責任に消える親、犯罪者として逮捕される親、子供に犯罪を強いる親、激情して子供の幼稚園や小学校で暴れる親、いろんな酷い親が実在します。
自分が知らない事実や想像できない現実も世の中にはあるという考えを持たず、自分の視野だけが世の中の全てだと狭い思考範囲で他人のことを安易に決めつけるのは浅はかで乱暴な行為だと思いました。
『社会的ないじめ』
発信されて人々に伝わる話だけが真実ならば、お喋りな人間の無責任な作り話が真実で、事情があって沈黙を貫く人の真実は存在しないことになります。
私は、そんな愚かな解釈しかできない人間だらけの世界になったら恐ろしいなと思いました。
情報の見極めができないでいると誰かの悪意に利用され、知らないうちに共犯として踊らされることもあるので、この情報社会では特に何でもむやみに信用するのは危険です。
私は、世間にはひとり親を蔑視し勝手な憶測であれこれ噂する人、その言葉を鵜呑みにして好奇の目を向ける人がとても多いと感じています。
それぞれの事情を抱えながら、ただでさえ大変な育児を一人でやり繰りしているひとり親を『自己責任』という言葉で否定し『ひとり親であること=ダメなこと』という偏見で差別するのは『社会的ないじめ』だと思いますし、子供を導く親として生きているにもかかわらずいじめ行為に加担する人たちを見る度、とても残念な気持ちになります。
思考範囲の大切さ
知識や経験値は人によって違い、知っているから偉いとか知らないから不幸という訳ではありません。
ただ大事なのは「絶対にこうとしか考えられない!」と狭い思考範囲で決めつける前に「自分が思いつかないようないろんなケースや考え方もあるかもしれない・・・」という気持ちで見つめ直すことだと思います。
思考範囲や考え方の傾向は自分を取り巻く環境に大きく左右されがちで、特に差別や偏見など悪い影響ほど簡単に伝染します。
他人からの情報ではなく、自分が実際に接したときの印象や様子をもとに相手を理解できていた人でも、噂話や悪口が大好きで情報操作が得意な人間の側にいると、よほどの芯の強さがない限りすぐに惑わされ流されてしまします。
悪い影響
自身の目で公正な判断ができ、噂話や悪口に一切参加しない人でも、無責任な情報を多く耳にしていると知らず知らずの内にわかっているような感覚になってしまいます。
そんな自分のマイナスの変化に気づかないまま、他人からの情報で人を決めつける方法こそが『人を知る術』だと無責任な人間に感化されてしまうのです。
情報通で、常に噂話の中心でいたがる人たちというのは誰かが傷つくことも、誰かに及ぶ迷惑も何も気にせず、都合良く話を作って情報操作をします。
そして「あたなにだけ特別に教えるね・・・」という魔法のワードを使い誰かの情報を話して心を開かせその人から新たに情報を引き出すと今度は別の人のところへ行き、仕入れたばかりの情報を話してまた違う情報を得るという行動をひたすら繰り返し、情報を操作し続けるのです。
『劣等感』という呪縛
私は『情報通』な人間ほど信用せず、近づいてこられたらどうでもいい会話で切り返してなるべく関わらないようにします。
噂話や情報の中心にいる人間が唯一悪く言わないのは自分自身のことだけです。
どんなに仲の良い井戸端友達や自分に目をかけてくれている上司や先輩のことでも必ず悪く言うので、そういう人間に特別扱いされて真に受け心を許すのは大きな間違いです。
誰かの悪口を言うことで結ばれた関係性は負の財産にしかなりません。
噂話や悪口でしか他人とコミュニケーションがとれない人は、心に劣等感を抱えているから、他人を貶めて嘲笑うことで自分の立場を優位にするのに必死なのです。
そんなことをしても自分が醜くなるだけで、結局は自分の首を絞めることにしかなりません。
与えられたギフト
誰にでも必ず天性の魅力があると私は思います。
その魅力に気づいて自分自身に肯定感を持てないない限り、ずっと人を羨む負のスパイラルに捉われ続けてしまいます。
どんなに充実しているフリをしても心が貧しいままでは満たされません。
天性の魅力という、個々に与えられた素晴らしいギフトがあることに気づき、それを活かして良い方向に進んで欲しいと思います。
周りの目は意外と鋭く厳しいので、他人を踏みつけにする卑劣さ、弱い立場の人に威張る横暴さ、強い立場の人に媚びるいやらしさは、どんなに隠しても見抜かれ軽蔑されるものです。
周りの愛想笑いに気づかないのは自分だけで、実は嫌われ者だったなんて虚しすぎるので、自分に与えられた魅力を味方につけて歪んだ心に打ち勝って欲しいと思います。
負の落とし穴
劣等感というのは誰かと比べて優劣をつけ羨ましがるから生まれる感情なので、まずは誰かと比べるのをやめると穏やかな気持ちになれると思います。
他人と比べたところで、自分の寿命や経済環境が変わる訳でもないのに一体なぜ他人と比べる必要があるのかと私は思います。
もし、つい誰かと比べて落ち込んでしまったときは「比べたところでどうなる訳でもないのに、バカバカしい!!」と笑い飛ばして無かったことにするのが効果的です。
『他人と比べる』以外にも負の落とし穴は日常の至る所に存在します。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で何かと大変なこの時期は特に、思い通りにいかず気分が滅入ることも多いかもしれません。
そんなときこそ、うっかり負の落とし穴にはまり心が捉われてしまわないように、私はとにかく笑って生きていこうと思います。